魔法使いの弟子
第2話「マイフェアレディ、
もしくはフランケンシュタイン博士のモンスターの話」
上州屋さんは骨董屋さんである。
だが、実際に扱っている代物は、骨董品に限るわけではなく、書籍から、薬草、雑貨、お茶、等々、多岐にわたる。輸入が禁止されているはずの死体、埃及の木乃伊なども店の片隅に陳列されていたりする。いずれにせよ、陳列されているものの全てが、まっとうな生活を送るのには何ら寄与しないような物ばかりである。どれも共通するのはある種の好事家には魅力的な品物で、大多数の一般人には意味の無い品物であると言うことだ。それらに埋もれるようにして、僅かな数の骨董品が数点、飾られている。
それなのに、何故、上州屋さんが骨董屋さんであるのかといえば、お店の看板に、半ばかすれて消えかけた文字で「骨董・上州屋」と書かれているからに他ならない。この辺り、ご主人様の自称「博物学者」と似通っているかもしれない。2人の友情は、このあたりから端を発しているのやも知れないと想像する。
さて、私がその日、ご主人様の表現を借りるならば「不審な骨董屋」さんである上州屋さんを訪れたのは、上州屋さんの表現によると「不審な自称博物学者」であるご主人様の言いつけによる。何でも、注文した書籍が手に入ったとの連絡を受け、手が離せないと仰るご主人様に替わり、私が受け取りに出かけたのである。これは、珍しいことではなく、ご主人様は今までに幾度となく、様々な物品を上州屋さんに注文している。その品物の半ば以上は、きっぱりと愚にもつかないものである。正直、無駄遣いは控えて欲しいと思うのだが、言っても詮無いことである。
私自身は、正直に言えば上州屋さんに出かけることは嫌いではない。品物の大半は愚にもつかないものであるが、残りの僅かな物が、私の好みにも合っていたりする。私のような、使用人の小娘に気楽に買い物できるような値段設定ではないのだが、眺める分には只である。また、特別に上州屋の若主人さんが調合したり、手に入れたりしたお茶をご相伴できるのも、役得である。
「御免ください」
私は建て付けのいささか悪くなった扉を開け、上州屋さんの店内に入る。
然程広いわけではない上州屋さんの店内は、いつものように品物に溢れている。雑然と言う言葉を現実にしたら、まさしくこれがそう、と言わんばかりの店内である。ご主人様に片付け魔とか言われている私であるから、こうした散らかった場所は好みではないはずなのだが、この上州屋さんには、不思議と居心地のよさを感じる。
上州屋さんは、本通りから外れた奥まった場所にある。元々人通りの乏しい寂れた道である上、地味な店構えであるから、普段は開店休業状態である。これで商売として成り立っているのか不思議なくらいであるが、ご主人様の話によると、骨董屋さんと言うのは、金払いのよい顧客が少しいれば、充分に成り立つものであるらしい。また、大体において好事家と言うものは、自分の趣味に金を惜しまないものでもあるらしい。「成る程、ご主人様もそうですからね」と応じたら、何処か傷ついたような顔をした所を見ると、ご主人様は、自分は好事家ではないと思っているらしい。自分だけは例外にしておきたいと言うことらしい。
「いらっしゃい、絵里君」
上州屋の若旦那さんが、いつもと同じ、柔らかい微笑と口調で、迎え入れてくれる。20代半ばほどに見える、ご主人様とほぼ同年代。柔和な細い目をした人物である。
若旦那さん、と言うが、私は大旦那さんを見たことがない。若旦那さんの話では、常に買い付けのために各地を回っており、店に居たためしが無いと言うことである。店の切り盛りは、この若旦那さんが殆ど1人でやっているわけで、こちらを大旦那さん、もしくはただ単純に旦那さんと呼んでも差し支えが無さそうだが、当人が若旦那さんと呼ばれることを好んでいるようなので、そうすることにして居る。ご主人様と同じで、自分は若い、と言うことを主張したいらしい、などとは、思っても口にしたりはしないのが、嗜みというものである。処世術と言っても良い。
今日は、珍しいことに先客がいた。考えてみれば、この店で他のお客さんに行き会ったことは、これが初めてかもしれない。店内の片隅にある、机と椅子――これも商品である――に向かい合って座り、なにやら商談の真っ最中であるようだ。思い返せば、店のすぐ近くに、このあたりで見かけることは珍しい、黒色の外国製高級車が停車していた。
