リポート05 君が望む永遠!
世界は白く塗りつぶされていた。
厚い霧のヴェールが世界を覆い尽くし、視界は殆どゼロに等しい。湿気は容赦なく服に染み込み、夏だというのに肌寒ささえ感じる。オキヌの長い黒髪も同様に水気を含み、常以上に黒々として、重そうにすら見える。
髪の毛の色が薄いためにオキヌのように重そうには見えないが、矢張り令子の髪も水気を含み、非道く鬱陶しい。
「駄目ね」
令子はうんざりした口調で、手の中の「見鬼くん」を見つめながら呟いた。
人の感覚では捕らえきれないほどの微細な霊気ですら感知し、指し示すマジックアイテム。それが、「見鬼くん」である。その見鬼くんはふらふらと彷徨い、いつまで待っても何か──あるいは、どこかを指し示そうとはしない。
「シロ、タマモ。あんた達の鼻はどう?」
背後を振り返り、人狼族、妖弧の二人に尋ねる。二人の感覚は人を易々と凌ぎ、下手をしなくとも見鬼くん以上の鋭さを持っている。しかし──
「駄目でござるよ」
シロは首を振り、タマモもシロの意見を肯定するように頷いた。
「この霧、微細だけど霊気を帯びているわ。それだけでも鬱陶しいって言うのに、この臭い」
と、タマモが顔を顰め、鼻面に皺を寄せる。
「臭い?」
と、令子は首を傾げる。令子の鼻は、タマモの言うような臭いを感じていない。人狼、妖弧の超感覚と比べるまでもないから、何も感じずともおかしな話ではない。それだけ、微細な臭いと言うことだろう。
「そうでござる。この、臭い、いらいらするでござるよ」
シロもタマモ同様に、鼻に皺を寄せて、不快感を表情で示してみせる。
「どんな臭いなの?」
と、好奇心を刺激されたのか、オキヌが質問する。
「緑の臭いよ」
面倒くさそうに──それでも律儀に、タマモが応じる。
「本当なら、気が休まる臭いのはずなんだけど──どうも、引っかかるのよね」
第六感に、と言うところか。特に、妖弧であるタマモは、自分の直感を高く信じる。それだけに、余計に気になるようだ。
「なんだか、嫌な感じでござるよ」
「ホント。いい加減、鼻が馬鹿になりそう」
普段はいろいろといがみ合っている二人だが、珍しく意見を合わせて頷きあう。
「これは、本格的に拙いわね」
令子がその場で腕組みをして呟く。
「──で、その心は?」
と、ここで、遅れがちだった横島が追いついてきて尋ねた。遅れた理由は、普段同様。人一人で抱えるには難しすぎるほどの大荷物を背負っているためだ。
「迷ったって事」
令子は明後日の方を向いて、どこか誤魔化すような口調で、しかしさらりと告げた。
「え?」
と、吃驚したように横島が声をあげる。
「だ、だって美神さん、ここは、神域の森──魔界との境界にあるような場所で、迷うと非常に拙い場所だったのでは?」
おそるおそる。出来れば否定して欲しい。そんな、腰の引けた声で、横島が尋ねる。
「だから、拙いのよ」
うんざりと、令子が応じた。横島を力づけるため、見え見えでも嘘を吐こうなんて言う気は、令子には欠片も存在しない。
「オキヌちゃん、なるべく体力を温存するようにしなさいよ。ここじゃあ、体力、霊力共に、普段通りの自然回復は期待できないから。消耗したら、回復に非道く時間がかかるわ。──下手したら、回復できないで死ぬからね」
「は、はい」
多少青ざめて、それでもオキヌがしっかりと頷く。
「──って、俺、既に凄く消耗しているんですけど?」
大荷物を抱え、息も絶え絶えの横島が言う。
しかし、令子は綺麗に無視をした。
「シロとタマモは──まあ、半妖と妖怪だから、そう気にすることはないけど、一応、気を付けておいてよ」
「了解でござる!」
やたら気合い入って、解っているのかいないのかのシロ。
「わかった」
もともと、疲れるような真似をするつもりはないわ、と言う、いい加減な態度のタマモ。
「俺は無視ですか?」
と、不機嫌に、いじけ気味に横島が口を挟む。
「だって、あんたはいろいろな意味で人間離れしているから、心配するだけ無駄でしょ?」
「なんでや? 俺だって、俺だって!」
と、いじけ、冬の日本海に向かって駆け出そうとして、思いとどまる。無駄な体力の消耗だと思ったらしい。かわりにぶつぶつと小声で文句を言い始める。
「ああ、もう、解ったわよ、横島君、あんたも気を付けておくように」
ずいぶん投げやりな声だったが、それでも横島は満足したらしい。ぱ〜っと、雲間から太陽が覗いたように、表情を輝かせる。
「美神さんが俺を心配してくれている。これは、もう、愛? ──みかみさは〜ん!」
「このくらいのことでさかるな!」
げしんと一撃。
横島が地面に沈んで平たくなる。体の下には、でっかくて赤い水たまりが広がっていく。
「ああ〜、横島さん」
「先生、しっかりするでござるよ」
オキヌ、シロが心配して駆け寄るが、令子は一瞥もしない。逆に、うんざりしたように呟く。
「全く、無駄な力を使わせるんじゃないわよ」
「あんた、言うことはそれだけか?」
と、横島復活。
令子はそちらをジト目で見て、そら見ろ、心配する必要なんて無いじゃない、と視線で切り捨て、胸の前で腕を組んで考え込む。
「──まあ、これしかないか」
すぐに纏まったらしい。自分で持っている数少ない荷物の中から、大降りのナイフを取り出す。
「本当は神域の森の木に傷を付けるのは気が進まないんだけど、背に腹は変えられないわよね」
呟き、近くの木の幹に傷を付ける。かりかりと、樹皮を削り、そこに矢印を書く。
「大丈夫ですか? たたり、とか」
心配げに、オキヌが尋ねる。元々、古い時代の人だから、たたりだとかには人一倍敏感なオキヌだ。
しかし、令子は笑い飛ばした。
「私は美神令子よ。世界が滅んでも生き残るんだから、呪い程度」
「はあ?」
頷いて良いのか、否定するべきなのか。判別しない不明瞭な表情で、オキヌが中途半端に頷く。
その脇を横島が通り過ぎ、今し方令子が傷を入れた木に向かう。何をしているのかとのぞき込めば、矢印に一本線を入れて相合い傘にして、名前を刻み始める。片方は横島、もう一方は──
「こんな時にお気楽なことをしているんじゃない!」
げいんと再び横島沈没。
「全く、無駄な力を使わせるんじゃない! 何度も言わせるんじゃないわよ」
「だって〜、だって〜」
すかさず復帰した横島が、いやんいやんと体をよじる。
もう一発なぐったろか、と睨み付ける令子の視線に気が付いていないのか、横島は体をよじりながら言った。
「相合い傘は木に刻むモノの基本じゃないですか? ほら、愛子だって、よくよく見れば相合い傘を刻まれているんすよ?」
愛子というのは、横島の通う学校に住まう、机妖怪である。
「どういう言い訳?」
と、背後でぼそりとタマモが呟いたように、令子はこの言い訳に納得したりはしなかった。
結果、横島は三度、大地に伏した。
