シルキィ・リトルレーズンの生物学的愛情

#02 世の中のためになる魔物合成のすすめ

(*このお話は、拙作、アリオス逃亡者と同じ世界観です。その、8話以降のお話と思って下さい)



 その日、ホーネットを初めとする旧来の女性魔人達は、魔王城の一室に集まって、酒宴を開いていた。
 特に、これという目的のある酒宴ではない。
 たまたま、5人が時を同じくして魔王城に集まったから、それだけのことだった。

 一般に、女3人集まれば姦しいと言われる。
 魔人とは言え、女性が5人。
 例外ではなかった。

 ただし、喧しいのは主に、たった一人だけ。
 シルキィ・リトルレーズンだけが、喧しかった。

 シルキィ・リトルレーズン。
 今となっては、魔人四天王、唯一の生き残り。
 しかし、その仰々しい呼ばれように似合わぬ、小柄な魔人である。
 水色の髪の毛の、ちょっとロリーな感じの魔人だが、現存する魔人の中では最高齢である。
 シルキィの持つ技能は、魔物合成。
 文字通り、魔物と魔物を合成して、強化したり、新たな存在を生み出す、そう言うモノだ。
 彼女が戦闘の際に騎乗するリトルは、この能力によって作り出されている。
 魔人四天王、その称号は疑いようが無く、リトル込みのシルキィの攻撃力は高い。
 只、残念なことに、魔人には、特定以外の攻撃を一切無効化するという能力があるため、魔人同士の戦闘ではリトルの攻撃は効果的ではなく、リトルプリンセス時代の魔人同士の戦いに於いては、今ひとつ、活躍の機会がなかったが。

 そのシルキィが声高に語っていること。
 それは、その魔物合成の技能について、世に流布している悪意ある噂話に対しての愚痴だった。

「……確かに、私の魔物合成の技能が、誤解を受けやすい、それは認めましょう。認めようではないですか。しかし、あくまで誤解なのです」

 シルキィは、アルコールのせいか、それとも激高のせいか判別は出来ないが、頬を赤く染め上げて、叫ぶ。
 内心の怒りを表しているのか、拳は、激しく振り回されている。

「私のラボに出かけた魔物は、五体満足で戻ってくることはない。希に戻ってきたと思って安堵していると、手足の数が違っていたりする。──これは、全くの誤解です。そう、誤解なのです!」

「そ、そうなのですか?」

 ホーネットは、シルキィのあまりの勢いに、多少気圧されながら、左右を見回した。
 たった一人、酔っぱらいの矢面に立たされるのは勘弁して欲しい。
 そんな内心で、左右を見るホーネットだが、助けになりそうな魔人は、誰もいなかった。

 今回の酒宴に参加しているのは、シルキィ、ホーネットの他、ラ・サイゼル、ラ・ハウゼルの双子姉妹に、サテラの5人。

 しかし、双子姉妹の方は、アルコールが入ってタガが外れたのか、人目もはばからずにいちゃついている。
 これはいつものことか?
 いや、それでも、アルコールの影響もあるのだろう。
 普段よりも、より激しく、お互いを求めあっている。
 はっきり言って、こいつらも目障りだった。

「うふふふ、ハウゼル」

「あん、姉さん」

 これが犬だったら、水でもぶっかけてやるところだが、ホーネットはぐっと我慢した。
 自分は、そう言うキャラクターではないのだ。

 もう一人、サテラは無害だった。
 すっかり酔っぱらい、既に夢の世界へ。
 たまに、口元がにへらと笑い──

「えへへ、ランス……」

 などと寝言を言っているところを見ると、幸せな夢を見ているのだろう。
 こっちも、水をかけてやろうか。
 そんなことを思うが、すぐに頭を振って、その危険な考えを追い出す。
 やはり、これも自分のキャラクターではない。

 兎に角、ホーネットは、自分を助けてくれるような者がいないことだけを、はっきりと悟る。
 自分一人で、この酔っぱらいの相手をしなければならないのだ。
 思わず、暗澹たる気分になるホーネットである。

「聞いていますか? ホーネット様!」

「……勿論、聞いていますよ、シルキィ」

 我慢強く、微笑みを浮かべながら応える。

「わかって下さるのは、ホーネット様だけです」

 シルキィは、握り拳で力説する。

「私が、その者の同意も得ずに魔物合成の材料にするなど、そんなことは、まずあり得ません。そりゃあ、長い人生ですから、皆無とは言いませんが、せいぜい、数えるほどの回数しかないのです。そう、数えるほどしか──ええと」

