ブレードの街は、炎の部族によって攻められていた。


 と言っても、実際に剣を交えているわけではない。
 炎の部族はブレードの街からは距離を取って、陣を敷いて駐留している。いつでも出てこい、受けて立つ。そう言う姿勢。もっとも、隙を見せれば即座に攻め寄せるだろうが、今のところ、ブレードの街は堅く城門を閉ざして沈黙を守っている為、力攻めはせず、ただ城門の外で罵声を放ったりと挑発に終始している。
 実際の戦闘は始まっていない。それでも、この場所まで炎の部族がやってきている。彼らに自由にさせている。それだけで、既にブレードの街は攻められていると言う事になる。
 自然、ブレードの街の様子は暗い。
 先の敗戦もあるし、現在、ブレードの街では火を使う事が厳重に戒められている。下手に炎を使えば、そこから火の精霊サラマンダーが飛び出してきて、酷い事になる。そしてその混乱を、炎の部族につけ込まれるだろう。それは、既にヒルトの街で証明されている。だから、火は使えない。
 街には、カシュー王を責める声、臆病者だと罵る声が生まれ、少しずつ大きくなってきている。このままでは、長くは持たない。ブレードの街は、内側から崩れて敗北するだろう。
 それが分かっているから、カシューはいらだっていた。
 できるならば、すぐに決戦を挑みたい。
 しかし、それをするには決め手が欠けている。
 これまで、カシューは手ずから麾下の兵士達を鍛え、魔法に対する戦い方をたたき込んできていた。しかし、どうにも付け焼き刃で、実際の戦闘になれば何処まで訓練の成果を発揮出来るか未知数。そうでなくとも、敵は大規模に魔法を使えて味方はそうでない。こちらの不利は明らかだった。
「後五日。五日待って奴らが帰ってこなかったら、決戦を挑む」
 全てを承知で、それでもカシューは決断した。
 それ以上は持たない。兵士の士気も、街の人たちも。コレが限界だと覚悟を決めた。
 そこへ、伝令の兵が飛び込んできた。
 挨拶がなかった事をシャダムに叱責されたその伝令兵は、カシューらが待ち望んだ者達の帰還を知らせた。


 ずぶぬれのメイド服のスカートを絞る。ぼたぼたと盛大に水がこぼれて足下に水たまりを作った。履いている編み上げブーツは既にびしょぬれだから、それで困るという事はない。それにしても、濡れた服が体に張り付いて気持ち悪い。おまけにただの水ではなく、海水なのもイヤだ。なんだか塩分がねと付くような気もする。
 マサムネは周囲の目など気にせずにパンツ一丁になって、衛兵から手渡されたタオルで体を拭いているが、若い娘であるサシカイアはそこまで大胆になれない。流石のベルやマリーも同様だ。こういう時、女は面倒くさい。
 ブレードの街近くに炎の部族が駐留している事に気付いたマサムネ達一行は、精霊魔法を行使して、水の底を歩いて街の中へ入る事にした。水中で呼吸を可能にする魔法が、精霊魔法にはあるのだ。他、水圧に耐えられるようにしたり、浮力を消して水の底を楽に歩けるようにしたりと精霊魔法の大盤振る舞いで、問題なく街に入れた。
 そう思ったのが大間違い。
 呼吸はできる。水圧には耐えられる。しかし、濡れるのだけはどうしようもなかった。
 街に入る前には流石に水の上に上がらざるえず、そこで見張り小屋に詰めていた衛兵に誰何された。
 しかし、彼らはすぐにサシカイアのメイド服を見て態度を改めた。
 本来ならば、疑われて詰問され、縄を打たれていたかも知れない。
 だから、コレは酷くありがたい事。とは、とうてい思えなかった。
 自分が予想以上に、フレイム軍の中で有名になっているらしい事に気が付き、サシカイアは暗澹たる気分になった。美しさとか、強さとか、そう言った事であれば、まだしも許容出来る。いや、元暗殺者としては人目を引くのは気が進まない事ではあるのだが、それだったら、何とか耐えられたと思う。元暗殺者とは言え若い娘である事には違いないし、美しいと誉められれば嬉しくもあるから。
