カシュー王、敗北する!


 この報告がヒルトの街にもたらされた時、住民達は最後の望みが絶ちきられたかのような絶望感に苛まれた。
 一方で、フレイム軍のブレードの街への撤退は速やかに行われた。カシュー王の指示どおり、ただただケツをまくって疾走した結果、彼らの到着は敗戦を知らせる早馬の存在価値がなかったほどに素早いモノとなった。
 ブレードの街に帰還してすぐに調べたところ、フレイム軍の被害は実のところ、そう大したものではなかった事が判明した。騎士団と傭兵隊の一部に大きな被害があったモノの、そのほかの部隊のそれはさほどではなく、カシュー王の判断の速さ、確かさが確認された格好だ。兵力的な事に限って言えば、優勢なのはフレイム軍の方。
 しかし、敗北には違いない。
 ヒルトの街を救出に向かったにもかかわらず、それは果たせず。野戦では先に軍を引いたのはフレイム軍の方。言い訳のしようもなく、敗北である。
 そして、何よりもフレイム軍の兵士達に敗北感を与えたモノ。
 それは、イフリートの存在である。
 炎の部族は、間違いなく彼らの守護神、イフリートを味方につけている。
 翻って自分たちの方はどうか?
 自分たちの守護神、ジンは、カシュー王によって長きにわたる封印から解放されている。だと言うのに、ジンは自分たちの味方をしてくれていない。
 ブレードの街は、フレイム軍は。
 既に完全に敗北したかのように暗い雰囲気に包まれた。


 マサムネ率いるヒノマル傭兵団がブレードの街へ帰還したのは、本隊に遅れる事二日後の事だった。
 街道を外れた方向に逃げたという事。途中ではぐれた敗残兵を拾ったりした事。それが、二日遅れの理由だ。
「あ〜〜、疲れた」
 ブレードの街が見えてくると、マサムネはうんざりしたように馬の上でぐったりと肩を落とした。
「……ええ、全く」
 サシカイアも素直に頷き、大きく息を吐き出した。全く疲れた。やっぱり自分は、アウトドアよりも街の中で暗殺者をやっている方が向いているかも知れない。そんな事を考えた。
 逃げ延びた後で確認したところ、ヒノマル傭兵団の被害は二人。はぐれたか逃げたか死んだかははっきりしないが、とにかく二人ばかり人数が減っていた。敵兵の中へ突撃、蹂躙してこれだけならば、まあ許容範囲内かとサシカイアは思う。皆疲労している事は確かだが、統制を失って瓦解したわけではないし、未だ、団としての体裁は崩れていない。逆に激戦の最中にあってこれだけなのだから、個人個人の能力の高さもはっきりしたし、マサムネの指示も──認めるのは何となくしゃくだが──間違いではなかったと言う事だろう。
 また、一緒に逃げてきたり途中で拾ったりした人間の中に、この戦が終わったら是非団に入れてくれと言う物好き──サシカイアにはそうとしか思えない──も何人かいた為、このまま行けばヒノマル傭兵団の戦力は増える事になる。自分たちに限って言えば、状況は悪くないと言える。
 しかし、ブレードの街についてその雰囲気を感じ、サシカイアは僅かに顔をしかめた。
「お〜お〜、敗北感たっぷりだな」
 街に蔓延する暗い雰囲気を見て取り、無遠慮にマサムネが論評する。
「……そうですね」
 後方がこんな感じでは、フレイム軍はこれまで程気楽には戦えないだろう。カシューの無敵神話崩壊。そんなところか?