 シルキィは、実際指折り数え始めた。
 右手の指が、全て折られる。
 左手の指も、全て折られる。
 それから、たっぷりと、ホーネットが100を余裕で数えられるくらいの時間が経ってから、シルキィが言った。

「そう、数えるほどしかないのです!」

 説得力は、皆無だった。

「兎に角、私に対する悪意ある噂の数々。これは、陰謀なのです。──そう、きっと、マリア・カスタードの陰謀に違いありません!」

 飛躍なのか、お約束なのかの結論を出すシルキィである。

「私の魔物合成に自分の機械工学がまるで敵わないことを悟ったマリア・カスタードは、こんな卑怯な手段で私をおとしめようと──」

「はいはい。いつもの結論ね」

 そこで、ラ・サイゼルが口を挟んできた。
 全然話を聞いていなかったように見えたが、そうでもなかったらしい。

「きっと、郵便ポストが赤いのも、マリアさんの陰謀ね」

 シルキィの、マリア・カスタードへのこだわりを揶揄してみせる。

「その通り!」

 しかし、シルキィは力一杯に頷いた。
 良く分かっているではないか、サイゼル。
 誉めてやるぞ。
 そんな口調だった。

「そう、全てはマリア・カスタードの陰謀なのだ。郵便ポストが赤いのは勿論、魔王様の続編が出ないのも、闘神都市の3が出ないのも、エスカレイヤーがDVDなのも、全てマリア・カスタードの陰謀なのだ」

「……エスカレイヤーは、後でCD版も出るのでは?」

 ホーネットが、少々呆れ気味に指摘した。

「甘いです、ホーネット様。その、「後で」と言うのが、微妙に気になるのです。──それに、事はエスカレイヤーに止まりません! これ以後が全てDVDになるとしたら? CDしか持っていないモノには、暗黒の時代が始まります! 想像するだに、恐ろしいことです!」

「それが、時代の流れというモノでしょう。この機会に、DVDを購入すれば……」

「そんなに簡単に行けば、誰も嘆いたりはしません!」

 シルキィは絶叫した。

「……一体、何の話?」

 ハウゼルが、戸惑ったように口を挟む。

 そこで、ようやくシルキィは我に返ったようだ。

「そうです、私の魔物合成が、不当におとしめられている。それこそが、問題でした」

「不当かなあ。正当な評価だと思うけど」

「姉さん、そんなにはっきりと、本当のことを……」

 ハウゼルが姉を咎めるように、しかし、自身でも結構きっついことを口にする。

「でもさ、ハウゼル。私、シルキィの魔物合成が人の役に立った、そんな話、聞いたこと無いよ」

「私もそうだけど、そう言うことをはっきり言うのは……」

「……」

 シルキィは、サイゼル、ハウゼルを睨み付けた。
 そして、言った。

「貴様らも、マリア・カスタードの陰謀に踊らされているようだな。良いだろう、私が、私の魔物合成が、いかに人々の役に立っているか、それを特別に説明してやろうではないか!」

「別に、どうでも良いけど」

「私も、姉さんと同意見」

「私も、同意します」

 サイゼル、ハウゼル、そしてホーネットが応じる。
 しかし、シルキィは聞いていなかった。

「そう、私の魔物合成が、いかに人の役に立ったか……人の役に立ったか……ええと、人の役に?」

 堂々と、説明してやろう。
 勢い込んで口を開いたシルキィだが、なぜだか、どんどん尻窄みになる。

「ええと、役に……う〜ん、役に……」

「無いの?」

「いや、そんなはずはない。一寸待て!」

「シルキィ、別に無理をしなくても……」

「ホーネット様も、少し待ってください! あるのです。あるはずです! ……多分」

 シルキィは、頭を抱えて唸り始めた。
 この時点で、果たしてシルキィの魔物合成が人の役に立ったか、その質問に対する答えが出たようなモノだった。
 しかし、シルキィは諦めなかった。
 そして、ついに思い当たる。

