新世紀
○VANGELION
「遊びの時間はこれからだ」




 蝉の声が聞こえない。
 地軸の傾きにより、四季が失われ、一年中夏となった日本では、蝉の鳴き声は日常茶飯事。
 聞こえないことの方が珍しい。
 なのに、聞こえない。

「………………はっ!」

 葛城ミサトは、我に返る。

 ミサトは、黒目黒髪の、美女である。
 連日の深酒を繰り返しているというのに、外見上――矯正下着の力を借りているという可能性は否定できないが――完璧なボディラインの持ち主でもある。

「な、な、なななななななな」

 ミサトは、戸惑ったように、視線を彷徨わせる。
 記憶がはっきりしない。

「こここここ、ここって何処よ?」

 混乱。
 どもりながら叫び、周囲を慌ただしく見回す。
 そして、背後に駅舎を発見する。
 不思議なことに、まるで周囲には人影がない。
 非常事態宣言でも出されて、皆がシェルターへ避難しているかのような、無人の駅舎。

「ここって……」

 駅舎の文字を読み、僅かに記憶を探る。
 何かの、重要なイベントを経験した場所のはずだ。
 そして、そのイベントを思い出す。

「ここって、シンジ君を迎えに来た駅じゃ……」

 まるで、それを肯定するかのように、大地が揺れた。
 地震?
 いや違う。
 一定間隔を置いて、跳ねるように大地が揺れるような地震は、いくらこの国が地震大国とは言え、存在しないだろう。
 それは、何かの巨大生物が地上を歩いているかのような振動だった。

「ま、まさか……」

 既視感を感じつつ、向こうに見える山の方に視線を動かす。
 そのミサトの頭上を、巡航ミサイルが飛んでいくのが見えた。
 そして――

 稜線の向こうから、巨大なモノが姿を現す。

「嘘」

 茫然と呟く。
 蝉の声が聞こえなかったのも、全て、こいつのせいだったのだ。

 山の向こうから現れたモノ――
 それは――

「……第3使徒、サキエル」

 だった。



 VTOL機がミサイルをソレめがけて発射する。
 白い噴煙を引いて、ミサイルは狙い誤らず、ソレに命中する。
 他の機も同様に攻撃。
 ソレの周囲には炎の花が咲き乱れる。

 そこいらの戦車であれば、一撃。
 これだけ喰らえば戦艦だって粉砕されそうな攻撃に晒されているが、まるで痛痒を感じた風には見えない。

 それも、当然だろう。

 アレが、第3使徒サキエルであるならば、通常攻撃の一切が無効だ。
 ATフィールドという、使徒共有の能力が、攻撃をその身まで届かせないのだから。

「第3使徒、よね……」

 自らに確認するかのように、呟くミサト。
 自らの返答は、肯定。
 アレは、第3使徒である。
 他に、あんな巫山戯たデザインの巨人が存在するわけがないではないか。

 手足などは気持ち悪いくらいに細身でありながら、広すぎるほどに広い、がっしりとした肩幅。
 黒い、ゴムのようにも見える質感の肌。
 肩を始めとして、各所に存在する白い外骨格。
 そして、首はなく、肩と肩の中間、胸の中央部には丸に嘴を付けたかのような顔。
 目はうつろ――と言うより、穴があいているだけにしか見えない。
 肋骨のような外骨格を左右において、身体の真ん中にあるのは、光球――コアと呼ばれるこれまた使徒共通の弱点。

 間違いなく、使徒。
 第3使徒、サキエルだ。

 そして、第3使徒サキエルは、初号機によって殲滅された。
 と言う記憶も浮かび上がる。

 初搭乗の第3の適応者(サードチルドレン)、碇シンジによって、それまで動くことの無かったエヴァンゲリオン初号機が起動。
 初の、エヴァンゲリオン対使徒の戦いが繰り広げられた。
 戦いは、当初使徒の圧倒的優位で進められ、敗北を覚悟した瞬間に初号機が暴走。
 今度は逆に初号機の圧倒的な攻勢で、第3使徒は殲滅された
 自分は、その時、作戦指揮を執っていた。
 これは、間違いないはずだ。

 なのに――

 なのに、目の前にいるこいつはいったい何なのよ?