美神除霊事務所一行が、Q県の片田舎の村外れにある、この神域の森に足を踏み入れたのには、勿論事情がある。金がかからなければ指一本だって動かしたくない美神令子であるから、当たり前の話だ。
Q県の片田舎の村は、例に漏れず、村人の高齢化、そして過疎化の進む寒村である。この村で、行方不明事件が多発し始めたのは、つい一月前のことである。当初は、この行方不明は、さほど深刻に捉えられてはいなかった。どころか、事件とすら考えられていなかった。
高齢化の進む村。住人の大半はお年寄りであり、最初に行方不明になったのもお年寄りだった。徘徊老人。そんな言葉がある。ボケが進んだお年寄りが森に踏み入り、遂に帰らなかった。そうした事だと捉えられたのだ。無論、それだって大した事件だが、理由を付けられただけに、大騒ぎにはならなかった。
しかし、行方不明者が続出するに至り、ようやく、警察が腰を上げた。しかし、警察の介入を持ってしても、この行方不明の続出を止めることは不可能だった。下手をしたら村人全てがいなくなってしまうのではないか。そんな不安を抱くほどに行方不明者は多出し、ついには、捜査に当たっていた警察の人間からも行方不明者が出るに至った。
ここに来て、警察はこの事件が尋常なモノではないことに気が付き、オカルトGメンに捜査を依頼した。いくら餅は餅屋とは言え、警察にだって面子がある。本来ならば独自の力で事件を解決し、同じ公僕とは言え他組織であるGメンに頼るなどは避けたい事だったが、警察関係者の行方不明者も二桁に上り、既にそうも言っていられない状況になってしまったのだ。
Gメンは、即座に行動を開始した。事態を重要視したGメンは、日本支部のエース、西条を中心とした捜査チームを派遣して、迅速な事件の解決を図った。
この事件は、おそらくは「神隠し」であろうと推測した西条は、視線を、村のそばに広がる森に向けた。
神域の森。
村人にそう呼ばれている森は、村との間に朽ち果てた神社を構え、まさしく、神隠しの舞台には打ってつけと見えた。更に、捜査が進むに連れ、実際この森は、魔界と現界の境とでも言う場所で、下手にこの森の中で迷えば、魔界に墜ちてしまうかも知れない、そうした、危険な場所であることが判明した。
この段階で、事件解決は半ば、お手上げ状態となった。
流石の手練れ揃い、優れた装備を持つGメンと言えども、魔界へ侵入して行方不明者を確保することは難しい。いや、きっぱりと不可能ごとと言っていい。出来ることは、その境界の入り口を塞いでいたらしい神社の補修。それくらいだった。
早速、西条の指揮の元、神社の補修が始められようとした矢先。
その、西条を初めとするGメンのメンバーが纏めて行方不明となった。
これまでにない大騒ぎが、現場と──そして、Gメンの日本支部で巻き起こった。
支部のお偉方達は右往左往し、責任回避に腐心する。事件解決の目処など、最早立ちようもなかった。何しろ、西条は日本支部のエースなのだ。それ以上の人材は、他支部に頼るのであれば兎も角、そうでなければ何処にもいない。そして、面子の問題もあり、他支部に頼ることも難しい。
そんな最中、特別顧問としてGメンに参加している美神美智恵が、一つのアイデアを出した。
曰く、民間のGSに事態の解決を依頼する。
これまた矢張り、面子に関わる方法。渋るお偉方。
しかし結局は、美智恵のアイデアに縋るしかない。
段取りを整え、美神除霊事務所に依頼することを決めた美智恵に、お偉方の一人が言ったという。
それで、本当に大丈夫なのかと。
それに対して、美智恵は自信たっぷりに応じた。
「ご心配なく。その為のネルフ美神除霊事務所です」
と。
そして、令子がいくら渋ろうとも美智恵に逆らえるはずもなく、一行は事件解決に乗り出したわけであるが──
「しっかし、弱ったわね」
令子は、ぶつぶつと呟きながら、先頭を行く。時々は立ち止まって木の幹に矢印を書き記して行くが、果たして、何処へ向かっているかは神のみぞ知る、そんな状況である。矢印に行き当たることはこれまで無かったが、それが幸いであるかどうか、解らない。迷っていることには違いがないのだ。
「オキヌちゃん、大丈夫?」
「は、はい、まだ平気です」
それに、半分魔界に足を踏み入れていると言う状況が拙い。
GPSやイジリウムなんかは勿論、コンパスなどが役に立たないのは当たり前。太陽すら、厚い霧のヴェールに包まれてはっきりとは伺えない。方角すらはっきりしない状況。非常に拙い。
更に言えば、体力が回復しないのがきつい。ただ、歩いているだけ、それだけでも非道く消耗するというのに、森の様相がまた、非道く疲れさせる。大きく張り出したミサイルのフィンのような板根を持つモノ、怪しげなうごめく蔦を絡ませたモノ──この世ならざる世界へ足を踏み入れていることを確信させる。非道く気が滅入る。
「あの〜、俺、疲れているんすけど?」
おずおずと、荷物を背負った横島が言うが、令子は耳がないような顔で無視をした。
「またや。差別や。──って、これもまた、セクハラじゃないすか?」
「あんたにだけは、セクハラって言われたくないわよ!」
セクハラ大魔王にセクハラ呼ばわりされるのは勘弁なら無い、と、令子が喚く。
直後、めまいを感じたように蹈鞴を踏む。
「大丈夫ですか、元気ですか? 乳もみましょうか?」
「そう言うのをセクハラって言うのよ!」
すかさず寄ってきた横島を殴り飛ばし、令子はまじめな顔になって周囲を見る。
「くっ。非道く空気が悪くなってきたわ」
眩暈を払うように、頭を振る。
「どういう事ッスか?」
と、矢張り即座に復活した横島が尋ねてくる。
「最悪も最悪、どうも、森の深い方に進んじゃったみたいね。大分、魔界の色がきつくなってる」
「って事は?」
横島はごくりと唾を飲み込み、直後、蛸踊りを始めた。
「いやや、まだ死にたくない〜!」
「喚くと、余計に体力消耗してやばいことになるわよ」
冷たく指摘されて、ぴたりと動きを止める。
「喚く自由すら残されておらんのか〜!」
「って、あんた、やたらと元気ね」
「そう言えば……あんまり疲れてませんね」
横島は、首を傾げながら頷く。
どうやら、体力よりも、霊力の消耗の方が激しい。
令子は、自分を省みてそう判断する。
その点、横島の霊力の源は煩悩。自然回復とは違う形で回復するせいか、さほど疲れているようには見えない。
「兎に角、戻るわよ。──矢印残しといて、良かったわ」
令子は、億劫そうに体を起こす。
「オキヌちゃん、行くわよ」
「は、はい」
オキヌの方は、令子以上に辛そうである。種族的な事もあって、まだまだ平気なシロとタマモにフォローを命じ──元気でも横島に命じるのは拙い。オキヌにセクハラをすると悪者になるから、等と言っているが、それでも信用できない──令子は今来た方角へと戻り始める。
そして、すぐに絶句して立ち止まった。
「嘘、矢印がない」
更に迷ったのか?