 街を抜けて王城アークロードへ到着すると、門前までカシューが迎えに出ていた。
「よく生きて帰ってきてくれた」
「俺は100まで生きて、99人の孫に看取られて死ぬ予定なんだ。畳の上でもないこんなところで死ぬつもりはない」
 タタミとは一体なんだろうか?、首をかしげるサシカイアらの疑問に応える事はなく、マサムネはカシューに部下達を休ませる旨、報告する。いや、これは報告というより通達か。雇用者と被雇用者の関係である事など、欠片も気にしていない物言いだった。
 カシューが鷹揚に笑って許してくれたので、マサムネはそのまま部下達を解散させた。ついでに、私財の中からいくらかの金銭を部下達に渡すようタンカレーに命じ、さらに魔法剣は約束どおり、そのままくれてやる事を宣言して部下を喜ばせた。
「太っ腹だな」
 カシューが感心したように告げてくる事に、素っ気なく応じる。
「ケチに部下は付いてこない」
「違いない」
 それからマサムネは、その分はしっかりお前に払って貰う予定だと付け加える。
「何処がケチじゃないって?」
 カシューが聞き返すが、マサムネは耳がないような顔をして無視した。
 やれやれ、とカシューは肩をすくめ、それから、マサムネに何気ない口調で尋ねた。
 おや?、とサシカイアはそのカシューを見て、内心で首をかしげる。
「ところで、戦場で星が降ったのを見たが?」
 軽い調子、世間話と大差ない。あくまで何気ない口調でカシュー。
「ああ、アレは俺がやった」
 マサムネは、威張って応えた。
 その瞬間、カシューの瞳をかすめたモノを、サシカイアは見逃さなかった。
 それは、警戒の視線。
 カシューはこれまでにマサムネの事を、強い戦士、腕の良い古代語魔法の使い手、そして、優れた精霊使いだと知っていた。
 しかし。
 ここまで常識はずれに全ての技能で突出した能力を持っているとは思っても見なかったのだろう。
 剣にしろ、古代語魔法にしろ、精霊使いの力にしろ。どれか一つだとしても、極めるのは酷く難しい道だ。才能があって、たゆまぬ努力をして。それでも、一生かかって一つを極める事ができるかできないか。普通はそう言うモノだ。
 それを三つ──実はそれ以上だが──達人と言っていいレベルにまで極めた男。しかも、年はまだまだ若い。マサムネはまだ20才にもなっていない。
 たった一人で、ロードスのパワーバランスを崩しかねない存在。それがマサムネだ。
 そして、温厚篤実とか公明正大とは言い難い、我が儘いっぱい好き放題の性格。
 カシューは、マサムネを危険な、危険きわまりない存在だと認識した。
 力がありすぎるというのも、やっかいなモノである。本人は気楽に笑っているが、これからは用心して行動しないと、酷くやっかいな事になりそうだ。サシカイアは表情を変えずに、内心で肩をすくめた。
 そこで、ふとカシューがサシカイアの方に視線を移してきた。瞳は穏やかに笑っている。
 だが。
 気づかれた。
 サシカイアが、カシューの内心に気が付いたと、気が付かれた。
 カシューの方もいろいろ言われているように伊達ではないのだ。
 ますます厄介だ。
 できれば、もう少し平穏な生活を送りたい。穏やかだった暗殺者時代の暮らしが懐かしいと、サシカイアは内心で嘆息した。


 敗走直後から、カシューは精力的に動いていたらしい。
 魔法に対する慣れ、そして戦術。これが欠けていた事。先の敗戦の最大の原因をこれと見たカシューは、早速シャダムにその対策を命じ、自分も率先して部下達の訓練に参加していたと言う。
「それでも、足りない。正直、お前が戻ってきてくれてほっとしたぞ」
 カシューは言う。
 やはり、切り札となるモノは風の部族の守護神、ジン。それがなければ、如何に対魔法戦闘訓練を積んだとしても、焼け石に水としかならない。何よりも問題になるモノ、それは、相手に守護神が味方して、こちらには守護神が味方してくれていない事。それをどうにかしない限り、戦う前から兵士達の心には敗北感が溢れてしまう。そしてイフリートが登場した瞬間、その心は挫けてしまうだろう。これでは戦えない。
「──と言うわけで、お前には悪いが、すぐにでも風の部族の聖地へ向かって貰いたい」
「少しは休ませろ。俺だって疲れているんだぞ」
「ああ、それは分かっている」
 面倒くさそうに応じるマサムネに、辛抱強くカシューは対応する。
 内心でマサムネを危険視しているとは言え、今は頼るしかない。それは、どんな気分だろうかと、二人の話を聞きながらサシカイアは考えていた。
