カノンの現状などを一つ。


 カノンの住民はそれなりに豊かな生活を送っていた。アラニアほどではないモノの、長い治世を誇るカノン王家は、とびきり優秀ではないモノの、とびきり無能ではなく。とびきり良い政治をしていたわけではないが、とびきり悪い政治をしていたわけではない。彼らはカノン王家に敬愛の念を抱いていたし、ロードスで一番美しいと言われる王城、シャイニングヒルを誇りに思っていた。日々の生活に問題は皆無でないモノの、取り立てて騒ぎ立てるほどの大問題があると言うわけではない。住民達の多くは、今の生活が当たり前のモノで、当たり前のように続いていくと信じていた。
 しかし、暗黒皇帝ベルドが率いるマーモ帝国軍は、彼らの日常をあっという間に引き裂いてしまった。瞬く間にルードの街は攻め落とされ、更に北へ向かって攻め上ったマーモ軍は、カノンが誇る緑林騎士団をあっさりと打ち破り、王都カノンにまで攻め寄せた。それでも、カノンが敗北すると考えている者は少なかった。その時、ベルドの率いていた兵達は精兵だが、それでも数が少なく、守りに入った王城を落とせるとは思えなかった。しかし、夜空を引き裂いていった流れ星が美しいシャイニングヒルの城壁を打ち砕き、翌日にはカノン王は首を城門前にさらす事となった。
 カノンは、破れたのだ。
 彼らの日常と信じていたモノも、そのとき同時に終わった。
 そして苦渋に満ちた、マーモ占領下の生活が始まった。


 マーモ帝国によるカノン占領以来、住民は塗炭の苦しみを味わっていた。
 マーモの占領政策は住民の事などまるで考えていないモノだった。いや、それ以前に占領「政策」とも言えない物だった。とにかく、搾取する。取りあえず、搾取する。やっぱり、搾取する。とにかく奪えるモノは奪い尽くせというやり方。カノンの者達がいくら頑張って収穫しようとも、絶対に彼らの暮らしは楽にならない。ほとんど全てをマーモの人間に持って行かれてしまうのだ。彼らに残される物は、生きるか死ぬか、本当にぎりぎりの僅かな物だけ。餓死者が出る事だって珍しくない。
 マーモ帝国の領土として組み込もうという意識があるのかないのか。マーモ帝国旧カノン領は、あくまでも、何時までも占領地でしかなかった。
 もちろん、そんな統治に反発する者が出るのは当然の事だ。このままでは暮らしていけないと、武器を手に取った者は少なくない。しかし、まともな指導者もなく、旗印もなく、ほとんど発作的に武器を取った者が、職業軍人に勝てるはずもない。マーモの側で、反逆者相手に手を抜くはずもない。彼らのほとんどはあっさりと鎮圧された。
 そして、反逆者は見せしめとして、これ以上なく残酷に殺された。実際に反抗した者だけではない。彼らの家族、反逆計画を知っていて黙っていたと少しでも疑われた者まで、無理矢理引きずり出されて住民に見せつけるように容赦なく惨殺された。
 ごく希にだが、その反乱が成功する事もあった。しかし、それで成功者達が自由に幸せになれると保障された訳ではなかった。
 逆だ。
 マーモ軍は、即座に圧倒的な数の兵士達を派遣して、あっさりと彼らを駆逐してしまった。その場合、マーモ軍はより以上に容赦をしない。反乱を起こした街、村、集落、反乱に関係あろうと無かろうと委細を問わず、そこに住む人間を殺し尽くして、他に対する見せしめした。下手に中途半端に反乱を成功させたばかりに、より過酷な運命が、彼らには与えられたのだ。
 逆らって死ぬか。それとも逆らわずに搾取され続けるか。
 情け容赦のない二者択一が、カノンの人間には突きつけられる。
 カノンの者達からは反抗の意志が失われ、同時に、日々の生活に対する熱意、覇気をも奪われて行った。
 カノンの者達はうつろな目をして、マーモの圧政の元、半ば死んだように従順に生きていく。
 そして、それで彼らに理不尽な死が訪れなくなったかと言えば、それも否だった。
 特にそれが顕著に表れたのは、暗黒神の神官が領主として赴任した地である。暗黒神の神官達は、彼らの神の教えに忠実だった。「汝の望むままにせよ」、その教えに従い、己の望むままに行動し、意味無く戯れに殺し、奪い、あるいは彼らの神に対する捧げ物、生け贄、供物として、カノンの者達を殺していった。村一つ、丸ごと住民が彼らの儀式の為に殺され尽くした例もあるくらいだ。
 暗黒神の神官以外が赴任してきた街は、まだマシだったが、だからといってそこの住民が幸せになれるわけではない。暗黒神に仕える人間でなくとも、マーモの者である事には違いないのだ。搾取の手をゆるめる事はない。暗黒神の儀式の生け贄にされる事はないが、彼らの生活が苦しい事には違いがない。ぎりぎりまで搾り取られる事には違いがないのだから。


