エイブラ、ピンチです。


 エイブラは、危機を迎えていた。
 軽く叩きつぶすつもりだった人間達は、思いの外に強かった。別に人間を侮っていたわけではない。かつて、古代魔法王国の魔術師に支配されたこともあるし、その支配から解放してくれたのも人間だ。人間の中にも、驚異的な能力を持っている者がいることは理解していた。だが、それはきわめて希有な例外だ。ほとんどの人間は、自分たちドラゴンにとって取るに足りない存在であることも確か。今回の人間達も、単体で見ればそこそこと言う所か。しかし、連携して向かってきてなかなか手強かった。
 しかし、敵の強さ云々以上に、自分の状態が問題だった。
 ドラゴンは、休眠期と活動期を繰り返す。そしてエイブラは現在、休眠期だった。休眠期では、自分の能力が落ちる。それは承知していたが、ここまで落ちるモノとは考えていなかったのだ。
 振り回す尾はゆったりとしか動かないし、爪や牙による攻撃も、活動期の勢いが出せない。ブレスもなんだかパワーが乏しい。どうしようもなく判断が遅れ、更に体の動きが鈍い。
 それでも何度か人間達の体を攻撃が捕らえ、痛烈なダメージを与えた。活動期の威力がないと言っても、そこはドラゴン、当たればそれなりのダメージは出せる。
 しかし、人間達はねばり強く抵抗してきた。
 ダメージを与えても、すかさず神聖魔法の使い手がその傷を癒す。
 エイブラは水竜と言うことで、住処にしている場所も拙かった。水が近くにある為、水の上位精霊を使った防御の守りが使えてしまうのだ。体の動きが鈍い今、主力の攻撃方法として選択したい、広範囲を攻撃出来るブレスがさして有効でなくなってしまったのが痛い。
 全体的な攻撃力の低下は、致命的とすら言えた。本来ならば一撃で終わらせることが出来るはずが、それが出来ないが故に、人間達はなかなか屈しない。どころか逆に、エイブラの方にもたびたび攻撃を与え、ダメージが累積してきた。
 尾や爪や牙、そしてブレスを使うのが駄目ならと、古代語魔法を使っても見た。酸の雲(アシッドクラウド)で全身および体の中にまでダメージを与え、火球(ファイアーボール)や吹雪(ブリザード)の魔法を叩き付ける。雷撃(ライトニング)で吹き飛ばし、刃の網(ブレードネット)で動きを拘束しようとする。
 しかし、それでも人間達は倒れない。
 ぎりぎりまで追い込んでも、すかさず仲間同士で助け合い、とどめを刺すには至らない。そして、即座に回復魔法で復活して、再びエイブラに挑んでくる。
 負けるかも知れない。
 そんな思いが、エイブラの心に去来する。
 盛大な咆哮をあげて、人間達の心を揺さぶろうとするが、何かがそれを防ぎ、効果を発揮しない。おそらく邪魔をしているのは、僧侶の一人が歌っている魔力を感じるあの歌のせいか。
 拙い。
 酷く拙いと、エイブラは思う。
 戦いの最中に、こんな事を考えているのが、またまた拙い。
 何故、こんなに弱気になっているのか。
 おそらく、あの黒い戦士の持つ剣のせいだろうと、エイブラは思い至る。
 あの黒い剣で傷を負わせられるたびに、心に迷いが、弱気が忍び込んでくるようだ。そのせいで戦いに心から集中出来ず、ただでさえ鈍い体の動きが、ますます鈍くなっていく。たびたび、判断ミスを犯してしまう。
 敗北を認めて、命乞いをするか?
