フリスク

 

ぼろぼろと歯の抜ける夢 口中に幻の血が匂ひてゐたリ

 

無理無体通して君はわが道を猪突猛進傍若無人

 

あれこれを平面に熨す妻である哀れなものよYシャツもまた

 

卵液の染みるトースト食むたびにブッシュの顔が浮かんて消える

 

飛ぶ鳥のアスパルテームの後味のフリスク食みて後悔ばかり

 

浴槽に肩までつかり思ひゐるやせっぽっちのソクラテスの足

 

扇風機の羽根を洗へばこんなにも秋の空って透明だった

 

青空に溶け込みさうな半月を背負ひて帰る遊楽ののち

 

薄青きアキノヱノコロ弧を描く鬼の子木の子こっちへおいで

 

 

    糠漬卵

 

まだ熱の残れる糠に手を入れて冷えさうになる心を奮はす

 

炒り糠に塩水少しづつ注ぎ、ずぶずぶ吸はす隠したきもの

 

まだなにも棲むもののなき糠床にイースト入れて「産めよ増やせよ」

 

茹で卵《産みたて》なればするすると剥けてはくれず凹凸となる

 

しばらくは家族の秘密と茹で卵埋めておかむ糠床の中に

 

子の匂ひ夫の匂ひ残りたる遅き午前の食卓にゐる

 

糠漬の卵つぎつぎ飲み込んで噎せ返りつつ涙を流す

 

茹で卵なれば誰かに投げつけることもできずに飲み込んでゐる

 

サバビアン、サバビアンなど唱へつつ昨日の味噌煮を温めゐたリ

 

 

      丸縁眼鏡

 

晩秋のビル風に舞ふ新聞紙明日のことは誰にも分からぬ

 

バス停に並べられたる椅子五つ不揃ひの座面みなへこみをり

 

降り続く雪に思ふは雪国に生れし歌人の丸縁眼鏡

 

溶け残る雪に足下の空洞が暴かれてゐる雪止みてのち

 

元旦はじっとり深き霧の中ゆっくり晴れてゆくのを待たう

 

新しきスリッパ履きて新しき年を歩めどわが足である

 

凶器にもなれぬおよびの逆剥けがストッキングを傷つけてゐる

 

強風に上空を飛ぶトンビさへふらり傾きまた上へ飛ぶ

 

押入れのオリーブオイルの濁りたり ここより寒の底を迎へる

 

 

桜色の湯

 

雪雲の次々来たる日曜日影と光をさまよひ歩く

 

吹き寄する風を集めて胎内に宿せるものはえ生れざるもの

 

スイッチを切ったテレビに隣り家の毛布が風にはためくを見る

 

「お母さん《ながら族》だった?」わが青春はもはや死語らし

 

このところ短歌脳にはなれなくてつまらないギャグ言ってはスベる

 

家相には興味はないが鬼門にて蒸気を上ぐる炊飯器って

 

TVより聞ゆる曲のあれもこれも最早この世にゐぬ人の声

 

立春に桜色した湯につかり春を思へど冷える浴室

 

《垢掬いゲーム》と名付けひとり遊ぶ仕舞ひ湯の主婦 かなしからずや

 

 

    春の新色

 

椿象(かめむし)のことりと落つる夜の部屋は少し酸素が不足してゐる

 

冷蔵庫に苛立つ卵 我等には云はば一触即発の危機

 

寄生木か小鳥の巣かは知らねども雑木林の梢見上ぐる

 

公園の枝垂れ柳の芽吹きたり春の子供はむらさきの影

 

まだ濡れてゐる飴玉が坂道の中途に光る春の夕暮れ

 

ころころと変る「資源」の分別に立ちつくすなりゴミ収集日

 

三日間濡れつ放しのTシャツを取り込むだけの元気が出ない

 

「お父さんがんばらないで」なんて事このご時世で言へなくなつた

 

口紅は《春の新色》。サンプルを紅筆にとり少し華やぐ

 

 

カプセル

 

閏年なればぶらんとぶら下がる一日ありて欠伸する猫

 

小夜更けて魚のやうにささやかな溜息つきてさまよふ小径

 

野の花は風と遊びて風と散り風の姿をまねびてゐたリ

 

半開きの花弁の中に零したる花粉に汚るるまつかな椿

 

蕊持たぬ乙女椿はぎしぎしと花弁重ねて身を守りゐる

 

油断すると途切れてしまふ会話だが卓は左に右によく回る

 

お隣りが羨ましくはあらねども人工芝は年中青い

 

五つ目のカプセルくいと呑み込んで今日のわたしに決着つける

 

とびきりの嘘もつけずに万愚節過ぎ去り続くルーティン・ワーク

 

 

        ちりちり

 

藤花を蜜に漬け込む夕まぐれもう少し灯を点さずにゐる

 

もう一錠鎮痛剤を飲み足してしづかに眠らす海の痕跡

 

