ヒノマルの街は盛況だった。
ヒノマルの街では、絶え間なく槌打つ響きが聞こえてくる。今日も、街のどこかで何かの工事が行われている。騎士達の宿舎、国営の娼館に始まり、以前はなかった施設がいくつも出来た。それが一段落すると、今度は大量に移住してきた住人達の為の住居が建設され、最近では街の中に収まり切らなくなってきて、防壁を広げる計画まで立ち上がっている。
マーモ支配のカノンから逃れていた人間が戻ってきたりもしているが、移住してきた人間の多くは旧カノンの国外の者達。ニッポン王国国王マサムネは、多くの人材を求めている。それに乗っかって一旗揚げようと、勇んでやってきた傭兵、商人、職人、冒険者。とにかく様々な人間がやってきて、ヒノマルの街はかつて無い活気に溢れている。──ただ、旧来の住人達には、戸惑いも見えるが。
とにかく、にぎやかな街だった。
場末の宿に一室を取って、カミュは頭からかぶっていたマントをはずして一息つく。
ダークエルフの辛いところは、一目でそれが分かってしまう事。黒い肌、先のとがった大きな耳。誰が見たってダークエルフで、それ以外には見えない。そして、ダークエルフはマーモ帝国にしか味方していない。つまりは、敵。下手に顔をさらして道を歩いていたら、即座に通報され、酷い目に遭う事は明白。だから、わざわざ顔を隠して行動せねばならない。これは、酷く面倒で億劫だ。
幸い、様々な人間が流入している事があって、見るからに「不審」と言う格好をしていても、あんまり見とがめられなかった事がありがたい。
何も考えずに街を行けるマーモ、闇の森での生活が懐かしい。
ふとそんな事を考えて、カミュは頭を振った。
郷愁に浸るのは後だ。今のカミュにはやる事がある。
街の中央、それなりの大きさを誇る旧領主の館、現在は国王マサムネの仮の宿となっている場所のある方を見つめる。
あそこに、にっくき仇敵がいる。
ここには、カミュの部下はいない。しかし、カミュは問題視していなかった。
カミュはダークエルフ。そしてダークエルフは、天性の暗殺者なのだ。
精霊魔法、姿隠し(インビジビリティ)を使って接近し、毒の刃で一撃する。
すらりと抜きはなった愛用の小刀。その刃は、怪しげな液体でぎとぎとに濡れている。こいつで、ほんのちょっとでも傷を付ける事が出来れば、それで目的達成だ。
本当は、目の前で命乞いさせたい。
本当は、めいっぱい苦しめてから殺してやりたい。
しかし、それは出来ない。
ここは敵地だ。下手な事をして時間をかけるわけにはいかない。マサムネを助けに来た人間、全てを敵に回して何とかなると考えるほど、カミュは楽天的ではない。
また、めいっぱい苦しめるのも駄目だ。三日三晩苦しんだ挙げ句に死に至る、そう言った毒も用意出来るが、マサムネのそばには血まみれマリーがいる事を確認している。認めるのはしゃくだが、あの女は非常に高レベルな神聖魔法を使いこなす。そして、ファラリス以外の神官が使う神聖魔法には、問答無用、種類を問わずに毒を消してしまう奇跡を起こす魔法がある。
残念だが、速攻殺して速攻逃げ出す。それしかない。それで満足すべきだ。
「ふふふふふ。あんたの命も今宵限りよ。誰に手を出したか、思い知らせてやるわ」
既にそれは確定の未来として、カミュは薄く微笑みを浮かべた。
マサムネの住んでいる領主の館は、もちろん警備がされていた。
普通なら困るところだが、カミュには姿隠しの魔法がある。姿を見えなくして、こっそりと門番の脇をを突破する。簡単だ。庭に入ってしまえば、それなりの広さがある事もあって、隠れる場所には不自由しない。
おまけに今日は新月で、夜は暗い。インフラビジョンで暗闇でも問題ないカミュに対して、警備の者達は人間で、闇を見通す力はない。彼らのかざす灯りにさえ照らし出されなければ、まず見つからない。
事前に調べた情報によると、マサムネの部屋は二階の一室。
部屋の灯りが消えている事を確認。
屋敷の近くまで張り出した木に、カミュは素晴らしい身軽さを発揮して易々とよじ登る。この辺りも、ダークエルフならではの能力だ。
たんと、軽く枝を蹴って跳躍。カミュの体は軽やかに舞い、領主の館の屋根の上に着地する。着地した際に足音はほとんど立たない。ダークエルフは、見た目以上に軽いのだ。この程度の忍び足はお手の物だ。
そのまま慎重に屋根の上を移動。
マサムネの部屋の上へ到達。
マサムネの部屋の窓は──開いている。
ついてる。
と、カミュはほくそ笑む。
屋根の上から上半身を乗り出して、部屋の中の様子を伺う。
部屋の中は静かで、どうやら、マサムネは眠っているようだ。今はそう言う時間だ。寝ていて当たり前の事。
