マーモ帝国の首都はペルセイ。
バグナードは、王城コンクァラー内に、私室を初めとして執務室、研究室他、たくさんの部屋を与えられている。
何しろバグナードはマーモ帝国の宮廷魔術師筆頭である。それくらいは当たり前の話。
だと言うのに、バグナードは最近、自分の部屋によりつきもしない。代わりに、王城地下のカーディス神殿に居る事が多い。
破壊の邪神カーディス神殿。はっきり言って、居心地は最悪である。この地下神殿の最大の特徴と言えば、かしいだ巨大な女神像が突き当たりの壁に半ば埋もれて存在する事。実はこの女神像、奈良の大仏やアメリカの自由の女神、北朝鮮のイルソン像とは勝手が違う。作り物ではない、大地母神マーファの力で石に変えられたマジモンの邪神カーディスなのである。全ての活動を停止していて無害──に見えるが、マーモの植生やら在住の動物やらが異形のモノばかりなのは、このカーディスの骸(?)があるせいだという説がある。目に見えず何も聞こえず肌に感じず味もせず、しかし、何かの有害物質だが毒電波だかを垂れ流しているとしても不思議ではない雰囲気がこの邪神像にはある。
呪われた島ロードスの中でも最大級に呪われた暗黒の島マーモの住人といえども、やっぱりこうしたやばい場所には近づきたくない。否、逆に、やばい土地に住む人間だからこそ、無駄な蛮勇を見せる愚かさを知っているから特にだ。カーディス信者であれば違う感想を抱けるかも知れないが、流石に「何でもかんでもぶち壊せ」なんて破壊的な教義を信仰する連中はマーモでも持て余し気味で、表ではあんまり見かけない。だから彼らの感想は想像でしかないのだが、当たらずとも遠からずだろう。
バグナードを尋ねて地下神殿にやってきたグローダーは、特定の神を信仰する趣味はなかった。頼るべきは神ではなく自分の能力である。マーモの人間らしく、ごく当たり前に、このように考えていた。
しかしグローダーは今現在、この最悪な環境とは違う理由で、冷や汗に濡れていた。
現在そのグローダーは、バグナードの前で冷たい床に膝をつき、頭を垂れている。
「──以上のように、私の能力では魂の水晶球入手は不可能であると判断せざる得ませんでした。──否、私だけではなく、誰がやっても難しいでしょう。どうしてもと言うのであれば、ヒノマルの街を占拠して、しかる後に宮廷魔術師を動員しての大規模な儀式を行って。これしかありません」
「ふむ」
グローダーの報告を受けて、面白くもなさそうにバグナードは頷いた。
グローダーは、内心で冷や汗を流している。生きた心地がしない。
グローダーが命じられた魂の水晶球探索のクエストは、失敗に終わった。と言うか、最初から成功の目はなかった。水竜エイブラが持つはずのそれは、とっくの昔にニッポン国王マサムネが入手して持ち去ってしまっていたのだから。
──が。
だから無理でしたと報告するだけでは、無能の烙印を押されてしまう。
バグナードは、ロードスで一番の導師──魔法の先生である。魔術師としての能力では大賢者ウォートに一歩譲るかも知れないが、導師としては断然に上だ。比べるのが間違っている。何しろ、ウォートは弟子を取らない事で有名だから。最近売り出し中の北の賢者スレインとは、比べるのも失礼な話だろう。あっちもそれなりに弟子を育てているようだが、質量共に、バグナードの敵ではない。とにかく、賢者の学院無き今、質量共に最高の弟子達を抱えているのはバグナードである。黒の導師と言う二つ名は伊達ではない。
しかし、同時にロードスで一番厳しい導師でもある。
元々アラニアの出身のはずだが、どうやらマーモ式のやり方が非常に合ったらしい。
マーモ式のやり方。曰く、一度でも失敗した者は即始末。
マーモの環境は酷く厳しい。容易に人は死ぬ。無能を許容する余裕はない。
その辺りから、失敗した者には非常に厳しい裁決が下る。具体的に言えば、失敗した者には即座に死を。
まあ、すべての者が殺されてしまうわけではないが、決して油断は出来ない。全てではないが、珍しい事でもない。
そしてバグナードは、かなり厳格な、その実践者だった。
弟子や部下の失敗には、非常に厳しい態度でもって罰を与える。死であったり、あるいは魔法を使えなくしたり等、様々な手法を取るが、その結果がロクでもない事には違いない。
また同時に、失敗しなくとも、自ら無能と判断した者にも厳しい。
バグナードに命じられた魂の水晶球探索は、失敗するべくして失敗した。初手から、成功の目など無い。エイブラと戦っていたのでは、絶対に手に入らなかったのだ。これは、バグナードのミスとも言える。──指摘する勇気はないが。
だから、これについては罰を免れる事は可能だ。
しかし。
それだけでは駄目かも知れない。単純にお使いができませんでしたと報告するだけでは、無能の烙印を押されかねないのだ。
