戻ってきたのは三人。
アシュラムは、直ぐに「海魔の角」号の下まで戻ってきた。
そこからの指示に応じて、縄ばしごが投げ落とされる。
アルハイブは、はしごの脇で、揉み手の準備をしてアシュラムが乗り込んでくるのを待ち受ける。何でも良い。とにかく気持ちよく早い所、「海魔の角」号より退場して貰う為に努力をする。その為にならば、指紋が消える勢いでだって揉み手をしてみせる。
さして時間がかからず、まるで盗賊並の身軽な身のこなしで、アシュラムは甲板に登ってきた。
「ご苦労様でした」
にこやかに表情を作って話しかけるアルハイブは、完璧に無視された。
かちんと来たが、口元をほんの僅かに引きつらせるだけで押さえる。その引きつりも、直ぐに消す。ここは我慢だ。平常心平常心。
アシュラムはアルハイブに背を向けて、縄ばしごを登る魔法使いに手を貸している。裾が長い黒いローブを、フードまできっちりとかぶっているから、こちらはかなり動きづらそうだ。何を好きこのんでそんな格好をするのか、魔法使いの考えている事はアルハイブには理解出来ない。
次いで上がってきたのはダークエルフ。こちらも黒いローブだが、フードは跳ね上げているから、少なくとも視界は魔法使いより広いだろう。それでも、なんだか非常に危なっかしかったが。
「他の方はどうなさったのですか?」
死んだという返答に対するリアクションは既に考えている。心底、悲しそうな顔を浮かべて、それはたいへんでした。しかし、アシュラム様が生き延びたのは幸いでした。そんな心にもない事を、適当に並べ立てればいい。どうせならお前が死ねば良かったのに、なんて本心はもちろん口にしない。
しかし、アシュラムは無言のまま。
アルハイブの方を振り向くと、いきなり顔に向けて足の裏を突き出した。
がん、と、まぶたの奥で火花が散った。
アルハイブの体はごろごろと甲板の上を転がり、反対側の手すりにぶつかってようやく止まった。手すりにぶつかって幸いだった。下手したらその間を抜けて、下へ落下していた所。そこでようやく自分が蹴飛ばされた事を理解する。
「な、何をなさるんですか?」
当然の抗議をするアルハイブの声は、酷く聞き取りづらい。発音が明瞭でなく、くぐもっていた。
息がなんだか苦しい。鼻を押さえるとぬるりとした感触。顔を濡らすなま暖かい液体は、血。それに気が付いて、ようやく痛みが炸裂する。痛い、非常に痛い。これは──鼻が折れている。
理不尽な行為に対する怒り。同時に、アシュラムに対する恐怖が、天秤の両側の皿に乗って、ゆらゆらと揺らめく。
ここは全滅覚悟でアシュラムに反乱するか。
それとも、耐え難きを耐え、機会を待つか。
結論を出す前に、アシュラムは動いていた。
持って回った格好で、マントを脱ぎ捨てる。まるで、見せつける事を目的としたような、わざとらしい態度。
一瞬、アシュラムの姿がマントの向こうに隠れ。
直後現れたときには、そこにはアシュラムはおらず、見知らぬ男が立っていた。
誰だ? 知らない人間だ。少なくとも、アシュラムが従えていた部下ではないし、何のつもりか連れて行った捕虜の戦士でもない。
黒目黒髪、顔立ちは整っているのに、なんだか意地の悪そうな表情で減点。そんな男は、偉そうに口を開いた。
「これより、この船は俺の支配下にはいる。文句は認めない」
なんなんだ、こいつは?