 頭を掻きむしりたくなる混乱。
 目を皿のように見開いて、使徒と戦自の戦闘を見つめていたミサトの方へ、使徒に打たれたVTOL機がふらふらと墜落してくる。

 違う意味で目を見開くミサト。
 とっさに、行動に移ることが出来ない。

 その躊躇の間にも、どんどん迫ってくるVTOL機。
 完全に逃げ遅れた。

 その時、横合いから車のエンジン音が聞こえてきた。

 慌てて振り返るミサト。

 スキール音を鳴り響かせながら、赤い車――ルノーだ――が、横滑りしながら、ミサトの前へとやってこようとしている。

 そして、VTOL機は、ミサトの十メートルほど先に堕ちて、爆発した。
 壁となった赤いルノーのおかげで、致命的な損傷を受けることを免れるミサト。

「こんちくしょ〜〜〜〜!! まだ、ローン残ってるのに!」

 甲高い、叫びが車の中から聞こえる。

 ミサトはざっと、赤いルノーを見つめ、修理に必要となるであろう金額をざっと算出する。
 叫ぶのも納得できる。
 これが、自分の車だったら、ミサトも同様に叫んでいるだろう。
 いや、「えびちゅが……」とでも茫然と呟いただろうか?

 いや、それよりも……

 ミサトは、首を傾げる。

 今の声、どっかで聞いたことがあるような……
 いや、確実に聞いたことがある。
 かなり、ミサトに近しい存在の声だ。

 赤いルノーの扉が開く。
 運転席から身体を伸ばし、助手席の扉を開けたらしい。

「ミサトね! 乗って!」

 慌ただしく少女の叫ぶ声。

「――!」

 その少女を見て、ミサトは声を聞いたことがあると感じるのも当たり前だと納得する。

 赤みがかった金髪。
 碧色の瞳。
 まだまだ子供っぽさを多分に残しているが、充分以上の美しさ。
 後数年もすれば、とびっきりの美女になるだろう。

 ――まあ、あたしにはちょっち、及ばないけどね。

 図々しい感想を抱きつつ、その少女の名前を呼ぶ。

「アスカ」

 惣流・アスカ・ラングレー。
 日独のクォーター。
 二号機専属パイロット。
 セカンドチルドレン。

 以上、公式データ。

 我が儘。
 高飛車。
 でも、実は寂しがりや。
 外見は強く見えるが、その実、ガラスのように繊細で壊れ易い、少女。

 そして、ミサトの所見。

 その他、スキルに関しては、家事能力皆無などもあがるが、これはミサト自身、人のことは言えない。
 家事能力絶無、絶望的、壊滅的――ミサトの場合、更に非道い形容が当てはまるだろう。

「早くして!」

 焦れたようなアスカの叫びを受け、ミサトは跳ねられたように行動に移る。

 ここで茫然としていても仕方がない。
 現状は不明ながらも、ここがやばい場所であることには違い無い。
 離れるに越したことはないのだから。

 ミサトが乗り切るのも待たず、ルノーは発進した。
 タイヤから煙を上げるようなスタートダッシュ。
 即座にスピンターン。

 振り回されたミサトは、助手席で踊る。
 更には、閉じてきた扉にはたかれてしまう。

「あいたたたたた……非道いじゃない」

「黙ってて、舌噛むわよ!」

 ミサトの不平を一言で切り捨てると、アスカはアクセルをベタ踏みした。
 道に乗り捨てられた車の間を、鋭いステアリング捌きで抜けていく。
 それは、公平に見て、凄い運転だった。
 まるで生きた心地がしない。

「ちょ、ちょっと、あぶ、あぶ、危ない!」

「黙って、どっかに捕まってなさい!」

 ミサトだって、人のことを言えるような安全運転ではないが、人の運転というモノは大抵、怖いモノなのである。



 途中、N2地雷の爆発によって車がひっくり返ったりしつつも、何とか無事に逃げ出すことに成功する。
 今は安全な、ネルフのジオフロント向かうカートレインにいる。

 ミサトは、ぐったりとダッシュボードに腕を突き、その上に顔を投げ出して荒い息を付いている。
 短時間ながら、その間に味わった恐怖は、これまでの人生の中でもかなりのものになる。

