百系ひかり

パラソルを持たぬ日盛り電柱の影のかたちに身を縮めをり

主婦たちの笑ひ声する町の上に入道雲はむくむく育つ

遠つ国のガムランの音はおさな日の島の祭りへはつか繋がる

青空の向かうに蝉の声がする今朝の空気は明らかに秋

県道のガードレールに架けられた稲藁の香は擦り傷のごと

稲の葉は甘いか酸いか稲藁は酸つぱい匂ひたてつつ乾く

烏賊の足切り離しつつ探る闇明日の在り処が見つからなくて

あのひとの耳の形を思ひ出すために集める石と貝殻

晩秋の光あふるる草原に《第一原因》といふを思へり

阪神の優勝見届け引退の「百系ひかり」十八年はや

 

   眼球の夢

真空にパックされたる筍をとり出し深き春へと帰る

生乾きの洗濯物に囲まれてうすぼんやりと午後を過せり

世をすべて塗り込めるがに降る雨のここだけ空白家の型に

天霧らふ七夕の空見上げつつ時と方位を合はす星座板

「ここだよ」と呼ぶ声のするリビングのテレビの前はほうと明るい

テレビばかり見てゐるわたしは泣き虫で心はどんどんみづを失ふ

梅雨空に中指ぴんと突き立てて赤芽柏は悪態をつく

ひもすがら嘴ながれに差し入れて光を拾ふ一羽の小鷺

目薬をいつたいどこに忘れたか熱き眼球夢を見たがる

 

遠つ国の香

寝ねぎはの目覚ましの音に油蝉短く鳴きていづくへか去る

水平に降る雨の夢左耳だけが濡れずに雨を聴いてゐる

この世ならぬ声聴きたがる右耳は橋のたもとに置いて来ました

麻紐を編む鉤針の金色があしたの方へは向かつて行かない

たましひの在り処もとめて遠つ国の円錐の香燻(かうくゆ)らしてゐる

藻類の足に絡まる夕まぐれ波寄するたびぐらりと揺れる

葛の花にほふ日盛り子のままでゐられぬ吾子と無言で歩く

銀色のフェンスを覆ふ葛の葉も根元絶たれて明日は枯るるか

オカアサンネエオカアサンオカアサン誰かわたしを呼んでください

 

ざる蕎麦

予想外の梅雨の合間の青空に喉を鳴らしてゐる洗濯機

トーストのシナモンシュガー四隅よりじわりじわりとバターと混じる

ラブレター・フロム自衛隊高三の息子の元に入隊案内

結局は捨て石なのだ戦死したシングルマザー他に職なく

夏の韮切りつつ思ふをさなごの爪の間を洗ひしことなど

われ五百、子は千五百ccのペットボトルを振り回しをり

肉付きが少しよくなり最近は仮病が通らなくつて困る

雨音に人間の声遮られひとりぼつちの昼食をとる

成長の早い木である針槐売れぬ宅地は森に戻らむ

作りものの過去に縋つてやうやうに生きてゐる人とざる蕎麦を食む

 

  原色図鑑

初夏の公園の草抜き終へてぽかんと広がる頭上の青空

坂多き町を一日彷徨ひて体の螺子をいっぽん失くした

ここまでは届かぬ日射し見てをりぬ届かぬものは皆美しい

深々と開く五月の木下闇わが腋下より母の香が

豆乳の鍋に張る湯葉うす汚れ煮詰りてゆく夜の会合

いくつもの落暉を映す水張田の果てに迷へる幼子の影

ふたたびの雨に失ふ色彩を惜しみて開く原色図鑑

早朝の光散らばるベランダの手すりに消ゆる明け方の夢

トーストの端より零れし蜂蜜が手のひら粘らすはつなつの朝

 

今年の桜

死に近き父親見舞ひてその帰路に夫は二回も道をあやまつ 

まだ生きてゐる人のための喪服持ち家を飛び出すひどい靴だわ

携帯電話(けいたい)に訃報入りたり米原を過ぎた辺りの麦青々と

二週間前よりももっとお義父さん小さくなつて もう

「父さんは今年の桜見たかなあ」見舞ひに持つて行けばよかつた

春なのにお通夜の寺のエアコンの温度をさらに三度上げをり

生きてゐる人は食事をせねばならぬ葬の日にも買ひに出かける

この家で料理するのは初めてだ義父のいませぬこの台所

 