 だが、いつでもどこでもメイド服を着た変な女。そんな風に有名になるのだけは避けたかった。
 は〜〜〜、と重くて深いため息を零したところで、見張り小屋に男が駆け込んできた。
 フレイム国王カシューだ。
 慌てて、衛兵達が直立不動になる。まさか王様直々にやってくるとは思っても見なかったのだろう。彼らはかわいそうなくらいに緊張していた。
「首尾は?」
 カシューは前置きその他もいっさい無く、性急に尋ねてきた。それだけ、現在の状況が悪いという事か。
 マサムネは乱暴に髪の毛の水分を拭き取りながら、親指を立てて見せた。
「そうか、よくやってくれた」
 カシューの顔に安堵が浮かび、初めてその口からねぎらいの言葉が出る。
「とにかく、すぐに城に来てくれ」
「風呂も用意してくれ。正直、拭いただけでは気持ち悪いし、こいつらが風邪をひいても困る」
 マサムネの言葉は、非常にありがたかった。
「良いだろう、お前──」
 と、カシューに遅れて見張り小屋に到着した配下の一人に命令し、先に城に戻って風呂を用意させておくように告げる。
 ブレードは現在水不足で、風呂などと言うのは贅沢の極みだ。それはサシカイアも承知だが、同時に、それくらいして貰っても 罰は当たらないと思っている。それくらいの働きはしたつもりだ。
 それから、カシューと一緒に城に戻る。その道すがら、現状を教えて貰う。
 状況は、かなり悪い。──それは、ブレードの街のすぐ近くに、炎の部族が陣を敷いている事から、容易に分かった事だが。
 道行くカシューに気が付いた市民が、戦の行く末を尋ねてくる。
 その質問に、カシューは笑顔を向け、明日にでも炎の部族をうちやぶってやる、と勝利の確信に満ちた言葉で丁寧に応じていく。それを聞いて、暗い表情をしていた市民の顔に、力が戻っていく。
 噂の伝播速度は侮りがたく、城に戻ったマサムネらが風呂に入って格好を改める頃には、ブレード中の人間が「決戦は明日」と知っていた。ちなみに風呂は4人揃って入った。サシカイアは嫌がったのだが、残りの三人に押し切られた。ちなみに風呂は、火が使えないので太陽熱で暖められた温水程度だったが文句はない。体から塩気が取れただけで十分だ。
 サシカイアは再びメイド服になっている。この魔法のメイド服、サシカイアが風呂に入っている間に勝手に乾いて綺麗になっていた。海水に浸かったとは思えない完璧な綺麗さ。さすがは魔法王国時代のマジックアイテム、と感心はできなかった。絶対、魔法の使いどころを間違えている。綺麗になっていなければ、他のまともな格好もできたのに、と古代魔法王国時代の付与魔術師ヴァンを恨みに思う。
「ずいぶん楽しんできたみたいだな」
 カシューは謁見の間に戻ってきたマサムネに、やんわりと嫌みを言う。風呂にはいるだけのはずが、それだけでは済まなかったのだ。その間カシューは謁見の間で待ちぼうけ。少しくらいは嫌みも言いたくなるだろう。
「ケツの穴の小さい事を言うな」
 相変わらず王様を王様と思わないマサムネである。
「それより、見慣れない顔が増えているが?」
 マサムネは謁見の間に並ぶ顔ぶれを見て、首をかしげた。
 カシュー、シャダム、ムハルドの顔は変わらない。しかし、知らない顔も確かに増えている。
 サシカイアは顔ぶれを見回し、自由騎士パーンもこの場にいる事に気が付いた。
「ちっ、生きていやがったか」
 チラとマサムネを見ると、小声でぼそっと文句を言っている。パーンにはエルフ娘、ディードリットがぴったりくっついていて、それがおもしろくないのだろう。絶好のチャンスを逃した〜、と悔しがっている。
「そうだな、お前にも紹介しておこう」
 カシューはそんなマサムネに気が付かなったかのか、気が付かない振りをしたのか、さらっと流して新しい顔を紹介する。
「その、黒髪の綺麗なお姉ちゃんを中心に詳しく頼む。男は適当で良いぞ」
「お前は……」
 この言葉にカシューは呆れたような顔をしたが、素直にマサムネのリクエストに応えた。
「こちらはマーファの司祭、レイリア」