と、グローダーは判断すると、即座にニッポン王国首都ヒノマルへ向かった。魂の水晶球を奪う事はできないかと調べてみたのだ。ダークエルフや暗黒神の司祭やらに借りを作りまくり、必死こいて調べた結果は──無理。少なくとも、自分の能力では手に入れる事は不可能だと判断するに至った。魂の水晶球は王城の宝物庫に隠してあり、そこはマサムネがハードロックの魔法で施錠したと言っていた。合い言葉を知らないグローダーは、解錠の為にはアンロックの魔法を使う必要がある。だから無理。はっきり言ってマサムネは10レベルオーバーのソーサラー。対してグローダーは優秀で超英雄ポイント持ちとはいえ、それでも所詮は8レベルソーサラーである。いや、それだって大したものだが相手が悪い。悪すぎる。彼我の魔力差は非常に大きいと言わざる得ない。じっくりばっちり儀式をして──ならば可能性はありそうだが、敵地でそんな余裕はない。否、その宝物庫に近づく事だって、多分無理だというのが、同行して貰ったダークエルフや闇司祭の判断。力攻めは当然の事。裏からこっそりというのも無理。旧ライデン盗賊ギルド、現ニッポン王国密偵ギルドの防諜能力はとてつもなく高かった。きっぱりはっきり、すがすがしいまでに不可能だった。
「……よかろう」
長い、はらはらドキドキの沈黙の後、バグナードは頷いた。
「お前の判断は正しいのであろう」
ほっと、グローダーは安堵の息を零す。
納得してもらえた。決して、グローダーが無能でも、失敗したわけでもないのだ。罰は免れた──
「だが──」
しかし、バグナードはがらりと口調を変えた。
途端に、グローダーの血の温度が一気に下がる。下げた頭。うなじの辺りにちりちりした視線を感じる。
「何故、アシュラムを助けた?」
来た。
内心で、ごくりと唾を飲み込む。
現在のマーモは──ベルド亡き後のマーモは、暗黒騎士団団長アシュラム、宮廷魔術師主席バグナード、暗黒神の最高司祭ルゼーブ、ダークエルフ族長ガーベラの4人による評議会によって運営されている。強烈なカリスマを持った皇帝ベルドに代わる人材を望む術もなかったマーモ帝国が取った次善の策──のはずだったが、ちっとも上手く行ってなかった。
ベルドの元では、全ての人間が──バグナードでさえ──ベルドの為に身を粉にして働いた。ベルドによるロードス統一。その為に全力を尽くした。そう、マーモの為ではなく、ベルドの為だったのだ。
だから、ベルド亡き今。
バグナードはもちろん、ルゼーブ、ガーベラ共に、麾下の者達の安全と利権確保に全力を尽くしている。アシュラム一人はマーモ帝国によるロードス統一を諦めていない様子だが、それでも一番が麾下の暗黒騎士団の安全及び利権確保であることには違いない。はっきり言って、現在のマーモ帝国は分解寸前のていたらくなのだ。マサムネの表現ではだめだめ。その自覚があるからこそ、アシュラムは支配の王錫を求めたのだ。
詰まる所、評議会の他の3人は潜在的な敵でもあるのだ。自分及び自陣営の利権確保の為には、他の陣営の失点はありがたい。そう、アシュラムが倒れるのであれば、他の3人にとってはそれはまた喜ばしい事なのだ。
だと言うのに、グローダーはアシュラムを助けた。
放っておけば良かったのに、逃げる際にわざわざアシュラムを連れて瞬間移動してきている。
バグナードは、その理由を問うているのだ。
「……」
グローダーは、来るべくして来た質問ながら、答えるのに若干の間を必要とした。既に、グローダーにその理由ははっきりしている。しかし、その理由がバグナードに納得してもらえるか。それは未知数。いや、多分、納得してもらえない可能性が高い。
「どうした、答えられないか?」
「いえ」
待たせるのも、また拙い。
グローダーは舌で唇を舐めて湿らせる。
どうせ、どんな理由を言ったとしても、納得してもらえない可能性が高い。ならば、正直に、思うがままの理由を答えよう。バグナードは厳しいが、無慈悲な人間ではないはずである。──それに、もしも死を賜るとしても、それによってアシュラムを助けた事を後悔しない自信はある。残念には思うが、アシュラムを助けなければ良かった。そう思う事だけは無いつもりだ。
「あの方は、現在のマーモに必要不可欠な方です」
「ほう」
バグナードの声には、どこか楽しむ響きがあった。
「入れ込んだモノだな」
「はっきり言って、今のままでは、遠からずマーモ帝国は滅亡します」
「ふふふ。不幸の予言をする者は疎まれるぞ」
バグナードは、かすかに笑みすら見せながら応じた。
