海の上では、予想していなかった敵が待ち受けていた。
三隻のガレー船が海原を行く。
ライデンの港を出発し、北回りのルートを通ってカノンの地を目指すヒノマル傭兵団所有の船だ。それぞれ、「やまと」、「むさし」、「しなの」と言う船名が付けられている。フラッグシップはやまとで、三隻とも、ヒノマル傭兵団のもであることを示す、白地に赤丸のヒノマルの旗がマストのてっぺんに翻っている。
カノンまでは、ライデンから10日ほどの日数がかかると計算している。
その初日そうそう、と言うか、出発そうそうにして、思いも寄らぬ敵が現れ、麾下の人間の実に四分の一が倒れるという事態に陥ってしまった。そして、その四分の一の中には、カルーア、タンカレーと言った傭兵団の主力も含まれていた。
その恐るべき敵の名前は。
船酔いである。
「うう〜、気持ち悪いです〜」
カルーアは、顔を青ざめて、ぐったりと舷側の手すりに体を預けていた。豊満な胸が、手すりの上に乗っかって強調されているが、本人はそんな事を気にする余裕もない。先刻まで、そこから海の魚にご飯をプレゼントしていたが、吐き続けて流石に胃の中が空っぽになったらしく、最近では胃液しか吐いていない。
「軟弱な人が多いっすね」
自分が平気なモノだから、ベルは呆れたように冷たい事を口にする。
軟弱と言うよりは、これは体質の問題だろう。
そうでなくとも、海に出るのが初めて、と言う人間は少なくない。と言うか、この世界ではそちらの方が一般的なのだ。下手をすると、生まれた村から一歩も外に出ないで一生を終える人間だって少なくない。船に乗っている多くは傭兵で、あちこちに移動するのが当たり前の人間にしても、海に出る機会はほとんど無いのだ。
「参ったぞ、これは全然考えていなかった」
「……私たちも船酔いしない人ですからねえ」
マサムネ、サシカイア共に、自分が全然問題なかった為、他の人もそうだと思いこんでいた。これは確かに大失敗だ。
「とは言え、今更予定の変更も出来ないしな、我慢して貰うしかないか」
マサムネの言葉どおり、まさかここからライデンに引き返すわけにも行かない。出発したばかりなのだ。そんな馬鹿な真似をするわけにも行かない。
また、そうでなくとも、目指すカノンへの入国には、海路を取るのが一番安全だと言う事もある。陸路では、戦地を突っ切る必要があって、目的地以前に大量の犠牲者を出す事が確実になってしまう。そうでなくとも、陸路では時間がかかるし、運べる荷物も少なくなってしまう。者や物を大量に効率よく運ぼうと思えば、やっぱり海路なのは、この世界も変わりない。
「そ、そんな〜」
そんな事情は当然分かっているはずなのに、カルーアが弱々しい声で非難する。それだけきついという事だが、こればかりはどうしようもない。
「ベ、ベルさん、ここは一つ、マイリー様のお力で」
同じく船酔いにやられたタンカレーが、弱々しい声で救いを求める。
「ん〜、マイリー様のお力は、戦う人たちのサポートが基本っすからね。こんな事で使って良いものか、疑問っすよ」
口ではこう言いながらもベルは癒しの力を使おうとする。色々と問題のある神官だが、基本的に人は良いのだ。
船酔いで転がっている者達が、ベルを期待に満ちた視線で見つめる。それは、まるで伝説の救世主を見るような視線だった。このまま行けば、ベルは傭兵団の人間に伝説の6英雄よりも尊敬される事になりそうだった。
しかし。
それをマサムネが止めた。
「やめとけ、無駄だから」
「何を言うっすか」
その言葉に、ベルが不満の声を上げた。
「敬虔な信者の自分の力を疑うっすか? それは心外っすよ。これくらいなら、病直し(キュア・ディージーズ)で一発回復が可能っすよ」
「お前の力を疑っている訳じゃない」
マサムネはひらひらと手を振ってベルの怒りを宥めると、言った。
「直ったって、それは一時的な事だろうが。船に乗ってりゃ、またすぐ船酔いだ」
「言われてみれば、それもそうっすね」