カミュはひらりと一瞬宙に体を投げ出し、屋根の端に手を引っかけてそこを支点にくるりと半回転。足から窓に飛び込む。
部屋には毛足の長い絨毯が敷かれていて、元々ほとんどしなかったであろうカミュの着地音を、完璧に消してくれた。
カミュは、着地した格好のままで、部屋の中をうかがう。
部屋の中央に、大きなベッド。
そちらに視線を向けて、慌てて視線を逸らす。
マサムネは素っ裸で大の字、丸出しで寝ていたから。
「〜〜〜〜〜」
頭の中でだけののしりの言葉を発し、無言のままでカミュは静かにマサムネの方へ近づく。
慎重に、慎重に。
大丈夫、気が付かれていない。
マサムネは、眠っている。
ベッドの脇まで到達。
変な感慨に浸ることなく、カミュは迅速に行動した。
すらりと小刀を抜き放つ。つや消しの刃は、光を反射したりしないようになっている。僅かに、刀身に塗られた毒がてらりとした輝きを見せるが、この程度、ちょっと離れてしまえば見えないだろう。
そのまま、振り上げた刃をマサムネ目がけて突き立て──
「……動かないでください」
ようとして、背後からかけられた女性の声に、カミュは動きを止めた。
いつの間にか、のど元に刃を突きつけられていた。
「──!」
全然気が付かなかった。部屋にはマサムネしかいないと思っていた。
「ライト」
おまけに、マサムネが一言告げると、部屋が光に満ちた。古代語魔法、灯り(ライト)の魔法。
と言う事は、とっくに気が付かれていた? 気が付いて、寝たふりをしていた? それに自分はまんまと引っかかった?
ぐるぐるぐると混乱する頭で、カミュは慌ただしく思考する。
自分に全く気配を気取らせなかった。つまりは、自分より高レベルのシーフ。それも、暗殺者か? 野外であればともかく、街中は得意な場所ではないとは言え、これは──
そのカミュの前で、マサムネはにやりと笑った。
「うん、良い眺めだ」
「……」
ぴくりと、カミュののど元に添えられた刃が震える。
チラと視線を向ければ、背後の女は、裸か、あるいはそれに近い格好をしているようだ。
こんな夜中に同じ部屋で、そんな格好で何をしていたのか。
ナニをしていたに決まっている。
「……見ないでください」
カミュの背後から、怒りと照れを含んだ声が、マサムネに向けて放たれる。
しかしマサムネはにやにやと助平な笑みを浮かべて、無遠慮に視線を向けている。多少上下左右に瞳は動くが、それは決して背後の女から外れていないだろう。
「何を言うか。暗殺者から目を逸らすわけにはいかないだろう」
言葉の返答はなく、かわりにすっと手が伸びてきて、手首を捕まれる。直後、カミュは激痛を感じて、手から小刀を取り落としてしまう。
足下に落ちた小刀は、背後の女が器用に足の指でつかむと、投げ捨てる。
「うわっ」
と、慌てて頭を引っ込めたマサムネの近くを鋭くかすめて、投げ捨てられた小刀は、その向こうの壁に突き刺さる。凄い。こんな状況なのに感心してしまう。後ろにいる女は、間違いなく格上の、それも相当に高レベルな暗殺者だ。
「何しやがる。殺す気か?」
「……それは魅力的な提案ですね」
素っ気なく背後の女は言って、カミュをマサムネの方に突き飛ばした。
不意をつかれて堪える事が出来ず、カミュはそのままマサムネの胸の中に倒れ込んでしまった。すかさず、助平な手が伸びてきて、カミュの体を抱きしめて拘束する。
「やあ、ひさしぶりだな、カミュちゃん」
にこやかにマサムネがカミュを呼ぶ。
「俺に会いたくなってわざわざ尋ねてきてくれたのか?」
「だ、誰があんたなんかに会いたいなんて思うもんですか!」
「元気だな」
のれんに腕押し。蛙の面に──で、にやにや笑いながら、マサムネが応じる。
その視線が微妙に自分からそれているような気がして、視線を背後に巡らせると、マサムネのそばにひっついているのを何度か見かけたメイド娘が、いそいそと服を身につけている。マサムネは助平丸出しの視線で、その様子を眺めていたのだ。
その助平な視線に、カミュは現在の状況を思い出した。
拙い、非常に拙い。
この後の自分の運命は、容易に想像が付いた。何しろ、早速マサムネは助平な手でカミュの体をまさぐり始めているから。
「……それでは、私は今日は別の部屋で休む事にします」
メイド服を着用した娘は、何かを諦めたような、カミュに同情するような視線を向けた後、一礼して退室しようとした。
あうあうあうと、カミュは口を虚しく開閉させる。助けて欲しいが、このメイド娘に助けを求めるのも変な話だ。だいたい、前の三回、このメイド娘は助けてくれなかったし。
「あ、ちょっと待て」
そこで、マサムネは何かを思いついた様にメイド娘に声をかけた。
