お風呂で暴れてはいけません。
サシカイアは湯船の縁に上半身を預けて、荒い息を吐いていた。
マサムネとのにらみ合いは実力行使、娼婦のお姉さんも巻き込んでのお湯の掛け合いにまで発展した。勝負の結果は痛み分け。お湯の温度はぬるめに設定されていたとは言え、暴れればのぼせもする。
「はっはっはっは、大勝利!」
「……引き分けです」
何一つ隠すことなく仁王立ちしているマサムネにげんなりした気分を隠さず、サシカイアは体を持ち上げると湯船の縁に腰を下ろした。太ももの上にタオルを掛けて下半身はガードしたが胸は放りっぱなし。しかし、その辺りは既に鈍感になってしまっていて、気にする事もない。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
と、部屋備え付けの飲み物を用意してくれたお姉さんにお礼を言って受け取る。氷の精霊フラウの力を借りて低温に保たれた保冷庫にしまわれていた、冷たい飲み物が心地良い。
それにしても、お湯の掛け合いなど、子供じみた真似をしてしまった事を反省。
マサムネが餓鬼っぽいのは今に始まった事ではないが、自分まで引きずられてしまうのは、許容すべきではない。
ちなみに結構まじめにマサムネに対抗したサシカイアである。本来であればギアスの効果で痛みを覚えても不思議ではないが、それはなかった。経年劣化によるギアスの効果の減少。その様にサシカイアは考えている。決して、かつての反抗と比べ、最近のそれが問題に値しない「じゃれ合い」になっているとか、「犬も食わない類の代物」になっているという可能性は、絶対に考えない。そんな事はあるはずがないのだから。と言うか、なくちゃやだ。
サシカイアは上機嫌に飲み物を飲んでいるマサムネに視線を向けて、話を戻す。
「……とにかく、休憩もそろそろ終わりにして、まじめに仕事してくださいよ。あなたの決済を待っている書類が、いったいどれほど溜まっていると思っているんですか?」
「ここに持ってこさせるか?」
「……仕事になるんですか?」
それに、口にはしないが重要書類だってある。娼婦のお姉さんを危険視する必要はあんまり無い──とは思うが、積極的に情報公開する必要はもっと無い。漏洩を避けるには、口は少ないに限る。
「折角、今日一日貸し切り予約をしたのに」
マサムネはだだをこねる。
何しろこのお姉さんは国営娼館人気ナンバーワンである。連日予約で一杯なのは当たり前。下手すると予約の予約まであるとかないとか。──まあ、マサムネは王様だから、権力を笠に着てのごり押しも出来るのだが。
「……まじめにやれば、一日二日で片づくでしょう? それから、また遊んでください」
遊んでいて欲しくないのだが、それを言ったらますます仕事をしてくれなくなりそうだったので、サシカイアは譲歩してみせる。
実際の所、マサムネの事務処理能力は結構高い。これもおそらく召還の際のドーピング故だろうが、それでも高いのは確か。──やる気にさせるまでが一苦労だが。
「いや、俺は今ここで、仕事をしていたのだ」
「……なんですか、その今思いついたというか、とってつけたような唐突な話は」
サシカイアはジト目になる。
ここでしていたとは、どういう仕事だ? 子作りが王様の仕事、とか抜かしたら、完璧に見限ってやる。
「ええと、そうだ、子作りとか?」
「……実家に帰らせて頂きます」
「何故だ? 子作りは王様の仕事だろう?」
「……ええ、そうですね」
そうした事があるのは承知。
王の義務として、その地位の継承者を用意すると言うモノがある。地位の継承者。つまりは子供。ころころ権力者が代わり、そのたびに国体が変わったり、権力闘争が起きたりするのは良い事じゃない。だから、王が子供を作って王朝を安定化させる事は義務である。──それでも、身内で後継者争いが起こる事も珍しくないが。
