捏造12国記

「……許す」


「天命をもって主上にお迎えする。御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと誓約申し上げる」
 自らの前に叩頭して誓約を口にする泰麒を見下ろし、李斎は静かに、大きく息を吸い込んだ。


 誓約の儀式に先んじて、泰麒の打診を受けた。
 始め、李斎は何を言われたのか理解できなかった。
 禁軍右将軍・阿選の乱はようやく収束した。しかし、その傷跡は深く残された。
 阿選は討たれたが、彼は自らの滅亡に際して、多くの民を、官を、そして、王までもを奪っていった。これではとても勝利はとは言えず。人々の顔には憂いと悲しみが深い。
 ただ、唯一の幸いといえるのは、泰麒が健在であること。泰麒が健在であれば、次の王の登極までに、さほどの時間を必要としないであろう、という希望。
 どちらにしろ、李斎は、阿選が除かれたことで、自身の仕事は終わったように考えていた。
 泰麒と共に、阿選の偽朝に対する反乱軍のまとめ役のような真似をこれまでしてきたが、自分の本文は軍人だと思っている。そして、李斎は利き腕を失った軍人。もはや戦場では役に立たない。そして、自分に軍人以外の任が務まるとも思えなかった。
 このまま、朝が一応の落ち着きを取り戻したら、仙籍を返上し野に下るつもりだった。
 泰麒が訪れたのは、そのつもりで身辺の片づけを行っていた時だった。
 半身である王を失い、泰麒は幾分痩せたように見えた。しかし、その悲しみを乗り越え、瞳はまっすぐに前を見据えていた。
 麒麟は、王を選ばねばならない。
 一刻も早く。出来うる限りに。
 そうしなければ、戴国はますます沈む。そして、これ以上の荒廃に、戴の民が耐えられないだろうことも、自明だった。
 李斎は泰麒の表情に、安堵を覚えた。
 大丈夫だ。泰麒は、自分のすべきことを、しなければならないことを理解している。
 あの、幼かった泰麒はもはや居ない。それに一抹の寂しさを感じないでもないが、未だに幼くあってくれては、困るのだ。だから、この方が良い。
 もう大丈夫なのだ。
 李斎は、自身の仕事の終わりを、幾ばくの寂寥感と共に、今こそ心から感じた。
 戴は、大丈夫だ。泰麒と、彼の選び出す王が、しっかりと支えていくだろう。もはや、自分の仕事はないのだと。
 しかし。
 そこで、予想もしなかった言葉を告げられた。
「李斎、次の王は、あなたです」
 と。


