──ある日の午後、只、これだけの話──
「一寸、良いかい?」
雑踏の中、背後から少女に声が掛けられる。
振り向いた少女は、黒髪のショートボブ。前髪は、眉の上で綺麗に切りそろえられている。充分に整った、しかしあどけなさを多分に残した愛らしい顔立ち。発育途上の体を、名門、六道女学院中等科の制服に包んでいる。
声を掛けたのは、長身の女性。蜂蜜色の長い髪の毛。気の強そうな目元には、くっきりとしたシャドウ。秀でたボディラインがくっきりと出る、黒い、タイトなスーツ姿。
その脇に、一人の女の子。小学校低学年くらいか? 青みがかった銀髪。ベレー帽を被り、キルトのスカートをはいている。
「──?」
と、見覚えのない顔に、少女が首を傾げる。
「一寸、良いかい? あんたと、話をしたいんだ」
女性がもう一度、繰り返す。
そこへ。
「駄目よ、ルー子」
少女と並んで歩いていた、同じく六道の制服に身を包んだ少女が、口を挟む。
ルー子というのは、少女のあだ名だろう。本名は、違うはずだから。
「きっと、あなたの幸せを祈らせて下さいとか言う、下らない宗教の勧誘よ!」
きっぱりと、決めつける。
「いや、我々は……」
びっくりして、戸惑う女性。彼女は知らなかったが、この辺りは、そうした種類の人間が出没することで有名だったりする。
「さもなければ、聖書の販売ね。こういう具合に幼子を連れているのが、そいつらの特徴よ! ルー子、キリシタンの言葉に耳を傾けては駄目よ! 日本人は、仏教や神道を信仰すればいいのよ! クリスマスなんて、祝う必要なんて無いのよ! 貧相な私生児の誕生日を祝うくらいならば、灌仏会を祝えばいいのよ〜! どうせ、私はクリスマスのときめきなんて、無縁なのよ! クリスマスなんて、クリスマスなんて!」
何か、クリスマスに関連して辛い思いがあったらしい。そんな様子で、叫ぶ。
「一寸、弓さん」
少女が、叫ぶ少女──弓と言うらしい、を宥めにかかる。
六道女学院。ゴーストスイーパーを養成する霊能科の存在する、名門校。名門校であるだけに、各地から、多くの心霊関係大家の娘達が集う。弓という少女の家は、仏教系の霊能者の家系として名を知られている。旧家である。いろいろと、しきたりとかもあるのだろう。例えば、クリスマスを祝ってはいけない、などの。これは、子供の頃は勿論、年頃になった女の子には、色々と思うところがあって当然だ。
「なんでちゅか、この人は……」
女の子が、僅かに呆れたふうに呟く。
「我々は、別にキリスト教とは関係ないのだが……」
「それじゃあ、幸せの壺の販売員ね」
弓という少女が、決めつける。
「違うの? それじゃあ、あなたの足の裏は駄目駄目とか、定説で、お金を薫製、最高ですか、最高です、地下鉄にみりんをまいたり、ポアなのね?」
「いや、我々は、宗教とは、関係ない。……だいたい、みりんって何だ?」
地下鉄みりん事件。語感は似ている。これもやっぱり、ケミカルテロになるのだろうか。
それはともかく、女性は慌て、誤解を解こうと試みる。
「そうでちゅよ、何を好きこんで人間の宗教なんてモノを私たち魔族が……何でもないでちゅ。忘れて下ちゃい」
女の子も口を開く。──が、途中でギロリと女性に睨まれ、慌て、誤魔化すように顔の前で掌を振る。
「兎に角、我々は、お前と、少し話をしたいんだ」
どうだ?