 出来れば、このまま何も考えず、ぐったりとしていたい。
 それが本心。
 だが、それ以上に――

「これって、一体どういう事よ!」

 確かめなければ、収まらない。

「ん? あたしが迎えに行くって、連絡したでしょ」

 アスカは、何でもないような風に答える。

「誰かと違って、約束の時間を一分だって遅刻して無いじゃない」

「約束?」

「手紙貰ってるでしょ」

「手紙?」

 訳が分からず、鸚鵡返しに返すミサト。

「鞄の中にあるんじゃないの? ネルフのIDも一緒のはずだから、取り敢えず、それ見てみたら?」

 言われたとおり、素直に自分の鞄を見るミサト。
 こんなモノがあったことに、初めて気付く。
 それから、中を探る。

 探ることしばし――
 手紙が見つかる。

 多分、これのことだろう。
 そう考えて、中身を取り出す。
 ネルフのIDと、便せんが一枚。
 その便せんを見ると――

「来い。ネルフ司令、碇」

 とだけあった。

 既視感と、目眩を感じる。
 同時に、納得もしている。
 非常に、碇司令らしい手紙だと。

「ねぇ。ちょっち、アスカ」

 頭を軽く振って目眩を追い払いつつ、ミサトは尋ねる。

「何?」

 真剣な顔で、リップクリームを塗っていたアスカが、振り返りもせずに聞き返してくる。

「あたし、何がどうなっているのか、全然理解できないんだけど、出来れば、説明してくれないかな?」

「碇司令の仕事のこと、聞いてる?」

「特務機関ネルフの司令でしょ」

 当たり前でしょ。
 そんな口調で応じる。

「そう……碇司令のこと、嫌いなのね」

「はいぃ?」

 言葉尻が、高音になってしまう。

 話の脈絡が、良く理解できない。
 確かにアスカは漢字の読み書きが苦手だし、諺を間違って覚えたりしている。
 しかし、日常会話には不自由していなかったはずである。
 なのに、今の噛み合わないやりとりは何なのだろうか?

「いや、嫌いって訳じゃないわよ!」

 しかし、否定はしておかなければならない。
 あの陰険髭の耳に、「ミサトが司令のこと嫌いだって言ってました」などと入った日には、どんなことになるやら。
 そうでなくとも、碇司令の得意技と言えば、情報操作である。
 無いところから偽情報をでっち上げることもあるだろうが、それにしても、ある程度の情報の元となるモノを所持していなければ、そうしたことは出来ない。
 つまり、碇司令の目や耳は、そこいら中にあると言うことだ。
 この会話だって、何処かで聞き耳を立てられているかも知れない。

 そう考え、慌てて、ミサトは付け足す。

「ほら、確かに取っつきにくそうだな、ってのはあるけど、尊敬はしてるわよ。いや、マジで立派な人だと思うわ! 流石は人類を守るお仕事をしている組織のトップだけのことはあるわね!」

「良いわよ、無理しなくても」

 アスカは、その辺りの危険を認識していないのか、気楽に応じている。

「だから、アスカ〜〜」
 
「そんなことより、着いたわよ」

 アスカの言うとおり、カートレインは、ネルフの本部に到着していた。



 その頃、とある発令所では――

「UNもご退散やで……」

「碇司令……どうするの……」

「初号機を起動させる」

「無理よ……パイロットがいないもの」

「そやで、司令」

「問題ない」

 碇司令は、通路を歩くアスカとミサトの姿を監視カメラで確認し、呟くように言った。

「たった今、予備が届いた」



 何だか、はぐらかされている。
 そう感じながら、ミサトはアスカの背中に続いている。

 アスカは、対テロリストの必要に応じ、複雑怪奇となっている通路にまるで迷う様子もなく、目指す場所に向かっているようだ。

 その背中が、会話を拒んでいるように見えるのは、ミサトの気のせいだろうか?
 普段ならば、そんなことに気が付かないし、気が付いても気にしないミサトであるが、現在の異常な状況が、普段よりも用心深くさせている。
 非常に質の悪い――
 そう、非常に質の悪い冗談につきあわされているような気分だ。

 二人は、エレベーターの前に立つ。
 すると、アスカがボタンを押すまでもなく、エレベーターの扉が開く。

「……予定通りね」

 扉の開いたエレベーターの中から、感情の薄い声がアスカに向けてかけられる。

「あったりまえでしょ! アタシを誰だと思ってんのよ」

「レ、レイ?」

 再び、見知った少女の登場に、ミサトが叫ぶ。

 綾波レイ。
 第一の適格者。
 過去の記録は抹消済み。

 ダミープラグの元となる素体。
 リリスのコピー。

 等々。
 綾波レイに関する数々の情報を頭の中で素早く走査する。

 そう、綾波レイに間違いない。

 蒼銀色の髪の毛、赤い瞳。
 世界にあまりいないであろう、白子の少女である。
 見間違えようがない。
 その、感情変化の乏しい顔は、まるで良くできた人形のように整っている。

 しかし……
 しかしである。

 何故、白衣を着ているのであろうか?