その様子を見て、グローダーは確信していた。バグナードは、もはやマーモ帝国が滅亡してもいっこうに構わないのだと。これは、良く囁かれていた事である。バグナードにとって、ベルド亡きマーモ帝国など、もはや忠誠に値するモノではないのだ。未だ宮廷魔術師の地位にあるのは、その方が自身の魔法の研究にとって都合が良いから。それだけに過ぎないのだ。マーモ帝国が滅びるならば滅びろ。否、むしろ、ベルドの居ないマーモ帝国は滅びるべきだとまで、思っているのかも知れない。
だが、グローダーは違う。
グローダーはマーモ帝国が滅びても良いとは考えていない。滅びるのがやむなし、とも思わない。確かに、グローダーもまた、多くのマーモ帝国の人間がそうであったように、ベルドに心からの忠誠を誓っていた。ベルドが倒れたときには、全てが終わったようにも感じた。
だが。
だが、まだだ。素直に全てを諦め、マーモ滅亡を許容する事などできない。ましてや、仕えるべき主を見つけた今となっては尚のこと。
「しかし、事実です。現在のままでは、マーモはじり貧です。モスの内乱は収束に向かいつつありますし、フレイムは火竜の狩猟場の一部に入植し、国力を増しています。アラニアはぐだぐだでどちらに転ぶか解りませんが、遠からず、再びかつてのような対マーモ包囲網が形成されるでしょう。ロードスのほとんど全てを敵に回して、戦い抜く事など、ベルド陛下亡き今のマーモには、絶対に不可能です」
バグナードは無言で頷き、先を促す。
この程度の分析は、当然のようにバグナードにも出来ているのだ。
「そこで、アシュラム卿です。あの方が中心となって、マーモをまとめ上げれば、まだまだ、マーモは戦えます」
「買いかぶったモノだな」
「事実です」
きっぱりと、迷い無くグローダーは応じた。
顔を上げてバグナードの表情を伺うと、楽しそうにグローダーを見下ろしている。少なくとも、興を持たせた事は間違いないようだ。
グローダーはそこで再び唇を舐めて、湿らせる。
これを言うべきか。
迷う。
下手をしたら、バグナードを怒らせる可能性もある。それも、かなりの高さで。
しかし。
それはグローダーの本心である。心から、そう思っている。
ええい、ままよ。
と、グローダーは迷いを振り切ると、口を開いた。
「アシュラム卿であれば、ベルド陛下亡き今のマーモ帝国を支える事が可能であると、私は信じています。ベルド陛下の後を継ぐのは、あの方を於いて他はないと、私は信じています」
「ベルド陛下の代わりか……」
バグナードは笑う。悪魔じみた微笑。しかし、瞳は全く笑っていなかった。小僧どもが噴き上がる。そうした、怒り寸前の感情が瞳の奥に踊る。バグナードにとって、ベルドは特別なのだ。そしてそれを、グローダーは承知している。承知していて、口にしたのだ。だから、見下ろすバグナードの瞳から、視線を逸らさない。逸らしたら、バグナードは自分を許さないという確信もあった。
「それにっ!」
力を込めて、グローダーは言葉を発する。
バグナードの瞳の圧力に、心が挫けそうになる。バグナードもまた、ベルドと並ぶ巨人。認めるしかない、とグローダーは思う。自分よりも圧倒的に格上だ。
「私にとっては、あの方こそが仕えるべき人だと確信しました。私にとっては、あの方が、ベルド陛下なのです!」
「……」
じっと、バグナードがグローダーをにらみ付ける。
その圧力に耐えて、グローダーはバグナードの瞳を見つめ続ける。
グローダーは蛇に睨まれた蛙のような気分をたっぷりと味わった。しかし、蛙と違って、全てを諦観してしまうわけにはいかない。圧倒的な彼我の差を感じながら──捕食者と餌の関係でしかないと理解しながら、決して屈するわけにはいかないのだ。
じっとりと、全身が嫌な汗に濡れる。
どれくらいの時間が経ったのか。永遠にも感じたが、実際は刹那であったのかも知れない。
グローダーを屈服させようとしていた、バグナードの視線の圧力が不意にゆるむ。
思わずつんのめりそうになりながらも、グローダーは耐える。
その目の前で、バグナードは哄笑していた。おかしくて堪らないとばかりに、盛大に、のけぞるようにして笑う。
「小僧が言いよるわ」
心底から。
耐えきれないとばかりに。
たっぷりとバグナードは笑い、そして突然に笑いを納めた。
再びグローダーを見つめた瞳には、笑いの残滓は欠片も残っていない。何処までも冷徹で厳格な瞳。
自然に、グローダーは背筋を伸ばして姿勢を正していた。
「面白い。ならば、やって見せよ。見事、アシュラムめを支えてみせよ。ただし、決して無様は見せるな。お前がアシュラムめに仕える事は許すが、お前が儂の弟子である事には違いない。そして儂は、無能な弟子を許容するほど、心は広くない。それを覚えておけ」
「では──」
「行け。貴様の思うままに動いて見せよ」
バグナードは、くるりとグローダーに背を向ける。もはや話は全て済んだ。とばかりに、地下神殿の一角に積み上げられた書籍の山に向かって、歩いていく。
その背中に、グローダーは自然に、頭を下げた。