それにしても──
「くっ。ここは、常識の通用しない魔界の入り口だって事?」
「って、どうしたんですか?」
あくまでお気楽な横島に腹立たしさを感じる。思い切り殴りつけたいが、ここは少しでも体力の消耗を避けねばならない。非常な忍耐力を発揮して、令子はその衝動を抑えた。
「矢印を見失ったわ」
そのせいか、非道く平坦な声になってしまった。
「え?」
横島はその令子の言葉を聞いて絶句した後、またもや蛸踊りを始めた。
「うひ〜。って事は、更にピンチ? 俺はここで死ぬのか? 死ぬんやったら! ──そうだ、俺達は遭難中。だったら、ここで何をしても、それは事故として許される! 美神さは〜ん!」
「こいつは!」
結局、力一杯横島を殴り飛ばした。
「あんたって言う奴は、何処でもいつでも──いい加減にしなさいよ!」
最早ぶち切れで、後先考えずに横島に追撃を喰わせる令子。
「ああ、先生が死んでしまうでござるよ」
「一回、死んだ方が良いんじゃないの? 私、今回は美神さんの方が正しいと思う」
その様を見て焦るシロに、冷静に論評するタマモ。
そこへ。
「あの、何していらっしゃるんですか?」
女性の声が聞こえてきた。
ここにはいないはずの6人目の声に、令子は横島を放り出してそちらを向く。
「あんたは?」
足下で、なにやら非常に湿った──液体を詰めた袋が落っこちたような音がして横島が平たくなったがそれは無視。用心深く、その、新たな登場人物を観察する。
妙齢の女性。年の頃は、令子とどっこいどっこい。そして──かなりの美人。
「僕は横島忠夫です! 美しい方、お名前は何て言うんですか?」
殆ど全殺し状態だったというのに一瞬で回復した横島が、小竜姫の超加速に匹敵する速度で女性に接近し、その手を馴れ馴れしく取って質問する。それほどの美人だった。
「あんたは〜!」
げしんといつもの調子で横島を殴り飛ばし、令子はめまいを感じて蹌踉めく。蹈鞴を踏んで踏みとどまろうとするが、それも果たせず、膝を突いてしまう。
非道く拙い。自分も、想像以上に消耗していることを確認した恰好だ。
「大丈夫ですか?」
心配そうに、女性が僅かにかがみ込み、令子の様子をうかがってくる。
しかし、令子はこの女性を完全に信用することは出来ず、無理矢理膝を叱咤して立ち上がる。弱みを見せるのは拙い。
「大丈夫よ。それで、あんたは一体何物?」
人ではない。これは、令子の確信とか言うレベルではなく、事実だ。何しろ、女性の髪の色は緑色。人の持つ色ではない。ちらと見れば、シロ、タマモの二人も、不審気な視線を女性に送っている。
「あ、はい」
隠しきれない警戒の視線を向けられているというのに、女性はおっとりとした表情で微笑み、答えた。
「私は、桃源郷の管理人をしています、アードと言います」
「桃源郷?」
令子の眉が、ますます不審の形に歪められる。
桃源郷は、平たく言ってしまえば楽園のこと。
「ええと、桃源郷というのは、そうですね、哀しみも憂いもない、この世の楽園、そんなところですか?」
「いや、そう言うことを聞いているんじゃなくて」
令子は女性──アードを頭の天辺からつま先まで観察して、矢張り不審の表情を浮かべたままで続けた。
「どうも、そう言うイメージじゃないわね」
「え?」
困ったように、アードが表情を曇らせる。
「どこか、おかしな所がありますか? もしかして、寝癖が付いているとか?」
自身の姿を確かめるようにして、それでも令子の不審の理由に思い当たらないらしく、尋ねてくる。本気で寝癖の心配もしているらしく、髪の毛を手櫛で撫でつけたりもしている。
「そう言う事じゃなくてね」
どこかピントのずれた発言に、微かな頭痛を感じつつ、令子は言った。
「だって、あんたこっちじゃなくて、西洋の方のヒトに見えるけど?」
令子の言うように、女性の風貌、恰好は、東洋と言うよりは、西洋風に見える。桃源郷と言えば、いわば仙郷であり、西洋風の人間にはそぐわない。
「ああ」
アードは、納得したように手を一つ打つ。
「では、常若の国と言うことで一つ」
「そんな、いい加減に」
ますます信用できないと言う具合に、令子はアードを睨み付ける。
常若の国。ティルナノーグ。これは、西洋風の楽園。妖精郷である。確かにこれならば、アード向きの場所に見える。
しかし、こんなに簡単に言われては、信用するのは難しい。
「いえ、本当はこっちの方が正しいんですよ。でも、桃源郷と違って、常若の国って、こっちじゃマイナーなモノで、営業し辛いんですよ」
あたふたと、アードが言い訳する。
「……営業?」
「ええ、私の経営する常若の国は、24時間営業。体から心の悩みまで全てを解決する、夢の場所です。今なら、大奉仕価格で分譲中です。良い物件も数が少なくなって来ましたから、今がラストチャンスかも知れませんよ。──どうです? お一ついかがですか?」
「……」
呆れたように、令子はジト目でアードを見た。
「そんな、全く信用ならないって目で見ないで下さいよ〜」
アードが可愛らしく嘆く。
「そうですよ、美神さん。こんな美人さんが悪い人の訳が無いじゃないですか」
と、復活した横島が、アードの手をさりげなく取って味方する。
「……」
令子は無言で横島を殴り倒し、あくまで冷めた目でアードを見た。アードは平たくなった横島を、あらあらという顔で見ている。
「どっちにしろ、私は興味ないわ」
「そうですか? 残念ですねえ」
ふう、とアードはため息を零す。それから、気を取り直したみたいにして更に営業を続ける。
「でも、それはそれとして、兎に角一度、見物してみませんか? 見たところ、お連れさんもかなり疲れているようですし──疲労回復に良く効く温泉も湧いているんですよ?」
「……」
令子は無言で応じ、それから、振り返ってオキヌの様子を見た。
確かに、かなり疲労している。限界は近いように見える。また、令子自身、疲労を自覚している。
だが、何処まで信用して良いのか?
