美濃のマーヤンと駿府のフーさんの いけいけ珍道中
心の泉、湧き出るまーやん殿

2年続きで ピンク色の蕾までいっていてそのまま、咲けずにポロンと終わっていた かに草のゆき子が 今年は 咲き出し その代わり 毎年赤い花を開くはずの シクラメンの ゆうこは どうしたのか 葉っぱが青々なのに 蕾もでない状態でです・・

今年、最後のお休みがクリスマスイブ!  だったけどと  そんなの関係ネェ! 実は、金欠病でさ なんにも楽しくねぇ  こっそり、プレゼントをするヒトも 可愛いマゴもおらんでやや、淋しンボではあるけれど使わなくたって自分の自由になる お小使いってぇやつはあればあるほどイイ! ここ2ヶ月 パチンコで少しづつ、負け続けてそのツケに追われちゃうわけで以前、知人が借金でずっと返せない時に 毎月、1万でも少しずつ返していきゃあいいじゃん・・なんて気楽に言ったけど  そんなこと やはり、ムリなんだよね  どうしようもない ギリギリまでは自分の生活のペースって そんなに簡単には変えられんでネェ おいらの場合も たった1と月我慢をすれば元のペースに戻るつうに ナカナカ繰越生活が続いちゃってるさ・・ なんとも情けないお話で・・・

とうの昔に ピタッと パ を卒業しちゃったまーやんにはこの愚者の生き様には あきれずに 聞き流しちゃっておくれ 年賀状も130枚 なんとか筆まめを使って印刷、 全員に コメントを添えたいんだけど 年賀状だけの付き合いの手合いには  ナンニモ書くことガナイんだよね それに おいらの年賀状は いつも面白い!ネェなんて言ってくれる面々には その期待に添えるようにあれこれと考える?ので これ」又、てーヘンなコトんだ

で・・・ それも昨日で終り 郵便ポストに投函!   やれ×2 でござんした  ともあれ、 今年1年 何かと アリガトさんでした。
          
              不撓不屈?のお気楽爺さん  フーたろ 
        

不撓不屈?のお気楽爺さん  フーたろ呑

残る日めくりが あと2枚 10年前までの年末は忙しくていい時代だったんだよね・・・今年は最悪 先行き厳しいんだ 但し 今までの余力があるから 健康であれば大丈夫だと思っています。

花に名前を付けたり やーさんに怒鳴られたり 優しい心の持ち主俺んちは 今年最後の市場(株式)で大安値 締めくくりくらい笑顔でいたかったけどね

金というのは追いかけると離れていく 金が寄ってくるような器にならんといかんとよ・・・年賀状は手書きは大の苦手 文はすらx2なのに 字はチョットね 親父は達筆だったけどDNAが違う・・・パソコンだから 偉そうに書いているだけ これも寂しい話

今年もなんだかんだあったけど まあいいかって感じです。

昨日 同窓会のことを想い 昔を振り返っていたら いろんなことが蘇ってきて アルバムの文章にしてしまったんです。


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走馬灯の如く

10年一昔というではありませんか。 もう五昔の話になってしまいます。 我らが通っていた中学校は火災のため焼失してありません。 今の校舎は近代的な設備が整い 昔の面影は残っていませんから 非常に残念ですが致し方ないことです。 
中学校ができる時には整地をする時にトロッコを使って 町民も手伝っていた記憶があります。

その時の 陶の町は陶磁器工場が元気が良くて 町を見渡せば いくつものエントツから煙りが立ち上り 町は活気がありました。 道路も瑞浪までに行くのに1時間近くかかっていました。 道路は地道で細く 水上には隔離病棟があって 道はくねくねと曲がり 小学生の時は馬車 道路に馬糞が落ちていたり 車は木炭車 車に掴っても大丈夫なくらいのスピ−ド 小学生の頃は 山に行って 戦争ゴッコ 巣屋を作ったり 同級生としか遊ばない今の子供と違って お山の大将がいて下の者の面倒をよくみたものです。 山に行けば茸はどっさり」あって 背負い篭を背負っていったものです。

