魔女は大鍋をかき混ぜながら笑う。
力の円錐を示す三角帽子を頭にかぶり、黒いローブに身を包む。そして火にかけた大鍋をかき混ぜる姿は、どこからどう見ても魔女だった。これで、窓の外が暗くて稲光なんかが照らし出したら、もう完璧だ。何処へ出してもおかしくない、悪い魔女の具体的な見本だろう。
一日、サシカイアはマサムネに連れられて、カルーアの研究室を訪れていた。そんな場所、正直訪れたくはない、何しろ、カルーアの専門は死霊魔術。グログロな分野だから。訪れるどころか、研究室がどんな事になっているか、想像するのも嫌だった。だが、マサムネに命じられればサシカイアは逆らえない。嫌々ながらもその背中について行くしかない。
カルーアはニッポン王国の宮廷魔術師主席の地位にある。宮廷魔術師主席と言えば、ほとんど宰相のような存在で、その豊富な知識で国王に助言をする。しかし、このところカルーアは研究室にこもり、全然出てこなかった。これでは助言も何もない。
マサムネは、それを良しとしていた。いや、どうやらカルーアの研究は、マサムネの命じた事であったらしい。
とにかく、二人はカルーアの研究室に入り、サシカイアは部屋を支配してた臭いに、鼻を押さえた。
「……なんですか? この刺激臭は」
カルーアの部屋は、サシカイアが意外に感じた事に、きちんと整理整頓されていた。そして、全然グログロでもなかった。死霊魔術と言うから、壁の棚にはホルマリン漬けの死体やらがずらりと並んでいるのかと考えていたのだが。
この部屋の主人であるカルーアは、部屋の真ん中で、まさしく魔女と言った趣で大鍋をかき混ぜていた。なにやら「うふふふふふ〜」と不気味な笑いを浮かべている辺り、非常に不気味だった。
刺激臭は、その鍋から漂ってくる。
サシカイアのかいだ事のない臭い。だが、懸念していた死体の臭いとか、そう言った類のモノではない。どちらかと言えば、食欲を誘う臭い?
「あ〜。王様〜」
ようやく気が付いたらしく、カルーアが顔を上げる。
ふう、と額の汗を拭い、にっこりと笑う。そりゃあ、締め切った部屋の中で火を使っているのだから、汗もかくだろう。大鍋をかき混ぜるのも、結構な重労働であるかも知れない。
「今度こそ〜、注文どおりに出来たと思いますよ〜」
「そうか?」
マサムネはカルーアのかき混ぜていた鍋をのぞき込む。
サシカイアも、その横から顔を出して同じようにした。
鍋の中には、黄色っぽいゲル状の液体が入っていた。なにやら固形物も入っているようだが、すべて黄色くなってしまっている為、ぱっと見、その正体は分からない。
「……?」
と首をかしげているサシカイアの前で、カルーアは小皿にそれをすくい取ると、マサムネに渡した。
「見た目は完璧だが。──どれ」
マサムネは小皿を受け取り、それを口に運んだ。
「……! な、何を?」
びっくりするサシカイア。
しかし、マサムネは平然としている。カルーアは、不安半分期待半分の顔。
これは、魔法のクスリか何かなのだろうか?
「うん、これだ!」
マサムネが、大きく頷いて声を出す。
「良くやったな、カルーア。完璧だ。誉めてやるぞ」
それを受けて、カルーアもぱ〜〜っと顔を輝かせる。
「苦労した甲斐がありましたよ〜」
「ご褒美は、早速今晩にでもくれてやろう」
どんなご褒美だ。
「あ〜。それも良いんですけど〜」
と、カルーア。
良いのか?