若旦那さんは、目線で私に少し待つように伝えてきた。別に、否は無い。急ぐ用事でも無いのだ。晩御飯も、既に下ごしらえは終了しているから、後は少しばかりの時間で用意できる。時間的に、余裕は充分以上にある。
若旦那さんは、常と同じく和服姿だ。確か、大島紬とか言った着物だ。元は上等な物らしいのだが、経てきた年月のせいで擦り切れ、色褪せている。若旦那さんの年代の男性が常日頃から和服を着用しているのは、きわめて珍しいことかもしれない。ただ、若旦那さんの優しげな風貌には、和服が良く似合うと思う。少なくとも、他の服装を着込んだ若旦那さんは、想像がつかない。実際に、見たことが無いと言うせいもあるかもしれないが。
お客様は、老紳士、と言う感じだ。髪は見事に白く、そのくせ豊かである。鼻が目立つ鷲鼻で、鋭い視線をしている。こちらも和服で、そう言ったものの良し悪しに鈍感な私にも、一目で上質なものであると知れる。若旦那さんの着物の、良く見ればよい品、とは大違いで、上質であることを主張しているような着物だ。精緻な掘り込みのされた黒いスッテキを片手に、熱心に、若旦那さんの示した壺を眺めている。
私は、その商談が終わるのを待つ間、数少ないこの店のお気にいり、砂の薔薇や、水晶の花を眺めて過ごそうかとも思ったのだが、思い直し、店を突っ切って上州屋さんの奥に上がりこんだ。
勝手知ったる他人の家とはこの事で、私は上州屋さんの家の何処にお茶などがしまわれているか、よく承知している。お台所を拝借して、お湯を沸かす。来客用の湯飲みを取り出してお茶を注ぎ、お盆に載せて、店に戻る。
「どうぞ」
私がお茶を差し出すと、熱心に壺を検分していたお客さんが、初めて顔を上げる。
「絵里君、済まないね」
若旦那さんが、私のほうに拝むような格好をした。
「ほう、お手伝いさんを雇ったのかね?」
老紳士は、首を傾げて若旦那に尋ねる。
「それとも、奥さんかね?」
「いえいえ、絵里君は、お客様です」
手を振って、若旦那さんが否定する。
「ふうむ。言っちゃ悪いが、正直、この店にあるものは、然程、若い娘さんの心を擽らない代物ばかりだと思うが?」
老紳士の言葉は正しいだろう。
自分が場違いで不審な者であることは、自覚している。幾つかのお気に入りを見つけたとは言え、ご主人様の言い付けがなかったら、私はこの店に訪れることが無かっただろう。若旦那さんには申し訳ないが、実際、上州屋は、一見さんお断りと言う感じで、来客を拒むような店構えである。気楽に覗いて見ようかと思えるようなものではないし、私のような小娘が、骨董に縁や興味があったとも思えない。
「私はご主人様の言い付けでお使いをしているだけです。正直、私程度の者の財布では、とても手の届かないような品物ばかりで」
ご主人様にお願いすれば、簡単に購入してくれそうではあるが、そうした甘えをすることに、私は踏み込むことが出来ない。経歴不明、天涯孤独の身の上の、何の取り得も無いけちな小娘が、三食不自由なく摂れて、綺麗な服を着て、清潔なシーツのベッドで眠れるのだから、これ以上を望むのは贅沢と言うものであろう。私は、自分の分を弁えているつもりだ。
「ほう。ご主人様と来たか」
老紳士は、どこか気になる視線で私を観察した。年齢に応じて、積み重ねられた年輪。顔は皺に覆われて、老年であることを隠す術はないが、目だけが若者と変わらず、それどころか、昨今の無気力な若者に比べれば、異常とも思えるほどの精気に満ちている。鋭いと言って差し支えの無い、力に溢れた瞳だ。なにやら、尋常ならざる迫力を持った老人である。そして――そして、奇妙に気になる視線でもある。
「わしは菅原茂秀と言う」
名乗られた以上は、名乗り返さなければならない。
「私は、裁谷絵里と申します」
ご主人様と同じ名字なのは、便宜上という奴である。
「お嬢さんは、この壺、どう思うかね」
そう言って、老紳士――菅原氏は熱心に検分していた壺を私に示す。
「これは、高麗青磁ですか?」
独特の沈んだ蒼い色合い――秘色と言う――を見て、私はそう呟いた。
視界の隅で、若旦那さんが微かに頷いているところを見ると、どうやら正解らしい。
「ほう、君くらいの年代で、それが解かるかね?」
菅原氏が少しばかり吃驚した表情をする。