 まるで、ミサトの親友のような。

 一言あげて、固まってしまったミサトの方に、レイが紅瞳を向ける。
 まるで、物でも見るような視線だった。

「この人がそうなのね……」

「そう、マルドゥック機関の発見した、第3の適格者――サード・オールドメンの、葛城ミサトよ」

 この発言――発言の一部分に、ミサトは激しく反応する。

「だ、だ〜れがオールドメンですってぇ〜!」

 二十代と三十代の境目ぎりぎりの女性にとって、こうした発言は、非常に気になるモノらしい。

 それから、初めてもう一つ、はっきり言ってより重要な言葉に思い至る。

「ちょ、ちょっち、待って頂戴! 第3の適格者ぁ!」

「こちらに来て……」

 しかし、レイはマイペースだ。
 淡々とした口調で告げると、自分の乗ってきたエレベーターに再び乗り込む。

「司令に会わせる前に、見せたいモノがあるの……」

「見せたいモノって、まさか!」

 混乱した頭を抱えつつ、ミサトはエレベーターに乗り込んだ。



 再び、発令所――

 正面の大画面には、再び侵攻を開始した、第3使徒サキエルの姿が映し出されている。
 その解析を、慌ただしく進める、オペーレーターズの声が、発令所に交差する。

「使徒前進!!」
「強羅最終防衛戦を突破!!」
「侵攻ベクトル5度修正、なおも進行中!!」
「予想目標、我が、第3新東京市!!」

 それに対して、司令が短く命令する。

「総員、第一種戦闘配置を」

 返事を受けると、横に立っている副司令に視線を向ける。

「後を頼む」

「ああ」

 そして、司令は昇降機によって移動を開始する。

(久しぶりの対面やな……)

 司令を見送り、副司令は内心で呟いた。



(何が、一体どうなっているのよ)

 混乱する頭を抱えるミサト。

 レイを加え、3人になった一行は、冷却水の上をボートで進んでいる。

 頭を抱えて固まっているミサトを無視して、アスカとレイは会話を交わしている。

 オー9システムがどうのこうの。
 使徒はどうなっているか。

 何だか、ミサトを非常に不安にさせる会話だった。
 いや、不安と言うよりも、混乱の方が正解だろう。
 何となく、この先の展開が予想でき、それだけに、また混乱する。

 そうこうしている内に、ボートはミサトの予想通りの場所へ着いた。

 そこは、初号機のケイジ。

 どういう演出なのか、真っ暗闇にされているケイジ。
 明かりが点されると、ミサトの真正面には初号機の顔があった。

「エヴァンゲリオン、初号機……」

「正確には、●バンゲリオン初号機……我々人類の、最後の切り札……」

 レイがつぶやくように言う。

「は?」

 訂正された部分を聞き逃し、ミサトが尋ねる。

「ちょっち待って、もう一回……」

 しかし、その質問に答えは返らず、かわりに、高い場所から声が降ってきた。

「そうです!」

 ミサトが見上げると、初号機の頭の向こう、高みにあるコントロールルームのガラスの向こうに、一人の少年が立っている。

「久しぶりですね」

 少年は、ミサトを見下ろしながら告げた。

「シ、シンちゃん?」

 中性的な顔立ちを持つ、あまり目立つところのなさそうな少年。
 碇シンジである。

「ミサトさん。これから、僕の言うことを良く聞いて下さい」

 シンジは、慌てず騒がず、静かに告げた。

「これに、ミサトさんが乗るんです。そして、使徒と戦って下さい」

「は………………?」

 予想は出来ていた。
 こうなるだろうと。
 しかし、戸惑いは矢張り存在した。
 自分で、思っていた以上に。

「待ってよ。シンジ!」

 茫然としているミサトにかわり、アスカが声をあげる。

「無理よ。絶対! 今日来たばかりのミサトには絶対無理! そうでなくとも、●バンゲリオンのパイロットは、優秀で、立派で、素晴らしい人間じゃないと駄目なのよ! アル中で、生活破綻者のミサトじゃ、絶対に不可能よ!」

 結構失礼なことを、アスカが叫ぶ。

「ミサトさんは座っていてくれればいいです。それ以上は、望みません」

 しかし、断固としてシンジが告げる。

「でもさ、シンジ!」

「惣流一尉……。今は、使徒撃退が最優先……」

「何よ、ファースト、じゃなくて、レイ。アタシに文句あるの?」

「あるわ……。あなた、他にいい方法があるの……? それに、アドリブのやりすぎ……」

 後半部の呟きは、ミサトの耳に届かなかった。
 そうでなくとも、想像外の――ある意味想像通りの――展開に、ミサトの思考能力は思い切り落ちている。
 茫然と、目の前の初号機と、その向こうのシンジを見つめている。