しかし、マサムネの場合。
「……避妊の魔法を使って子供作らないようにしているの、知ってますよ」
子作りではなく、ただの快楽の追求である。
それに、そうでなくとも、何事にも限度というモノがあるのだ。
「ああ、それで、王様、艶聞が山ほどある割に、子供一人もいないんですね」
娼婦のお姉さんが頷く。種なしじゃなかったんですね、と、小声ながら呟く。巷にはそうした噂もある。
「まあ、それはともかく」
「……ともかく?」
明後日の方を見てごまかそうとするマサムネをサシカイアはにらみ付ける。
「ほら、あれだ」
ポン、と手を打つマサムネ。どうやら、他の言い訳のネタを考えついた様子。
「情報収集だよ、情報収集。ほれ、王城でふんぞり返っているだけでは、なかなか巷の情報が入ってこないだろう?」
「……私が密偵ギルド何かを経由して入ってきた情報を、いつも報告していますが? と言うか、ここに来たのも、元々はその情報の伝達の為です」
「ちっちっちっ」
と、マサムネは悪びれずに顔の前で立てた人差し指を左右に振った。
「甘いな、サシカイア。俺が求めているのは、生きた情報なんだ。そうやってサシカイア・フィルターを通されていない、生の情報。それこそが、重要なのだ」
「……とってつけたようにしか聞こえません」
サシカイア・フィルターってのは何だ? と、サシカイアはジト目でマサムネを見る。
「……だいたい、情報収集をしているようには、欠片も見えません」
「そんな事無いぞ」
マサムネは視線をさまよわせた。
「ええと、ほら、あれだ。そう、あの情報とか、この情報とか、その情報とか、色々聞いていたんだ」
それは見事に信用出来ない言葉だった。
フォローを求められている娼婦のお姉さんも、困った表情で苦笑いを浮かべるのが精一杯の様子。
はあ〜〜、とサシカイアはこれ見よがしのため息を零して見せた。
「まあ、それはともかく」
マサムネは「うっ」と言う表情をしたがそれも一瞬。思い切り強引に話題を変えようとして見せた。
「そう、あれだ。俺は、どこかに使える人材がいないか話を聞いていたんだ。ほら、娼婦は情報に通じているから」
「……へえ、そうですか?」
サシカイアの絶対零度の視線にもめげず、マサムネはその話題で無理矢理道を切り開く事にしたらしい。
「うんうん、人は石垣、人は城。国の要はやはり人。優秀な冒険者とか傭兵とか。どっちかって言うと文官の方が不足気味な気もするが、とにかく使えそうな人間の話は聞かないか?」
「使えそうな人間ですか?」
ううん、と、おとがいに人差し指を当てて娼婦のお姉さんは首をかしげる。
「アラニア近くのどこかの森に、魔獣使いの老人が住んでいると言う話を聞いた事が……」
「じじいはいらん。美人の孫娘がいるとかなら、話は別だが」
「そう言う話は聞かないです。と言いますか、家族の話まではちょっと」
「……優秀な人材なら、老若男女問わないで下さい」
サシカイアが窘めるも、多分無駄だろうなあ、と言う響きを多分に有した声だった。
「っていうか、魔獣使いって、なんだ?」
「……魔獣を操る人の事じゃないですか?」
「まんまだな。おい」
「……ひねる必要もないでしょう」
応じて、サシカイアは首をかしげた。
「……でも、そんな技、本当にあるんですかね?」
古代語魔法? 精霊魔法では無理そうだし、と、サシカイア。
「まあ、私もちょっと噂を聞いた、と言う程度で、真偽は不明ですが」
「……一応、調べさせてみます。本当なら、かなり便利そうだし」
じじいだろ? と、乗り気じゃないマサムネをにらみ付けて黙らせる。