門前の小僧、習わぬ経を読む――ならば良いのだが、それほどのものではない。一応、若旦那さんやご主人様に、骨董についてはいろいろと教えられているが、私は生徒としては落第の様子である。言われたことを覚えることは出来るのだが、それはただの丸暗記に過ぎず、実際に骨董の良し悪しを見分ける目が無いのだ。有名で偉大であるらしい前衛画家の絵も、そこらの小学生の書きなぐりも、同じようにしか見えない。簡単に言えば、そう言う感じだ。終には、両者とも教育を諦めてしまったようで、何も言われなくなってしまったのは、少しならず悲しい。いや、あんな落書きが理解できないくらいは、構わないと思うのだが……それでも矢張り……ちょっと悔しい。
菅原氏は、腕を組んで考え込む様子を見せたが、すぐに決断したらしい。
「宜しい。これを買おう」
「有難うございます」
若旦那さんがすかさず、御礼を言う。
「正直、迷っておったのだが、まあ良かろう。このような別嬪の娘さんと知己になった記念の品だ。金は、一億でよいのだったかな? いつものように後日振り込むから、これは、本邸のほうに運んでくれ」
どうやら、見掛けに似合ったお大尽であるらしい。私などのような門外漢には、高麗青磁とは言え壺に――言っては悪いが只の壺に、それだけの金銭をつぎ込む理由が解からない。それだけ役に立つ実用品であれば兎も角、所詮は鑑賞にしか使わないのである。全くの無駄に思えてしまう。――この辺り、即物的で、ご主人様や若旦那さんに教育を諦めさせた要因かもしれない。
「解かりました」
上州屋さんは、大きな商談を纏めたと言うのに、興奮することなく、淡々と答えている。店構えだけを見ると、これだけの金額の取引など行いそうに見えないが――失礼――実際は、こんなものは小額の取引であるらしい。
確かに、今回のご主人様の依頼の品は、菅原氏の購入した高麗青磁とは、丸の数が二つばかり違う金額の取引となる。
「うむ。それでは、また、何か出物が入ったら宜しく頼むぞ」
菅原氏は椅子から立ち上がり、若旦那さんにそう告げる。
「承知しております」
若旦那さんは商売人の顔で、如才なく応じる。
「それではお嬢さん、また、縁がありましたら、お会いすることもあるでしょう。では、御免」
菅原氏は上機嫌に笑いながら退場した。
それを店先まで見送った若旦那さんは、すぐに戻ってくる。戻ってくると、タバコを咥え、売り物の一つである竜を模ったライターを取り上げて、火を点す。美味しそうに一口吸い、紫煙を吐き出すと、肩を解す仕草をした。表情は全く変わらず柔和なままだが、それなりに、疲労するものがあったのだろう。
「有難うございます。絵里君。おかげで商談が一つ纏まりましたよ」
「そんな、私は何もしていません」
今度は私が先刻まで菅原氏の座っていた場所に腰を下ろしている。新たに入れなおしたお茶を飲みがてら、若旦那さんと談笑する。
「そんなことはないですよ。あのおじいさん、どうやら君のことが気に入ったらしいですね。本当は乗り気では無かったのですが、君に財布の大きいところを見せたくなったようです」
「はあ?」
曖昧な反応をしてしまう。
「まあ、あんなおじいちゃんに気に入られても、若い君にはどうでもいいことですか? それに、財布の大きさでは、裁谷のほうが段違いで大きいですしね」
若旦那さんは笑って、矢張り売り物の灰皿に灰を落としている。どうも、商品と私物の区別が曖昧である様子だ。確かに、この店に並んでいるものの大半は、上州屋さん二代に渡る、趣味の収集品、と言う赴きも無いでもない。この店先以上の品物が、奥の間には積み重ねられており、ご主人様のような特殊な事情のお客様に売る物を除いた、それらの大半が不売品である。
「あの方は、どういった方なのですか?」
どこかで見かけたような気もしたので、つい尋ねてしまい、それからしまったと顔をしかめる。商売人には、顧客の情報を部外者には秘密にする義務――守秘義務とか言う物があるらしいことは承知している。何しろ、ご主人様を訪れるお客の大半が、後ろ暗かったり得体が知れなかったりする人物ばかりだから、それの必要性は承知している。そのはずなのに、つい尋ねてしまった。若旦那さんも、答え様がないだろう。
「絵里君知らないのですか?」
しかし、意外なことに若旦那さんは、答えてくれるつもりのようである。しかし、どこか無知を咎める口調である。それほど、高名な人物なのであろうか?