 とても自分はその器ではないと、混乱し、動揺する李斎に、泰麒は淡く笑い、また明日来ますと告げて、退出した。
 李斎は僅かに混乱から立ち直ると、ますます、自分が王の器ではないと感じた。
 このような手順は聞いた話がない。
 麒麟は王の前に叩頭し、誓約する。それ以前に麒麟から打診を受けるなど、聞いた試しがない。
 それもこれも、李斎が混乱し、すぐには判断しかねるであろうことをあらかじめ理解し、猶予を与えてくれたのだ。
 全くもって、王の器ではない。
「とは言え、泰麒がそう告げたのであれば、天意が下ったわけだから、あんたがなんと言おうとも、王は李斎だ。これは、どうあっても曲げられないことだ」
 話を聞いた瑯燦はこともなげに告げた。常の彼女がそうであるように、迷いのない、はっきりとした口調だった。
 天意。
 李斎は、僅かに顔をしかめた。
 もはや、李斎は無邪気に天意を信じることは出来なくなっていた。
「天意が嫌なら、麒麟さんの目を信じたらどうだ? ついでに、どの程度足しになるかは知らないが、私の意見を言わせてもらえば、麒麟さんの見る目は間違っていないと思うが」
 まさか、と李斎は首を振る。かつては自らにたのむところもあり、麒麟旗があがると共に我こそはとばかりに昇山した。あのころの自分であれば、素直に王となることを承諾したかも知れない。
 だが。
 そこで出会った驍宗に、自分はまるでかなわないと思った。驍宗が王に選ばれた時、自分が選ばれなかったという落胆は、ほとんど感じなかった。逆に、納得していた。彼ならば、王にふさわしいと。
 その驍宗が倒れ、能力で明らかに劣る自分がその跡を継いで王になる?
 そんなことが出来るわけがない。
 さらに、利き腕を失った自分は一人前にはとうてい足りず、半人前だという思いがある。軍人としてこれまで生きてきた。そして、もはや自分は軍人として役に立たなくなった。元々、驍宗に比べてかなわなかった人間がさらに半人前になって、どうすれば王を名乗れるというのか。
「王は軍人である必要はない」
 瑯燦は僅かに瞳を細めて李斎を見つめ、口を開いた。
「逆に、李斎、あんたはこんな事を言うと怒るかも知れないけどね。あんたの言うように、かつてのあんたは王じゃなかった。兵に慕われた優れた将ではあったけど、そこまでだ。王になるには、いろいろと足りなかった」
 別に李斎は腹を立てもしなかった。わざわざ言われるまでもなく、自分が王たり得ないことを、自分が一番よく知っていた。
 しかも、今の自分は将でもなく、さらに足りない。
 告げる李斎に、瑯燦はひらひらと腕を振った。
「早まらないでよ。大事なのはここからなんだからさ」
 首をかしげる李斎に、瑯燦は続ける。
「あんたは、利き腕を失って、自分がもはや使い物にならないように考えているかも知れないけれど、真実は逆だ。確かに、あんたは戦場で剣を振るうことは不可能になった。将として、兵として──軍人としてはもはやお話にもならない。だけど。だけどさ、李斎。あんたは、腕を失ったことで、王たり得るようになったんだ。──忘れたのかい? 阿選を倒すべく、皆をまとめてきたのはあんただ。あんたは元々が将軍だ。戦場で全く役に立たない自分を卑下するのはわかるような気がするが、それは王の仕事じゃないんだよ」
 それでも、驍宗に劣っていることは間違いなかった。李斎の確信であり、真実であろう。将としてもかなわなかった。王としてももちろん。李斎は、驍宗のように先を見る目を持ち得ていない。
「別に、王の能力が優れていることが必須ではないだろう。お世話になった慶国の女王は胎果で、こちらのことを良くお知りでないそうじゃないか? こんな言い方をすれば失礼だが、それは無能と言うことだろう? ──で、李斎は、景女王を王の資格無しと思うのかい?」
 李斎は慌てて首を振る。
 かの女王には大変な世話になった。あの絶望的な状況下で、戴国が、ほんの僅かとはいえ、明日への希望を持てるようになったのは、景女王の協力があったからこそだ。さもなくば、阿選は未だに玉座に座り、戴は確実に滅びへ向かっていただろう。
 その恩義を除いて考えても、景女王は王たるにふさわしい人に見えた。
 あのまっすぐな瞳。押しかけた李斎を当たり前のように腕の中に抱え、当たり前のように援助してくれた。当たり前のように。
 翻って見るに、自身の至らなさ。
 李斎は、景女王を罪にそそのかそうとして慶をおとなったのだ。
 ますます、自身が王の器とは思えない。
「李斎は、驍宗様と自身を比べて、王の器じゃないと口にするけどね、私は、驍宗様になくて、李斎にあるモノがあって、もしかしたらそれが王には一番大切なモノじゃないかと思って居るんだ。まあ、今にして思えば、だけどね」
 僅かに苦笑して、瑯燦は告げる。
「それは、国、民に対する「畏れ」だ。李斎は、畏れている。自分では、国を支えきれるはずがない、民を導けるはずがない、と。驍宗様には、それがなかった。嫌、ない訳じゃないが、李斎ほどじゃなかった。それこそが、問題だったんじゃないかな」