 そんな思いまで抱いてしまうのだから、相当にやばい。
 命乞いなど、最強の幻獣の名にかけて、出来るはずがない。
 エイブラは炎を盛大に吐き散らす。
 黒い戦士がまともにそれに飲まれるが、精霊使いによる水の上位精霊の守りが、古代語魔法による耐火の守りが、致命傷になるところを押さえる。いや、あの鎧もかなりの品だ。
 雌の戦士が二本の剣を振り回してエイブラに傷を付ける。更にダークエルフが黄金色の槍を放って、エイブラの体を貫こうとする。苦痛に呻き、黒い戦士に対する追撃が出来なくなる。
 その間に、黒い戦士は後方に下がり、神聖魔法による癒しを受けている。
 また、とどめを刺し損ねた。
 怒りと共に振り回した尾が、雌の戦士を弾き飛ばす。吹き飛ばした雌の戦士は、結構な勢いで洞窟の壁に激突してぐったりと崩れる。しかし、まだ生きている。しぶとい。今度こそとどめをとエイブラは動くが、復活なった黒い戦士がその邪魔をする。無理をすれば手酷い打撃を受けそうだったので、黒い戦士に向き直る。
 視界の隅で、ばたばたと黒い僧侶が雌の戦士に走り寄り、癒しの魔法をかけているのが見えた。
 だめだ、このままではじり貧だ。
 ならば癒し手を先に倒そうかと、黒い僧侶に襲いかかる。前に立って戦う戦士二人ほどの敏捷さは無い黒い僧侶の腕に噛みついてずたずたにすることに成功したが、無理に襲いかかったせいで、戦士二人や魔法使いによる痛撃を受けてしまった。思わず苦痛の叫びを零す隙に、黒い僧侶にまで逃げられてしまった。
 拙い、本当に拙い。
 意識がもうろうとしてきた。
 多くの傷、出血、そして、あの黒い魔剣の効果。
 気力を振り絞って魔法で、尾で、爪で、牙で、ブレスで攻撃するが、どうしてもとどめを刺すことが出来ない。その間にも傷を受け、ますますエイブラの動きは鈍くなっていく。そして、それにより、ますます攻撃が当たらなくなり、とどめを刺すことが遠くなっていく。
 拙い、このままでは勝てない。
 殺される。
 恐慌に近い感情すら沸き上がってくる。
 魔剣の効果か、それとも、生命の危機に当たり前に浮かび上がってきたモノか。判別は付かないが、今の状況が最悪に拙いことは解っている。
 そして、解っているから改善出来るわけではない事も、はっきりとしていた。
 このまま行けば、自分は殺されてしまうだろう。
 その時は、自分で思っている以上に近づいている、そんな気が、エイブラにはしていた。


「エイブラは大分弱ってきている。後少しだ。気力を振り絞れ!」
 アシュラムは、疲労と苦痛の累積してきた体にむち打って、大声で気勢を上げる。
 まるで終わりが見えなかった戦いも、そろそろ決着が付きそうに思えた。
 どれだけ傷を負わせても、全く弱ったようには見えなかったエイブラだが、流石に大分弱ってきているようだ。
 全く、これで休眠期、本来の力を出し切れていないというのだから、やはりドラゴンは恐るべき敵だ。もし、エイブラが活動期であれば、自分たちは早々に敗北していたかも知れない。
 その爪の一撃、牙の一撃、尾の一撃、そしてブレス。どれもがとてつもない攻撃力を持っている。油断すれば、一発で戦闘不能になりそうな、致命的な攻撃力を持っている。
 更に驚いたことに、エイブラは古代語魔法まで使うのだ。魔法の守りでただでさえ硬い鱗を更に強化し、爪や尾の一撃の破壊力を増す。更に、様々な攻撃魔法をぶつけてくる。これまで出会った中で一番の知的なドラゴン、アシュラムはエイブラにそのような印象を持っていたのだが、それが間違いでなかったどころか、思った以上に頭が良い。
 しかし、それでも、自分たちは勝とうとしている。
 自分たちの方にこそ、ツキは向いていると、アシュラムは思った。
 一つはエイブラが休眠期であったこと。一つはここが水場に近く、アスタールが水の精霊を使い、防火の守りの魔法を使えたこと。そしてマイリー神の司祭ホッブが戦いの歌で、ドラゴンの咆哮の魔力を無効化出来たこと。このどれか一つが欠けていても、自分たちの勝ちは危うかった。
 そのおかげもあって、こうして自分たちは誰一人欠けることなく、勝利を収めようとしている。──まだ、勝負は付いていないから、油断は禁物だが。
「行くぞ、もう少しだ!」
 アシュラムはもう一度叫ぶと、魂砕きを構えて、エイブラに迫る。
「やれやれ、無茶を言ってくれるね」
 スメディがぼやきながらも、二本の剣を振り回すようにしてアシュラムと共にエイブラに迫る。彼女も、相当に疲れているようだ。しかし、ここが勝敗を決める分水嶺と見て、最後の力を振り絞る。
 グローダーも、魔晶石は既に使い果たし、自前の魔力で更に攻撃魔法を放とうとする。
 アスタールも同様。勇気の精霊バルキリーの力を借り、黄金色の槍でエイブラを貫こうとする。
 これまで、基本的に癒しの力でフォローに回ってきたホッブ、ショーデルの二人の僧侶も、神聖魔法の攻撃を、エイブラに向ける。
 魂砕きがエイブラの鱗ごとその肉体を深々と切り裂く。スメディが二本の剣を力任せに突き立てる。グローダーの魔法がエイブラの背中で爆発を起こし、アスタールの黄金の槍が深々と肉を貫く。ホッブ、ショーデルの放つ不可視の衝撃が、エイブラを打ち据える。
 エイブラは、悲鳴を上げて体を暴れさせる。
 これに巻き込まれては酷いことになる。一旦距離を取るアシュラム、スメディ。その間にも、魔法使い達の攻撃は続く。
 行ける。
 今こそ、とどめを刺す時だ。
 アシュラムはそう考え、きつく魂砕きを握りしめ、エイブラ目がけて走り寄る。
 狙いは、その心臓。
 それで、この長い戦いに終止符を打つ。
「うおおおおおっ!」
 アシュラムは、雄叫びをあげてエイブラに襲いかかった。


 そのアシュラムの眼前を、唐突に横合いから黄金色の輝きが通り過ぎた。
「なに?」
 魔法使いの使う雷撃(ライトニング)の魔法。それは即座に解った。しかし、解らないのは、何故、横合いから攻撃が来るのかと言うこと。
 思わぬ方向からの攻撃に、アシュラムは思わず足を止めてしまう。敵はエイブラ一匹のはずだ。なのに、この攻撃は横から来た。
 そして、直後、更に目を疑う出来事が起きた。
 エイブラの体に、ここまで非常な苦労をして付けた傷が、ぬぐい去るように消えていく。癒されていく。
 瞬く間に、エイブラの体は、初めて見た時同様、傷一つ無いモノへと癒されていた。
 神聖魔法による癒し?