「いけませんね。それでは、日本国民として失格ですよ。政治と言う物は、国民1人1人の――ああ、絵里君はまだ選挙権が無いんでしたか?」
「ありません」
「後五年くらいで二十歳でしたか?」
「多分。――ですが、二十歳になって選挙権がもらえるかと言うと、それも疑問ですが」
「大丈夫。その辺りは裁谷が何とかするでしょう」
若旦那さんがそう請け負うが、正直、私は疑問である。何しろご主人様が、選挙権と言うものに、どれほどの意味を感じているか、不明である。それ以前に、ご主人様自身が、それを所有しているのかも疑問である。少なくとも、日曜日に投票に出かけるご主人様を見たためしがない。
「あのおじいさんは、政治家です。大臣を経験したような、全国民に名前が知られているほどの人物ではありませんが、この辺りではまあ、大物として通っていますね。駅前の大通りや、郊外を走る国道などは、あのおじいさんが分捕ってきた公共事業で作られていますよ。だから、土建屋さんなんかに大きな顔も出来るし、警備会社なんぞを一族で経営しているせいで、警察関係者にも知り合いが多い。少なくとも、近隣一帯で逆らう者はまず居ないでしょうね」
成る程。
と私は頷く。どうやら、若旦那さんが菅原氏に、然程の好意を抱いていないらしいことは承知した。
「何しろ、金に汚いと言うのか、値切るだけなら兎も角、支払いを渋るなんてことはいつものことで、結構苦労させられているんですよ」
「難儀なことですね」
だったら販売しなければいいようなものだが、それでも大事な顧客の1人であるらしい。
「まあ、どんな商売にも苦労は付き物とは言え、やくざ屋さんに脅されたことも皆無じゃありませんからねえ。幸い、事なきを得ているけど、そろそろ手の切り時かもしれないとは思っているいるのですよ」
若旦那さんは商品に埋もれているようなテレビのスイッチを入れる。
「だから、裁谷の奴のように、注文は五月蝿いが金払いがきちんとしている人間は、結構ありがたいですよ」
そうか、ご主人様は良い顧客であるらしい。確かに、愚にもつかないものにあれだけの金額を使っているのだから、そうでなければおかしいかもしれない。
「ところで、これが、裁谷に頼まれた物です」
そう言って、若旦那さんが取り出したのは一冊の本である。古めかしいだけならば珍しくも無いが、鎖でぐるぐる巻きにされた上に、これ見よがしの巨大な南京錠がかけられているとなると、尋常ではない。
「世界悪魔図説。絵里君、不用意に開けたりしないようにね」
これだけ厳重に封が成されていると、気楽にあけようと言う気にはなれない。その心配は無用と言うものであるが、私のことを気遣ってくれていることは確かである。だから、反論は控える。
「後もう一つ、以前から頼まれていたアダムの肋骨のほうは、まだしばらくかかりそうです。――最近、理由は知れませんが、地下競売のほうにも、出物が殆ど無いんですよ。裁谷だったら自分で作ったほうが早上がりかもしれないと伝えておいていただけますか」
「はい――」
私は自分でも、知らず知らずのうちに、自分の胸のあたりを押さえていた。気がついて、さり気なく膝の上に戻したのだが、若旦那さんの目は、それに気がついたことを知らせていた。ただ、変に同情や、理解を示されないのは助かることである。
それから、若旦那さんは、矢張り商品のチェスを取り出してきた。象牙で作られた品であるとかで、易々とは擦り切れたりしない手触りである。
「絵里君、時間ありますか?」
若旦那さんが訪ねてくる。
どうやら、前回の屈辱を晴らそうと言うつもりのようである。
時間はあるので頷くと、早速若旦那さんは駒を並べ始めた。
戦績は、私の三連勝となる。
チェス盤の上に突っ伏すように沈みこんだ若旦那さんの頭頂部を、勝ち誇るわけでもなく眺める。
「どうして勝てないんですか?」
うめくような若旦那さんの声。なんでも、チェスにはそれなりに自信を持っていたらしい。
「なんで絵里君、そんなに強いんですか?」
「チェスは将棋なんかと比べれば、駒の数やルールがシンプルですから、先が読みやすいんですよ」