アードは、期待に満ちた視線でこちらを見つめている。
──確かに、悪人には見えない。どちらかと言えば、悪人に騙されそうな容姿の持ち主だ。
だが、だからといって信用できるというわけではない。容姿がどうあろうとも、悪人はいる。そうでなくとも、悪意はないが結果的に悪いことをする人間だっている。特に、人外の存在ともなれば、その思考のロジックが違ったりするから、油断が出来ない──と、そこまで考えて、令子はようやく思い当たるモノがあった。
「もしかして、ここ最近の神隠しの犯人はあなた?」
「神隠し?」
首を傾げる。
「この森の近くの村で、住人の多くが行方不明になっているの。その事件の捜査に来た警察やオカルトGメンの人間も、何人も行方不明になっているわ」
「物騒ですねえ」
令子は、この反応に苛立ちを感じながら、辛抱強く質問した。
「もしかして、最近──ここ一月ほどで、あんたの桃源郷とやらに、大量の入居者が入ったりしてない?」
「──と言うか、私がここで桃源郷の営業を始めたのは、ここ一月ほどなんですけど」
ビンゴだ。確実に犯人だ。しかし、見た目、悪意がなさそうなのが非常に困る。
令子は、頭痛を感じていた。
その令子の様子には気が付かず、アードはぶつぶつと呟いている。
「あちらの方も不景気で、ならばいっそ、洋の東西を移して、こっちで顧客の新規開拓を始めたらどうか、ってアドバイスをしてくれたヒトがおりましたので、思い切って来てみたんですけど──、大成功でした」
悪いこと?、そんなこと、するどころか考えたこともありませんよ。そんな顔で、アード。
「……まあ、良いわ」
令子はその様子を見て、決断した。
どのみち、このままでは事態は拙くなっても良くなることはないだろう。ならば、あえて虎穴に飛び込んでみるのも、悪い事じゃない。兎に角、オキヌを回復させないことには、何もできないだろう。
そんな判断から、令子はアードの招待を受け入れることにした。
何処にこんな場所があったのか?
そんな疑問を感じるほど近くに、桃源郷は存在していた。
視界を奪うように張り出した、巨大な板根を回り込むと、森はそこでとぎれていた。そして、数歩も進まない内に、霧は、存在自体が幻であったのではないかと思えるほどにあっさりと消え失せていた。
そこに広がっているのは、広大な草原。本当にここは日本か?、そんな疑問を感じるほどに広大で、遙か彼方に地平線すら見える。
令子は、視線を巡らせて更に観察する。
太陽の位置を確認。時間と照らし合わせて、大まかな方角を確認する。森に戻れば、再び方向感覚を欺瞞されてしまうかも知れない。しかし、何もしないよりはましだ。
それから、草原に点在する人の姿に気が付いた。
こちらは、目の前のアードのように人外の存在ではなく、普通の人間らしい。若い男性、若い女性。そう言った人たちが、思い思いにくつろいでいる。確かに、日差しはあくまで優しく、更に草原を渡る風は心地よく、ここが桃源郷であると、素直に納得できそうな案配だ。この草原でねっころがって一日を過ごす。それは、極楽の様な心地かも知れない。
「なんだか、気持ちのいい風でござるな」
シロが、風を体に受けて、気持ちよさそうに目を細める。ズボンのお尻の部分から伸びた尻尾がぱたぱたと振られ、上機嫌であることが一目で知れる。
「そうね」
タマモの方も、草原でねっころがりたそうな、顔をしている。
「オキヌちゃんは大丈夫?」
「ええ、なんだか、楽になってきました」
横島が尋ね、オキヌが応じている。
確かに、オキヌは回復しているように見える。先刻までの、歩くことすら辛い、そんな状況をすっかり脱却している。
令子自身、心地よさを感じる。心が自然、リラックスしていく。
だが、令子は自身を叱咤して、気を引き締める。
まだ、全面的に信用するには早い。
「こちらへ、どうぞ」
先行して案内をしていたアードが、一行に示したのは草原にぽつんと立った東屋だった。一応東洋風。しかし、西洋風の感覚が多分に混じっているのか、いささか奇妙な趣となっていた。いわゆる、日本贔屓の外人が考える日本風、そんな感じだ。
示された席に、一行は並んで座る。
「確かに、いい場所みたいね」
令子の言葉に、アードは嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「そう言っていただけると、嬉しいです。──どうぞ」
アードは、一行の前にお茶を出す。紅茶らしいが、和洋折衷はこちらにも進んでいるらしく、何故か寿司屋の湯飲みに入っていた。
令子は、漂い来る香気に顎をくすぐらせる。
「疲労回復、滋養強壮の効果のある私の特製ブレンドです。どうぞ」
確かに、良い香りがした。薬効も高そうだ。
だが、令子は湯飲みを突き返した。
「オキヌちゃん、飲んじゃ駄目よ。──悪いけど、私はまだ人間界に未練があるの。だいたい、妖精の出してくれたお茶を飲むほどの度胸もないわ」
「飲んじゃ、拙かったんですか?」
と、そこで横島から声がかかり、そちらを見た令子は目を剥いた。
横島は顔の前で湯飲みを構え、すでに飲んじゃいましたよ、そんな顔をしていた。
「この馬鹿は!」
額に怒りのマークをいくつも浮かべて、令子は横島の襟首を掴まえて、激しく前後左右に揺さぶった。
「あんたは、何度言ったら勉強するのよ。──良いこと、妖精の出す食事や飲み物は危険だってのは、この仕事やっていれば、常識中の常識なのよ! それにあんたは以前、時空内服消滅薬で非道い目にあったことがあるでしょうが! なのにどうして、怪しいモノをそんなに気楽に飲んじゃえるわけ?」
妖精の出す食事や飲み物を摂取した人間は、妖精の国から帰れなくなる。これは、確かにオカルト関係の仕事をしている者にすれば常識と言っていいことだろう。そして、ティルナノーグ、常若の国──そして、妖精郷。ならば、管理人のアードは妖精の類と見て間違いない。
「だ、大丈夫ですよ、そんな非道い営業の仕方はしませんから」
半殺しどころか全殺ししそうな勢いで折檻する令子に、アードが腰の引けた声ながら、何とか仲裁をする。
「全く」
取りあえず、すっきりしたらしい。ぼろ屑になった横島を放り出し、令子はアードに向き直る。
「……なかなか、ユニークな関係みたいですね」
「腐れ縁よ」
アードが頬を引きつらせながら口にした感想を冷たく切り捨て、令子は椅子から立ち上がった。
「まあ、一応助かったわ。オキヌちゃんもだいぶん回復した見たいだし。──さあ、ここからは真面目に仕事を始めるわ」
「お仕事ですか?」
頑張って下さいね、と、人事みたいな表情をしているアードを、令子はびしりと指さした。