「…………」

 前半部、後半部、どちらの部分がより効果があったか不明ながら、アスカは口を閉じる。

「ミサトさん……。こちらに来て下さい」

 アスカの沈黙を受け、レイがミサトを促す。

 そこで、ようやくミサトが我に返る。

「ちょ、ちょっち待ってよ! 一体、何のことだかわからないわ! シンちゃん、説明してよ。説明を!」

 当然の疑問であろう。
 だが、それを当然と思う人間は、この場にはいなかった。

「今はわからなくても良いです。出撃して下さい」

「だから、先に説明をしてよ!」

「ミサトさんが乗らなければ、人類全てが死滅することになります。人類の存亡が、ミサトさんの肩に掛かっています」

「だから、日本語通じないの? 先に説明を――」

「そうですか。わかりました」

「わかってくれたの?」

 安堵の息を零す、ミサト。
 だが、安堵するのは早すぎた。
 次のシンジの発言が、それを思い知らせる。

「ミサトさんなんか、必要ありません。帰って下さい」

「は?」

「人類の存亡を賭けた戦いに、臆病者は要りません」

 茫然自失のミサトを放っておいて、シンジは脇でなにやら操作する。
 そして――

「トウジ、リツコさんを起こして下さい」

「使えるんかいな?」

 どうやら、発令所と通信を繋いだらしい。

 その会話内容を聞いて、ミサトが慌てて尋ねる。

「リツコ? リツコがいるの?」

 溺れる者が藁をも掴む。
 リツコならば、この異常な状況の説明をしてくれるはずだ。
 そう言う願望。

「死んでいるわけじゃないから。すぐにこっちへ」

「初号機のシステムを、リツコさんに書き換えて下さい……」

 淡々とした口調で、シンジの言葉を聞いたレイが周囲の作業員に指示を出し始める。

「な、なに? リツコが乗るの?」

 またまた混乱するミサト。

 その時、ケイジの入り口が開き、キャスター付きのベッドが運び込まれる。
 がらがらとキャスターが音を立て、ベッドはミサトの前まで来る。

「リ、リツコ!?」

 ミサトは、そのベッドに横になった女性を見て、悲鳴に近い声をあげる。

 赤木リツコ。
 それは、間違いない。
 大学以来の友人を見間違えるほど、不人情ではないつもりだ。
 だが、リツコの姿はミサトに驚きを与える。

 金髪に黒眉毛。
 その辺りは変化がない。
 しかし、大胆に袖口の落とされた白いプラグスーツに身を包み、更にぞんざいに巻かれた包帯で、出来損ないのミイラ女みたいになっている姿は、違和感感じまくりである。

 30女の着るプラグスーツって、あんまり格好良くないわね。
 ボディラインがはっきりでるのは、悲惨ね。

 そんな非道いことを、頭の片隅で考えている。

 公平に見て、リツコのスタイルが悪いわけではない。
 だが、年齢によるボディラインの衰えは隠せない。
 14歳という少女の、無駄な肉のないスタイルに比べれば、余計な肉が付いている分――と言うことだ。

 それから、これを自分も着る可能性が非常に高いことを思い出す。
 顔色の変わるミサト。
 毎日の過剰なビール摂取の与える影響は、皆無ではない。

「うう……ミサト」

 苦痛に呻くリツコの声。

 その声でようやく、ミサトはボディラインに関する考察から意識を現実に戻す。
 そして、初めてリツコが非道い怪我をしていることに注意が向かう。
 非道い友人もあったものである。

「リツコさん。予備が使えなくなりました。リツコさんが乗って下さい」

 シンジが、非情な言葉をかける。

 リツコの顔面が蒼白になる。
 それは、死刑執行の宣言と同意だ。
 重傷を負って初号機に乗り込み、使徒との戦闘をこなす。
 弱った肉体が耐えきれるわけがないのだ。
 それどころか、戦闘以前に、射出時のGでお陀仏になりそうだ。

「大丈夫……。あなたが死んでも、替わりはいるもの……」

 脇に立ったレイが、何処か嬉しそうに呟く。

 その言葉を聞いたリツコの顔が、更に蒼くなる。

 そして、リツコの身体が左右から、付き添いのネルフ職員によって持ち上げられる。
 リツコの口から堪えようのない苦痛のうめきが漏れるが、完全に無視だ。

 茫然自失。
 そんなミサトの肩が叩かれる。

「ひゃっ!」

 飛び上がるミサト。
 肩を叩いたのは、アスカだった。

「ミサト、アタシ達はあんたを必要としている。でも、初号機に乗らなければ、ミサトはここでは要らない人間なのよ」

 真剣な顔で、アスカが理不尽なことを言う。

 状況を整理して考えれば、ミサトを呼びだしたのはアスカ達の方である。
 そして、こちらの状況説明を求めるという希望は叶えられず、自分たちの一方的な展開から外れると、即座に不要呼ばわり。
 これは、非常に理不尽である。