理由を正直に答える。コンピューターの将棋ソフトは、未だ人間のほうが強いらしいが、チェスのほうは、世界チャンピオンに勝てる物が出来ていると言う。それも、こんな理由のせいだろう。勿論、自分がコンピューターより強いとうぬぼれるわけではない。私に読めるのは、精々5、6手先くらいまでである。時間さえ与えれば全てのパターンを解析できるであろう、コンピューターには敵う訳がない。だが、本当に将棋の巧い人間は、全ての手を解析するのではなく、瞬間に、数手の良い方法を選ぶ才能のある人間だという。全ての手を読むのは、素人。本当の玄人は、良い手を直感する能力。そう聞いた覚えがある。その談で行くと、私はド素人に当たるだろう。
「それじゃあ、今度は将棋で勝負しましょうか――いや、将棋は私も自信がない――ならば麻雀――は面子が足りないですね。カードなら――いや、絵里君なら使ったカードを全て覚えているくらいは平気でしそうだから――花札も同様か――」
若旦那さんは突っ伏したまま、ぶつぶつと呟いている。
なんとなく、言葉が無くなり、私は視線をテレビに向けた。
この店に並ぶ商品と同じく、年代物のテレビである。リモコンなどの類は存在せず、チャンネルは回して合わせる式のものである。時折、自分の年齢を思い出したように画面が乱れるが、まだ充分使用には耐える。機械音痴の私としては、こうした古きよき時代のテレビのほうが好ましい。最近の、矢鱈とボタンの多いリモコンには、正直、閉口している。
テレビでは、なんとも沈痛な表情を作った女性がさかんに喚き立てている。昨今、この近隣を騒がせている猟奇殺人事件の続報らしい。画面右下には、「猟奇、バラバラ連続殺人」などと、視聴者の好奇心を煽る文字が浮かんでいる。
「やれやれ、最近は物騒ですね」
若旦那さんがようやく精神的な痛手から立ち直ったらしい。机に頬杖をついて論評する。その口調は、他人事以上の物ではなかった。
「しかも、犠牲者は綺麗な女の子ばかりなんですよね。随分勿体無い事をしますよね」
私に同意を求められても困るのである。しかし、遺族には聞かせられない発言である。
この事件が始まったのは、先月の終わり。近所でも評判の美人で気立てのいい高校生の女の子が、行方不明となり、その後一週間してからバラバラ死体で見つかったのが初めである。首、胸、腰、手足。都合、7つに分断された死体が、高速のパーキングエリアや何処かのごみ収集所に捨てられているのが発見された。死体をバラバラにするのは、持ち運びや、始末がつけやすいようにするためであろうから、もう少し気を使って処分すればよいと思うのだが、かなり無造作に捨てられていたらしい。ただ、部品の一部は発見されず終いである。そして、そのことは当初、問題にはされなかった。
次いで、バラバラになったのは、隣町に住む大学生の女性である。矢張り同じような部位で分断され、無造作にごみ収集所に捨てられていた。今回は、手順を省略したのか、前回はそれでも一応は場所を変えて捨てられていた部品の殆どが、一つの黒いゴミ袋に一緒くたにされて捨てられていた。今回も殆どであり、全てが発見されず終いである。
これが前回のようにバラバラに捨てられて居たならば、部品の一つや二つの欠損は問題にならなかっただろう。未発見の一言で済んでしまうのだから。しかし、今回はその部分だけ別に捨てる理由が無い。また同じ部品であったら、その部品に偏った劣情を抱く人物の仕業であろうと考えるところだ。わたしには理解できない性癖だが、足や胸や臀部などの各部位に限定した、まともとは言いがたい偏執を持つものが世の中には存在するらしいから。しかし、最初と今回では、その場所が違った。最初の高校生は両足が発見されず、今回は胸部。
さて、これはなにが意味があるのかどうか、兎に角警察は捜査員を倍増して犯人探しに着手したわけであるが、それをあざ笑うかのように第三の事件が発生した。
今度も矢張り女性で、中学を卒業して以来、定職に就かず、遊び暮らしていた人間らしい。その両親は既に子育てを諦めていたのか、一週間ほど帰宅しない娘に対して、何の疑問も抱いていないところに、警察から死体で発見されたとの知らせがあったらしい。今回もまた、前回とは違うゴミ捨て場ではあるが、分断された肢体が無造作に捨てられて居た。矢張り、一部分が欠損しており、今回、失われたのはその両腕である。
更に事件は続き、今度は腰が失われたと来れば、どうやら犯人はバラバラにした女性から、身体の一部分、多分犯人にしかわからない理由もって気に入った部品を、それぞれ重複しないように収集しているらしいと、考えられる。