「そう、ありました。ありましたとも。……いや、人の役に立った事例があまりにも多いため、選ぶのに時間がかかってしまいました」

「ふ〜ん」

 シルキィを見る3人の目は、誰もその言葉を信じていないモノだった。

「そう、アレは昔のことです──」

 しかし、シルキィはその視線の意味に気が付かず、語り始めた。

「人になりたいと願った、とあるホイミスライムを──」

「ゲームが違う!」

 3人は、即座に突っ込んだ。
 見事なまでに息の合った突っ込みだった。

「おや?」

 シルキィは首を傾げ、それから頷いた。

「そうです、間違えました。アレは、リスでした。──何でも、ローラとか言う人間の女に恋をしたリスが、私の所へ尋ねてきたのです。私の持つ、素晴らしい魔物合成の技能で、自分を人間に改造して欲しい。そう願って。──勿論、私は応えてやりましたよ。そして、そのリスは人間となり、恋する人間の女とハッピーエンドを迎えたのです」

 どうです、素晴らしいではないですか。

 シルキィは薄い胸を張って見せた。

 さあ、私を存分に誉めて下さい。
 遠慮なんて、必要ありませんよ。
 と言うか、むしろ誉めろ。

 そう言う、態度だった。

「素晴らしいですわね、シルキィ」

 ホーネットは、シルキィの願いを叶えてやった。
 実のところ、これ以上シルキィの話につき合うのも面倒くさい、そう言う実のない態度だったが。

 それでも、自尊心をくすぐられたシルキィが、心地よさそうに、小鼻を膨らませる。
 それは、満足した顔だった。

「え〜、でも、たった一つしかない事例じゃあ、とても、とても、シルキィの魔物合成が人の役に立つ、なんて証明できていないんじゃないの?」

 しかし、サイゼルがホーネットの心遣いを無駄にする。

「むむむ」

 案の定、シルキィが唸り始める。
 ホーネットの心遣いは無に帰して、元の木阿弥である。

「それでは、他の話をしてやろう。そう、これも、リスの話だ」

 今度は、シルキィは直ぐに口を開いた。
 同じリス、と言うことで、思いつきやすかったのかも知れない。

 そして、シルキィは語り始めた。



 それは、昔々の話だった。
 魔王ナイチサが世界を支配していた頃の話。
 シルキィが魔人となったばかりの頃の話。

 シルキィの前に現れたそのリスは、深甚な憎悪の炎を、瞳の中に宿らせていた。
 全身に、すさんだ印象があった。
 そして、それには理由があった。

 彼には、将来を誓った相手がいた。
 女の子モンスター、フローズン。
 誰もがうらやむような、仲の良いカップルだった。
 二人の将来は、バラ色、そう思えた。

 しかし、彼らの前に現れた、一人の人間の冒険者が、その運命を弄んだ。
 その冒険者は、彼らの住処にずかずかと踏み込んでくると、リスに重傷を負わせ、そして──
 彼の目の前で、フローズンを陵辱した。
 今も昔も、冒険者のすることは変わらない、そう言うことだ。

 それでも、彼は、フローズンを愛した。
 しかし、フローズンは絶望し、衰弱し──そして、帰らぬ人となった。

 彼は、すさんだ。
 彼は、人を恨んだ。

 しかし、彼は、どうしようもなく、力不足だった。

 強くなりたい。
 誰よりも。
 人間をあっさりと殺すことの出来る力を求めた。
 人間に復讐をなす事の出来る力を求めた。

 そして、彼はその頃売り出し中の新人魔人、シルキィの技能を聞きつけると、その前にやってきた。

 自分を強くして欲しい。

 彼の願い。

 その願いは、シルキィにとって、願ったり叶ったりのモノだった。

 新人魔人だけあって、その頃のシルキィは他の魔人に侮られていた。

 技能は魔物合成?
 それって、一体何が出来るんだ?