『やれやれ、やばいところだったな、エイブラ』
 古代語の声が、先ほど雷撃がやって来た方向から聞こえてきた。
 既に好機は逃してしまった。仕切直しが必要と見てエイブラから用心深く距離を取り、そちらの方を見れば、6人の人間がこちらへ歩み寄ってくる。
 先頭に立つのは、見覚えのある男。そして、その斜め後ろにいる娘にも──と言うか、娘の格好にも見覚えがあった。娘の格好はメイド服。こんな場所で見るような格好ではないが、そうした非常識な人間を、アシュラムは一人、知っていた。
「貴様はペペロンチャ!」
 アシュラムが叫ぶ。
 しかし、男は首をかしげた。
「誰だ、それは?」
「ア、アシュラム卿、アレはニッポン王国国王を名乗る、僭王マサムネですぞ」
 横から、ホッブが慌て気味に口を挟んでくる。
「そうだぞ、俺はマサムネ様だ。そのペペロンチャとか言う、変な名前は何だ一体」
「……自分でそう名乗ったじゃないですか。忘れたんですか?」
 マサムネの横のメイドが呆れたように言う。
 マサムネは首をかしげてしばらく考え込んでいたが、思い当たるモノをようやく見つけたのか、一つ手を打つ。
「おお、そう言えば」
 それから、アシュラムの方に視線を向け直すと、言った。
「久しぶりだな。俺様はポポロンチャ様だ」
「……ペペロンチャですよ」
 疲れたようにメイド娘が訂正する。
 その人を馬鹿にした態度に、アシュラムが頭に血を上らせる。ペペロンチャという名前が、偽名であることはここまでに解った。しかし、解ったからと言って許せるモノではない。
「貴様、何処までも騎士を愚弄するかっ!」
「馬鹿になんてしていないぞ、確かに俺様はピピロンチャ様だ」
「……わざとやっていますね」
 端から見れば、マサムネとメイド娘は良いコンビネーションだった。それが、ますますアシュラムの怒りを加速させる。
『取りあえず、エイブラ、ご苦労だったな』
『済まぬな、正直助かった』
『思っていたより、ドラゴンていうのは弱いな』
『フン、休眠期でなければ、こんな無様は晒さなかった』
『まあいいや。とにかく休め。後はこっちで片付ける』
 マサムネは、そのアシュラムを一旦無視して、エイブラに古代語で話しかけている。
 アシュラムには理解不能だったが、グローダーが気を利かせて簡単に通訳してくれる。
「取りあえず、マサムネとエイブラを一緒に敵にすることはなさそうです」
「あの男は、折角我らが勝利しようとしていた所で邪魔をしおって──」
「しかし、これはある意味好都合です。直ぐに戦闘になってしまったので伝えられませんでしたが、エイブラの財宝はあの男、マサムネが大半を持ち去っているようです」
「何だとっ!」
 アシュラムは大声を出した。
 そんなことは初耳だった。グローダーが伝えていなかったのだから、当たり前だが。
 アシュラムはグローダーを追求するのは後のこととした。確かに、グローダーの言うように、伝える余裕がなかったと言うのも解らないでもないし、今はそれよりも、マサムネを問いつめる方が先だった。
 しかし、アシュラムよりも早く口を開いて大声を出したモノがいた。
「カミュっ!」
 洞窟にぐわんぐわんと反響するくらいの大声。それを出したのは、普段は小声でしゃべることが多いダークエルフのアスタールだった。
「え? お兄ちゃん?」
 驚いたようにその声に答えたのは、マサムネが連れていたもう一人のメイド。何故かそのメイドは、ダークエルフの娘だった。