「あなたがこの世界に捕らえた村の住人、警察関係者、そして、オカルトGメンの人間を解放しなさい!」
「え?」
「悪いけど、私はそう言う依頼を受けてきているの」
「ええ?」
この上なく非道いことを言われたみたいに、アードが表情を曇らせる。
「さあ、すぐに解放して頂戴。さもなければ──」
きん、とすんだ金属質の音を立てて、令子の手の中に握りしめられた神通棍が伸びる。
「あんたを極楽に行かせて、無理矢理にでも解放させて貰うことになるわよ」
「そ、そんな」
怯えたように、アードが身を引き、慌てたように言う。
「だって、ここにいる人たちは、皆、ここを気に入ってくれています。何なら、住民アンケートを採っていただいても──」
「そう言う問題じゃないの」
令子は、首を振った。
「私は、みんなを助け出すことで報酬を得る。そう言う仕事の契約なの。皆が気に入っているとかいないとかは関係ないの。あなたを見逃しても一文の得にもならない──なら、どうすべきか、考えてみるまでもないでしょう?」
「……何て言うか、美神さんの方が悪人みたいですね」
ぼそりと呟いた横島を、令子はそちらを見もしないで叩き伏せる。
「何言っているのよ。一度引き受けた依頼は完遂しなくちゃならない! それが、プロの心構えなのよ!」
「でも、美神さんが言うと、なんか守銭奴の屁理屈みたいに……」
復活した横島が懲りずに呟き、再び地に伏せる。
「さあ、早く!」
「でも……」
喉元に神通棍を突きつけられ、しかし、アードは悲しそうに首を振った。
「でも、彼らは戻って一体どうするのですか?」
「?」
首を傾げる令子に、アードは続けた。
「彼らの住まう村は、世の中からうち捨てられようとしていました。村だけではなく、その住人達も一緒に。──子供達は都会に出て帰らず。彼らお年寄り達は、半ば厄介払いのような形で、捨て置かれていました。このまま、彼らは村と共に消え失せる。そう言う悲しい結末しか、あの村には残されていないように見えます。──村人だけではありません。警察の人たちも、Gメンの人たちも、心の中に、消せない傷を抱え、苦しんでいます。──私は、彼らに心安らかに暮らせる場所を提供しているのです。この国では、老いも病もなく、哀しみも憂いもなく、生も死もなく、日々平穏に、心楽しく生きていくことが出来るのです。彼らは望んで、この国で暮らすことを選んだのです。──その彼らを無理矢理に戻して、それで、幸せになれると思うのですか?」
胸の前で両手を組み、懇願するように告げる。
しかし、令子はにべもなかった。
「そんなこと、私の知った事じゃないわ」
「──え?」
そう言う反応は予想していなかったらしく、アードが整った顔に不似合いな間抜け面になる。
「あ、あなたは他人を不幸にして、それで平気なのですか?」
「だから、私は他人の幸不幸なんて知ったこっちゃないわよ。重要なのは、仕事を果たして報酬を得るか、得られないか。それだけよ」
プロなら当然でしょ。
自信たっぷりに告げる令子だが、その他の面々には全く支持されなかったようだ。
「美神さん……」
オキヌは悲しそうに顔を伏せ、シロは呆れたように令子を見つめる。今度こそ、財力、権力ともっと違うつきあいをしてみせる。タマモは、そんな決意をしているようにも見えた。横島は、床に平たくなっていた。
「あなたも、心を病んでいるようです。どうですか? 一等地を用意しますから、ここでしばらく暮らしてみては?」
「余計なお世話よ!」
アードにまで、どこか同情するような口調で言われ、令子はぶち切れて叫んだ。
「ならば、これで、見逃していただくというのはどうでしょうか?」
どうやら、人の心に訴える手法では、令子には通じないと見たのか、アードは攻め方を変えた。
「ん?」
と、首を傾げる令子の前で、アードは懐に手を突っ込むと、無造作にテーブルの上に取り出したモノを広げる。
「え?」
戸惑う令子の声。
太陽の光に照らし出され、それらはきらきらと輝いた。
「私には、意味のない品です。これで、あなたの心が安らぐというのであれば、提供するにやぶさかではありません」
「これって、精霊石の原石? こっちは金塊?」
「これは玉? こっちは宝石──はっ」
身を乗り出した令子。
同時に、同様に身を乗り出したタマモであるが、すぐに我に返って、罰の悪そうな表情になる。つい今し方、生き方を変えようと決心したばかりだというのに、と、どこか照れたようなふてくされたような顔で、前のめりになった体を引っ込める。
「な、何でこんなモノが?」
反省も後悔とも無縁の令子は、両手に抱えきれる限界量の金銀財宝を確保し、もう返しませんよ、と言う顔で、アードを見た。
「ここらを軽く掘り返せば、いくらでも出て来ます」
「──!」
きらりと、令子の瞳が輝いた。
「そ、そうね、少しくらいの猶予期間を与えるのも良いかも知れないわね」
「本当ですか? ありがとうございます」
「ま、まあ、私も鬼じゃないって事よ」
令子は、全く信用ならないことを口にして、それから、横島に手を突きだした。
「横島君、スコップを」
「はあ?」
「何惚けているのよ。すぐに掘り返すわよ!」
「俺もですか?」
「当たり前でしょ?」
言うが早いか令子はスコップを受け取ると、横島が付いてくるのも待たずに、東屋から飛び出していった。
「やれやれ」
横島は諦観したように首を振ると、自分の分のスコップを用意して立ち上がった。
こちらは、年がら年中金が無くてぴ〜ぴ〜言っているが、それでも、令子ほど金に固執していない。あれば良いな、とは思うが、絶対に、と言うほどでもない。ある種、諦観していると言っても良い。
「他の皆はどうする?」
と、一応振り返って横島が尋ねる。
「私は、これを食べてから」
「拙者も、食事を先にするでござるよ」
見れば、いつの間にかタマモ、シロの前にはそれぞれ、狐うどんとドッグフードが用意されており、二人が一生懸命に食べる様を、にこにこと笑みを浮かべたアードが見守っている。
「オキヌちゃんは?」
「私は──」
答えかけたオキヌに先んじて、アードが口を挟む。
「あなたは、もう少し休憩していた方が良いですよ。かなり疲労していましたから」
「そうですね」
オキヌは少し考えて、頷く。
「ほんじゃあ、美神さんの手伝いは俺だけか」
うんざりしたように言って、肩にスコップを担ぐ。
その横島に、アードが声をかけた。
「あなたは、ここで暮らしたいとは思わないのですか?」
「え? 俺ッスか?」
「ええ。──職業柄ですかね。私は、心に傷を抱えている人が、解ってしまうのですよ」