と、救いを求めて動かしたアルハイブの視線の先で、魔法使いもローブを取り去っていた。その下から現れたのは、見た事もない娘。どうやらマイリー神官らしき装束に身を包んだ、眉毛の濃い娘。背中に背負っていたハンマーをぐるんと回して構え、嬉しそうにアルハイブらを見ている。
更に、ダークエルフの姿もゆがみ、一瞬後にはそこに、三角帽子にローブという、魔法使いらしき格好の娘が立っていた。厚手なはずの魔法使いのローブを、下から押し上げている胸が凶悪な大きさだ。
「なんだ、てめえらは!」
アルハイブは鼻を押さえたまま、叫ぶ。
「俺は──」
男の言葉の途中で、その左右の空間が揺れた。
そして、空気の中から現れたみたいに、場違いな格好をした娘が二人、現れていた。
場違いな格好。
メイド服。
それを見た瞬間、天啓のようにアルハイブの頭に、男の名前が浮かんだ。
何時でも何処でもメイドを引き連れていると言われる、最近売り出し中の名前。
それは──
「貴様、マサムネか?」
ニッポン王国国王を名乗る男、マサムネ。最強の魔法戦士とか僭王とか色々言われているが、それ以上に定着しかかっている二つ名、それは、「メイドの王」と言う。
「うんうん、俺も最近ずいぶん有名になったな。こんなちんけな海賊どもも、俺の事を知って居るぞ」
満足そうに頷くマサムネに、サシカイアはぼそりと突っ込んだ。
「……どちらかというと、私たちの格好を見て、その正体を悟ったような気もしますが」
これは控えめな表現。マサムネの正体をカンパした男の視線は、間違いなく、サシカイアとカミュの格好を見ていた。それで、思い当たった。そう考えて間違いない。
マサムネの考えた海賊船奪取計画は酷く簡単だった。
取りあえず、マサムネ、カルーアの二人は変身(シェイプチェンジ)の魔法でアシュラム、およびその仲間に化けて乗り込む。サシカイア、カミュの二人は精霊魔法の瞬間移動(ブリング)の魔法で乗り込む。そして後は臨機応変──言い直せば行き当たりばったりで、海賊船を制圧する。それだけだった。
基本的に、馬鹿みたいに戦闘能力の高い人間が揃っているから、それでも充分なのだろうが、あんまり頭を使っていない計画である。
そこへ、ベルが自分も行くと言い出して、仕方がないので魔法使いのローブで顔まですっぽり隠して、マサムネらに同行する事となった。
マリーはダークエルフのアスタール、マイリー司祭のホッブを監視がてら、向こうに残っている。
「アシュラム卿はどうした?」
「逃げた」
船長らしき、マサムネに鼻を折られた男の叫びに、短く答える。
「と言うわけで、貴様らの選択肢は二つ。俺に逆らって死ぬか、それとも降伏するか、だ。おすすめは降伏だな。いちいち殺していくのも面倒くさいからな」
「駄目っすよ。戦闘、最高じゃないっすか。だからここは是非に逆らって死んで貰う必要があるっす」
必要じゃない、とサシカイアは思ったが、吶喊娘のベルにそれを言っても詮無い事である。だからサシカイアは慎ましやかに沈黙を守る。
さて、海賊達の選択は?、と僅かに待てば。
船長は手すりにつかまりながらも体を起こし、マサムネをにらみ付けている。
どうやら交渉──とも言えない交渉は、決裂した様子。
「巫山戯るなよ。てめえら切り刻んで、魚の餌にしてやるわ!」
船長の叫びに合わせて、甲板にいた水夫達が得物をすっぱ抜く。海賊らしく、その武器はカトラスで統一されていた。船室への扉を開けて敵襲を叫んでいる者も居たから、遠からず中からも大量に水夫が飛び出してくるのだろう。
「戦闘っすね?」
ベルがそりゃあもう嬉しそうに戦槌を振り回す。
「戦闘だ。ただし、あの船長は殺すな。お宝の在処を聞き出さなくちゃならないからな」
「他はオッケーっすね?」
「好きにしろ」
「了解したっすよ」
「巫山戯るな! 野郎ども、返り討ちにしてやれ」
嬉しそうなベルの声に、船長が怒鳴りつけるようにして部下をけしかけてくる。
水夫達は叫声を上げて、得物を振り回すようにして向かってきた。
一閃。
その先頭集団を、マサムネの大剣が迎え撃った。
