サイタ、サイタ、サクラガサイタ。


 ヒノマルの街に新しく建てられた建物の中から、子供達が元気に唱和する声が聞こえてくる。
「アカイ、アカイ、ヒノマルアカイ」
 その建物は学校。ニッポン王国ではこの春より、公立学校の運営が試験的に始められていた。
 元々、学校──義務教育はマサムネが言い出した事である。国民一人一人の能力が上がれば、国力も上がる計算。それ以前にも、とにかく識字率を上げなければ、おふれ一つ出すにも面倒な話になってしまう。統治者にとって教育は諸刃の剣でもあるが、今の状態では手間がかかってどうしようもない。と言うわけで言い出した訳だが。
 流石に、すぐに始めるとは行かない。
 色々と下準備が必要なのだ。システムやカリキュラムを組む事はもちろんだが、建物も用意しなければならない。教師も揃える必要がある。そうした事を考えると、即座に支配地域全土で同時に開始とは行かない。
 そうした事情もあって、まずはヒノマルの街で問題の洗い出しも兼ねて試験的に行う事となったのだ。
 教育科目の中心は国語と算数。あとは理科と社会と一応は基本4教科。社会については特に力を入れてニッポン王国の歴史教育を施す予定だったが、サシカイアが反対して止めさせた。何しろ、ニッポン王国の歴史とは言うが、実体はマサムネの創作である。いきなり、「我がニッポン王国は半万年の歴史を誇る独立国家で──」と始まるのだから、捏造もここに極まれりである。
「別に良いだろ? アラニアだって、千年王国とか言っている癖に、実際は建国500年程度だろ? 倍もサバ読んでるじゃないか」
「……止めて下さい」
「それに、俺の世界じゃあ、以前は永遠の属国、ようやく独立して100年もたっていない国が、こういう事を言ってるんだぜ?」
「……止めて下さい、っていうか、その国、嫌いな国なんじゃないんですか? なんで嫌いな国の真似をするんですか?」
「個人の感情よりも効率優先という事で」
「……それで、ニッポン王国も、その国みたいな国になるんですね。きっと」
「止めよう」
 てなやりとりがあったとかなかったとか。
 とにかく、そんなわけで学校の運営である。
 現時点では生徒の大半が、国で保護している孤児達である。別段、孤児に限定しているわけではないが、他の住民はまだ様子見という感じである。そうでなくとも、子供もそれなりの働き手であったりするのがこの世界だ。たいしたことは出来ないまでも、細々とした雑用などで家庭を助けているのだ。学校とやらが普通の人々にとっては未だよく分からない代物である以上、様子見の人間が増えるのも致し方ない事。と言うわけで、国で保護している孤児達の動員となった。
 ちなみに、マサムネは国を挙げての孤児の保護もぶち上げている。マーモ侵攻で、両親を失った子供達は少なくない。そうした子供達を集め、衣食住を保障している。
 サシカイアの見る所、基本的にマサムネは悪者である。そんな悪者が、こんな人道的な働きをするのにはもちろん事情がある。
「子供ってのは、今のニッポン王国に数少ない、本当の国民だからな」
 と言うのがマサムネの言。
 大人はどうしても、かつてのカノン王国を覚えている。一々、マサムネのやり方とカノン王国時代と比べるだろう。現時点では、マサムネの評判は上々だから問題になっていないが、ひとたび彼らが不満を覚えたときには、それがどう転ぶか解らない危うさがある。カノン懐古の運動が始まったりしたら、酷く面倒なことになることは確実だ。
 しかし、子供は違う。
 子供にしてみれば、物心付いたときからニッポン王国はあって当たり前。彼らは当たり前にニッポン国民であり、カノンは既に遠い過去の話である。詰まる所、今の子供達は初代の、生粋のニッポン人なのだ。大人と違い、彼らの愛国心は当たり前にニッポン王国に向かう。それは、いざというときに貴重な力となるだろう。
 であるからして、子供の保護は重要な政策なのだ。
 ニッポン王国支配地域全土から、身寄りのない孤児達は集められてきている。彼らは彼ら用の施設で生活し、教育を受け、ニッポン王国の将来を担う人材として育てられていく。──その予定。
 今回の学校試験運営への優先的な動員は、その計画の第一歩でもある。
 将来的には更に専門的な技能を学ぶ学校も作り、人材の育成を更に進める事となる予定だ。その計画書の中には、魔術士養成学校、文官養成学校、士官学校等、各種がある。ちなみに、マサムネはそれらの学校にいちいち女子魔術師養成学校、女子文官養成学校などなど「女子」という冠を付けたがったが、サシカイアが握りつぶした。
