大地母神マーファ。


 マーファの教義を一言で示せば、「自然であれ」。これは自然崇拝、ドルイド的な教義ではなく、人が人らしく自然に生きる事を理想としている。そして、大地母神という性質もあり、農耕や狩猟などの、生きていくのに必要不可欠な営みも守護している。
 さらには、結婚の守護者としての一面も持つ。アラニア北端のターバ、ここにはマーファ本神殿が存在する。そこへ至る街道の名前は「祝福の街道」。これは、結婚式をマーファ本神殿で挙げようと言う若い男女が多く利用した事から付いた名前である。
 ──であるからして。
 マーファは、男女の営みを祝福する。
 しかし、それは結婚を前提としての祝福であり、快楽追求の為のみの男女の営みは除外される。どころか、不自然な行いとして否定的ですらあるはずだ。
 あるはずだ。
「……あるはずですよね、ねえ」
「何取り乱しているんだ、こいつは」
 マサムネに突っ込みを入れられて、サシカイアは我に返る。
 やばい、マサムネに突っ込まれるようでは人として終わりである。
「そんなん、毎日突っ込んでるだろうが。──ベッドとかで」
「──!」
 サシカイアは真っ赤になって、マサムネに湯をぶっかけた。
「うわ、こら、よせっ──げふ、げふっ」
 どうやら、見事に直撃して、気管にでも入ったらしい。マサムネが盛大に噎せ返る。
 それで、何とか溜飲を下げてサシカイアは落ち着きを取り戻す努力を始めた。
 マサムネは娼婦のお姉さん、──自己申告ではマーファ司祭のアランシアに背中をさすって貰いながら、サシカイアをにらみ付ける。
「今更照れるような話か? とっくの昔にユニコーンに乗れなくなっている癖に」
「……わざわざ宣伝する必要もないです」
 誰のせいでそうなったのか。それはもちろんマサムネのせいである。
「……それに、下世話な話は嫌いです」
「下世話? とんでもない。二人の愛に満ちた営みを──」
 マサムネが両腕を広げてわざとらしく言うが、サシカイアに睨まれて途中で口を閉ざす。
「……それより、アランシアさんは、本当にマーファ神官──それも司祭なんですか?」
 サシカイアは、否定して欲しいなあ、と言う顔を隠そうともせずにアランシアに向き直る。
「本当ですよ」
 別に疑うサシカイアに気分を害した風でもなく、おっとりとアランシアは頷く。
 サシカイアは、無遠慮にアランシアの上から下まで観察する。
 長い素直な黒髪。瞳の色も黒。国営娼館でナンバー1だけあって整った顔立ち。立ち居振る舞いは、上級娼婦なら当然教育されているモノだが、それとはどこか違う、本来持つ上品さ、そんなモノを感じさせる。先刻もその様に感じたサシカイアの感覚は、正しかったという事だろうか?
「……では、何故、こんなところで娼婦を?」
「俺に会う為だろう」
「……この馬鹿は無視して下さい」
「誰が馬鹿だ」
「……黙っていて下さい」
 ぎろりとマサムネに凶眼を向けて黙らせ、サシカイアはアランシアに向き直り、もう一度同じ質問をした。
「借金を抱えたからです」
「……何故、借金を? その辺りの話から、よろしくお願いします」
「ええと、それは──」
 アランシアは、答えて身の上話を始めた。


