ライデンの街は、ロードス最大の商業都市である。
商業神チャ・ザの本神殿は、ライデンの街にある。ライデンはロードス最大の商業都市であるから、それも道理だろう。
そのチャ・ザ神殿では、朝から司祭による説法が行われていた。
「ええか? いくら商売やからって言うても、自分ばっか儲けよう思たらかんで」
礼拝堂に立って、本日の説法を行っているのは、最近大陸より渡ってきたばかりの、若い女性の司祭である。ロードス以外の地から来た人間であるせいで、言葉に訛がある。
「商売の基本は、相手にも儲けさせたる事や。相手に、儲けた、って思わせたることや。そうすれば、その客は、常連さん、リピーターになってくれるかもしれん。リピーターになってもらうこと考えたら、目先の一ゴールドなんて安いモンや」
商業神だけに、信者の多くは商人である。彼らにしてみれば、一円の御利益にもならないありがたい説法よりも、具体的な商売のやり方を教えてもらった方がよほどありがたい。そんな事情が長い事続いて、最近のチャ・ザ神殿の説法と言えば商業の基本の授業みたいになっている。そのせいで、説法を聞きに来るのは、主人や雇い主に言われてやって来た、若手の商人ばかりになる。
ライデンの街は、現在未曾有の不景気状態。だが、チャ・ザ本神殿は大盛況だった。常以上に人が集まっている。
その状況を作り出したのは、現在説法しているこの娘。猫っ毛小柄な、なかなかかわいらしい女性なのだ。正直、むさいおっさんの話を聞くよりも、若い娘の話の方がありがたい。そんな理由だ。
チャ・ザ神官の方も、商業神に仕えるだけあってその辺りの客の機微には敏感で、最近は毎日、この女性が説法を行っている。
「あとな。ちゃんと収支計算もしておかなあかんで。丼勘定なんて、もってのほかや。いくらで仕入れ、いくらで売ったか。その記録を付けるんは、商人として当たり前の事やで。せやけど、計算が面倒言う気持ちも分かる。そこで、これや──」
うんうん、と頷いている聴衆の前で、チャ・ザ娘はにこやかに笑って、算盤を取り出した。
「これな、算盤言うねん。最近ぶいぶい言わせとる、トリス商会言う所が開発、製造、流通、販売を一手にやっとる、ものごっつう優れた計算機やねん。こっちの球が1から5を表して、この上の球が5な。んで持って──」
と、にこやかに実演してみせる。
「──と言うわけで、この算盤、楽器の代わりにも仕えるし、足に履けば地面の上を滑る事も出来るっちゅう、よう出来た計算機やねん。これが一家に一つあれば、収支計算もぐっと楽になるで。その優れもんの計算機を、今回は信者様特別割引価格で、販売したるねん。って言っても、勘違いしたらあかんで。別にうちはトリス商会の回しもんちゃうねんで? 一個売るごとに売り上げの1割もらえる約束はしてんねんけんど、それはこの際関係ないです。算盤が、確かに優れた計算機言うんは本当やねんからな。──とにかく、その優れもんの計算機が、本日先着100名様に限り、特別奉仕価格で販売中やねん。ご成約の方には、なんと、おまけとして、優しい算盤の使い方読本まで付いてくるんやで? この機会を逃したらあかん。今がチャンスや。チャンスを逃すなんて、そんなん、商売人の風上にも置けへんねん。さあ、早いもん勝ちやで?」
最後は実演販売になってしまったが、本日のチャ・ザ様の朝の説法は好評のウチに終了した。
売り上げは、満足行くモノだったらしい。
達成感に顔を輝かせながら、下っ端神官に手渡されたタオルで司祭は顔を拭う。
「ラッケ司祭、ご苦労様です。本日売り上げ分で、今月のノルマは達成出来ましたよ」
「当然やねん。ウチがうっとるんやで?」
チャ・ザ司祭、ラッケ・プリヴァートは自慢げに頷いてから、声の調子を変えた。
「まあ、そう言っても、この算盤言うんが、優れた計算機、っちゅうのは本当やねん。これを考えたトリスっちゅう男は、頭ええなあ。大陸にだって、こんなん無いわ」
「何しろ、ライデンの出世頭でしたから」
現在、トリスは本拠をライデンからヒノマルの街へ移しているので過去形である。
「……ライデンも、様子、ずいぶん変わってまったな」
ラッケが、それはいただけないと、顔を曇らせる。
「最近、何処言っても、フレイムの連中がでかい顔しとんねんで? 自主独立のライデンは何処行ってまったんや?」
ライデンも、厳しい状況である。