「何のために、ここまで来たの? シンジにあそこまで言われて、黙って帰るつもり?」

 何のためにも何も、状況を理解しない内に、連れてこられたのである。

「そして何より、ミサトが乗らなければ、怪我したリツコが乗ることになるわ。アンタ、それでも、恥ずかしくないの?」

 ケイジの構造を考える。
 リツコの運ばれてきた扉の向こうはともかく、もう一方は先刻ミサト達のやってきた、冷却水のプールである。
 本気で初号機に乗せるつもりであれば、わざわざここに運んでくる必要など欠片もない。
 つまり、リツコはただの、ミサト説得の材料にしかすぎないのだ。
 いや、説得どころか、脅迫だ。
 ミサトが乗らなければ、リツコが死ぬぞ。
 そう言う、質の悪い脅迫。

「そして、何よりも逃げるんじゃないわよ! シンジから! それ以上に、自分自身から!」

 これまた、理不尽な発言である。
 逃げるも何もないのである。
 そちらの一方的な展開を強要しようとしているだけで、それからはずれた行動をとることを、普通は逃げるとは評しない。
 どちらかと言えば、言いなりになって乗ってしまう方が、逃げに値するのではないだろうか。

 しかし、人質を取られている以上、ミサトには選択の余地はなかった。

「わかったわよ! あたしが乗ってやるわよ!」

 ミサトは、遂に叫んでいた。



 エントリープラグ無いのインテリア。
 操縦席にミサトは座っている。
 時間がないと言うことで、私服のまま。
 プラグスーツは着込んでいない。

 まあ、アレを着るのはちょっち、ダイエットしてからね。

 他にしようがないので、状況を受け入れることにする。
 前向き、と言うよりは、お気楽なのだ。

 考えてみれば、こうして操縦席に座るのは初めてなのよね。

 そんなことを考えながら、視線を映し出された映像に向ける。

 エントリープラグに映し出された映像。
 それは、発令所の様子だった。
 青葉、日向、マヤの3人は、そのままオペーレーターらしい。
 激しく声をかわしながら、初号機の起動手順をクリアしていく。

 その背後、本来ミサトの立ち位置であった場所にはアスカが、その横、リツコの立ち位置には白衣を着たレイが並んでいる。
 そして、そこより一段高くなった場所には、父親そっくりのポーズで座るシンジと、冬月同様、腰の後ろで腕を組んだ格好で立つ、鈴原トウジの姿が見えた。
 どうやら、トウジが副司令らしい。

 そして――

「――!!」

 ミサトは、足下にせり上がってくる液体に気が付く。
 LCLだ。

「ちょっち、タンマ」

 そう言えば、これを忘れていた。
 ミサトの着ている服は、よそ行きの取って置き。
 おまけに、ここに至るまでに汗はかいているし、埃だらけにもなっている。
 靴も履いたままだし、この靴は先刻、トイレの床を踏んだばかりだ。
 そう言う格好で、LCLに浸かる。
 どころか、体内に取り込まなければならない。
 是非とも、着替えたい。
 この際、プラグスーツでも良いから。

 しかし、ミサトの声を無視してLCLはあっさりとエントリープラグを満たす。
 口を閉じて必死に堪えるミサト。

「大丈夫……。肺をLCLが満たせば、直接酸素を取り込むから……」

 淡々とレイが解説する。
 勿論、ミサトの望んだ返答ではない。

「そう言う問題じゃ……。うわ、本当に血の臭いがする」

 精一杯耐えたミサトだが、いつまでも息を止めらていられるわけではなく、遂にLCLを飲み込んでしまう。
 そして、次いで溺れるように肺もLCL満たされて呼吸可能になる。
 そうなって、出たぼやきである。
 LCLは不味かったし苦しかったから、ぼやきも零れようと言うものだ。

「我慢しなさい! おばさんでしょ!」

 それを聞きとがめたアスカの叫び。

「だ、だ〜がおばさんよ! だいたい、そんなこと関係ないでしょ。気持ち悪いもんは気持ち悪いのよ!」

「それより、レイ?」

 アスカはミサトの叫びに構わず、横のレイを見る。
 レイは、静かに頷く。

「大丈夫……。いけるわ……」

「OK! 発進準備!」

 アスカの叫びに応じ、慌ただしく発進準備が整えられる。

「第一ロックボルト解除!」
「解除確認。アンビリカルブリッジ移動!」
「第一第二拘束具、解除!」
「1番から15番までの安全装置、解除!」
「内部電源、充電完了! 外部電源コンセント、異常なし!」
「初号機、発進位置へ!」