「ススメ、ススメ、ヘイタイススメ」
 元気よく、子供達が唱和する。
 平和な光景──と言うには、いささか教科書の内容が不穏当かも知れないが、平和な光景である。


 その光景を、遠目に眺める男の姿があった。
 ぼさぼさの長い髪の毛は手入れを怠っているせいか潤いがない。服は古びて垢じみているし、何より顔の髭がいただけない。そして腰には剣を吊っている。──要するに、どこかのごろつき、そんな格好の男だった。しかし、立ち居振る舞いにどこか品がある。その辺りが微妙に不思議な男だった。
 実のところ、そうした人間はヒノマルの街では珍しくない。品のある辺りはともかく。
 ニッポン王国で一山当てようとやって来た人間。そうした者達には珍しくない定型を踏んでいるのだから。
 だが、その人物が、学校の様子を伺っているのはきっぱり不審だった。
 やばい趣味の持ち主やら、大人相手では何も出来ないから子供相手に鬱憤を晴らそうとするような類の人間に対する注意は、マサムネ作成の学校指導要綱に赤丸つきで書かれていた事。
 だから、学校の教師陣は即座に警備兵に連絡を取って、男の事情を聞いて貰う事にした。
 警備兵の反応は早い。この辺りはニッポン王国が新しい国で、活力に溢れている証明か。現時点では公務員のモラルは非常に高いのだ。連絡を取ってすぐに数人の警備兵がやって来て、男に職務質問を行う。
 男は困ったような顔をしながらも素直に警備兵の質問に答え、結局、落ち着いた立ち居振る舞い、更には証拠不十分もあって、連行されることなくその場から立ち去る事となった。
 その後しばらく、警備兵は学校を守るかのようにその門前で立ちん坊をしていたが、男が戻ってくる事はないと見て、そのまま街の巡回に戻っていった。
 教師達も男の存在を至極あっさりと忘れた。


 その男は、学校から離れると、ヒノマルの街をぶらぶらとうろついていた。
 まるでどこかの田舎から出てきたようにきょろきょろと周囲を見回すのは、別にこの男ばかりの反応ではない。
 ヒノマルの街は、ロードス一般の街に比べて色々と異なる部分も多いのだ。
 異世界から召還されたマサムネという王様によって作り直された街、ヒノマル。それだけに、かつてはロードスになかった類の建物も珍しくない。昔からあった類の建物でも、その建築様式が大きく変わったりしている。例えば、前者の存在が先刻男が遠目に見ていた学校であり、後者の例としては公衆浴場当たりがあったりする。とにかく、この世界の人間の不潔さに我慢出来ないマサムネが、公衆浴場を大量に作らせたのだ。
 男は、そうした建物を興味深げに見て回る。
 途中、昼飯時になって、牛丼屋にはいる。
 これもまた、かつてはなかった類のモノで、最近ではヒノマルの街以外でも希に見かける。ライデンやフレイムはブレードの街にも支店が出来たという話。安い、早い、美味いを合い言葉にしたこの牛丼店、経営は飛ぶ鳥をも落とす勢いのトリス商会であるが、アイデアその他は国王マサムネが出したモノらしい。特徴的なのは、セントラルキッチン方式成るやり方。ヒノマルの街の中にも複数の店舗を抱えるこの牛丼屋の調理は、基本的に別の場所で一括して行われている。そこから、各店舗へ運ばれて販売される、そうした方式だ。調理所を一括する事で、材料の大量購入、大量調理となり、仕入れ値を押さえ味を均一化することに成功していた。流石に、ライデンやブレードまでここから運ぶのは無理だが、あちらでも店舗経営が軌道に乗って複数支店を抱えられるようになれば、同様の方式でコストダウンを測る予定らしい。
 男は、その新しい味に舌鼓を打つ。
 ライスの上に牛肉を煮込んだモノを乗せる。
 ごくシンプルな料理だが、珍しい料理でもある。だいたい、どんぶりモノという奴自体、ロードスでは珍しいというか、かつて無かった料理なのである。
 店舗でするのはご飯を器によそってその上に牛汁をかけるだけというシンプルさだから、専門の調理人も要らないし、とにかくすぐに用意出来る。──早い。
 値段も、材料費や調理費やらをセントラルキッチン方式で押さえているから、ごくごく安めに設定されている。──安い。
 味の方も、色々研究されている様子で、この値段であれば、充分だろう。──美味い?
