美濃のマーヤンと駿府のフーさんの いけいけ珍道中
   66の瞳が 浮かぶ フーたろ呑

他人の失敗談は蜜の味 他人の成功談は鼻つまみ 丑年になって (もう)かりません (もう)れつな失敗続き(もう)いけません 無け痛い(無携帯)(不携帯)は 寂しい限りなんですよね・・・

皇后美智子様が外国人の前で 竹内てるよの詩を読んでおられた 竹内てるよの生い立ちを紹介されたのを見て 心を打たれた

離散 離婚 破産 闘病 生き別れ 俺んちの生死をかけた体験は 単なる医療ミス それでもドラマになってしまう・・・ふーさんもドラマがある

亡者よ 追い求めれば ますます底なし沼は 深くなる
お金を遊びにしては 結局 遊興費として消えていく
愚かなる亡者が 国を滅ぼし 善人まで巻き添えにして
いかに人間は 浅はかなものなのか 政治も経済も
自然の空気 森林 海水 氷山も破壊をしている
その一端に 己も一因があると思うと 寂しくなる(まさ爺)

携帯は名古屋から瑞浪を目指して 走っているようです。


竹内てるよ
(たけうち・てるよ)
1904(明治37)年12月21日、北海道札幌市に生まれる。

病弱にして10歳(小学3年)で上京。その後、日本高等女学校を卒業間近にして療養のため中退。
婦人記者生活を経て20歳で結婚し1児をもうけるが、25歳の時、脊椎カリエスと診断され離婚を
余儀なくされる。その際、息子徹也とも生き別れる。

以後、闘病と詩作に励む。
戦時中は長野県穂高町の友人宅に身を寄せ、戦後は東京世田谷区赤堤に暮らす。

1952(昭和27・47歳)年『竹内てるよ著作集』(全4巻/宝文社)より発刊。
療養を兼ねた山梨県大月市で25年ぶりに息子徹也との再会を果たして共に暮らし始めるが、
まもなく徹也は舌癌のため死去。徹也3回忌に詩集『美しき時』を出版(1961年)

昭和50年代後半は、東京板橋区向原へ転居。1977(昭和52)年に『海のオルゴール<子に
捧げる愛と詩>』(家の光協会)を出版。同書は2度にわたりテレビドラマ化され話題を呼ぶ。
他書に『生命の歌』『静かなる愛』『悲哀あるときに』『灯をかかぐ』『巣立ち』等がある。
最晩年は、新潟市に転居するが、2001(平成13)年2月4日逝去。享年96。


    感慨深き まさ爺


春の息吹
我が家の通路 それも人が一人しか歩くことができない 狭いx2通路に 春の気配を感じさせる 
蕗のトウが15ほど芽を出している。

何年か前に 蕗を取りに行って 数本根のついたものを持ち帰って 家の片隅に植えておいたのが 
毎年増えて春になると芽を出す

水もない 畑でもない 山でもない コンクリートの壁の小さなx2土地に 息を絶やさずに生きている 逞しい

それなのに 己の心は卑しい あと二日で天ぷらに瀬一杯頑張っている蕗の芽 蕗になろうとする前を狙って
 これは愚かなことか 自然の恵みなのか 分らない 春になればわらび こしあぶら 筍 タラの芽などを求め 
暖かくなれば あまごを求めて渓流に 人間は獰猛な生き物

               ひまつぶし詩人 まさ爺

        感慨深き まさ爺 殿

 名古屋から瑞浪を目指して 恥ずかしさを背負って必死に走っている カワイソウな携帯さんを思うと ・・ クックック  ・・・ まーやんセンセに告ぐ! すぐに100円ショップにお出かけなされ、 105円を惜しげもなく投入して 携帯をぶら提げるヒモを買いなされ、そして即、携帯に結ぶんです。  外出時には必ずぶら提げてお出かけなされ・・ついでに 迷子札も?
 
 竹内てるよ女史に 興味を持ったので早速、図書館に [静かなる夜明け」 を 予約を致し候。 とにかく 読んでみるんでね。

 フーたろはガラにもなく 悲劇に弱い!
 涙腺がゆるいので ドラマを見ても映画をみても可哀想な場面になると 涙ボロボロ でどうしようもなくなってしまう。 涙と鼻水でくしゃくしゃになり なんとも男のくせに 情けない話なんだけど・・

 次のメールの まーやん小路に芽吹いた ふきのとう これって いいなぁ! 蕗の根を数本、植えたのが 増えて顔を出したなんてまさに  瑞浪の春 !  いたいけな? そうです〜ふきのとうは 眺めてるモンじゃないですよー おいらもやはり、天ぷらが浮かんでくるんでやんす  さてさてーと 他の山の幸も加えて アマゴとかイカとかのフライで 夕のお膳がにぎやかにーと なるんでしょうね

 確かに 今年は暖冬模様で 浅間山は独り 気を吐いて 噴火してる 地の神様が 今の不況に 渇! を入れてるのかも知れないね。

 スプリング ハズ カム!  アンド アイキャン!

             歯に 詰めた金属が取れちゃって・・悲壮感!の フーたろ
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