 驍宗と自分では、能力が違う。器が違う。驍宗が李斎以上に自信を持っていたことは、決して間違ったことではなかった。現実に、それだけ優れたお人だったのだから。
「能力云々は置くよ。まあ、私にしても、驍宗様は傑物だったと思うし。──でもね、それでも、足りないんだ。国、民という度し難いモノを治めるには、人一人の能力の優劣など、お話にもならないんだ。自信が全くないというのも考え物かも知れないが、それ以上に、畏れが足りないことの方が、私は問題だと思う。驍宗様が倒れたのも、究極、それが問題じゃなかったのか、今の私はそう考えもする。──そこで、その点、李斎は畏れを持っている。そして、李斎はもう一つ、驍宗様になかったモノを持っている」
 もう一つ?
 首をかしげる李斎に、瑯燦はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。元々、外見は19かそこらの小娘のようなのが瑯燦である。そうした表情はごく自然で、よく似合った。その表情のままに、口を開く。
「李斎には、自分を映して確かめることの出来る鑑がある。──「驍宗」という名の鑑が」
 鑑──と鸚鵡替えしにつぶやく李斎に、瑯燦は続ける。
「李斎は、これから先、何をするにしろ、驍宗様と自分を比べることになるだろう? 驍宗様ならばどうするのか? どうすることが正しいのか、常に自分に問い続けることになる。自分が歪んでいないか、常に確かめる事の出来る鑑が、李斎にはあるんだ」
 だが。
 何より、自分は天意を信じることが出来ない。
 泰麒のことは信じても良いだろう。しかし、天意。それは、酷く胡散臭く、無条件に肯定することが出来かねるモノだ。
 瑯燦は、それを聞いて、どこか冷めたような、人の悪い笑みを浮かべた。
「私の考えを言おうか? 私は、李斎より人が悪いから、もっと酷いことを考えている。李斎は、天がくだらない誓約ばかりを押しつけて、何もしないことに憤っていたわけだけどね、私は、天は何もしないよりも、もっと質の悪いことをしているんじゃないかと言う疑念を抱いて居るんだ」
 意地の悪い表情を浮かべた瑯燦は、指を顔の前でくみ、口元を隠すようにして続けた。
「驍宗様が倒れたのも、泰麒が蓬莱に流されたのも、李斎が片腕を失ったのも。全ては、李斎を王にするための天の計らいではないのだろうか? ──私は、そんなことを考えてしまった」
 絶句する李斎に向かって、瑯燦は薄く笑う。
「驍宗様が倒れたことで、李斎は鑑を得た。泰麒が蓬莱に流され、李斎は慶に向かい、彼の地で他国の王達に出会った。──これも、李斎を導く指標、鑑になるだろう? そして、片腕を失ったことで、李斎は只の将から王になるきっかけを与えられた。──無論、全ては私の勝手な考えで、事実は全く違う場所にあるのかも知れないがな」
 つまり、驍宗は──全ては李斎のための当て馬だと、瑯燦は考えているのだ。
 李斎は、とっさに何も言うことが出来なかった。ばからしい、と笑い飛ばすことは出来ない。天の善意は信じられないが、悪意は信じられる。それほどまでに、李斎の天に対する不信感は深い。ただ、あえぐような呼気が、口からこぼれるばかりだった。
「──どちらにせよ、李斎は麒麟さんに選ばれたんだ。選ばれた以上、李斎以外に王は居ないんだ。そして、王が居ない限り、戴はこれから先も荒れ続ける。──ならば、李斎に出来ることは、初手から一つしかないんだよ。あんたが迷おうが迷うまいがね。選択の自由、そんなモノは存在しないんだよ」
 戴を見捨てる気になれば、別だけどな。
 瑯燦の最後の言葉が、李斎の耳に残った。
 それだけは、絶対に出来ないのだ。それは、自分を助けてくれた人々に対する、最悪の裏切りになる。そう、それだけは絶対に出来ない。
 李斎の天に対する思いは別に、瑯燦の言うように、初手から選択の自由など、自分には存在しなかったのだ。


 自身の足に額をつけ、返答を待つ泰麒の姿を見下ろしながら、李斎は大きく深呼吸をした。
 これが、全て天によって初手から決められていた道筋なのだろうか?
 見えない糸で絡め取られたかのような不快感。
 そして自分は、天に定められたとおりに道を歩み、そして道を誤って倒れるのだろうか?
 李斎は、内心で小さく首を振った。
 否。
 否だと思いたい。
 この段で行けば、慶国、彼の地で出会った王たちもまた、同じように天の張り巡らした糸に絡め取られた──目に見えない牢獄の住人だと言うことになる。現実、天綱と言う名の網に絡め取られた存在が、王かも知れない。玉座とは、牢獄と同意のモノかも知れない。
 しかし、それでも、かの王たちは僅かな隙間も見逃さず、少しでも自由を得ようと足掻いていた。
 ……王となるのが避けられぬのであれば、自分も、足掻いてみようと思う。
 とるに足らぬ自分でも、そこに、何かが出来るかも知れない。
 李斎は目を閉じ、そして開くと、足下に額ずく泰麒を見下ろし、口を開いた。