 そして、彼らの気分をめいらせる事は、他にもいくらでもあった。
 こんな状況下であるが、よその人間の行き来がないわけではない。「良心的な」商売をする事でマーモに取り入った、独立商人が訪れる事もある。村でも街でも、全てを自分たちの所で生産出来ているわけではない。外部に求めるしかない、必要不可欠なモノはいくらでもあった。そのため、交易する商人の存在は必要だった。最初こそ、目に付いたモノは全て奪え、のマーモ軍だったが、占領から時間が経って、許可証を得た商人の行き来だけは認めていた。──それでも、襲われる事はあるから、楽な商売ではないようだが。
 商人が、領主と取引をしたついでに、街の人々に商売を持ちかける事は少なくない。領主との商売が良心的な分、住人との商売では足下を見た価格をふっかけられる事も少なくないが、それでも、彼らに頼らなければ手に入れられない物は少なくない。かつかつの、苦しい生活の中から絞り出したお金を容赦なく奪いながら、商人は言う。
「カノンが滅びて大変ですね」
 と。
 街へ来る人間は、商人ばかりではない。
 吟遊詩人が訪れる事もある。吟遊詩人の中には、マーモを称える事で、カノン国内で商売をしている者もいる。彼らは領主らの前でマーモを称え、ベルドを称え、ヴァリスら、他の国々をさげすみ、馬鹿にすることで、要領よく報酬を得ると、街でも適当に、当たり障りのない歌を流して言う。
「カノンが滅びて大変ですね」
 と。
 外から来る人間の多くは、カノンの滅亡を確定の物として、口にする。
 耐えきれず、住民の中には反発する者もいた。マーモの人間に逆らう事は怖くて出来ない。しかし、彼らはマーモの人間ではない。だから、口で応戦するくらいは出来る。
「カノンは滅びていない」
 血を吐くような思いで口にした言葉を、彼らは笑う。
「滅びていなかったんですか? それは初耳だ」
 言葉は様々だが、彼らは、住民の言葉を笑い飛ばす。
「王城は落とされて王族はその前に首をさらした。国土は占領されて、マーモ帝国の一属領となった。それでも、滅びていないんですか?」
 彼らは反論する。
 カノン王家は、死に絶えてはいない。
 これは嘘ではなく、第三王子レオナーは、マーモ襲来以前にカノン国内から出奔している。別にマーモ襲来を予見、恐れて逃げ出したわけではなく、自分が王家の混乱の元になる事を嫌ったせいだ。つまりは、それだけの高い能力を持っていたという事で、特に、その剣の腕前は群を抜き、あの、ロードス最強と言われるカシューにも負けていないと、カノンの者は考えている。
 その、レオナー王がいる。
 国土にしても、そうだ。
 帰還したレオナー王がマーモを追い払ってくれる。あるいは、ヴァリスを初めとする他の国々がいずれ、マーモを追い払ってくれる。
 住民達はそれを確信しているわけではない。そうした希望を持たねば、生きていく事すら諦めてしまうから。
 しかし、彼らは容赦しない。
「レオナー王子ですか? それは素晴らしい。──で、彼は今どこにいるんですか? 彼は、カノンが滅ぼされた時、何処で何をしていたんですか? 彼は、本当にカノンを救ってくれるんですか?」
「他の国々? それは素晴らしい。──で、他の国々とやらは、今何をしているんですか? よしんば彼らがカノンからマーモを追い払ってくれたとしても、それで本当にカノンが解放されるなんて、そんな虫の良い事が本当にあると考えているんですか? きっと、マーモの次は、彼らに占領される事になるに決まっているじゃないですか。無償で助けてもらえる。そんなうまい話が、この世界の何処にあるって言うんですか? カノンが滅びていないと、本当に言えるのですか?」
 尽く、容赦なく、住人達の言葉は否定され、打ち砕かれていく。カノンは滅亡したのだと、住人達の心に叩き込まれていく。
 そうして、彼らは満足したかの様に去っていく。
 住民達の間に、絶望だけを残して。