一時的に気分を回復する事は出来るだろう。しかし、船に乗って揺られている限り、また再発するに決まっている。原因が取り除けたわけではないのだ。船酔いを治すのに一番のクスリは、陸に上がる事。それが出来ない以上、直っても再び船酔いにかかる事は間違いない。また、永遠に魔法を使い続けられるわけではない。魔法を使うには、精神力を消費する。結局最後は魔法による治療を諦めなければならない。それならば、最初からやらない方が良い。
マサムネの意見に、ベルは納得して頷いた。
「そ、そんな、ご無体な」
「酷い〜。鬼〜」
タンカレー、カルーアを筆頭にして、船酔いの人間全員で非難合唱を始める。
「だいたい、お前ら全員に魔法をかけられる訳じゃないんだぞ。一人二人に使うってのも不公平だろうが」
マサムネがその非難の声に言い返すが、苦しんでいる者達は納得しなかった。
「そう言う時はおとなしく寝てろ。それが一番だぞ」
とそこで、野太い男の声が割り込んできた。
一人の、まさしく海の男といった風情の、赤銅色の肌をした30才くらいの筋骨たくましい男が、マサムネ達の方にやってくる。
「どうせ起きてても辛いばかりだしな」
この男は、この船やまとの船長として雇った男で、グレン・グラントと言う。
元々は自前の船を持ち、大陸との交易をしていたのだが、それがマーモの私略船に襲われた。それを撃退する事には成功したのだが、船が致命的な損傷を負って沈んでしまった。新たに買い直す金もなく、ライデンの酒場でくだを巻いていたところをトリスが目を付け、スカウトしたのだ。とにかく、海に出れるならばつきあおう、そんな感じで、ヒノマル傭兵団に所属する事を承諾した。
むろん、雇ったのはこの男一人ではない。他の船の船長や、数十人の水夫も雇っている。
マサムネは素人なので、海の上ではすることはほとんど無く、丸投げに近い形で彼らに任せるつもりでいる。実のところ、問題が発生しなかったら、早速個室にこもって、サシカイアに教育を始めるつもりだった様だ。しかし、船酔い大量発生のせいで、それも果たせずにいる。
マサムネの横にいるサシカイアが、船酔いの人間を心配しつつも安堵したような表情をしているのは、多分気のせいではないだろう。
「地下の人形達は問題ないか?」
マサムネが聞いた。
当初、漕ぎ手を雇う代わりに、魔法人形──ストーンゴーレムを使って代用しようと考えたマサムネである。
しかし、それには問題があった。魔法人形達は、簡単な命令しか実行出来ない上に、命令する為には古代語を使う必要があったのだ。古代語を使える人間は、そう多くない。マサムネやカルーアらが乗っていればいいが、そうでない時には使い物にならなくなってしまう。取りあえず、船員達に「漕げ」、「止めろ」を意味する古代語だけは覚えさせたが、それではどうしても、人ほどの融通が利かない。結局、漕ぎ手全員魔法人形計画は頓挫した。
最終的には漕ぎ手の人間も雇い、同時に魔法人形も使う、と言う形で落ち着いている。
「最初はびびっている者が多くて、どうなる事かと思いましたが、順調ですよ」
グランは、何とかなるものですね、と気楽に笑った。
魔法は一般的ではない上に、古代魔法王国時代の恐怖もある。そのため、魔法人形と一緒に漕ぐ事になった漕ぎ手達は最初、ものすごくびびっていたが、何も悪さはされない、と言う事が分かって、ようやく落ち着きを取り戻したらしい。
「奴らは力が強い上に、疲れ知らずで文句を言わないのが良いですよ。おまけに、臭くないのが最高ですよ」
マーモの私略船は、漕ぎ手に奴隷──襲撃によって捕らえた人間など──を使う。そのため、漕ぎ手の労働環境は最悪で、その分、臭いも凄くなるらしい。流石にマサムネは自分の船でそれをするつもりはないが、それでもやっぱり、空気のこもる場所での過酷な肉体労働だ。どうしても臭くなる事は避けられない。それでも、人の数が普通より少ないから、まだましだと、グランは笑う。
ただ、旋回性能に多少影響が出ていますが、とグランは報告する。
当面は、これでも問題なさそうだと知って、マサムネは安堵の表情をした。まあ、人と魔法人形との最高の比率は、これから先も、考えていく必要があるだろうが。
「そっちは考えどおりだったのに、予定外の事態で、せっかくの新造船が、早くも酸っぱくなっちゃったわね」