「研究資金の増額も、お願いしたいな〜、と」
サシカイアの方を伺いながら、カルーアが言う。財布を握っているのはサシカイアだ。もっとも、マサムネに強く言われれば、その口を握りしめ続ける事は出来ないのだが。
「……その前に、これがなんなのか、説明して頂けますか?」
「ああ〜。これは〜」
「カレーだ」
マサムネが言った。
「……カレー」
サシカイアは、マサムネの言葉を繰り返し、言った。
「……カレーって、何ですか?」
「俺の故国の料理だ」
「……」
サシカイアは僅かに考え、それから、言った。
「……もしかして、カルーアさんがここのところず〜〜〜っと研究室にこもっていたのは、そのカレーを作る為ですか?」
「そうだ。勅命でカレーを作るように命じた」
勅命ってあなた。
「……何考えているんですか? どうして、魔法使いにそんな事を研究させるんですか? そりゃあ、カルーアさんの魔法使いとしての研究なんてグログロのロクでもない奴だとは思いますけど──」
「ロクでもないって、酷いな〜」
「……それでも、貴重な魔法使いをそんな下らない事に使って」
「くだらなくないぞ」
マサムネは心外だと顔をしかめる。そして、言った。
「俺は以前からこの世界に色々不満を抱いていて、その最大のモノが、カレーが存在しない事だったんだ」
「……やっぱり下らない事じゃないですか」
サシカイアはジト目でマサムネを睨む。
「下らないって、食生活は重要だぞ? 異郷の料理にストレスを感じるって例は結構多いんだぞ? 海外赴任のお父さん達が苦しむのは、言語風習が違う事もあるが、日本食が食べられない事だぞ?」
「……あなたがストレスを感じるほど繊細な神経を持っているなんて、初めて聞きましたよ」
好き放題やっているとしか思えないマサムネである。ストレスが溜まるようには見えない。サシカイアにしてみれば、自分こそがストレスを感じている人間の筆頭だと思う。ギアスの魔法による強制。毎日のメイド服。マサムネのしでかす騒動の尻ぬぐい。本当に勘弁して欲しい。
「失礼な奴だな」
「……それは申し訳ありませんね」
ちっとも申し訳ないとは思っていない口調で、サシカイアはいい加減に応じる。
「まあまあ、それより〜、サッちゃんも食べてみてくださいよ〜」
「……サッちゃんて、私の事ですか?」
「サシカイアだから〜、サッちゃん」
「すると俺はマー君か?」
「……似合いませんね」
ぼそっと、サシカイアはそっぽを向いて呟く。
マサムネ自身もそう思ったのか、サシカイアを咎めなかった。
「まあいい。とにかく、食べてみるぞ、ほら、サッちゃん、皿を用意しろ」
「……変な呼び方は止めてください」
文句を言いつつも、サシカイアは部屋の棚から人数分の皿を用意する。
カレーとやらはスープのようなモノかと思ったのだが、どうやらご飯にかけて食べるものらしい。
サシカイアから皿を受け取ったマサムネは、別に用意してあったご飯を皿に盛り、その上からカレーをかける。香ばしい臭い。様々な香辛料がふんだんに使ってあるらしい。
「頂きます」
「……頂きます」
「はい〜、たんとどうぞ〜」
手を合わせて食前の挨拶。
マサムネは素早く、サシカイアは用心深く少しだけ匙ですくって口に運ぶ。
「辛っ」
「はい、水〜」
サシカイアの反応を予想していたらしいカルーアが、普段のおっとり具合に似合わぬ素早いタイミングで、コップに注いだ水を渡してくる。それを飲み干して口の中の火事を収め、サシカイアは涙目でマサムネを睨んだ。
マサムネは辛さをものともせず、嬉しそうにカレーを頬ばっている。
「うん、これだ。カレーだ。嬉しいなあ。こっちでもカレーが食えるなんて」
子供みたいなはしゃぎ方だ。
「……そんな、涙を流して喜ぶような事ですか?」
あきれ、文句を言う気も失せる。
「何を言うか。お前らはこの世界が当たり前だから平気だろうが、俺は色々と不自由を感じているんだぞ。特に食生活。味噌はないし、醤油はないし、豆腐はないし、納豆はいらね──あ〜。口にすると、折角カレーを食っている喜びが半減しそうだから、この話はここまで。で、お代わり」
「はい〜」
早くも一杯食べ干したマサムネが皿を付きだしてカルーアにお代わりを要求する。
「お前も、眺めてばっかいないで、食べてみろ」
「……だってこれ、相当に辛いですよ?」
「それが良いんだよ」
「……そうですか?」
半信半疑でもう一口。
「辛っ」
やっぱり辛い。それでも二口目で多少は舌が慣れたのか、先刻ほどきつくは感じない。辛さに耐える事が出来れば──
「……結構、おもしろい味かも知れないです」
「だろう?」