春に寄せて

開戦の日に発売の「平和」切手鳩が右往左往シートを揺らす

()ラスにも()ズメにもなれぬカス(ゝゝ)マ草中途半端を生きるしかなく

シガイセン紫外線と聞くわが耳も戦争などに慣れてゆくのか

だらしなく下唇を突き出して三階草は春を吐きゐる

うまい歌ひねり出すより誠実な人でありたしテレビを消しぬ

紅梅の花びら散りてあかあかと萼は残れりまだこれからよ

はるばると黄砂来たりて薄曇る 空はたつたひとつしかなく

強烈な匂ひで町を制圧する沈丁花には服(まつろ)ひはせぬ

 

中年の台所

じゃが芋と玉葱の芽はキッチンの隅でひそかに絡まりあひぬ 

下半身のみのマネキンリサイクルショップの奥をほの照らしをり

銀色の冴へ返るまで水道の蛇口磨けど雨はやまない

棘のある言葉はいくらレガートでつないだとしてもつんつん尖る

フライパンの豚バラ肉は際もなく脂流してどんどん縮む

もう五年誤解したまますれ違ふフォークとスプーン抽斗の中

台所のシンクの下で苦しんでゐる鍋であるぎゆうぎゆう積まれ

さゐさゐとすぐき噛みをり斯くのごと清けくあれよわが中年期

トイレットペーパーの芯からからとまはり続けて役目終へたり

 

思春期の男

思春期の男と暮す楽しさよ耳菜草なで含み笑ひす

青年の肩甲骨はくちびるを誘ふばかりに尖つてゐるよ

わたくしを赦さぬ白き野茨が甘き香をもてからみつきをり

刺した手に残る小さな赤い染みこれつぽつちのことで殺した

誤つて床に落とした生卵黄身は無傷のまま満ち足れり

飽食の国に育ちて子とふたり他国の飢ゑを賞味してゐる

「この世界孫の死ぬまでもって欲し」十七の子の言ふことかしら

耳掻きの先つぽみたいな綿毛もつ野ぼろ菊より先は春の野

 

  ティンパニ

いちばんに冬の気配を感じをりぎゆいんぎゆいんと淋しがる膝

「べき」と言ひ放ちしあとに不意に湧く微震の如きかすかな悔いは

センサーに感知されたるわが存在自動扉はゆるゆる開く

アイロンをかけつつ見てる遠いとほい再放送の恋愛ドラマ

行くことももうない町にひとつだけ忘れそびれた電話番号

ゲーム脳?また親たちを脅しつつ金儲けする奴出て来たぞ

年内の水菜は生でしやくしやくとサラダのやうに食ぶるがよろし

始祖鳥になる日夢見て折畳み傘は林の落ち葉に埋もる

歳末はティンパニ鳴らして追ひ立てるもう幾日も残つてないぞ

 

薔薇と大根

ウォークインクローゼットとは納戸なり戸の向かうには我ならぬ我

オーブンの焼林檎からぴゆるぴゆると小鳥の声がきこえて来るよ

百七匹数へたとこで飽きちやつた気ままに跳ねるその後の羊

むつくりと立ち上がりたり叢のうち捨てられたウチワサボテン

突然にインクの切れたボールペンえいクソッタレ!文具店に行く

雨のなかささやく声はなんの鳥ゆめゆめゆめに溺るるなかれ

もう赤くなれさうもないプチトマト枝に残れり今日から師走

椅子のそばに据ゑしストーブ習慣で右足指がONにしてをり

煮るほどにおぼろとなれる大根の輪郭のごと年ふるわたし

薔薇にあらず赤子にあらずわが胸にずっしり重く大根抱けり

 

太る蜘蛛

トラックの後退(バック)知らせる電子音の跡絶へし場所より秋風の吹く 

もろ胡のへたの苦みも悪くない今宵十六夜月見て食べよ

ほつほつと盗人萩咲く道ばたに薄茶の犬の毛が揺れてゐる

鼻の奥にくしやみの素の生れたり脳裏に広ごる冬の草原

バラ色を夕暮色と気づきたり四十代は後半生だ

冷凍のコロッケ油面に泛びても縁のカーブは冷たきかたち

一句詠み届けられたる発泡酒二十四本あなありがたや

リコリスの茎の太さに中年の女を見たり「がんばつて行こ」

朝ありし町工場の夕べには跡形もなし はろばろと空

日々太る蜘蛛を横目に来春のための球根いくつか植ゑる

 

 

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