「──! マーファの司祭?」
「……げっ」
 マサムネ、サシカイアは揃って一歩引いた。また、まともじゃない神官の登場か?、と恐れおののく。
「?、どうした? 何か問題があるのか?」
 カシューは不思議そうだ。
「あの、その人は普通のマーファ司祭なのか?」
「……それじゃあ、分かりませんよ。普通で、ああかも知れないんですから」
 サシカイアはちらと、ベルとマリーに視線を向けた後、マサムネの質問がちっとも有効でない事を指摘する。
「なんつ〜か、凄く失礼なモノを感じるっすよ」
「そうね、私くらい敬虔なファリス信者はまずいないのに」
 二人が自覚ゼロな事を言っているが、マサムネサシカイアは聞こえないふりをして無視した。この二人と宗教や信仰について語り合いたいとは思わない。
「お前達が何を言っているのかよく分からんが?」
 カシューは首をかしげている。
 ああ、カシューは知らないのだ。それはなんて幸福で、うらやましい事だろうか。
「とにかく、こちらはレイリア司祭。六英雄で最高司祭ニースの娘さんだ」
「初めまして、レイリアと言います」
 カシューの言葉を受け、レイリアが静かに頭を下げる。見た目はまともそうだが、油断はならない。ベルやマリーだって、口を閉じていればまともなマイリー神官、ファリス神官に見えるのだから。
 しかし。と、サシカイアはレイリアを見て首をかしげる。なんだかどこか、暗い人である。
「容姿は十分に合格点なんだが、神官なんだよなあ」
 マサムネがなんとも微妙な表情をしている。
「……性格で手を出すのを控えた事があったんですか? だとしたら初耳ですが」
 ベル、マリーとも性格では引いておきながら、しっかり手を出している。そんな事を言われても、全くの信用度ゼロだ。
「手は出すな」
 カシューが頭を押さえながら言った。
「レイリア殿は、隣の魔術師、スレインの奥方だ」
「なに? そんな美人が骸骨みたいな男の妻なのか?」
 マサムネがびっくりした声を出す。
「骸骨、ですか……?」
 ちょっぴりショックを受けた顔で、その魔術師スレインが呟く。確かに痩せていて顔色の悪い不健康そうな男だが、骸骨は言い過ぎだろう。
「信じられんな。この世の七不思議の一つに任命してやっても良いぞ。──まあ、後で、どうやったら美人の奥さんをゲット出来るのか、その方法を特別に聞いてやろう。今後の参考にする。──あ、のろけは無しだぞ」
 勝手に決めて、勝手に命令している。
 レイリア、スレイン夫妻は面食らった顔をしている。
 初対面でこんな馬鹿な事を言われれば、流石に面食らうだろう。
 しかし、マサムネの世界では礼儀作法とか、そう言うモノは存在しないのだろうかと、サシカイアは首をかしげた。どうやったら、こんなに無遠慮になれるのか。全く、不思議な事だった。


 それから、場所を別室に移して情報交換をする。
 パーンは、ディードリットと志願した傭兵達の手によって、炎の部族から救出されたらしい。それから、彼はアラニアにわたり、レイリア、スレインと連絡を取った。何故、わざわざこんな事をしたかと言えば、レイリアが古代王国の魔女、カーラの一つ前のボディだったからだそうだ。
 彼女はパーンとその仲間達によって救われたが、そのために仲間の一人のドワーフ族の戦士を失い、一人の盗賊が欲望に我を失い、新たなカーラとなってパーン達の元から去ったという。パーンがカーラに拘るのは、それ故らしい。
 救われた今も、レイリアはカーラだった時代の記憶に苦しめられているという。体を操られている間も、意識はあったそうなのだ。カーラは相当えげつない事もやったみたいで、レイリアは自分のした事ではないと言え、罪の意識に苦しめられているようだ。
 そして、そのカーラのやった事の一つが、炎の部族のシャーマン、アズモに、炎の王イフリートを解放させ、盟約を持ち出して使役するように唆した、と言う事があった。詰まるところ、今度の戦いの元凶はカーラだ。流石に、操られていただけのレイリアをカーラと同一視して責める者はこの場にはいなかったが、それでも彼女は罪の意識を感じているようだ。