「俺が、心に傷を抱えているって言うんすか?」
「はい」
アードは頷いた。
「深くて、大きな傷。己の半身を失った痛み。──ここでならば、その傷も癒すことができますよ」
横島は、アードの言葉に自分の胸を押さえた。
失われた自分の半身。
しかし──
「それが可能だとは思え無いッスよ。──もしそれが忘却による癒しだというのなら、俺は──」
「ヨコシマ!」
そこで、不意に声が響いた。
若い女性の声。
「え?」
ヨコシマはその声に、聞き覚えがあった。忘れられるはずのない声。
振り返れば、こちらに走ってくる女性の姿。
前髪を綺麗に揃えた黒髪ショートボブ。容姿は上品に整っており、体つきは胸がいささか控えめで──
ただ、その恰好がかなり特殊で──
よく見れば、頭には触覚が生えている。
「……ルシオラ?」
信じられない。
でも信じたい。
横島は呆然とした声を零した。
その横島の胸に、かけてきた少女──ルシオラは飛び込む。
結構な衝撃。しかし、踏ん張って堪え──
その衝撃が、腕の中にある柔らかな感触が、幻には思え無くて。
「ここは、楽園」
横島の尋ねるような視線を受けて、アードが答えた。離ればなれとなった恋人達の再会を、暖かい視線で見守りながら、祝福するように。
「この国では、老いもなく、病もなく。人は日々、哀しみもなく、憂いもなく楽しく暮らし。──そして、生と死の区別もない世界。死者ですら、この国では心安らかに暮らすことの出来る、楽園」
静かに、独白するかのように、アードが告げる。
「ヨコシマ」
胸の中のルシオラが、横島を見上げながら名前を呼んで。
横島は、何も口にすることが出来ずに、頬を涙で濡らし、ただ、ルシオラの華奢な体を抱きしめた。
柔らかな風が、草原を渡っていく。緑の海原に、波がさざめく。
太陽は優しく二人を照らし、世界は何処までも心地良い。
横島とルシオラは、草原の中に並んで腰を下ろしていた。
手を伸ばせば触れることが出来る。そんな、微妙な距離。
横島は口を開きかけ、そして閉ざす。再び、意を決して口を開きかけ、そして、閉ざす。そんなことを繰り返していた。
再会から、場所をここに移し、それから、横島は逡巡を繰り返していた。
話しかけたい。
話したいことは、いくらでもある。
だが、口を開いた瞬間、全てが幻と化して消え失せてしまうのではないか。
そんな恐れ、逡巡。
ルシオラの方も同様に感じているのか、静かに座っている。
横島は、助けを求めるように視線を周囲に巡らせた。
勿論、助けなどは何処にも存在しない。
世界は広く、近くにはルシオラの他に誰もいない。
そして、それで充分に思えた。
世界は何処までも色鮮やかで美しい。
そう感じることが出来るのも、横にルシオラがいるからだと、横島は確信していた。
ルシオラがいなければ、こんなに素晴らしい世界も、色あせて見えるだろう。
そこで、気が付く。
別に、何かを話さなくても、横にルシオラがいる、それだけで、充分に満足していると。充分に、安らいでいられると。
自分は、ルシオラと一緒に、こうしていたかったのだと。
いつの間にか、太陽が傾き始めていた。
一体、どれほどの時間、こうしていたのか。
しかし、全く退屈には感じなかった。
視線をルシオラの方に向けると、同時に、ルシオラの方も横島の方を見ていた。
少し照れたように、ルシオラが笑う。
それだけで、横島は非道く幸せな気分になった。
「ヨコシマ、もうすぐよ」
ルシオラの言葉に、視線を正面に戻す。
太陽が、地平線に沈もうとしている。
ルシオラが大好きだと言った、昼と夜との境界。
世界が、赤く染め上げられていく。
緑の海原は、赤い海原となった。
目を見張る、幻想的な光景。
ルシオラを失ってから、何度も眺めた光景。
その時は、美しさを感じる以上に、哀しみが支配した。
世界が美しければ美しいほどに、寂しかった。
しかし、今は──
「ヨコシマ」
ルシオラが、僅かに体をヨコシマに寄せ、体重を預けてくる。
肩に掛かる僅かな重み。
赤く染め上げられた世界で、二人は何時しか正面から向き合って──
「ヨコシマ」
小さく呟いたルシオラが、そっと瞳を閉じる。
長い睫毛が、ルシオラの顔に影を落とし──
二人の顔が、静かに接近して──
「もう、止めよう」
横島は、静かに呟いた。
そして、世界が壊れた。
「──!」
横島は、自分が森の中に寝転がっていることに気が付いた。
慌てて、体を起こす。その途中で、何かを引きちぎる感触がした。見れば、いつの間にか、横島の体には細い蔦がからみついていた。
「……どうして?」
声は、横島の上の方から聞こえてきた。
横島は、そちらに視線を向ける。
そこには、巨大な木があった。人が何人いれば、抱えきることが出来るか? 見た目ではとっさに解らないほどの巨木。そしてただ巨大なだけでなく、一種言い難い存在感があった。例えば、神社の神木のような、この世ならざる雰囲気があった。
横島は、視線を上に持ち上げる。
木の幹、人の身長の倍ほどの高さに、それはあった。
「……どうして?」
それは、再び繰り返した。
それは、まるで船のフィギュアヘッドのように、木の幹に下半身を半ば埋めて生えていた。異形の存在──しかし、フィギュアヘッドがそうであるように、それは、非道く美しい女性の姿をしていた。
「……アード」
横島が呟く。
それは、桃源郷の管理人を名乗った、アードだった。
「……どうして、あなたは目覚めてしまったのですか? 夢の中にいれば、永遠に、幸せに暮らすことが出来たのに」
横島は答えず、左右に視線を巡らせた。
近くには、令子やオキヌ、シロ、タマモの姿があった。皆、目を閉じて眠っており、その体には、蔦がからみついている。視線を蔦にたどらせると、それは、目の前の巨木から伸びているらしい。そして、その視線を巡らせる課程で、4人の他にも、たくさんの人が蔦に絡み憑かれて眠っているのが発見できた。多くは老人達。おそらくは、あの村の住人達。ガタイの良い男達は、警察関係者か、Gメンか。その中には西条の姿もあり、これは発見できなくても良かったのにと、横島は考えた。
「どうして、目覚めたのですか?」
繰り返された質問に、横島は答える。
「夢の中で幸せになっても、それは、本当の幸せじゃない」
「どうして、夢だと気が付いたのですか?」
横島はこの質問に自身の胸を押さえた。
「本当のルシオラは、ここにいるから」
それは、ロマンチックな理由かも知れないし、ただの現実かも知れなかった。
「──それは兎も角、こっちは質問に答えたんだ。今度はこっちの質問に答えて貰おうか。どうして、こんな真似をしたんだ?」
