陶の里 市之倉
市之倉の歴史と文化


陶器作りの始まり

 始まりは鎌倉時代といわれ、白瓷系陶器(通称山茶碗)という無釉の陶器がつくられました。山の斜面に穴窯古窯跡が数十基点在しています。
 やがて、元和四年(1618)頃加藤与左衛門常政が遠州光明山の祭礼に使用する七十五膳の土器を奉納し、よって市之倉陶業の陶祖となられる。
 以後陶業が盛んになり、江戸中期には登り窯がつくられて灰釉,鉄釉の皿、香炉、碗、サビ釉の徳利、灯火具、鉢等々の日用品が作られています。

美濃磁器発祥の地

 現在、美濃で作られる美濃焼の主力製品は磁器ですが、美濃磁器の始まり新製焼は、文化元年(1804)に郡代により美濃で市之倉が初めて許可され,新たに窯が作られました。 日々、研究されて現在の白い美濃磁器が完成されて幕末になると良品が作られるようになり、江戸幕府本丸御用・京都村雲御所御用・紀州藩御用・等々を仰せつかるまでになりました。
 この頃は煎茶碗・酒器・皿・徳利が作られ中でも盃の生産が
多くなってきました。

盃の生産量日本一の町

 市之倉は山間の町。昔は交通が不便で,磁器土資源が乏しかった為,出来るだけ小さいもので高級感を考え、優れた技術で生産されのが市之倉特産の盃です。
 明治30年頃は町の全生産額の約75%を占めていました。現在も各種の盃が作られています