 まあ、とにかくうたい文句に嘘はないだろう。
 男はアルバイトらしい女性店員に礼を言って金を払い、店から出ると、再びヒノマルの街の探索に移る。


 男はそのまま風呂に入って取りあえず垢を落とす。
 公衆浴場も、値段は抑えめである。中には、遠く火竜山より湯を引いてきた温泉を売りにしている所もあるらしい。国王マサムネに言わせれば、おファンタジックな世界万歳という所か。無限の水壺なるマジックアイテムを使えば、遠く離れたこのヒノマルの地に、ごく簡単に源泉から引いてくる事が出来るのだ。流石に、そこは少々値段が張るが、温泉、と言う珍しい体験を出来るのだから、決して高くはないだろう。
 男は普通の風呂を使った。
 久々の入浴。全身隅々まで洗って綺礼になると、男は足を、再び風呂に向けた。
 今度は、前に公衆ではなく特殊と付く類の風呂。
 財布の中身を確認して、大丈夫かと、公営のそれに向かう。
 ニッポン王国が他国に誇る──のかどうかは知らないが、国で経営している娼館である。
 男はニッポン王国兵士ではないので割高になるが、男にはその余裕があった。ならば、ハイエンド店で楽しみたい。そんな所。


 時間がたって、男は雲を踏むような足取りで娼館から出てくる。どうやら、十分に満足したと顔に書いてあった。
 そのまま男は散策を続け、最後に一つ頷くと、足を街の外に向けた。
 意外なほどの健脚で、あっという間に街を離れると、小高い丘の上に立つ。
 来るときに見つけたその丘は、眼下にヒノマルの街を一望出来た。
 いとおしむように街を見つめ、男は未練を断ち切るように、背を向けた。
 その背中が、二度と戻らない、その様な言葉を語っていた。
 ──が。
「何処へ行かれるのですか?」
 その背中に、声がかけられた。
 男は、愕然とした顔で声の方に振り向く。男は実は、自分の実力に自信があった。なのに声をかけられるまで気が付かなかった。その事実が男に警戒心を抱かせる。その手は腰の剣にかかる。
 がさりと茂みが鳴って、現れたのは1人の女性。猫っ毛で可愛らしい顔立ちの娘だが、その瞳は至極冷たい。そして、それ以上に気になるのが額にかかったサークレット。まるで人の目のように見えるデザイン。丁度瞳に当たる場所にはめ込まれた宝石が、不思議な光沢を見せる。
「何者かな?」
 用心深く、男は女を見た。流石に剣から手を離したが、何時でも抜ける、そうした心構えである事は変わっていない。
「私はロードスを憂えるモノです。今のロードスは、酷く危険な方へと向かっている」
「? それが、俺と何の関係がある?」
 男は首をかしげる。
 そこへ、女は笑って見せた。顔立ちは年の割に幼いとも言えるが、その笑みは不似合いに嫣然としている。そのくせ目は欠片も笑っていない。と言うか、感情を見せていない。酷くアンバランスで、不審。外見と中身が合っていないような違和感を男は覚える。
「あなたに関係ないわけがないでしょう。レオナー王子」
「──!」
 女の投げ込んだ見えない爆弾は、確かに二人の間で爆発した。
「……人違い──と言うのは駄目か?」
 口にしながら、男──レオナー王子は答えを悟っていた。ごまかすのは無理。なぜだかこの女は確信していた。そして、その確信は事実でもあった。
「ええ、その通り」
 女は、レオナーの察しの良さを誉めるように頷く。
「──で、あんたは亡国の王子に何のようだ?」
「カノン王子に望む事は一つではありませんか?」
「無意味だ」
 女の望みを理解し、レオナーは首を振った。
「もはや、カノンは滅びた。そして、新しい流れが出来つつある。俺の出番は何処にもない」
 居るだけで有害。認めるのはアレだが、レオナーは自分の存在をその様に考えていた。