 アークロードの通路を音高く歩きながら、二人は今後の事を相談する。
 取りあえずはすぐには無理だというマサムネの訴えを受け、一日ゆっくり休息した後で、聖地へは向かう事となりそうだ。
 サシカイアはちょっぴり安堵していた。
 このまますぐにと言うのは、絶対に無理だ。きっぱり、サシカイアも疲れていた。元々体力にはさして自信がない。正直、先に部屋に帰って休んでしまいたいくらいだ。ベルは実際にそうしている。
 しかし、マサムネだけに打ち合わせさせるのは酷く不味いと、気力を振り絞って付いてきているのだ。こいつは放っておくと、絶対にとんでもない事をしでかす。サシカイアはそう確信している。
「ん?」
 と、聖地の場所他、判明している限りの聖地の情報をカシューから説明されている途中で、マサムネがふと立ち止まった。
 併せて、カシュー、サシカイアも立ち止まる。
「陛下……」
 みると、通路の横から、例のエルフ娘ディードリットが現れていた。
 なんだか、前にあった時と様子が違う。彼女は城で休んでいたはずだが、たった今帰還したばかりのサシカイアよりもよっぽどよれているように見える。輝くばかりだった金髪は乱れ、表情にも力がない。
「傭兵達が戻ったと聞きましたが……」
「……」
 カシューは無言で首を振り、それから口に出していった。
「パーンの奴はいなかった」
 ディードリットの表情が悲痛に歪む。
「何だ、あいつ死んだのか?」
 遠慮しない馬鹿が、平然と口にするのを見て、ディードリットが顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまう。
 サシカイアはマサムネの足をけっ飛ばした。この馬鹿は。
 慌ててカシューが侍女を呼んで、ディードリットを部屋まで連れて行くように命じる。彼女が侍女に手を貸して貰って立ち去るのを見送ってから、マサムネを咎める視線で睨む。
「お前はもう少し口の利き方を考えろ」
「ああ、悪い」
 ちっとも悪いと思っていない口調で、ディードリットの連れて行かれた方を眺めながら、マサムネが応じる。
「しっかし、要領の悪そうな奴だとは思ったが、印象どおりだな」
「お前達より先に戻ってきた傭兵達の話では、彼らを逃がす為、炎の部族の族長、ナルディアに一騎打ちを挑んだらしい」
「へ〜、ナルディアちゃんとね。──で、負けたのか?」
 相変わらず直球だ、と頭を抱えるサシカイアである。
「ナルディアちゃん?」
 その呼び名に戸惑い、カシューは一瞬変な顔をしたがすぐに取り繕う。
「いや。背後から炎の魔法で倒されたらしい」
「騙し討ちか。効きそうだな」
 マサムネの言うとおり、あの騎士にはそう言う手段がよく効きそうだ、とサシカイアは思った。彼女も暗殺者であり、正々堂々とは縁がない。勝てればいい、勝てば全てが肯定される。そうした考え方は、ある意味マサムネと同様で──それに気が付いてサシカイアはちょっぴり自己嫌悪した。コレと一緒というのは最低だ。
「で、死んだと」
「いや」
 カシューは首を振った。
「確認はできていないが、魔法を喰らって倒れた後、馬で運ばれるのを見たという情報もある。敵の戦死者をわざわざ馬で運んだりはしないだろうから、まだ生きている可能性はある」
「しぶといな」
「頼むから、あのエルフ娘の前でそう言う口をきくのは止めてくれ」
 カシューは今のサシカイア以上に疲労した声でマサムネに頼んだ。
「鋭意努力する」
 マサムネはいい加減に応じ、それから何かを思いついたみたいな表情になった。
「しかし、そう言う事ならば、俺が彼女を慰めてやろう」
 言うが早いがディードリットの部屋へ向かおうとするマサムネの首根っこを、手を伸ばしたカシューが捕まえる。
「だから、そう言う事を止めろと言っている」
 何か巨大な疲れを両肩に背負って、カシューは言った。
「だいたい、そんな元気があるくらいなら、すぐに風の部族の聖地へ向かってくれ」
「ちっ、仕方ないな」
 まだ惜しそうにディードリットの運ばれていった方を眺めながら、マサムネは言葉どおり、仕方がなさそうに頷いた。
「今日の所はサシカイアで我慢しておくか」
「……サシカイアで我慢?」
 かちんときて、サシカイアは低い声で言う。
「……だいたい、私は本当に疲れているんです。やるんなら、お一人でどうぞ」
 冷たくマサムネの顔を睨みながら、サシカイアは言い捨てた。