それから、娼婦のお姉さんに先を促す。マサムネの言葉に乗るのはアレだが、折角だから、話を聞いておこうとサシカイアは考えていた。娼婦が事情に通じている。それは確かに真実だし。
「他には、あまり。元々、ヒノマルの街にやってくる人間のほとんどは、ニッポン王国に仕えて一旗揚げようって人ばかりですし」
しかし、娼婦のお姉さんは首を振った。
他の国と違って新しいだけに、しがらみがない。血筋とかで出世が決まるわけではなく、実力本位。だから、自分の能力に自信のある者がニッポン王国に集まってきている。そしてそうした人物は、放っておいても仕官を求めてくる。
「地元の人間の話になると、私はあんまり詳しくないですしね。出身はターバの方ですし、その後はライデンで娼婦。そして、現在、という感じですから」
「……ターバですか?」
ターバと言えば、マーファの本神殿のある場所である。ちょっぴり、サシカイアは用心深く娼婦のお姉さんを見つめ、しかし一瞬でそれを消す。神官には苦手意識を抱いているサシカイアである。しかし、娼館に勤めている人間が神官のはずがないと思い直したのだ。
「ターバなら、マーファ神官に詳しいだろう。だれか、ウチの宮廷付き司祭になってくれそうな、有能で美人の神官を知らないか?」
「……正気ですか?」
あなたはまだ神官を求めているのですか? と、吃驚してサシカイアは尋ねる。
「俺はどの神様の信者でもないからな。だから、6大神は平等に扱いたい。しかし、今のままだと、ファリスやマイリーやファラリスを贔屓するのは確実だからな」
性格に問題があるが、マリー、ベル、ミモザと、美人の宮廷付き司祭のいるファリス、マイリー、ファラリス教である。その他のマーファ、チャ・ザ、ラーダよりも贔屓すると、悪びれずにマサムネは口にする。
「下手に宗教が権力と結びつくとろくな事ないからな。一応、3つで牽制し合ってくれるからあんまり問題はないかも知れないが──それでもなあ」
「……その発言は、ヴァリスに喧嘩売ってますよ」
神聖王国ヴァリスはファリスの国である。
「ろくな国じゃねえだろ? ファーン以来、多少は改善されたって話だけど、ファリス神殿が腐りまくっているのは有名だろ? 権力に結びついた宗教は、絶対に堕落するんだよ」
魔神戦争時のファリス本神殿は、本当にロクでもない神官ばかりだったらしい。まともに奇跡を起こせない司祭も、ごろごろいたと言う。ファーンが王位について以来、多少は改善されていたと聞くが、それでも腐敗の一掃はなし得なかった様子。これはファーンの無能というわけではなく、ヴァリスの国体のせいもある。ヴァリス国王は、ファリス神殿にその地位を任されている。そう言う事になっている。即ち、王は神殿よりも格下なのだ。王といえども色々縛りがあり、頭ごなしの神殿改革は不可能なのだから。
そして現在、代替わりしてエト国王の治世。エトはこれまでのように聖騎士からではなく、ファリス神殿の方から出た、初のファリス神官の国王である。これで間違いなく神殿の権力は強化されるだろう。その強大な権力で改革が出来るのか。それとも再び権力の毒に負けて、腐敗の度合いを強めるのか。今のところはまだ不明である。
「……それはともかく。ターバ本神殿からの招聘は難しいんじゃないですか? いえ、マーファ神官に限った事ではなく、チャ・ザ、ラーダも」
マサムネは、既にマーファ神殿やライデンのチャ・ザ本神殿、アラニアはアランのラーダ本神殿に美人で有能な神官を宮廷付き司祭として迎えたい旨、伝えている。
が、返事は芳しくない。
マーファ本神殿は現在、ザクソンの独立運動支持に全力を振り分けている為、余裕なしとの返事。
チャ・ザ本神殿は、謎の魔法盗賊に襲われて結構な被害を出した上、アレクラスト大陸よりの客人司祭の失踪と事件が続き、混乱中。