マサムネが嬉しそうに頷く。
なんだか、本当に子供みたいだ。と考え、サシカイアは首を振った。いけない。一瞬、こいつを可愛いかも知れない、なんて思ってしまった。不覚だ。
「この料理は、俺の世界ではキレンジャーの主食として知られている一般的な大衆料理なんだ」
「へ〜、そうなんですか〜」
カルーアも自分の分を用意して、食べながら応じている。こっちは、辛いの平気な人なのか、あるいは既に慣れているのか、サシカイアのように悲鳴は上げない。
「……キレンジャーって何ですか?」
サシカイアの疑問はスルーされた。
それに機嫌を損ねたわけではないが、サシカイアは文句を一つ。
「……まあ、おもしろい味だというのは認めますが、何でわざわざ魔術師に研究させるんですか? 自分の国の料理なら、研究も何もないでしょう。自分で作れば良かっただけの話では?」
「こいつは、カルダモンとかシナモンとかコリアンダーとかターメリックとか、とにかく色々なスパイスを混ぜ合わせて作る料理なんだ。──で、俺は料理を趣味にしていた訳じゃないから、何をどれだけ使えばいいのかの分量が分からないんだよ。だいたい、いちいちスパイスから作らなくても、カレールー、ええと、カレーの元みたいな形で、既に混ぜ合わせたモノが一般的に売られているんだ。そいつがあれば、俺だって自分で作れたけどな」
「……それでも、魔術師に研究させる言い訳にはならないと思いますが?」
サシカイアはにべもなく切り捨てる。ついでにお代わりもお願いする。
「……そんな、自分の楽しみの為だけに、貴重な魔術師を使わないでください。魔術師には、もう少し有意義な研究をして貰うべきです」
「カルーアの有意義な研究って、死体の研究か?」
「それは有意義ですね〜」
とカルーアはにこやかに応じるが、サシカイアは言葉に詰まってしまった。
認めるのはしゃくだが、こうやって料理の研究をさせておいた方が、確かに平和かも知れない。
「それにだな」
マサムネは三杯目のお代わりを要求し、スプーンを偉そうに振りながら言った。
「俺だって自分の為だけにこの研究をさせた訳じゃないんだぞ」
「……どんな訳があるんですか?」
「カレーは、結構味がきついだろう?」
「……そうですね。一口目は結構辛かったです」
「だから、臭みのある食材を調理する時に使うといいんだよ」
例えばだな、とマサムネは言った。
「戦場で料理する時なんかは、いちいち仕込みに時間をかけてられないだろう? そこで、このカレーだ。捌いたばっかりの新鮮すぎて臭いのきつい食材も、カレーを使えばあら不思議、臭いが気にならず、きっちり食べられる料理に仕上がるという寸法だ。これから先、カレー粉の量産をして、兵士達に少しずつ持たせるつもりだ」
「……なるほど」
確かに、これまでの経験で、戦場ではまともにモノが食べられない場合もあると言う事は、サシカイアも身にしみて知っていた。例えば、フレイムでの戦争。ヒルトの敗戦の後の逃避行では、調理する時間も惜しまなければならないような局面もあり、不味い糧食を無理矢理食べねばならなくなった時もあった。旅の途中でも、血抜きもまともに出来ていない、取れたてほやほやの獲物を食べなければならない時もあった。そう言う時にこのカレー粉があれば、かなりマシになりそうだ。
「……でも香辛料って高価いですよ?」
「いずれ国内で生産出来るようにするさ。そうすれば、それは売り物にもなる」
「……ちゃんと考えているんですね」
なんだか、マサムネが馬鹿じゃないみたい見える。
「お前また、失礼な事を考えているだろう?」
「……そんな事ありませんよ」
「とにかく、俺だって色々と考えているんだから、頭ごなしに文句を言うのは止めろ」
「……善処します」
「なんだか政治家並みにいい加減な返答だが、まあいい」
取りあえず、食べたいものを食べれて機嫌がよいらしいマサムネは鷹揚に言って、頂きましたと、食事を終える。
「──で、カルーア、次のお前の研究課題だが」
「死体の研究ですか〜」
「それは後回しだ」
しかし、何で死体の研究で、そんなに嬉しそうな顔を出来るのだろうか。サシカイアには一生理解出来そうにない世界だ。
「次の研究課題は、醤油の開発だ」
「醤油〜?」
「……それで、その醤油というのは、どういう風に役に立つんですか?」
「取りあえず、あると俺が嬉しい」
きっぱりとマサムネが答えた。
「……それ以外では?」
「食生活の幅が広がるぞ。刺身とか食べる事が出来るようになるし」
「……結局、自分の欲望の満足優先ですか」
少しでも見直して損した。
サシカイアは、これ見よがしにため息を零した。