「人を幸せに導く。それが、桃源郷管理人の私の仕事。存在理由」
「幻を見せて、人を欺いて?」
「幻だと気が付かなければ、それは現実と変わりはありません」
「──」
横島は、僅かに目を細めた。
「みんなを、解放しろ!」
「それは出来ません」
即答だった。
「私には、皆を幸せでいられるように、管理するモノです。彼らは私の世界で満足しています。その彼らを、辛い現実に戻すことなど出来ません。あなたも、気が付いているでしょう? 皆の表情に。彼らは、この上なく幸せな気分で夢を見ているのです。その夢をあなたが中断させる資格が──権利がありますか?」
横島は、視線を巡らせた。
「金よ、金……すぐに掘り出して」
守銭奴丸出しの寝言を呟きながら、この上なく幸せな表情をしている令子。
「このドッグフードは美味しいでござるよ」
「あぶらげ、あぶらげ」
この上なくお手軽な理由で幸せ一杯のシロ、タマモ。
オキヌも寝言は口にしていないが、幸せそうな寝顔を見せている。
その他、老人達も、警察関係者も──西条も、この上なく幸せに、憂いの欠片も無いという表情で、静かに眠っている。
「あなたももう一度、夢を見ませんか? 大丈夫です。今度こそ、現実と区別の付かない完全な夢を──」
「要らない」
横島は鋭く切り捨てた。自身の胸を押さえて叫ぶ。
「ルシオラは、ここにいる。夢や幻のルシオラは、どこまで行ってもまがい物だ」
「……成る程。人でありながら、この魔界の森で、あなただけ平気だったという理由はそれですか? 確かに、混じっていますね」
「下らない話は良いから、皆を解放しろ!」
横島は、右手に霊力を集中させた。栄光の手と名付けた、霊力の剣が伸びる。
「それは、できません」
話は、平行線だった。
「なら、力ずくでだ!」
言うが早いか、横島は身を翻し、一番近くのシロに向かった。
その背に、アードの声がかかる。
「あなたに、その権利があるのですか? 彼らの幸せを、理不尽に中断させる権利が」
「確かに、みんなは幸せを感じているかも知れない。でも、その幸せが夢の中の事だと知らなければ、それは詐欺だ。きちんと夢の中であることを承知の上であれば兎も角、そうでなければ、誤魔化しに過ぎない!」
言うが早いか、横島はシロに絡んだ蔦を剥がしにかかる。
蔦は、さほどの強度を持たず、霊波刀を使うまでもなく、手でも充分に剥がすことが出来た。
「止めて!」
アードの悲鳴のような声。
「止めない!」
横島は叫び返して、更に剥がす。
その横島の腕に、蔦が絡みついた。
「──!」
引きちぎろうとして、横島は顔を顰める。
この蔦の強度は、シロに絡みついたモノとはまるで違う。まるで鋼線のように、びくともしない。
ならば──と、霊波刀を向ける。
その腕に、更に絡みつく。
腕だけではなく、足にも。体にも。
「──ならば、あなたを排除します」
アードの、ぞっとするような冷たい声。
「──糞」
横島は、霊波刀を使うのを諦め、右手に集中して文殊を出現させる。
しかし、そこに念を込めるよりも早く、絡みついた蔦が腕を締め上げ、文殊を取り落としてしまう。
横島は、必死で暴れるが、しかし蔦は構わず横島を絡み取り、そのままぐるぐる巻き、蓑虫のようにして、挙げ句は横島の体をつり上げていた。
「くそ、放せ!」
喚く横島に、アードはぞっとする冷たい瞳を向けた。
春の日溜まりのような微笑は消え失せ、その顔には酷薄な冷笑。瞳の中にはブリザードが踊っているかのような、絶対零度の冷酷な視線。
「何も気が付かず、夢の中にいれば良かったモノを」
声の調子も、がらりと一変していた。
「下手に気が付いたせいで、ここで終わることになる」
「はっ」
横島は蔦に締め上げられ、苦しい息の中で笑って見せた。
「それが、本性か?」
「そうよ。これが、私の本性」
アードは、絶対の強者の余裕で笑って見せた。
「捕らえた人間から霊力を搾り取り、私は更に強く、大きくなる。それこそが、狙いよ」
「ご親切に、解説、どうも」
横島は、にやりと笑って見せた。
「……何だ、その余裕の態度は?」
不審に感じたのか、アードが問う。
「貴様は、手も足も出ないはずだ。ただ、私にくびり殺されることしか、出来ないはずだ」
「正直、助かったよ」
横島は、笑う。苦しいのか、幾分引きつっていたが、それは、絶体絶命の、絶望の笑いではない。
「何を言っている?」
話が噛み合わず、アードが苛立ったように叫ぶ。
「──あのまま、善人のふりをしていられたら、流石にいろいろと躊躇ったけど、本性見せられたら、躊躇う理由もなくなったよ!」
「貴様、何をたくらんでいる?」
「文殊ってさ!」
横島は、叫んだ。
「別に手の中で握りしめなくても、念を込めることが可能なんだよ!」
「何?」
慌て、アードは視線を巡らせて、横島が取り落とした文殊を探した。
そして見つける。
文殊は奇跡のように、アードの──巨木の根本に転がっていた。
そして、そこに浮かび上がった文字は──枯。
「うわあああああ!」
悲鳴を上げて、アードは文殊を遠くへはじき飛ばそうとする。
しかし、それよりも早く、文殊が発動した。
文殊は、純粋な霊力の結晶体である。霊力はこの世の全てのモノの根幹に当たる存在。本来、莫大な霊力──即ち力を秘めている文殊であるが、非道く安定している。純粋故に、安定している。純粋な霊力は、この世の全てであり、同時に全てでない。全てになれるが故に、何物にもなることが出来ない。そのままであれば、余程の強い衝撃を与え続けない限り、そのままの形で存在し続ける。その文殊を扱うために、念を込める。それは、ある意味呪いだった。文字を使った呪詛。全てになることが出来る純粋な霊力を、文字を使い、一つの方向にしか振る舞えないように、あり方を縛ってやる。例えば、炎と文字を刻めば──呪いをかければ、無限大の可能性を持っていた純粋な霊力は無限大マイナス一の可能性を失い、ただ、炎としてしか存在できなくなる。振る舞いを確定させられてしまう。それが、文殊。
通常、横島は、文殊に念を込める時は、手の中で握りしめて行う。
だが、それは絶対必要条件ではない。
その方が、念を込めやすいと言うことはあるが、別段、手の中になくとも可能なのだ。初めて文殊を使った戦闘で、念を込めずに放り捨て、不発に終わった文殊に、「護」の文字を浮かび上がらせたように。
文殊の発動は、迅速で、容赦がなかった。
瞬く間に、巨木が枯れていく。蔦は色を失い、脆くなって崩れていく。幹や枝は水気を失い、自重を支えきれずに崩れていく。
そして、フィギュアヘッドの様に幹に生えたアードの体にも、その効果は及んだ。