町の中を流れる猿爪川はいつも真っ白でした。 夏になると金蛇入堤 お姫堤に泳ぎに行っていました。 今は昔の面影はなく東町グランド その近くに障害者施設のサニーヒルズができ お姫堤はクラウンカントリーに代わってしまいました。 下山にちょうの平というのがあり 山道を通って遊びに行っていましたが 今は陶町バイバス 国道363になっています。 冬になると雪が降ると ソリという物を竹で作って 近くの山で滑っていました。 春は山に行きますと すいこぎ わんゴシ 板取 秋にはアケビ 栗 茸 今のようにパソコンやゲームなどありませんから 自然が遊び場でした。

着ている服装は膝には膝あて 学生服は鼻汁でピッカピカ どの子供も 今から見ればお粗末でした。 

陶の町は 製陶工場 陶器商 絵付け 製型 商店街など元気のいい時代 小学校5年生の時に恵那郡から 瑞浪市に吸収合併 小学校は 今は保育園になっていますが 思い出の学校でした。 遠山先生の時は 宿直室によく通ったものです。 先生ではなくお兄さんと言う感じ 今でいえば成人式前の先生なんていないよね。 

思い出すのは ソフトボール 陸上 その頃は何をやっても 上位にいました。 

担任の先生は1年生から加藤 市川 松浦 河野 遠山先生x2 5年生の時に分校から20名くらいが陶小学校に合流 ・・・・河野先生は今でも 出会うときがありますが、 4年生の担任の頃と余り変わっていません。 これっていいこと 悪いこと 昔がよっぽど老けて見えたんだよね。 松浦先生の時は悪がきがいて いつも先生を泣かせていました。 三宅先生が竹の根っこを持ってきて 廊下に立たされていました。 遠山先生の時は 問題を出して できたらグランドで遊んでもいいと言うから なんか遊んでばかりいたように思う これって自慢なのかな・・・ 

小学校の時は 山岡の金毘羅神社のお祭りに 確か半日で学校は終り 山岡まで歩いていきました。 凄い人出だったんですよ・・・中学に入ると クラブ活動 私は野球 瑞浪市の大会で優勝 陸上も強かった 9年連続優勝 森川君が特に印象に残っています。 200メートルと砲丸投げ 小沢君は走り高跳び 私は3年間歩いて龍門グランドに応援 チョイト悔しい

在学中にプールが完成 前畑秀子氏をプール開きに呼んで 盛大でした。 

中学3年生頃には 色気が芽生え 仲のいい同級生と 俺は誰x2がいいよなんて語り合ったものです。 そんな誰x2さんも 今では大お婆さん しかし同窓会に参加する時には 衣装は買い込むは ボデイスーツで シッカリ形を押さえ込み 顔にはドーランのように厚く塗りたくり 気持ちは昔のまま 歳なんて関係ない!

中学校での思い出は 野球部で美濃白川にキャンプに行きました。 高山線に乗って白川駅から歩いて白川の川原に そこにテントを張って 何を食べたかは定かでありません。 お酒はなかったようです。 今は立派なオートキャンプ場になっています。

修学旅行も奈良 京都 神戸・・
臨海学校なんてのもあって 学校の校舎に泊まったのも思い出します。 

卒業すると進学 就職と それぞれが分かれ 人生のスタートをきりました。 あれから50年の歳月が流れ それぞれの仕事 家庭 遊び ほんとうに100人100色の道のり・・・129人の中には 14人が亡くなり 同窓会に参加できた人は それなりにいい方の道を歩んでいると思いませんか。  

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長文で失礼しました。

ことし1年本当に有難う 良いお年を迎えてください 来年もよろしく

        行く年に 静かに響く 除夜の鐘

        来る年は 大黒さまが 福袋

        散財も人生の糧だと思えば まさに福

         
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