 拘束具が外されるごとに、振動がエントリープラグ内のミサトにも伝わってくる。
 本気で、発進準備が整えられていく。
 これから、自分が使徒と戦わねばならないことが、少しずつ実感となる。
 今までは、何処か冗談であるように感じていた。
 なのに、本当に、戦わねばならない。

 そして、一つ不安があった。

「ねえ、レイ。あたし、ちゃんとシンクロできているの?」

 出来ているとは、全く思えない。 
 だから、その疑問を口に出して尋ねる。

「………………………………問題ないわ……」

「な、何よレイ! 今の間は!」

 不安を更に煽るようなレイの反応に、ミサトが叫ぶ。

「問題ないわ……」

 もう一度レイが繰り返すが、全く信用できない。
 何を聞いても、そう答えそうな気がする。

「ちょっち、日向君、本当に大丈夫なの?」

 仕方がないので、オペレーターの方に尋ねることにする。

「……」

 でも、日向マコトは無言。
 眉根に、苦渋、と言う感じの皺が寄っていたりする。

「あの〜。マヤちゃん?」

「……」

 伊吹マヤも、やっぱり無言。
 おまけに、そっと、視線をミサトから逸らしたりする。

「あの〜ロンゲ君?」

「青葉ッス!」

 今度は返事はあった。
 しかし、ミサトの望んだ答えではなく、青葉シゲルはそれっきり不機嫌に沈黙してしまった。

「発進準備、完了!」

 その間に、発進準備は完了したらしい。

「シンジ! 構わないわね」

「もちろんだよ。使徒を倒さない限り、ぼくたちに未来はないんだから」

 尋ねるアスカに、シンジは即答する。

「ちょっと、待ちなさいよ。本当にあたし、シンクロできているの? ねえ!」

「オバンゲリオン初号機、発進!」

 ミサトの叫びを無視して、アスカが指示を出す。

「え? オバン? 巫山戯てんじゃないわ……うきゃああああああ!」

 初号機は、ミサトの悲鳴を引きながら、地上に打ち出された。



 激しい加圧。
 それが唐突になくなり、今度は上に投げ出されるような衝撃。
 LCLの緩衝能力がなければ、エントリープラグの天井に張り付いてしまっていただろう。

「あたた。舌噛んだ。――全く、パイロットの準備が出来ているかどうかも聞きなさいよね! だいたいオバンゲリオンてのは何よ! 人のこと、バカにしているの!」

 不満をぶちまけながら、ミサトは正面を見――顔を引きつらせる。

 真正面、ほんの数歩で手足が届く場所に、使徒が立っていた。
 信じがたい近距離だ。
 使徒は、のんびりと立っている様子だが、もし敵意を持ち合わせていれば、一瞬で接近されて攻撃されるだろう。
 そう言う距離だ。

 おまけに、こちらは拘束されたままである。
 正気とは思えない、発進位置である。
 他にも発進場所があるのだから、もう少し考えて射出するべきだ。

「ちょっと、何考えているのよ! もう少し、場所を考えて出しなさいよ!」

 喚くミサト。
 しかし、発令所の面々はマイペースだ。

「良いわね、ミサト!」

「全然良くないわよ。だいたい、あんた達――」

「最終安全装置、解除!」

 アスカの叫びに応じ、肩口を固定していた最後の拘束具が解放される。
 それに連れて、僅かに肩が落ちる初号機。

「頑張ってね。ミサト!」

 そして、アスカはまるっきり人ごとの口調で呟いた。



 睨み合う、初号機と第3使徒。
 どちらも動かない。
 いや、初号機は動けないのかも知れない。

「ミサト!」

 その初号機に通信が入る。
 アスカである。

「取り敢えず、歩きなさい!」

「あのね。戦場に出した後に、そう言う間抜けな指示をしているんじゃないわよ! それに、そう言うことさせるんなら、射出位置を考えなさい! 敵の真ん前で歩く練習? 正気じゃないわよ!」