そこで出て来たのがフランケンシュタイン博士の怪物の話である。怪物の名前がフランケンシュタインであると誤解されている向きも多い様子であるが、実際は、フランケンシュタインと言うのは、製造者の博士の名前である。その、博士に倣い、今度は女性版の継ぎ接ぎ死体の怪物を作っているのではないか、などと言う、好奇心丸出しの無責任な噂が立ち始めた。
「絵里君」
タバコの煙を揺らしながら、若旦那さんが私に声をかけてくる。
なんとなく、若旦那さんの言いそうなことが予測できたような気がした。
「これって、裁谷の奴が犯人じゃありませんよね」
正直に告白すると、最初、私もそれを考えたりした。私の知っているご主人様ならばやりかねない。しかし――
「違います。ここの所ご主人様は、書斎にこもってなにやら怪しげな術を研究しているようで――」
「あいつのすることで、怪しげでないことなんてあるのでしょうか?」
若旦那さんの言葉に、私は使用人として反論したいのだが、困ったことに反論できない。
「大体、その裁谷の研究している怪しげ術とやらが、フランケンシュタイン博士の故事に倣うと言う可能性は――」
「それは無いです」
私は、今度は自信を持って否定した。
「ご主人様でしたら、残った部品の利用の仕方も心得ておりますから、無造作に捨てるような真似はいたしません。なんでも、人間は鯨と一緒で、髭の一本まで全て、有効利用が出来るそうです」
「成る程。なんだったらあいつの従えている使い魔どもの餌にして与えてもいいわけだしね」
「最近は、使い魔を使いませんね。どうやら、私の食事代のほうが、彼らに払う代償よりも安上がりであるらしいですから」
「成る程」
何処か疲れたように若旦那さんは頷いた。
それから、気がついたように若旦那さんは私の顔を見た。
「それは兎も角、絵里君も暗くならないうちに帰ったほうが良いのですね。とりあえず、今のところわかっている被害者の共通項は、若い女性と言うことだけです。つまりは絵里君も狙われる可能性があると言うことですから。――よければ、私が送りましょうか?」
「大丈夫ですよ」
「万が一と言うこともある。――正直に言って、君がここからの帰路に襲われたとしたら、裁谷の奴が黙ってはいないでしょう。正直、私はあいつを敵に回したいとは思わない」
「大丈夫ですよ」
若旦那さんが、親切心から言っていることは理解しているが遠慮する。私は軽く答えて、テレビ画面を指で指し示した。
「今回の被害者から失われた部位は顔。――つまりこれで人ひとりを継ぎ接ぎして作り上げるための、全ての部位が揃ったことになります。犯人が捕まるかどうかは兎も角、これで犯行は打ち止めではないでしょうか」
「ううむ、確かにそうですね」
若旦那さんは腕組みをして頷いた。
「しかし、気を付けて呉れたまえよ。この事件を抜きにしても、最近は物騒になってきていますから」
「解かっています」
私は頷いて、これ以上お邪魔していても、若旦那さんが落ち着かないであろう事は見て取れたので、お尻を上げた。気がつけば、日は随分傾いている。
例の本「世界悪魔図説」を風呂敷に包み、上州屋を辞した。
一応は街中の上州屋から、山の上の住宅地にあるお屋敷までは、バスを利用しているのだが、丁度間が悪いことに、バスは出たばかりだった。困った事にバスの数は少なく、小一時間待たねば次がない。それだけの時間があれば、徒歩でも充分屋敷に着ける。タクシーを使うのも勿体無いので、歩くことにする。
学校帰り、会社帰りの人たちの間を縫って、私はいたってのんびりとしたペースで進んでいく。闇は迫っているが、却って過ごしやすい気温になってきているので、心地よさを感じる。これから、どんどん暑くなるので、今が一番良い季節かもしれない。
それにしても、ご主人様の頼んだと言う、この本は一体何なのであろうか。本自体の重量は然程ではない様子だが、大仰なまでの封印――鎖と南京錠のせいで、結構な目方になる。――そう言えば、南京錠を外すための鍵を受け取っていないが、まあ、良いだろう。ご主人様ならば、このくらいの錠前は、苦も無く開けてしまうだろうからして。また、ただの錠前であるならば、わたしの技術でも可能だろう。
などと徒然考えながら、家路を進む。
道は何時しか人気の無い場所になっている。
これは、まあ仕方の無いことである。
元々、山の天辺を削って作り出した平地に、お屋敷は存在する。一応、高級住宅地に分類される団地の一角で、そこに至るまでには、曲がりくねった道を登る必要があるのはいたし方がない。バスの本数が少ないのも、この住宅地の大抵の人間が、何らかの交通手段を独自に用意しているせいである。自前の交通手段を持たない子供なども存在するのだが、そうした者も両親や専門の運転手付きの車によって送り迎えをされており、このバス路線は赤字だと言う話であるから、数が少ないのも仕様が無い。