そんな口調で、女性が問う。
少女は、僅かに首を傾げた。それから、にっこりと微笑んだ。
「構いませんよ」
「駄目よ、ルー子。下手についていったら、そこはセミナー会場で、肉体的に、精神的に極限まで追いつめられて、強制的に「気付か」されて、いつの間にか広告塔、助平教祖に良いように弄ばれる……」
「頼むから、そこから離れてくれ。誓っても良い。我々は、地上のいかなる宗教と無縁の存在だ。そいつ……の父親の知り合いなんだ」
『そいつ』、と、『の父親』の間には、僅かに、何かに逡巡したような間があった。
「パパの?」
少女が、ジト目で女性と、女の子を睨み付ける。
「……確かに、パパ好みのナイスバディかも。……流石に、こっちは、守備範囲外だろうけども」
きっぱり敵を見る視線で、女性を睨み付ける。特に、その豊満なバストを。
「ああ〜、そう言う関係でもない。──古い戦友。そんなところか?」
物騒な少女の視線に辟易するかのように、女性が告げる。
その言葉を信じたのか、少女の瞳から、険がとれかかる、が、脇にいた女の子が、とんでもないことを口走る。
「ポチは、私のペットでちゅ」
ぽかんと、結構な勢いで、女性が女の子の頭を殴りつける。
「痛いでちゅね。何をするんでちゅか!」
「余計にややこしくなるようなことを、言うな!」
女性は、こほんと、全てをうやむやにするかのような、咳払いを一つ。
「ついでに言えば、昔、お前とも会ったことがある。……覚えていないかも知れないが」
僅かに、哀しみの表情。
「私と?」
顎に人差し指を当て、首を傾げる。思い当たる節がないらしい。
「ああ」
「そうでちゅ」
女性、女の子が、そろって頷く。
「……そう、昔にな」
女性は、もう一度、繰り返した。
少女、そして女性と女の子は、場所を近くにあった、適当な喫茶店に移していた。
弓という少女は、別れて帰宅している。何でも、門限が厳しいらしい。最後まで、気を付けなさいよ、何かをサインをする前に確認をしなさい、人気の無い場所や事務所なんかには行っちゃ駄目よ、などと、二人を疑っていたが。
場所を移したのは、流石に騒ぎすぎ、周囲の耳目を集めてしまったためだ。弓という少女の大声は、道行く人の歩みを止めてしまった。話をする、そんな雰囲気ではなくなってしまった。
「奢りですか?」
少女は、何よりもそれが大事とばかりに、尋ねてくる。
「ああ、好きなのを頼んでくれて良い」
ちょっぴり、疲れた様子で女性が頷く。
「ラッキー」
少女が、はしゃぐ。
「パパが出張で出かけているから、ピンチだったのよね。──あの守銭奴女、お小遣い、一日30円しかくれないのよね。ガキのお駄賃じゃないって言うのよ」
メニューを広げて、何を頼むか、吟味を始める。
ちなみに、少女の家は、決して貧乏ではない。彼女の父親は、長者番付に載るほどに稼いでいる。おまけに、少女の言うところの守銭奴女が財布を一手に握り、莫大な貯蓄をしている。はっきり言って、金持ちである。残念なことに、少女やその父親に実感はないが。
「私は、蜂蜜でいいでちゅ。そっちは、タンパク質でちゅよね。あなたは、砂糖水でいいでちゅか?」
ぽかんと、もう一発。
「何をするんでちゅか?」
「……おまえは、少しだまっていろ」
更に疲れた、そんな顔で、女性。
「私は、このウルトラグレートスーパーデラックス・チョコレートパフェにします」
「……一番高いのを、さらりと頼みやがるし」
女性が、呟く。
初対面──ではないとの女性の言葉であるが、少女自身は覚えていない。言わば面識の無い相手に対して、気安い、気安すぎる態度だった。しかし、女性は気分を害したふうでもない。逆に、その気安さに喜びを感じている、そんな表情だ。
「多分、母親の方の影響でちゅよ。──将来は、がめつい守銭奴になりまちゅね。これは」
女の子が論評する。