 アランシアは、ターバで生まれた。
 ターバの町にはマーファ本神殿がある。そして、マーファ本神殿で持っているような街だった。例えば、長野市と善光寺の関係とか、そんな感じで。マーファ神殿に巡礼やら参拝やらにやってくる人向けの宿坊や、おみやげ物屋、マーファ本神殿に勤める神官の生活を支える為の各種職業。とにかく、ターバの中心はマーファ本神殿であり、マーファ本神殿がなければ成り立たない。ターバとは、そう言う町だった。
 自然、ターバの人間はマーファ信者になる。でなければ生きていけないような環境である、とも言える。
 アランシアも、あたりまえに影響を受け、マーファ信者となった。
 そして、神の声を聞いた。
「と言いましても、大した声じゃありませんでしたが」
 とにかく、そんな事もあって、アランシアはマーファの神官となる道を選んだ。と言うか、神の声が聞こえた時点でもはや問答無用だろう。神の声が聞こえたのに無視する。そんな事が出来る人間はまずいない。聞こえたら最後、その神に仕えるしかない。そう言うモノだ。
 アランシアはそれほどひねくれた物の考え方はせず、当たり前に、素直にマーファ神官となり、修行を始めた。
 どうやらアランシアは神官、奇跡の使い手として高い資質を持っていたらしく、あっという間に能力を高め、10代で侍祭、司祭と順調に位を上げていく。それは「天才」少女とまで称されるほどの才能であったらしい。将来は、あの偉大なる6英雄の一人、マーファの愛娘、ニースにも匹敵するほどになれるのではないか。そこまで言われていた。
 が。
 神童も二十歳を過ぎればただの人。
 そんな言葉がある。
 そして、アランシアはまさしくそんな感じに伸び悩んだ。
 10代の頃には成長著しかったアランシアだったが、その伸びは20才になる頃にはぱったりと止まっていた。それまでには、かなりの力を得ており、司祭としては必要充分以上であったが、子供時代が凄すぎたせいで、周囲が付ける点も、自ら付ける点も辛かった。周囲の付ける点には、多くの者がそれまでに追い抜かれていた、そう言う事情もあり、陰口も囁かれた。
 ニースの目もあり、陰湿ないじめは起こらず。針のむしろ、とまでは行かないが、それでも、アランシアにとってターバ本神殿は居辛い場所となった。
 そこで、外へ出る事にした。
 ただでさえ、生まれてからずっとターバの町で暮らしてきた。アランシアには、自分が世間知らずであるという自覚もあった。
 無論、外の世界へ対する恐怖も現として存在したが、それでも、アランシアは外へ出る事を選んだ。
 このままでは自分はニース様になれない。
 それは、無謀な望みであると、人が聞けば言うだろう。何しろあっちは超英雄。ほとんど人外の11レベルプリーストである。しかし、そのころのアランシアは少女時代の、過去の栄光もあり、自分もああなれる、なるはずだという、根拠レスな確信、あるいは過信を抱いていた。
 だから、アランシアは覚悟を決めて、修行の旅に出た。
 出たのだが。


「──確かに、当時は世間知らずの小娘だったんですよね」
 と、今のアランシアは苦笑した。
 ターバのマーファ本神殿という、マーファ神官にとっては最高の環境でぬくぬくと育ってきたアランシアにとって、それ以外の場所は厳しく、冷たい場所だった。
「──それまで修行漬けの毎日でしたから、ライデンに付いたときには、もうお上りさん丸出しで」
 マーファの聖地、とは言え、ターバはやはり辺境の田舎町であるには違いない。対して、ライデンはロードスでも最大規模の街。その違いは大きく、田舎娘がカルチャーショックを受けても不思議ではない。
「そこで騙されて、借金漬けにされてお風呂に沈められたのか?」
「ええと、騙されたというか……」
 アランシアはごまかすように、ちょっと視線をさまよわせた。
 同時に、世界は誘惑に満ちていた。
 これまでアランシアは全ての欲望に背を向けて、神官としての能力を高める事、それのみを追求してきた。そして、ターバのマーファ本神殿という環境は、それを全面的に支援してくれる場所だった。
 修行をするには最高。
 しかし、それ以外の事をするには、あんまり向いていない場所。
 鋳型ではめられたように、アランシアは硬く自分を作ってきた。ゆとりも遊びもなく、ただ、マーファ神官である。それだけであるように自分を限定してきた。
「──それが、自分に枠をはめて限界を作っているんじゃないか。そんな風にも考えたっていう理由もありましたけど」
 アランシアは、ぺろりと可愛らしく舌を出した。
「とにかく、一度ハメを外してみよう、そう考えたんです」
「……それで、騙されたんですか?」
「騙されたというか」
 アランシアは歯切れ悪く口にし、それから、心を決めたように言った。
「生まれて初めてお酒を飲んで。──で、気が付いたら、連れ込み宿に男娼12人ばかりと一緒に寝ていたと言う」
「……はい?」
 どこかで聞いたような話である。
「──あ、でも、審美眼は歪んでませんでしたよ。耽美系からマッチョまで色々でしたけど、みんな美形でしたから」
「……そんな事は聞いてません」
「そうですか?」
 こほん、とごまかすように咳払い。
「──で、結構な額の料金を請求されたんですけど、当然、持ち合わせが無くて。後はもうお定まりのパターンと言うか。借金返せないんなら、体で払って貰おうかげっへっへっと」
「……それでお風呂に?」
「はい、それでお風呂に」
 アランシアは頷く。
「で、私、こちらにも才能があったみたいで、すぐに人気が出て結構な額稼げるようになったんですが、そのせいか、金遣いの方も荒くなってしまって。店の人も、簡単に給料の前払いをしてれましたし。で、借金がどんどんと」
「……売れっ子を逃さないように、借金で縛ろうとしたんでしょうね」
「今にして思えば、そうなんでしょうね」
「……もっと早くに思って下さい」
「まあ、それはともかく」
 おほほほと上品に笑ってアランシアはごまかし、そして締めくくるようにして言った。
「その後、こっちへ来て、今。──という感じです」