私自身も、何らかの交通手段を所有したほうが良いのやも知れない。自転車は、行きは良いのだが、帰りが辛そうであるから却下する。そろそろ、原動機付き自転車の免許を所得するか、それともご主人様にお願いして私用の箒でも用意してもらおうか。一目を気にするのならば、矢張り素直に原動機付き自転車であろう。
しかし、改めて思ったのだが暗い道である。
上の住宅地に入れば、過剰とも思える程の電灯が煌々と周囲を照らしているのだが、そこに至るまでの道筋はほったらかしになっている。世が世ならば、狐狸のたぐいに騙されないように用心が必要に思えるほどだ。もっとも、金毛白面九尾の狐ならばともかく、そこいらの狐狸の幻術は、眉毛に唾を付ければ判明する程度の拙いものであることが一般的だが。
女性の1人歩きに向いている道とは思えないのだが、私自身に関すれば心配は無用である。元々闇は身近なものであるし、ご主人様のような人に仕えていれば、闇こそがその本領となるもの自然なことである。夜目は効くし、闇は恐怖心を煽る存在ではない。
さて、昨今では、闇に潜む魑魅魍魎の類よりも、人間こそが有害な存在であることを、私は失念していたらしい。
盛大な排気音を響かせながら、数台の自動二輪車が、道を一杯に使って蛇行しながら坂道を駆け上ってきたときに、私はそう思った。
そう言えば、閑静であるべき高級住宅街に、こうした場所を弁えない輩の跳梁が、町内会で問題になっていたことを思い出す。
なにが嬉しいのか、周囲に無用な騒音を撒き散らし、対向車の進路を妨害しながら進む二輪車の一団は、止せば良いのに、寄りにも寄って私に気が付いてしまったようである。
前方で一時停止。方向転換をして、正面から私にライトを浴びせてくる。
無遠慮で、不躾で、礼儀の欠片も窺えない態度である。
「お嬢ちゃん、こんな暗い夜道に1人でどうしたのかな?」
おまけに、言葉にも独創性が無いような気がする。
総勢3台に、計5人ほどの人員が乗っていた様子で、その内の3名ほどが自動二輪から降りると、私のほうにやってきた。ニヤケ顔は共通。それぞれ、独特の髪形をしているのだが、全体としてみれば、個性の無い何処か似通った印象の持ち主達である。細部は違えども、「破落戸」のイメージから、全く逸脱していない。
最初に声をかけてきたのは、髪の毛をおっ立てた青年で、そのような髪型でヘルメットを着用できるわけでは当然無い。こうした人間は、どこかですっ転んで、自業自得の目にあえばよいと思うのであるが、なかなかそう上手くは行かないようである。また、一匹や二匹減少したところで、次々と新たな仲間が発生するだろう。大和撫子は絶滅の危機に瀕しているらしいが、こうした連中やゴキブリは元気に生息している。
「お嬢ちゃんみたいな可愛らしい娘が、こんな暗い道を1人出歩いていると、碌な目に合わないよ」
髪の毛を枯草色に染めた男がおかしそうに笑う。こうした面構えの人間を見ると、人は猿から進化したのだと、問答無用で納得してしまう。きっと、進化論を唱えたお偉い先生も、発想の切っ掛けはこんなものであったに違いないと確信する。
「退いていただけますか? 私は少々急いでおります」
このような輩に通せんぼをされるのは、心楽しい事ではない。そのため、口調がいささか厳しくなったことを自覚したのだが、どうやら通じなかったらしい。
「退いていただけますか? 私は少々急いでおります」
何を思ったのか、鸚鵡返しに私の言葉を繰り返す。ご丁寧に、声色まで真似ているつもりのようだが、声変わりの済んだ成人男性がそれをしても、気色が悪いだけである。
「良いねえ。君、何処のお嬢様? いまどき、そんな口の効き方する奴は珍しいよ」
大きなお世話である。
しかし、猿顔の男は余程自分自身の発言が気に入ったのか、身体を逸らすようにして爆笑を始めた。周囲に仲間達も、付き合って笑いを浮かべているうちに、何時の間にか最高の冗談を聞いたような錯覚を覚えたのだろう。本気で笑い始める者もいた。どうやら、脳内物質の制御技術が未熟な様子だ。
長々と付き合うつもりはない。私は、笑いの発作に囚われた男たちの間を抜け、家路を急ぐことにした。
「待ちなヨ」
その私に向けて、不躾な手が伸ばされる。