 この国は、既に新しい流れで進んでいる。ニッポン王国という流れで。
 国王マサムネについては、良い噂も悪い噂もある。──が、街を見て、レオナーは自分の出番はない事を悟った。ヒノマルの街の住人は、笑えている。マーモ統治下の住民は苦難に喘ぎ、その顔に笑みが浮かぶ事はほとんど無い。しかし、ヒノマルの街の人間は自然に笑えている。それで充分だった。
 元々、レオナーは表に出る気はなかった。だからこそ、悶着を恐れてカノンを出奔した。
 問題がなければ──例えカノンが滅びようとも──表に出る気はない。
 未だ、苦しむカノンの人間は多い。レオナーの力があれば、彼らを救う助けが出来るかも知れない。──が、それ以上に自分の存在は有害だ。折角の新しい流れを阻害し、余計な悶着を起こす事、間違いない。それが、カノン第三王子レオナーの立場だった。
 だから、レオナーはこのまま消えるつもりだった。
 海を渡ってアレクラストに行くのも良い。
 その様に考えていた。
「いえ、王子はロードスに必要な人です。是非とも、カノン王家の復活を──」
「無駄だ」
 レオナーは否定した。
「いや、無駄どころか有害ですらある。折角、ニッポン王国国王マサムネの元でマーモの元から解放されようとしている流れを邪魔する事になる」
「しかし、血筋の正当性は? 200年以上も続いた正統なるカノン王家の血が途絶えても構わないと? 何処の馬の骨とも解らない簒奪者に、カノンの地を蹂躙されても構わないとおっしゃるの?」
「民の平穏こそが第一だ。──それに、俺は権力に興味はない」
 でなければ出奔などしない。
 と、レオナーは告げる。
「見たところ、お前はかなり高位の魔法使いの様子。立身出世を求めるならば、ニッポン王国へ仕えると良い。実力に見合った地位に登る事が出来るだろう」
「私も、権力には興味はないの」
 くすり、と笑って女は言う。
「私は望むモノは、ロードスの平穏。天秤の均衡。一つ所に集まる巨大な力は、後に巨大な崩壊を招く」
「──?」
 女の独白に、レオナーは首をかしげる。そして、同時に酷く危ないモノを感じていた。
「だから、あの坊やは酷く危険。下手をすれば、ロードスの統一すらやりかねない」
「何を言っている?」
「だから、あなたには正統なるカノンの復活を成し遂げて貰います」
「だから、俺にその気はない」
「ええ、それは委細承知の上で。無理矢理にでも。その為に、この体を得たわけでもあるし」
 万物の根元にして、万能なるマナよ──
 女が、古代語魔法の詠唱を始める。
「よせっ!」
 叫びながら、レオナーは動いていた。素早く腰の剣を引き抜き、一気に女に迫る。加減をする余裕はない。女は巧妙に距離を取っていた。間に合うか──
 命を奪う覚悟で突き出すたレオナーの剣。
 しかし、それは届かなかった。
 空気から現れたような魔法の鎖が、レオナーの体を一瞬で戒め、バランスを崩して地面に転がる。受け身も取れずにぶつけた頬が痛い。口の端から血がこぼれたのは、歯で口腔内を傷つけた為。
「危ない危ない」
 言葉ほど危なげではない口調で言って、女は芋虫並みにぐるぐる巻きになってレオナーを見下ろす。相変わらず、その二つの瞳はガラス玉じみていて、感情を伺わせない。サークレットの石の方が、不思議な色合いに輝いて瞳のように見える。
「……こんな事をしても無駄だ。俺はその気になる事はない」
 倒れたままでにらみ付けるが、女の表情は揺るがない。
「先刻も言ったとおり、その辺りは最初から考慮済み。その為のこの体」
 女は頬を歪めるだけの笑いを見せ、言った。
「神聖魔法、使命(クエスト)の奇跡って、ご存じかしら?」