「……なんですか?」
その声の響きに何かを感じたのか、メイド娘は用心深くマサムネを見ながら、尋ねた。
カミュも、なんだか嫌な予感を感じていた。
「これからカミュちゃんを可愛がってやるわけだが、どうせだから、お前もつきあえ」
「遠慮します」
返事は即答だった。
「命令だ」
「……つっ」
その瞬間、メイド娘は何かを堪える表情になった。
「……私は、そう言う趣味はありませんから、遠慮したいのですが」
「何事も経験だ」
「………………わかりました」
メイド娘は、何かを諦めたような表情をして、ベッドの方に戻ってきた。
ベッドでは、毛布にくるまったカミュが体を丸めてしくしく泣いている。
やっぱり、あんな事やこんな事をされてしまったカミュである。
「……ふう」
メイド娘──サシカイアはベッドの端に腰掛けて、大きくため息を零した。こっちも体にシーツを巻き付けている。
「結構楽しかったな」
その横に座っているマサムネが、楽しそうに笑う。
こっちは隠しもせずに丸出しだったので、サシカイアは僅かに顔をしかめて、自分のまとっているシーツの裾を、マサムネの腰の上にかぶせる。
「……楽しんだのは、あなただけでは?」
「何だ、新しい趣味に目覚めたりしなかったのか?」
「……ええ、当然です」
サシカイアの返す言葉は冷たい。
「結構楽しんでたみたいに見えたけど?」
「……気のせいです」
素っ気なく言い捨てて、サシカイアはしくしく泣いているカミュに視線を向けた。ちょっぴり、罪悪感を抱いている視線だった。
「……それで、彼女、どうしますか?」
ぴくり、と毛布に包まれたカミュの体が震える。サシカイアとマサムネの話題はカミュのこれからの運命。気にならないわけがない。
「そうだな」
どうすっかな〜と、気楽に言ってマサムネは大きく伸びをする。
「……マリーさんに渡して、色を抜いて貰いますか?」
サシカイアの提案に、びくり、と、思い切りカミュの体が震えた。
どうやら、血まみれマリーの名前は知っているようだ。ブラックリストに乗っているそうだから、マーモでの方がファリス神殿で以上に知名度が高いかも知れない。
「却下」
マサムネは即答した。
「そんな勿体ない真似ができるか」
「……それでは、これまで同様にキャッチ・アンド・リリースですか?」
面倒くさいなあ。と言う思いを隠しもせずに、サシカイアは言った。
まだ復讐を諦めたという風でもないし、これから先も、マサムネを狙ってくるだろう。マサムネはそうなればお楽しみだと気楽に考えているようだが、サシカイアはそうでない。はっきり言って、今回のようなやり方の方が、妖魔を率いて襲いかかられるよりも厄介だ。暗殺はダークエルフのお家芸とも言えて、油断が出来ない。今回は街の中で襲われたから良いが、これが野外の事であったならば、どうなったか分からない。サシカイアはあくまでも盗賊、暗殺者であり、街の中、人工物の中こそが本領。逆に、ダークエルフのカミュは野外こそが本領だろう。場所が変われば、今回ほど簡単に迎撃出来るか分からない。
「そうだな。それも芸がないな」
マサムネは僅かに考えて、結論した。
「カミュ、お前、俺の女になれ」
結論はそれか。と呆れかえるサシカイア。
カミュの方も、激しく反応した。毛布をはねのけるみたいにして体を起こすと、猛然とマサムネにくってかかる。
「だ、誰があんたなんかの女になるもんですか!」
涙目を隠そうともせず、顔の下半分を口にするような勢いでが〜〜とマサムネに噛みつく。
まあ、当然の反応だろうと頷くサシカイアの横で、マサムネは首をかしげた。
「何故だ?」
何故も何もない。そこでどうして何故なんて言葉が出てくるのか。それこそ、何故、だ。
「可愛がってやるぞ」
「可愛がってなんてくれなくて、結構よ!」
「それじゃあ、仕方がないな」
「……マリーさんですか?」
サシカイアは、なんだかとっても面倒くさくなって、いい加減に言った。
「……多分マリーさんなら、3日とかけずに、女になってくれるって返事を引き出せると思いますよ」
ひっ、と喉の奥で悲鳴を上げて身をすくめるカミュを横目に、マサムネは言った。
「それもなあ。女の子を虐めるのは、あんまり趣味じゃないからなあ」
「…………」
どの口がそんな事を言う?
サシカイアは呆れてマサムネの顔を見たが、マサムネは大まじめだった。
「よし、朝までまだ時間があるから、俺なりの方法で説得してみよう」
「……本当に、説得、ですか?」
「説得だ。サシカイア、お前も手伝えよ」
「……」
翌日、なんだかとっても納得いかない、と言う表情で、メイド服を着てマサムネの横に控えるカミュの姿があった。