「ミサト、正面!」

「え?」

 アスカの叫びに視線を戻すミサト。

 その視線一杯に、広げられた使徒の掌が見えた。
 3本指。
 そして、掌に当たるであろう部分は、パイルの射出孔が見える。

「あわわわわ……」

 狼狽えるミサト。
 何しろ、初号機が全く動かないのだから、余計に焦る。

 その初号機の顔を、がっしりと使徒が鷲掴みする。
 そして、そのままつり上げていく。

「ミサト、逃げなさい!」

 アスカの叫び。

「出来るなら、やってるわよ!」

 言い返すミサトの顔は、不自然に突き出されている。
 初号機の顔がそうされているように、掴み、持ち上げられている感覚が襲ってきているのだ。

 その間に、使徒は逆の手を伸ばし、初号機の左腕を捕まえていた。

「うわ!」

 ミサトの口から悲鳴が零れる。
 こちらは、顔面の比ではない。
 掴み、潰し、へし折ろうとする力を感じる。
 つまりは、痛みを――。

 パニックに陥るミサト。
 初号機は、動かない。
 なのに、痛みだけがフィードバックしてくる。

 そのパニックのミサトを、アスカが叱りつけるように叫ぶ。

「ミサト、落ち着きなさい。掴まれたのは、あんたの手じゃないのよ」

「あたしの手じゃなくても、痛いもんは痛いのよ!」

 叫び返している内に、初号機の腕の耐久力は限界を迎えた。

 骨の砕ける音。

 左腕は、下腕部で粉砕されていた。

「ああああああああああああ!!!」

 苦痛に悲鳴を上げるミサト。

 通信機からは、発令所でアスカが様々な指示を下す声が聞こえてくる。
 しかし、そんなものに取り合っている余裕はない。

 どころか、ミサトの右目の前――初号機の右目の前で、光が瞬く。
 使徒が、顔を鷲掴みにしたまま、パイルを伸ばそうとしているのだ。

 そして――

 初号機、沈黙……。



「シンジ」

 トウジが、冬月ポーズで呟く。

「うん。シナリオ通りだね」

 呟きに、シンジが答えた。



「――はっ!」

 ミサトは、目を覚ます。
 そして、自分が病院のベッドに寝かされていることに気が付く。

「知らない天井だわ……」

 ぽつりと、ミサトは呟いた。



 暗い、秘密の会議室に、5人の影が浮かび上がっている。

「……碇君」

「何?」

「葛城三佐が気が付いたわ……」

「葛城三佐じゃないでしょ!」

「……問題ないわ」

「あんた、困るといっつもそれじゃないの?」

「……問題ないわ」

「……」

「とにかく、全てはシナリオ通り――いや、多少、アドリブなんかもあったりしたから、おおむね、シナリオ通りかな」

「そやな。せやけど、センセ。こんな風にやられてパイロットになったんかいな。非道すぎるで」

「そうだね。嫌悪に値するよ」

「何や。それは」

「嫌いって事さ」

「回りくどいやっちゃな。はっきり言わんかい」

「……でも、これでミサトの奴、反省したかな? 自分のやったことが一体どういうことだったのか、理解できたはずよね」

「無理ね……。あの人、喉元すぎれば、熱さを忘れるタイプだから……」

「……そうかもね。自分がああいう指示を出したこと、きれいに忘れているみたいだし」

「ほんなら、このまま続けるっちゅーことやな」

「嬉しそうね。ま、あんたは、第13使徒バルディエルまでは続けたいんでしょ」

「そ、そないなことはないで。わしは、そんなにケツの穴の小さい男やないで」

「どうだか」

「なんやと? だいたい、お前かて、ここでやめるつもり無いやろうが!」

「あんたほど、乗り気じゃないわよ」

「嘘言うなや!」

「アタシは、あんたと違って、心が広いのよ」

「喧嘩売っとんのか?」

「やってやろうじゃないの!」

「二人とも、やめてよ」

「……問題ないわ」

「まあ、二人とも、落ち着くべきだね。僕も、続けるのには賛成だよ。――でないと、僕の出番がないからね」

「何よ、あんた。すかした顔しているくせに、目立ちたがりな訳?」

「やれやれ、今度は矛先が僕に向かうのかい? 嫌悪に値するね」

「なんですって〜〜〜!」

「とにかく、全ては、僕らのシナリオのままに」

 シンジが、無理矢理会議を終了させた。



 世界は、彼らの箱庭だった。
 大人達は誰も文句が言えない。
 言う資格はない。

 何しろ、シンジを「神」にしたのは、大人達なのだから……

終わり


 後書き、もしくは言い訳

 一応、逆行物とでも言うのでしょうか?
 LCLに全てが溶けた世界の後、残されたシンジ君とアスカ嬢は、世界を自在にする神に等しい力を得たと言うことで。
 でもって、彼ら、大人の都合に振り回されたチルドレン達の復讐――というわけです。
 こんな解説を後書きでする辺り、駄目駄目ですね。
 本編で、きちんとわかるように記述するべきです。
 わかっているんですが――まあ、ぬるい目で見て下さい。

 take4でした。


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