 そんな、嘲笑。

 それを吹き飛ばす。
 その為には、魔物合成に、どれだけの可能性があるのか。
 彼らの前に示してやればいい。

 両者の利害は一致した。

 シルキィは、自身の全力をもって、強靱な肉体を持つ魔物を合成していく。

 強靱な、巨大な二本の腕。
 そして、細かい作業をする、更に二本の腕。
 も一つおまけに、更に二本。
 ついでだ、生殖器も8本に増やしてやれ。
 こっちの面でも、強いぞ!
 頭、目の上には、強そうな二本の角を付けてやろう。
 口元にも、二本の牙を。
 よしよし、一寸醜悪かも知れないが、なかなか強そうな面構えだ。
 それは、とても、リスとは思えない、凶悪な姿をしていた。

 う〜ん、しかし、少しバランスが悪いな。
 そうか、頭の形が悪いんだ。
 頭の形が悪い……
 どうやって修正する?
 下手にいじると、脳味噌が収まらなくなる。

 そうか、良い解決策があるぞ。
 脳味噌が収まらないならば、収まるように削ってやればいい。
 少々、おつむてんてんになるかもしれないが、それはそれ、だ。
 少なくとも、「強くしてほしい」その願いは叶うんだから、オッケーだ。

 よし、頭の形もバランスが良くなったぞ。
 完璧だ。

 さあ、目覚めろ。
 お前は、お前の望みの姿を手に入れた。
 お前は、地上最強のリスとなったのだ。


「懐かしい話です。結局、そのリスは、おつむてんてんになったせいか、私の言うことをまるで聞かず、勝手にどこかへ行ってしまいました。一体今、何処で何をしているのやら……」

 シルキィは、遠い目をして呟いた。
 しかし、直ぐに視線をホーネットらに戻す。

「──とまあ、こういった具合に、私はリスの望みを叶えてやったのです。どうです、人の役に立っているでしょう?」

 再びシルキィは薄い胸を張る。
 誉めて下さい、のポーズだった。

「……姉さん、そのリスって」

「やっぱり、ハウゼルもそう思う?」

 シルキィを横目で伺いながら、サイゼル、ハウゼル姉妹が、こそこそと話をしている。
 しかし、それはシルキィの耳には届かなかった。

「……シルキィ?」

 変わって、ホーネットが、妙に優しい声で、シルキィの名前を呼んだ。

「はい、何でしょうか、ホーネット様」

 さあ、早く誉めて下さい。
 そんな口調で、シルキィ。

「私だけではないと思うのですが、そのリスについて、なにやら思い当たることがあるのですが」

「はい? 思い当たることですか?」

 シルキィ自身は、何も思い当たることがないらしい。
 不思議そうに、首を傾げている。

「ええ。6本腕に、生殖器が8本。更におつむてんてん。──誰かを、思い出しませんか?」」

「誰か?」

 シルキィは、腕を組んで考え込んだ。
 しかし、直ぐにギブアップする。

「一寸、思い当たりませんね。ヒントは無しですか?」

「ヒントですか?」

 ホーネットは、非常な忍耐を見せていた。
 今のホーネットの姿を見たら、キリストは「俺の負けだ」と認め、悔い改めるだろう。
 ブッダは、4度目の顔を慌てて用意するだろう。
 それほどの、忍耐だった。

「ケイブリス、と言うのですよ。そいつは」

 ホーネットの声は、微妙に震えていた。
 それは、噴火直前の火山を伺わせた。

「ケイブリス?」

「そう、ケイブリスです」

「おお!」

 そこまで言われて、ようやくシルキィは思い当たったようだ。
 どうやら、余程に酔っぱらっているらしい。

 そして、シルキィは言った。

「これは、ものすごい偶然ですね」

「んな偶然があるか〜〜〜!!」

 ついに忍耐の限界を超えたホーネットは、叫んでちゃぶ台をひっくり返した。



 ……開けて翌日。

 シルキィは天才病院に急患として運び込まれた。
 全身数カ所の骨折を含む、重傷だった。
 本人の弁では、魔王城の階段から、また、落ちたとのことである。
 魔人が、階段から落ちたくらいで怪我をするはずがないのだが、本人がそう言うのだから、それが正しいのだろう。