ラーダ本神殿からは返事もなし。
確かに、マーファ、チャ・ザ共に嘘は言っていないが、全ての理由ではないだろう。何よりも、マサムネがファラリス信仰を──ミモザ派に限っているとは言え──認めた事が問題になっているのだ。事実、ヴァリス王国からは、抗議の使者がやってきている。「別に迷惑かけているわけでもねえんだから、余所の国のやり方に余計な口出しするな。お前は中国人や朝鮮人か」と、マサムネは全く取り合わなかったが。サシカイアも、ヴァリスの反応は予想通りで当然の事、と思いつつも、その頭ごなしの使者の言葉に、反感を覚えたのも確か。マサムネの影響を受けているのかと、僅かに恐れおののいたりもしたが。
閑話休題。
「ええと」
正直、マサムネは期待などしていなかっただろう。元々、言い訳代わりにした質問。そこで偶然、娼婦のお姉さんが心当たりがある。そんなうまい話はそうそう無い。
しかし、この話は所詮ご都合主義がまかり通る程度の劣悪な代物だった。
「一人、心当たりが」
「そうか、やっぱりな、まあ期待していなかったから気にするな」
「……そうですよね。そんなうまい話があるわけが──って? え?」
「ですから、一人、心当たりが」
「美人か?」
マサムネがそれが一番大事と尋ねる。
「……重要なのはそれですか?」
「そうだ」
いっそすがすがしいまでにきっぱりとマサムネが応じる。
「ええと、まあ、見れるんじゃないかと思います」
「……変な人じゃないですよね?」
サシカイアはそれが一番大事と尋ねる。
「ええと、まあ、普通だと思っています」
「で、誰だ? 何処にいる? ウチに仕えてくれそうか?」
「その前に一つよろしいですか?」
鷹揚にマサムネが頷いたので、娼婦のお姉さんは続ける。
「私の借金、王様、肩代わりして払っていただけませんか?」
「いくらだ?」
問われて娼婦のお姉さんが口にした金額は、思わず目を剥いてしまうほどのモノだった。
「なっ。……情報料としては、破格すぎます。話にもなりません」
即座にサシカイアが否定の言葉を口にする。確かにマーファ神官は欲しい。が、サシカイアにしてみれば、どうしても、と言うレベルではない。いればいい。その程度。だから、そこまでの金額は払えない。
「待て」
しかし、マサムネが制した。
サシカイアはそちらをにらみ付ける。
「……駄目です、絶対にこんな話、認められません!」
「王様は俺だぞ」
と、サシカイアの言葉を封じたマサムネだが、こちらも確かに迷っている様子。だからといって、サシカイアが納得出来るわけでもないが。
「……それでも、言わせて頂きます。こんな──」
「解っているから黙れ」
「──つっ」
これ以上の抗弁は、ギアスの発動に繋がる。それを察して、サシカイアは口をつぐむ。しかし、瞳に不満をたっぷり乗せて、マサムネをにらみ付けるのは止めないが。
「うう、ああ、糞。解った、了解だ」
苦悩の末、マサムネの結論はそうなったらしい。
この馬鹿は〜〜〜、と口に出せずににらみ付けるサシカイア。
「だが、お前は自由にしてやらないぞ。これからは俺の専属として──」
それじゃあ何の解決にもならない。このお姉さんにした所で、自由が欲しいから借金チャラを条件に出したであろうに。そして、こんな無茶な条件を出したのだ。希望が通らなければ口をつぐむに決まっている。
「それは、元々、そのつもりですけど?」
娼婦のお姉さんはにっこりと笑って言った。
「……え?」
と戸惑うサシカイア。
「宮廷付き司祭って、つまりはそう言う事なんですよね。──では、改めまして」
にっこりと笑ってお姉さんは頭を下げる。
「私、ターバの本神殿にいた頃は司祭の地位にありました、マーファ様に仕える神官のアランシアです」