艶やかだった肌は水気を失って皺を産み、見る間に年老いていく。若い女性だったアードは、瞬く間に老婆と化していた。
「おのれ、おのれ!」
アードは半狂乱になって喚き、自らの老い果てた顔を片手で覆いながら、横島の姿を探した。
「殺してやる。貴様は絶対に殺してやる」
巨木から伸びた蔦がうねうねと触手のようにうごめき、その自分自身の動きによって崩れていく。
「どこだ? 何処に行った!」
喚きながら、アードは横島を探す。
勿論横島は戒めから逃れ、どこかに逃げ失せている。
「出てこい。出てこないと、貴様の仲間を──」
「伸びろ──」
声は、アードの背後。幹の向こう側から聞こえた。
アードは、惚けたように、自分の胸の中央に生えた霊波刀を見つめた。
横島は、巨木の裏側に回り込んでいた。そして、そこから、霊波刀を伸ばして攻撃したのだ。
「あ、あああああ」
アードの口からうめき声が零れる。次いで、霊波刀がアードの体の中に収納されて行くかのように引っ込むと、今度はその傷口から、人の血液のように真っ赤な樹液が、噴水のように噴き出して驟雨を降らせる。
樹液の噴出に従って、更にアードの体は潤いを失って乾いていく。同時に、脆くなっていったのか、アードの体も崩れ始めていた。右腕が方の付け根辺りから崩れ落ち、それを慌てて抑えようとした左腕も崩れる。崩壊は順次広がっていき、全てが崩れ去るまでに、さほどの時間を必要としなかった。
あっけないほど簡単な、アードの最後だった。
「──まっさか、横島君に助けられるとはね」
ぶつぶつと、文句を言いながら令子が森の中を進んでいく。
どうやら、あの霧もアードの出現させていたモノらしい。森の中はすっかりと晴れ、どころか、コンパスやその他の電子機器も使えるようになっていた。
「要は木の妖の類だった訳ね。ドライアードとか、トレントとか、森に迷い込んだ人間を惑わせる類の」
「その幻を見破るとは、流石、拙者の先生は凄いでござるよ!」
シロが、我が事のようににこやかな表情を浮かべている。
「そうですね、横島さんは凄いですね」
と、頷くオキヌ。
タマモは頭の上で手を組んで、どうでも良さそうな顔をしている。秘かに、横島に助けられるなんて、とプライドを傷つけられていたりするが、それを隠して表には見せない。
他に、残って残務処理をしている西条などは、横島に助けられたと聞いて、この世の終わりとばかりに絶望的な表情を浮かべたモノだ。
そして、今回の功労者である横島は──
「あの〜、今回役に立ったんだから、せめて、もう少し荷物を持って貰えませんか?」
と、いつも同様に、荷物持ちをしていた。どころか、自分がろくに活躍できなかった令子の腹いせに、更に荷物を増やされていたりする。
「妖気が薄まったとは言え、ここは未だ魔界の境界よ。なるべく、疲労を少なくしておきたいのよ。何が起こるか解らないから、いざというときのためにね」
振り向きもせずに、令子が告げてくる。
「なんだか、腹いせをされているようにしか思え無いんですが……うげ」
呟いた声は、自分の悪口には地獄耳の令子に、しっかりと聞こえていたらしい。飛んできた握り拳大の石の直撃を喰らって、横島はひっくり返る。
「ああ、横島さん!」
「どうせその程度でどうにかなったりするはずがないんだから、放っておけばいいわよ」
オキヌがあわてふためくが、令子はにべもない。振り向きもせずに先へ進んでいく。
「……鬼や」
直撃を喰らった鼻を押さえながら体を起こした横島は、小声で小さく呟く。幸い、今度は聞こえなかったらしい。
さて──と荷物を背負い直し、進もうとする横島は、誰かに呼ばれた様な気がして立ち止まり、背後を振り返った。
そして──
「え?」
戸惑いの声をあげる。
そこに立っていたのは、ルシオラ。
再びの偽物?
胸を押さえ、首を振る。
確かに、ルシオラはここに、自分の中にいて──
だけど、目の前のルシオラも、どうしても偽物には思え無かった。
ルシオラは、にこりと笑うと、言った。
「……もうすぐ会えるわ」
「え、ルシ──」
叫びかけ、横島は、最早その場に何者もいないことに気が付いた。
夢幻のように──自身の錯覚のように、誰もいない。最初から、誰も存在しなかったように。
「横島君、何をぐずぐずとしているのよ! 置いて行くわよ!」
いつの間にか、結構先に進んでしまった令子から、叱咤の声が聞こえてくる。
「待ってくださいよ、すぐ行きます!」
「ぐずぐずしているんじゃないわよ!」
横島はその声にお尻をけっ飛ばされたように慌てて駆け出そうとして、一旦止まって背後を──ルシオラを見た場所に視線を向ける。
見返しても、そこには誰も存在しない。
幻だったのか。
錯覚だったのか。
横島は、自然、顔に微笑みを浮かべた。
何でも、良いのかも知れない。
ここは神域の森、魔界との境界。
ならば、少しくらいの不思議は、不思議ではないのかも知れない。
「待ってくださいよ〜!」
横島は、叫んで美神達の追いつこうと駆け出した。
もうすぐ会える。
その言葉を、信じても良いように思いながら。
何処とも知れぬ場所で、鬼が剣を振っていた。
上から下に、左から右に。熱心に。
この上ない熱心さで剣を降り続けた鬼は、一区切りが付いたのか、近くにあったタオルで汗を拭い始める。
その機を待っていたらしい覆面の男が、鬼に近づいていく。
「何かしら?」
「ぎ……」
覆面の男は、不明瞭な声で、鬼にぼそぼそと報告する。
「アードがやられたの? ふ〜ん。美神令子が出て来た訳ね」
鬼は、体格雄偉。顔立ちも恐ろしげなのに、どこかおかま臭いしゃべり方だった。
「ぎ……」
「ああ、もう、それは放っておいて良いわ。アードが集めた結晶は回収できたんでしょ? だったら、問題無しよ」
「ぎ……」
「美神令子に報復? それは、今はまだ早いわ」
鬼は言って、再び剣を持ち上げた。
「まだ、私たちには時間が必要なのよ。私にも、あの方にも」
鬼は、剣を振るう。
自分の体をいじめるように。
「悔しいけど、今の私では、力不足なのよね」
鍛えるために。
君が望む永遠
エロゲー。
未プレイ。
名作という評判だけど、もともとADVは苦手なところへ持ってきて、プレイすると鬱になると言う。
わざわざ、鬱になりたいとは思いませんから。
永遠に未プレイでしょう。
さて、今回は最終回「少年期の終わり」への伏線を交えて……
いえ、まだまだのんびり続けるつもりですけどね。
お話の内容は、仙木の果実の影響を多分に受けています。(控えめ表現)
まあ、いつものことですね。
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