それを、少女は聞きとがめた。
「そんなこと、絶対にあり得ないわ! 私が、あの女みたいになるなんて、非道い、非道すぎる侮辱だわ! それにだいたい、私は、あの女を母親だなんて、認めていないわよ! 訂正しなさい!」
「いや、すまなかった」
その勢いにたじたじになりながら、女性が謝罪する。
それで、少女は気を取り直したらしい。まじめな顔になって、女性に向かう。
「それで、私にいったい何の御用ですか? パパの知り合いだっていう話ですけど、今、パパは出張で──」
「ああ、それは知っている。──おまえと、一度、話をしてみたかったんだ。こっちは無罪放免とは言え、半ば禁足状態で、なかなか、会いに来られなかったからな」
「私と?」
少女が、首を傾げる。女性の言葉に混じっていた物騒な単語は、聞き流したらしい。
「おまえ、今、幸せか?」
真っ直ぐに少女を見つめての、女性の問い。あの弓という少女がいたら、やっぱりと、騒ぎ出していたような質問だ。
少女は、僅かに首を傾げ、考え込む素振りを見せた。
「う〜ん。最近、パパが、出張でいないから、あんまり幸せじゃないかな? でも、パパは地上最高のゴーストスイーパーだから、みんなに頼りにされるのは、仕方のないことだし……ああ、私のパパって、なんてステキなのかしら」
恋する乙女の表情で、少女は胸の前で拳を握りあわせ、宙に視線を飛ばす。
「そ、そうか?」
「ふ〜ん、ポチも、成長したと言うことでちゅか?」
「パパは史上最高、地上最強のゴーストスイーパーなのよ」
「いや、流石にそこまでは凄くない……いや、私の勘違いだった。あいつは、凄いゴーストスイーパーだ」
ぎろりん、と、凄い視線で睨まれて、女性は言い直す。
「そうなの。ああ、パパって、なんて素敵なの」
「なんだか、今にも人倫を踏み外しそうな勢いでちゅね」
女の子が、呆れ気味に呟く。
「パパと私の、真実の愛の前には、人の定めた法律なんて、無力よ!」
きっぱりと、少女が断言する。
「ううん、抵抗があればあるほど、愛は燃え上がるのよ。ああ、パパ。どうしてあなたは、パパなの?」
「ロミオとジュリエットかい……」
こちらも呆れ気味に、女性が呟く。
「多分、世間は私たちの真実の愛を認めようともせず、後ろ指を差すかも知れない。でも、構わないわ。乙女の命は短いのよ。恋をしたら、躊躇ったりはしない。惚れた男と結ばれる事が出来るのだったら、それで結構よ!」
握り拳で、力説する。
「馬鹿な真似はよちた方が良いでちゅよ。相手は、実の父親なんでちゅよ。だいたい、世間体を投げ捨ててまで、望む相手でちゅか?」
「余計なお世話よ。それを決めるのは、私だわ」
きっぱり、迷い無く答える。
「……何と言うか、この辺り、前と全然変わっていないんだな」
「──え?」
「いや、何でもない。こっちのことだ」
女性は、誤魔化すように言って、それから慌てたように質問をする。相手の追求を避けるために質問する。会話術の初歩の初歩だ。
「しかし、相手あってのことだろう。あいつは、お前のことをどう思っているんだ?」
「勿論、パパは私に下手惚れに決まっているわよ!」
きっぱり、はっきり答える。違うなんて事は、太陽が西から昇ったとしてもあり得ない。そんな、自信に満ちた答えだった。
「……凄い自信でちゅね」
「娘って言うのは、父親にとって、最高の恋人よ!」
「……そ、そうなんでちゅか?」
女の子が、勢いに気圧されたように僅かに身を引く。
「そうよ!」
少女は、断言する。
「私、お嫁になんかいかない。パパと結婚するの。──娘にこう言われて、喜ばない父親は存在しないわ!」
「それは、確かにそうかも知れないでちゅ」
「しかし、父親はともかく、母親の方が黙っていないだろう」
「だから、あの守銭奴女は、私の母親なんかじゃないわよ!」
少女が吼える。