フレイムも苦しめられている難民の流入。それはライデンでも同じように起こっている。フレイムがそうであるように、ライデンもまた、現在戦争状態にない。おまけに、第一の商業都市。仕事があるだろうと、普通に考えてやってくる人間は多い。しかし、そう上手く行く者ばかりではない。大半は食い詰めて、犯罪に走る者も出る。そのおかげで、ライデンの治安は最悪。ただでさえ、犯罪を抑制するはずの盗賊ギルドもごたごたしていて、機能は中止状態だ。ライデン評議会に連なる自衛軍は、手が足りなくててんやわんや。そこで、フレイムが親切ごかしてつけ込んで来た。
最近では、辻ごとに立つフレイム兵士の姿が見えて、ライデンの様子はずいぶんと変わってしまっている。
どの国にも属さない。そうした過去のライデンの気風をよく知るもの達には、現在の状況は面白くない。
ラッケは余所の人間だが、過去にライデンに来た事はあった。その時と様子の変わってしまったライデンに、ライデン在住の人間同様に、面白くないモノを感じている。商業神に仕える人間なだけに、商人の支配する街というのは痛快だったのだ。
「それでも、大陸との交易が再開されましたから、これから先は良くなると思いますよ」
下っ端神官が、慰めるように言う。最近、ライデンの周りで海賊行為を繰り返していたマーモの船が拿捕された。その結果、大陸との交易が再び盛んになってきている。
「海賊船倒したんはマサムネ言うたか?」
「はい、ニッポン王国国王です」
にこにこと、下っ端神官は嬉しそうに言う。
「あの方は、このライデンでも顔でしたからね。そりゃあもう、金をばらまくような使い方をする、豪快な人でしたから」
「トリス商会が大店になったんも、マサムネのおかげや、ちゅうて聞いたけど?」
「はい、そうです」
「先の盗賊ギルド長とも、仲良うしとった聞いたけど?」
「はい、そうです。ギルド長を禿げ呼ばわりしていたそうです」
「ライデンの娼婦を完全制覇したって聞いたけど?」
「それは、若くて綺麗な人に限ったようですが」
「ほんでも、やたら娼館に通い詰めとった、言うんは本当なんか?」
「はい、そうです」
「他に、メイドをいっつも侍らせとった、言うんは?」
「はい、本当ですよ。今でもたまに街で見かけるメイド姿の女性は、その影響です」
「どんな奴やねん?」
訳解らないと、ラッケは首をかしげた。
「ウチも色々調べたねんで? 最強の魔法戦士とか、エンシェントドラゴンを手懐けたとか、マーモの大軍打ち破ったとか、景気の良い話をよう聞いたねん。それだけ聞くと、英雄、思うねんけど、メイド好きとか、女好きとか、良くない噂も聞くねん」
「どっちも本当らしいですよ」
「ほんま、わけわからんわ」
ラッケは頭を振った。
「せやから、一回あってみたい思うとんねん」
「そ、それは、止めた方がよろしいですよ」
若干慌て気味に、下っ端神官は頭を振った。
「ラッケ司祭でしたら、きっと、速攻押し倒されます」
「そう言う奴なんか?」
「そう言う人です」
「英雄なんか、それとも悪党なんか、ようわからへんなあ」
ラッケは首をかしげ、それから言った。
「そこの自分、どう思うん?」
え?、と、下っ端神官がラッケの視線を追う。
すると、神殿の隅っこに、一人の男が立っていた。
黒いローブを羽織り、額にはサークレットを付けた、なんだか気配の薄い男。ラッケに言われるまで、下っ端神官は、その存在にまるで気が付かなかった。
「……もしかしたら、ロードス統一を達成するかも知れない、危険人物」
ぼそりと、ラッケの言葉に応えて男が声を零す。
「なんや? それやったら危険人物やのうて、英雄やん」
「力が一極に集中する事は、危険だ」
男はぼそぼそと答える。
「ふ〜ん、確かにそう言う面もあるやろけど、ウチは別にかまへん思うけどな。確かに女には汚いみたいやけど、それ以外は結構まじめにやっとるみたいやし。何より、ロードス統一結構やないか。それで、戦争が無くなるねんで?」
ラッケは首をかしげながら応じる。それから、表情を改めて男に問うた。
「そんで、自分、何しに来たん? 何か、先刻からチャ・ザ様が「やばい、やばい」て教えてくれてるねん。自分、ウチの敵か?」
下っ端神官が、慌てたように身構える。
「万物の根元にして、万能なるマナよ……」
「いきなり魔法かい」
男がいきなり魔法の詠唱を始めたのを見て、ラッケが大あわてで声を上げる。
「はよ、逃げえ」