 ところが、最近になってカノンの者達に希望を与えるような話題も持ち上がっていた。
 今、ロードスでもっとも新しい英雄、ヒノマル傭兵団の団長、魔法戦士マサムネが、カノンを救う為に行動を開始する。
 そんな噂が、少しずつカノン国内に流れ始めていた。
 最強の魔法戦士マサムネ。
 その剣の腕前はロードス最強と名高いカシューを凌ぎ、魔法を使わせれば星を降らし、上位の精霊をも従える。
 彼は常に傍らに、彼を心から愛する一人のメイド少女を連れている。その少女の名前はサシカイア。彼女もまた、優れた精霊使いで、上位精霊を従える事が出来るという。彼女は、勝利の女神ならぬ勝利のメイドさんと呼ばれ、その愛らしさと、美しさと優秀さで、ヒノマル傭兵団には無くてはならない存在であると言う。
 更に、マサムネが勇者であるとの神の啓示を受けて従者となったマイリーの女性神官ベル。彼女は戦場では男に負けない働きを見せるばかりでなく、彼女の歌声は、マサムネ麾下の者達に勇気を与え、一騎当千の勇者に変えると言う。
 そして、ロードスの現状を憂い、侍祭の地位を投げ捨ててまで行動する事を決意したファリス神に仕える神官マリー。彼女は、口ばかりで何も出来ないヴァリスに見切りを付け、ロードスのもっとも新しい英雄であるマサムネと共に、正義と秩序を取り戻す為に行動しているらしい。
 他に、マサムネ麾下の人間には優秀な人物が揃い、ヒノマル傭兵団はロードス最強を誇る。これまでに彼らが参戦した戦いは全て勝利で終わり、最強の名が嘘でない事を示している。
 最強の魔法戦士マサムネが、その麾下のヒノマル傭兵団が、カノンを救う為にやってくる。
 その噂が、どこからともなく、いつの間にか、カノンのあちこちに流布し始めた。
 あまりにあまりなほど、出来すぎた内容。
 いきなり、勇者がカノンを、彼らを救ってくれる。
 住民達の多くはそれを夢想し、しかし、あまりにも都合が良すぎると思ってまじめに考える事を止めたような、出来すぎた、おとぎ話のようなうわさ話。
 何かの希望を持たねばやっていけないような現状。
 しかし、希望は常に裏切られてきた。
 だから住民達は当初、それを素直に信じようとはしなかった。信じて裏切られるのはもうまっぴらだ。それくらいならば、最初から信じない方がまだマシだ。
 だが、繰り返しその噂を聞くウチに、少しずつ彼らの気持ちも変わってきた。
 うわさ話も、少しずつ具体的になってきて、それが真実である事を肯定していくように思える。
 少なくとも、マサムネが優秀な魔法戦士であり、その麾下に優れた人間を揃えているという話は、間違いではないらしい。
 フレイムの先の大戦、炎の部族との戦いで、マサムネが重要な役割を果たした事は、事実であるらしい。彼は炎の部族が切り札として使った炎の精霊王イフリートを、風の部族の守護神である風の精霊王ジンを召還する事で押さえ、フレイム軍の勝利に決定的な役割を果たしたという。
 そのほかの戦場でも、彼とヒノマル騎士団が勝利を重ねたのは嘘ではない。ヴァリスでは、村を襲った妖魔の大群を殲滅し、モスではヴェノムの正規軍と剣を交えてそれを壊滅させたという。
 その彼らが、カノンを救いにやってくる。
 繰り返されるうわさ話は、住民達を完全に信じさせるまでには至らなかったモノの、もしかしたらと言う希望を、彼らの心の奥底に植え付ける事には成功していた。


 カノン第二の港町、ラバダンの沖合に三隻のガレー船が現れたのは、そんなときだった。