「いや、それはともかく……少なくとも、あいつの妻であることは、間違いないわけだし」
「そうでちゅよ。略奪愛を黙って見ているような性格でもないですちね」
敵と見れば容赦はしない。どんな手段を使ってでも叩きつぶす。少女の母親を思い浮かべ、呟く。
「ふっ」
少女は、笑った。
「大事なのは、パパの気持ちよ」
相も変わらず、自信たっぷりに断言する。
「……しかし、凄い自信だな」
「……そうでちゅね」
女性、女の子が呆れた声をかわしあうが、恋する乙女の表情をした少女は気がつかない。
「──だいたい、パパがあの女に惹かれたのは、只、ナイスバディだったから、これだけよ。性格は、天上天下唯我独尊、根性悪で、底意地が悪くて、我が儘で、がめつくて守銭奴で、──って、良い所なんて、欠片もない」
ここまで言うか、と、ぼろくそに言う。
「でも、ポチの好みがナイスバディの女性と言うことでちたら……」
望みはなさそう。最後は省略する。
「何を言っているのよ、私には、無限の可能性が存在するわ!」
少女のボディラインは、非常に控えめである。しかし、確かに、少女はまだ成長期。これから先、成長すると期待することは──
「出来まちぇんねえ」
「ああ」
僅かに哀れむように、二人が呟く。
幸い、これは少女の耳には届かなかった。少女は、握り拳で力説を続ける。
「それに、あの女もいい加減、いい年よ。若い頃の不摂生が祟って、ボディラインが崩れてきている。となれば、あの女に残されたモノは何一つ無い。ナイスバディーの上にあぐらをかいて、内面を磨いてこなかったつけって奴ね。このまま行けば、パパだって、いい加減、目が覚めるに違いないわ。そして、自分を見つめる可憐な少女の存在に気がつくの。それは、実の娘。苦悩するパパ。でも、良いのよ、パパだったら私。──なんて、二人はお互いを求め合い……」
頬を両手で挟んで、いやんいやんと首を振る。
「……まあ、兎に角、幸せではあるようだな」
「……頭の中身、ピンク色かも知れまちぇんけど」
女性と女の子は、顔を見合わせて、ため息を零した。
約束通り、勘定は女性が払い、喫茶店を出る。
そして、別れる。
別れようとした。
少女に背を向けた、女性と、女の子。
その名を、少女が呼んだ。
名前は、知らせていなかった。そのはずだ。
僅かに慌て、振り向いた二人は、そこに、懐かしい姉の姿を見た。
淡い燐光を体の周囲に纏い、こちらを見つめる、姉の姿。
「ありがとう、二人とも。──私、幸せよ」
静かな、声が聞こえた。その言葉通り、幸せそうな笑顔を浮かべている。
「──!」
「──!」
二人は、姉の名を呼ぼうとして──気がつく。
少女が、きょとんとした顔で、こちらを見ている。
この二人は、何を慌てているのか。そんな表情。
「……」
「……」
女性、女の子は、顔を見合わせる。
一瞬の幻。そして、それを見たのが、自分だけでないことを確認しあう。
二人の口元が自然に笑いの形になる。心からの笑顔。
「どうかしたんですか?」
不審げに少女が尋ねてくる。
「何でもないよ」
柔らかい微笑を浮かべ、女性が答えた。それから、思いついたように、付け足す。
「今度、お前の家に遊びに行かせて貰うよ。──あいつも、いる時に。そうしたら、いろいろと話をしよう。──懐かしい、話を」
「──ん?」
少女は、首を傾げ、それから、にっこりと微笑んだ。
綺麗な、笑顔だった。
「はい、楽しみにしています」
少女の答えに満足したように頷き、女性と女の子は、今度こそ、きびすを返す。
「またな」
「またでちゅ」
「はい、それでは、また」
二人と一人は別れ、それぞれ、雑踏に消えていった。
ある日の午後。
只、これだけの話。
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