小悪魔がもし棲むのなら脳髄か良からぬことをついと企む

 

ひとたびは避けし唇重ねらる歯をしつかりと閉ぢとくんだつた

 

歯磨きの好みのことを言ひあつてそののち深き水音をきく

 

きみ宛の手紙の切手濡らしつつ淋しい場所がからだに広がる

 

半ドンのドンは何かと訊いたのも遠い昔のお話ですね

 

お茶漬にかすかな海苔の香のありて指の付け根がじつとり湿る

 

頭なき鰈ちりちり焼いてをりここは夢から遠いキッチン

 

 

カミをさばく

 

ふかぶかと蛍袋は頭を垂れり な〜んてふりして地下はすごいよ

 

カーテンを引いたむかうに鳥の声 いいさ いいです勝手に鳴けば

 

骨董の域に達つせぬ中古(ちゅうぶる)の湯呑み茶碗は茶渋が取れない

 

体内にバネはないので足もとに荒唐無稽な話を置いた

 

おのおのがチュッパチャプスを銜へつつ年金問題語りてをれり

 

殺されたものの魂吸ひ取って少し浮腫んでしまつた地球

 

音たててカミをさばくといふ作業愛してをりし学生時代

 

外縁に淡き色おく紫陽花の雨に打たれてわたしはげんき

 

薔薇の刺尖らせてみても役立たず病害虫にめつぽふ弱い

 

微かなる痛みの兆すわが脳野茨ほろりほろりと開く

 

 

    ネット懸賞

 

折々に画面よこぎる白兎こつちへ来いよと誘って困る

 

顔文字を捨てて七年それなのにを付けて誤魔化してゐる

当選(・・)の文字の輝く画面(モニター)に顎の関節くくくと弛む

 

雑草に埋まれる庭を嬉々として案内したり取材の人を

 

貰ひたる「食器洗ひ機」と引換へにわれと夫との笑顔作りぬ

 

仲のよい夫婦のふりして撮影は終りぬ嘘もいつぱい言つて

 

不確かなものばかり撫でたがる指 本物のふりするものは怖い

 

木の床に砂はいつしか降り来たりざらざら軋む私達って

 

カラフルな色を付けられ哀しからう砂時計の砂流れ続ける

 

まなうらに巨大な壁の浮かびをり画面を長く眺めた報ひ

 

 

    伸びた靴下

 

ゴムの伸びた靴下が好きこのごろの父とわたしは少し気が合ふ

 

体液の染み出さうな炎天に私のどこかが朽ち始めてゐる

 

青空は魚眼レンズに封じられ仰け反る地平に行き場を失ふ

 

前向きな天道虫が憎くつて掌の中に閉ぢ込めてゐる

 

少年のためにあるのだ真つ白なTシャツはいづれ夏は去りゆく

 

ここだけが土砂降りの雨(空は明るい)私一人がいつもずぶ濡れ

 

哀しみの無限隊列来たる夜は梔子の花齧つてみても

 

間違ひのない答しか考へぬやうな夕日が落ちあぐねてゐる

 

前うしろ金魚の池に囲まれた駅に降り立ち夕焼まみれ

 

 

    ソングダー

 

葛の葉をわたる風よりざらついた気持ちで開ける牛乳パック

 

欲望は細部でパンクしつつある煙草吸ひつつたばこを欲れり

 

よみがへる記憶とぷんと水の音 密封された容器のなかで

 

歯止めのきかぬ恋のやうです颱風は何度もなんども襲ひかかれり

 

日本に来たる颱風名を持てりソングダーいま沖縄近く

 

快適の追求続ける雨後の犬半間ほどの自由の中で

 

鼻だけを頼りに捜す葛の花小学校はもう始まった

 

パラソルの縁より下る細き糸みどりの蜘蛛は緑にかへす

 

物干しのしまひ忘れた靴下は沈んだ太陽恋ひてゐるらし

 

箪笥から秋の洋服取り出して防虫剤のにおひにくらくら

 

 

半ズボン

 

珈琲の粉膨らませ湯は染みる小指の怪我が直らなくつて

 

夢想には毒があるから攫はれぬやうに貼りゆく赤い付箋紙

 

十円の料金不足で戻りたる封筒ひどく汚されてゐて

 

後悔はできる間が花かもね波型カットのポテトチップス

 

小癪なるエントロピーの法則を思ひだしをり掃除するたび

 

かはきたる胸に生れる外つ国の間歇泉のごときわが咳

 

挵(せせり)肉とふいぢましき名の部位を買ひに行きたる「かしは屋」ありき

 

口中に恵比寿大黒並びゐて栗・梨・秋刀魚みんな消えゆく

 

川下になんかいいことあるかしらまつかな鮭に訊いてみようか

 

かさこそと午睡の夢に帰り来る息子は常に半ズボンにて

 

 

 

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