そこへ、遅れて船室の方からやってきたマリーが言った。彼女は、船室の方の様子を見ていたが、どうやら諦めたらしい。先刻も言ったように、船酔いの特効薬は陸に戻る事。それがなしえない以上、出来る事などほとんど無いのだ。それに、船室の方はどうしても空気がこもるから、相当に酷い臭いがするのだろう。うんざりだ、と言う顔をしている。
また、その臭いのせいで気持ち悪くなる人間もいるから、二次被害まで出ている。かと言って全員を甲板に出すわけにも行かない。ただでさえガレー船の喫水は低いのだ。荷物だって大量に積んでいるから気にする必要はさしてないかも知れないが、重心が上になるのは不安だ。
「何で、この程度で気持ち悪くなるのかしら」
やっぱりマリーも酔わない人なので、酷く冷たい事を言う。
「いや、お前らも海が凪いでいるから、そんな気楽な事を言っていられるんだぞ」
グランが海を舐めていると、痛い目に遭うぞ、と忠告してくる。
「……荒れる気配でも、ありますか?」
サシカイアが、尋ねる。
荒れるとなれば、海岸近くによって、やり過ごす必要があるから、色々と予定が変わってくる。ガレー船は、嵐には弱いのだ。無茶をして、こんなところで沈んでしまうわけにはいかない。
「いや、残念な事に、しばらくは大丈夫そうだ」
グレンは、言葉どおりに残念そうな顔をして見せた。
「……残念な事に?」
「ああ、荒れた時の海のすごさと言ったらもう、酷いもんだぞ」
と、グレンは自分の体験談を、多分大げさに、身振り手振りを交えて説明してくれる。彼はかつて大陸と交易してた。となれば、海のど真ん中で嵐にあった事もあって当然だ。その場合、海岸近くによって嵐をやり過ごす事も出来ないから、相当に凄い体験もしてきていた。
それを聞いたカルーアやタンカレーの顔色が、ますます青白くなる。
「うう〜。私、寝ている事にしますよ〜」
言って、カルーアは一冊の本を懐から取り出した。
死者の書と言う名の、魔力の発動体にもなる便利な本だ。カルーアは、これを知性を持つ本だと言っているが、他の者の目から見るとそんな上等なモノではなく、呪われたアイテムにしか見えない。何しろ、そのページの間から、人の不気味なうなり声が聞こえてくるのだ。カルーアに言わせると、それこそがこの本が知性を持つアイテムである証明だ、となる。物の見方は様々だ。
その本を、事もあろうにカルーアは枕代わりにして、甲板に寝ころんだ。
「……そう言えば、その本を枕にすると、死んだように眠れるって言ってましたね」
サシカイアは、顔をしかめながら言った。こんな呪われている本を枕にしたら、本当に死者の国に引きずり込まれそうだ。自分なら、絶対にしない。恐ろしすぎる。
「って早っ、もう寝ているっすよ。凄い効き目っすね」
ベルが、早くも眠りについたカルーアを見て、驚きの声を上げる。本当に速攻だ。
カルーアは目を閉じ、静かな寝息を。──寝息を。
「ちょ、ちょっと、息していないわよ、この子」
不審なモノを感じたのか、カルーアの顔、鼻の下に指を近づけたマリーが、顔色を変える。
「何?」
マリーを押しのけるようにして自分でも確かめたマサムネが、慌てて、カルーアを抱き起こす。ほっぺを叩くか、それとも人工呼吸か──やっぱり人工呼吸だと、タコ口になった。
サシカイアの目が冷たくなる。
マサムネは、いざ、っと顔を近づけたが、それは必要なくなった。
「んん〜、何ですか〜。私は寝るんですよ〜、邪魔しないでくださいよ〜」
迷惑そうに、カルーアがマサムネに文句を言う。それは、ただ寝ているところを起こされた者の不機嫌な反応にしか見えない。しかし、確かに息をしていなかった。
「え? 生き返った?」
「生き返った、って何ですか〜。私、死んでませんよ〜」
「いや、今、息していなかったし」
あれ? 間違いだったかな? と首をかしげるマサムネに、カルーアはあっけらかんと言った。
「だから〜、この本を使うと死んだように眠れるって言ったじゃないですか〜」
比喩じゃなかったのか?
もう一度死者の書を枕にして、「死んだように」眠り始めるカルーアを見て、マサムネ達は顔を見合わせた。
この娘も絶対に変だ。
結局、部下達の突き上げもあって、ブレードやビルニ等の港で予定外の停泊をしながら、船はカノンを目指して進んでいった。