 そのほかにも、カーラはいろいろな事をやっていた事が、レイリアの口から明らかになった。
 マーモに対する諸王国の包囲網が完成しようとした時、突如として各国で事件が続発した事があったのは記憶に新しい。
 アラニアでは王弟ラスターによる王殺しから内乱の発生。
 モスではヴェノム太守の突然の反乱による内乱。
 そして、フレイムでは炎の部族の大攻勢。
 その全てに、カーラは関わっているらしい。
「勤勉だな」
「……そう言う評価ですか?」
 そして、古代魔法王国の魔女。カーラ=レイリアは風の部族と炎の部族の事情に詳しかった。
「結局、我らは古代魔法王国に踊らされたという事ですか?」
 既にマサムネが可能性を指摘していた事だが、風の部族と炎の部族との対立は、古代魔法王国の謀略に乗せられてのモノであった事がきっぱり事実として伝えられ、シャダム、ムハルドの二人は大きなショックを受けた。
「何を今更」
「……黙っていてください」
 マサムネを黙らせるサシカイアの前で、シャダム、ムハルドは苦悩していた。
 乗せられて、とは言え、はや五〇〇年以上も恨み、戦い続けてきた両部族である。アレは騙されていました。と気楽に構える事はできない。それなりの確執も出来ているし、今更、お互い騙されていたんだから無かった事にしましょうと手を取り合う事も簡単にはいかないだろう。
 また、事情をよく知るシャダム、ムハルドは理解出来ても、事情をよく知らない多くの者達は自分たちが騙されていたと認める事すら難しいかも知れない。風の部族でもそうだ。そして、炎の部族の話になればもっと難しい。あちらもこちらに裏切られ、騙されたと思いこんでいるから、風の部族の者がアレは古代王国の陰謀だったと伝えたところで、それこそが謀略だと思うに決まっている。
 苦悩するフレイム首脳部に、パーンが演説する。彼は明日の戦いは避けられない。そして、それに勝った上でと前置きして言った。
「彼ら炎の部族に服従ではなく、協力を申し出るべきです。戦に勝った後ならばこそ、彼らの信用が得られると思うのです」
「難しいな」
 とその言葉を受けて、シャダムが辛そうに首を振った。
 風の部族の中で、親兄弟を炎の部族に殺された者はいくらでもいる。騙されていた、そんな事実よりも、身内を殺されたという現実の方が、重要だと考える者もいるのだ。そしてそれは逆も言える。これまでの戦いの歴史が、両部族の間には大きな亀裂として残っている。簡単に仲良く手を取り合ってとはいかない。下手に強行すると、風の部族の内部分裂すら起こるかも知れない。
 それでも、とパーンは言った。
「では、彼らを皆殺しにしますか? そんな人道に反するような事をしますか? ナルディアはヒルトの街で勝っても、少なくとも市民の安全だけは保障していた。──」
 カシューをにらみつけるような強い瞳で、はっきりと言う。
「それって、前に俺も聞いたよな。勝った後、皆殺しにするつもりかって?」
「……口にする人によって、効果も違いますよ」
 ぼそぼそマサムネとサシカイアは小声で会話する。確かにパーンの言っている事は立派だ。立派だと思う。しかし、二人はそれで恐れ入ってはは〜と、平伏するほど素直な性格をしていない。サシカイアはマサムネと一緒だとは絶対に認めないだろうが。
「戦に向けてきた力を少しでも耕地の開拓や井戸を掘る事に向ければ、炎の部族の民達も新たに養う事が出来るはずです。スレインは貧しいターバの村で千人以上の難民を受け入れて共に生きていこうとしています。それと同じ事が国として行えないようなら、これから先のフレイムにどんな未来があるというのですか!」
 パーンの演説は、青臭くもあった。
 しかし、それでも、あるいはそれ故に、人の心を動かした様子だ。
「全く、好き勝手言ってくれる」
 シャダムは苦々しい顔をしたものの、それでも、笑みを浮かべた。