めでたし、めでたし









 ……蛇足



 魔王城の廊下を、ホーネットが落ち着いた足取りで進んでいる。
 そこへ、ばたばたと喧しい足音が接近してきた。

「ホーネット様!」

 呼びかけられ、ホーネットは立ち止まり、優雅な仕草で声の方を振り向いた。

 足音の主は、サテラだった。
 お供のガーディアン「シーザー」をひきつれ、ホーネットの元へと慌ただしくやってくる。

「良かった。ホーネット様は無事だったんだ」

 サテラの言葉に、ホーネットは形のいい眉を微妙に動かした。
 不審、そう言う顔だ。

「どうかしたのですか? サテラ」

 余程急いで行動していたらしい。
 息をあらげていたサテラが落ち着くのを待って、ホーネットは問いかける。

「どうしたも、こうしたもないです!」

「サテラ、まずは落ち着いて」

「ですから、落ち着いてはいられない、大事件です!」

「まさか……勇者ですか?」

 ホーネットの瞳が、ぎらりと輝く。

「それは、多分違うと思います。今回の事件は、変態の仕業じゃないです。もっと、何か、こう、凄いモノが……」

 サテラは、上手いこと説明できない自分に苛立つように、慌ただしく告げる。

「サテラにも、良く分かっていないんだけど、兎に角、何か、とんでもないことが魔王城で起きています」

「とんでもないこと?」

「事情はわからないけど、サテラが起きたら、部屋は血塗れだし、サイゼルとハウゼルは部屋の隅っこでがたがた震えて命乞いをしているし──聞けば、シルキィは重傷で天才病院に入院したって言うし──ああ、もう、なにがなんだか! とにかく、大事件なんです!」

「サイゼルと、ハウゼルは、何と?」

「ですから、二人は怯えて抱き合って、「ごめんなさい、ごめんなさい、殺さないで」って繰り返すばっかりで、全く要領を得ません。完全に錯乱しちゃってるんです」

「そう……」

「シルキィは、シルキィで、階段から落ちて重傷を負ったって。──これは、絶対におかしいですよ。魔人が、階段から落ちたくらいで重傷なんて、絶対にあり得ません! だいたい、バボラに踏まれた人間の方がまだまし、なんて怪我、どうやったら負えるのか」

「……」

「兎に角、とんでもないことが起きていることには、間違いありません。ホーネット様。直ぐに緊急対策チームを作って、事態の解明を──」

「サテラ」

 優しい声で、ホーネットが呼んだ。

「シルキィは、階段から落ちたのです。それ以上でも、それ以下でもありません」

「え?」

 サテラは、戸惑いの声を出す。
 サテラが説明したように、魔人であるシルキィが、階段から落ちて怪我をする、そんなことは、絶対にあり得ないのだ。

「ホーネット様、何を言っているんですか? 魔人が──」

 そこまで言って、サテラの動きが、凍り付いたように止まる。

 サテラとホーネット。
 二人の顔は、真正面から向き合っていた。
 そこに、サテラは何を見たのか。

「ねえ、サテラ」

 ホーネットが、とてつもなく優しい声を出す。

 それを聞いた、サテラは言った。

「ごめんなさい、ごめんなさい、殺さないで」

「まあ、物騒ですね」

 ホーネットは、優雅に笑う。

「私が、サテラにそんな非道いこと、するわけが無いじゃないですか」

「ごめんなさーい、ごめんなさーい。殺さないでー」

「サテラ、少々、五月蠅いですよ」

 ホーネットは、あくまで優しく言った。

 途端、サテラはぴたりと口を閉ざす。

 それを、ホーネットは満足そうに見ると、念を押すように言った。

「良いですか、サテラ。シルキィは、階段を落ちたのです。わかりましたか?」

「……」

 サテラは無言。
 代わりに、頭が落っこちそうな勢いで、ぶんぶんと縦に振って頷いて見せた。

「そうですよ。シルキィったら、あわてん坊なんですから」

 ほほほ。
 そんな優雅な笑いを浮かべつつ、ホーネットが退場する。

 広くて長い魔王城の廊下。
 ホーネットの後ろ姿が見えなくなるまで、その場に、その格好のまま凍り付いて見守っていたサテラであるが、見えなくなった途端、ずるずると床に座り込んだ。

「大丈夫デスカ、サテラ様」

 お供のシーザーが、気遣わしげな声をかけてくる。

 そちらに、サテラは泣きそうな顔を向けた。

「怖かった」

「私モデス」

「シルキィの奴、一体、何をしたんだ?」

 サテラの質問に、答える者はいなかった。



 ホーネットが魔人領の責任者になることについて、当初は一つの懸念が存在した。
 魔人領内乱時、性格的な甘さを露呈したホーネットである。
 甘さは、配下の魔物達に侮られる要因となる。
 侮られては、統治していくことは不可能。
 そう言う心配。

 しかし、ホーネットは魔物はおろか、旧来の魔人達にもこの上なく畏怖され、大過なく魔人領を治めていった。
 治め続けた。


今度こそ本当に、終わり


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