「あなたの事情は分かりました。──でも」
 サシカイアは不審に満ちた視線をアランシアに向ける。
「……過去は立派なプリーストだった、それは認めても良いです。でも、問題は今です。過去の栄光だけで、宮廷付きの司祭にするわけには行きません」
「ええ、いいじゃん、美人だし」
「……黙れ」
 ぎろりとマサムネを睨むサシカイア。
 そのあまりの凶眼に、マサムネがびくっとして竦む。
「お前、最近目つき悪くなってないか?」
「……誰のせいですか。──って言うか、黙れと言われたら黙っててて下さい」
「……」
 今度は素直に沈黙したマサムネを置いて、サシカイアはアランシアに向かう。
「……とにかく、この馬鹿の意見は放っておいて、私としては、能力のない人間を宮廷付き司祭に迎える事は、絶対に認められません」
 俺は王様なのに、とか小声で呟いている馬鹿の声がかすかに聞こえてきたが、サシカイアは耳のない様な顔をして無視した。相手にしていられない。
 サシカイアが口にした意見は、嘘ではなく本心である。同時に、言っていない本心もある。
 それは。
 これ以上ややこしい神官を増やして溜まるか。
 と言う思いである。
 吶喊戦争馬鹿のマイリー神官ベル。血まみれなんて二つ名を持つ異端狩り大好きなファリス神官のマリー。人としてはともかく、ファラリス神官としては確実に道を間違えているミモザ。ニッポン王国には変な神官しかいないのだ。出来れば、他の3柱の神の神官は、まともな神官がいい。これ以上、変な神官はごめんだ。サシカイア自身の精神安定の為にも。
 だが、サシカイアのほんのささやかな願いは叶えられない。
「あ、大丈夫ですよ」
 あっさりと、アランシアが応じた。
「試みは成功しました。どうしても破れなかった殻が破れたと言えばよろしいのでしょうか。私、神官としての能力は以前よりも格段に高まっていますから」
 今ならアンデッド化した魂だって救えます。と、アランシアは頷く。
「……セーブソウル? 10レベルプリーストですか?」
 一般には最高レベルである。
「……何故?」
 呆然とサシカイアは呟く。ちょっぴり、自分でも目がうつろになっていると自覚する。
「何故と言われましても?」
「……だって、娼婦なんて、マーファが認めるとは思えない職業選択じゃないですか」
「そんな事ありませんよ」
 しかし、アランシアは否定した。
「どころか逆に、マーファ様の御心に沿う、職業選択ですよ」
「……はい?」
 何故、そうなる、とサシカイア。
「良いですか、マーファ様の望みは、人が人として自然に生きる事です」
 さすがはこれベルプリーストと言うべきか、説法口調になると、なんだか不思議な説得力があった。
「──で、性欲は人が持つ自然の欲求の一つです。男性のそれの方は良く話題に上がりますが、女性だって同じように性欲はあります。しかし、普通はそれが無いように抑圧する。それこそが不自然です。マーファ様的見地から言えば、変に抑圧することなく、自然に振る舞う事こそ正しい。つまり、娼婦も全然大丈夫です。以前マーファ様にお伺いを立てて確認もしましたし。──曰く、自然に生きよ、だそうです」
 しかし、言っている事は思い切り腐れていた。
「……それって、まるでファラリス」
 ぼんやり呟いたサシカイアに、アランシアはにっこり笑って口元に指を一本立てた。
「そう言う事は、気が付いても言わぬがフラワーです。下手をすると、マーファ神殿から、ヒットマンを送られる危険がありますからね」
「……マーファ神殿って一体」
 全身に重い疲労を感じ、サシカイアはがっくしとうなだれた。


 その日の内に、宮廷付きマーファ司祭アランシアの名前が正式に発表された。