カトラスを振り上げて向かってきていた水夫二人が、この攻撃で腰の辺りで二つにされた。上半身と下半身が、それぞれ逆の向きに回転しながら、甲板上を飛んでいく。
そのあまりの攻撃力に思わずといった感じで、水夫達の足が止まる。
そこへ、ベルが飛び込んだ。
思い切り振り下ろした戦槌が頭を砕き、更に振り回して横の人間の鎖骨を砕く。左腕の盾で殴り飛ばされた水夫が、歯と血を口からまき散らしながら倒れる。ベルは容赦なく、躊躇無く、戦いの喜びを隠そうともせずに、水夫達をなぎ倒していく。
「……」
一瞬以上絶句していた船長が、慌て気味に声を上げる。
「怯むな。マーモ海軍の意地を見せろ!」
その声に背中を押されたというわけではないだろうが、水夫達は諦めることなく、ベルに、そしてそれ以上に、与し易いと見たのか、サシカイア、カミュ、カルーアに向かってくる。
「臭い船だが、こいつも頂く。だから壊すな」
「了解しました〜」
マサムネの言葉は、火球の魔法を使うな、と言う意味だと受け取ったカルーアが、即座に呪文の詠唱を始める。普段の口調はのんびりしているが、呪文の詠唱の時だけは酷く早口になる。そして、カルーアの魔法が発動する。
迫ってくる水夫達。それを包むように、唐突に黒っぽい煙が出現した。眠りの雲、麻痺の雲と言ったモノに連なる、空気を変質させる魔法。この魔法は──
ぱたぱたと、面白いくらいにあっさりと、雲に包まれた水夫達が倒れていく。そして、甲板の上に崩れたときには、既に絶息していた。
死の雲(デスクラウド)の魔法。
僅か空気を一吸いで絶命させる凶悪な魔法だが、確かにマサムネの要求には従っている。生き物には致命的だが、無機物には全く影響はないのだ。
強烈な威力の魔法だが、全員を効果範囲内には納められなかった。死の雲に取り込まれる事の無かった水夫達が、ほとんど悲鳴に近い絶叫を上げながら、カルーアに迫る。
それを、サシカイアとカミュが迎え撃った。
サシカイアの投擲したスローイングダガーを受けて、水夫が蹈鞴を踏む。そこへカミュが飛び込んで、毒のナイフを縦横に振るう。体力抵抗値の低い人間はそのまま絶命し、高い人間は即死はしないが、激烈な痛みを伴うダークエルフ印の猛毒であるから、その場に倒れてのたうち回る。放っておけば彼らは苦しみまくった後に結局絶命するから、体力抵抗値が高いのも、いい話ばかりではない。
とにかく、サシカイアとカミュの二人の働きで、カルーアに敵が直接攻撃をかける事はかなわない。どころか逆に次々と甲板を舐める事になっていった。
その間にも、ベルの勢いは止まらない。振り回す戦槌は肉を抉り骨を砕く。大好きな戦いに酔いながら、その癖隙を見せずに、次々と敵を屠っていく。この惨劇の場にあっても、あくまでベルの顔は楽しげに笑みを浮かべている。ほっぺに飛んだ返り血もあって、その笑顔は凄絶きわまりなく、しかし、とびきりに美しく見えた。危険きわまりない、戦神マイリーの愛娘。それがベルだった。
マサムネは魔法の束縛(ルーンロープ)で船長を拘束してその場に転がし、適当に水夫達を蹴散らすと、ベルの見学に回る気になった様子。無造作に大剣を肩に担いでカルーアの前に来ると、ベルの戦いを見守っている。
時を置かず、甲板上の水夫達は全滅した。彼らは確かに意地を見せた。誰一人命乞いも降伏もせず、戦って倒れた。しかし、それは所詮レミングの集団自殺に似た、意味のあるモノとも思えない代物だったが。
「つまんないすね。全然ぬるいっすよ。敵じゃないっす」
言葉の割には、まだまだ興奮冷めやらずで、ベルが上気した顔をにこにこと微笑ませている。
「だから、船内に突撃して、残敵を掃討するっす!」
言うが早いか、船内に続く扉を蹴り開けている。
「サシカイア、付いていってフォローしてやってくれ」
「……解りました」
素直にサシカイアは頷く。
ベルは正面から向かってくる敵にはめっぽう強いが、搦め手には酷く弱そうなのだ。基本的に猪突だから、罠には簡単に引っかかりそうな危うさがある。
サシカイアは、ベルに続いて船内にはいる。
そしていくつかの部屋を探索し、何人かの敵を屠り。
そして、一つの部屋で、彼女たちを見つけた。