「え? しかし、司祭様を置いては……」
「あかん」
下っ端神官がどうすべきか迷っているウチに、男の魔法は完成していた。
持ち上げた手の上に、燃え上がる火球がいくつも浮かび上がる。そして、その火球は、男の投げつけるような動きに合わせて、ラッケ達の方に飛んできた。
ラッケは、慌てて椅子の影に飛び込む。
しかし、下っ端神官は遅れた。
爆発がいくつも連鎖する。紅蓮の炎が広がり、木製の椅子を舐める。直ぐに、椅子は燃え上がった。
「乱暴やな」
ラッケは愚痴りながら、椅子の影から立ち上がる。直撃は避けたが、結構火傷を負ってしまった。下っ端神官は、かわいそうにまともに爆発に飲まれ、真っ黒になって焼けこげている。即死だ。
ばたばたばたと、足音が近づいてくる。
これだけの爆発である。神殿内にいた他の神官達にも、その音は当然聞こえている。
「気いつけいや。かなりやばい相手やで」
部屋に飛び込んできた神官達に、ラッケは警告する。そして、自分も愛用のモーニングスターを構える。
「自分、いっくらなんでも、ウチらを舐めとらへんか? そりゃあ、チャ・ザ様はマイリーの戦馬鹿とちごうて、戦いはあんま好きや無いみたいやけど、自衛の時と、借金の取り立てと、商売上の衝突がどうしようもなくなったときには、暴力も肯定しとるんやで?」
「……」
対して、男は無言で再び呪文の詠唱を始めた。
「ど阿呆」
ラッケは、叫ぶようにして、右手を突き出した。
1音節の神聖語と共に、不可視の衝撃波がラッケの手のひらから放たれる。
男はその衝撃波をまともに受け、後方に吹き飛ばされる。しかし、それでも呪文の詠唱を止めようとしない。
「いい加減にしときいや!」
叫びつつ、ラッケは、男が止めないだろうと感じていた。ならば、することは一つ。
素早くラッケは男へ距離を詰める。
しかし、魔法の発動の方が早い?
これはかなりやばいかも。そう考えながらも、ラッケは突き進む。引いても、よい事なんて何にもない。ここは魔法を一発喰らう覚悟を決めて、何とか耐えるしかない。
精神の集中をして、魔法に対して備える。
そのラッケの頭越しに、男は再び魔法を放った。
ラッケほど覚悟を決めておらず、右往左往していた神官達の中に、再び火球が飛び込んで炸裂する。
何や、こいつ。何でウチを攻撃せえへんねん?
ラッケは頭の片隅に疑問を感じていた。
一番脅威なのは、男に向かって突進していたラッケである。なのに、男はラッケを避けるようにして、後方で為す術無く狼狽えていた神官達を狙った。そのことに、どうしようもない気持ち悪さを感じる。
感じながらも、ラッケは男にモーニングスターを振り下ろしていた。
何にせよ、まずは男の戦闘力を奪う事が先決。事情を聞き出す為にも、殺さずに置く事が望ましい。
そう考えたラッケの一撃は、男の右の肩口を狙った。
と言うのに。
男は、わざわざラッケの攻撃の前に、頭を差し出してきた。
「なんや?」
訳が分からず、しかし、攻撃は止まらず。ラッケのモーニングスターは男の頭を砕いていた。即死だ。
本当に、何がやりたいのかわからない。
男は、頭を拉げさせて、ゆっくりと床に倒れた。その額から、サークレットが外れて転がる。
ラッケの視線は、そのサークレットを追った。どうしようもなく、目を引きつけられる。
サークレットは、なにやら人の目を模したような微妙なデザインだ。
ラッケは、なぜだか抗いがたい衝動を感じて、そのサークレットを拾い上げた。
「ラッケ司祭、大丈夫ですか?」
男が倒れたのを見て、生き延びた神官達が、ラッケに声をかけてくる。
ラッケも、少なからぬ火傷を負っているように見える。
「大丈夫です」
ラッケは、ゆっくりと振り向いて神官達に笑顔を見せた。その額には、先刻まで男の付けていたサークレットがはめられている。
「ラッケ様?」
「似合いませんか?」
「あの、ラッケ様、なんだか言葉遣いが……」
「別に、何にも変わって居ませんですけん」
「え?」
戸惑う神官の横を、ラッケは抜けていく。
「私も流石に疲れたじゃけん、ちょっと休ませて貰うだぎゃあ」
「え? え?」
目を白黒させている神官をそのままに、ラッケは部屋から退場する。
そして、自分を追ってくる人間が居ない事を確認すると、大きく息を吐いた。
「ふう、蛮族の言葉は難しい。とにかく、これで準備は整った。行動を開始しよう」
ラッケは、静かに呪文の詠唱を初め、直後、その場から消えた。