払う必要も無い、緩慢な動き。私はわずかに身体を逸らして、その腕に宙を掴ませる。
あっけなくバランスを崩したらしく、男はたたらを踏み、それでも何とか踏みとどまって転ぶのを回避する。
「何やっているんだよ。みっともねえ」
「うるせえよ」
仲間の悪意ある発言に、その男は顔を引きつらせたが、笑うことを選択したらしい。引きつったような笑顔で応じる。
「お嬢ちゃん、俺たちは紳士だから、危ない連中に君が襲われないよう、それに、こんな坂道を登る苦労をしなくて良いように声をかけたんだヨ。そんなに邪険にしないでくれないかい?」
「そーそー。世の中には危ない奴がいるよ。最近じゃあ、君みたいな綺麗な女の子を狙ったバラバラ殺人鬼がうろついているらしいしね」
「俺たちが家まで送ってやるよ」
「まさに、ナイトって感じ?」
口々に好きなことを言う。
「結構です」
私はまともに相手をすることにも疲れ果てて、素っ気無く言い捨てると、足を進める。
その前に、再び猿顔が回り込んでくる。
「いい加減にしていただけませんか? 私は急いでいるのです」
「急いでいるならばなおさら、俺たちが送ってやるヨ。人の好意は、素直に受けるもんだヨ」
「結構です」
「こんなに言っているのに?」
私はもはや無言で、猿顔を睨みつけた。
「――駄目みたいだね。まあいいか」
猿顔は肩を竦めて見せた。日本人がやると胡散臭い仕草である。そして、猿顔は表情を一変させた。
「それじゃあ、俺たちらしくするとしましょうか。幸い、最近じゃ物騒な殺人鬼が徘徊しているから、事の後でバラバラにしておけば、そいつのせいになるからな」
醜悪な表情。醜悪な言葉。そして、醜悪な性根。
伸ばされた手を、今度は避けなかった。
私の腕を捕まえ、引き寄せようとする力に逆らわずに、一歩踏み込む。更に、今度は自発的にもう一歩。同時に、肩口を男の胸に押し当てる。男はナニを勘違いしたのか、嬉しそうに顔をゆがめ、私を抱きしめようとするように手を広げる。無論、黙って抱きしめられる趣味はない。私は、鋭く踏み込み、爆発的に地面を踏みしめた。
猿顔は、物も言わずにひっくり返った。
「ダセエな。何やってるんだよ」
仲間たちの囃し声にも、全く反応を見せない。
それに不審を感じ、猿顔を覗き込んだ男が、驚愕に表情を一変させる。
「てめえ、ナニをしやがった?」
「もう一度だけ言います。邪魔をしないでいただけますか?」
自分では、優しさのつもりで言ったのだが、どうやら逆効果であったらしい。
「ふざけんなよ」
男たちの雰囲気が、目に見えて悪化した。元々、周囲に害毒を撒き散らしているような輩であったが、更なる暴力的な雰囲気を発散し始めている。気の早い者等は、早くも光物を取り出している。
さて、私はご主人様に、こうした場合の心得を言い聞かされいる。
曰く――、刃物を人に向けるような者には遠慮をするな。
「てめえ、こちらが大人しくしていればいい気になりや――」
悠長に口上を述べている男に、私は素早く接近した。男はろくな反応も見せず、私は容易にその刃物を構えた腕を捕まえる。力の入れ方は、頭と言うよりは身体で理解している。人の骨は、ある方向から力をかければ、想像以上に簡単に壊れる。
逆の方向に向かって折れ曲がった肘を抱え、悲鳴をあげる男の顎を掌底で跳ね上げて沈黙させると、私は残った3人に向き直る。
2人は、この段になっても自動二輪に跨ったままだった。その横に回りこんで、安定を崩してやる。あっけなく、自動二輪はドミノ倒し式に横に倒れ、反応の遅れた1人を巻き込んでいる。まともな格好をしておらず、突っ掛け履きだったその男は、足を潰されて、盛大な悲鳴をあげる。その顎を足で跳ね上げて沈黙させる。
後は2人。
1人は、私に向かって拳を振り上げていた。殴るのではなく、不恰好に投げ出すように拳を振り下ろしてくる。僅かに身体を横にして、それを躱すと同時に、体捌きで側面に回りこむ。こうなれば、何でもし放題である。多少は暴力的な気分に支配されていたとは言え、基本的に私は平和主義者である。だから、あまり酷い事をせず、拳をその脇腹に打ち込むことで済ませる。
最後の1人は、全く動きもせず、その場に立ち尽くしている。足が震えているのが見えた。
「何モンだ? 貴様」
「そのような言われ方は不愉快ですね」
逃げ出すのならば、放っておくところだが、男は根が生えてしまったようにその場から動かない。仕方が無いので、平和的でない解決法をとる事にする。時間のかかる事ではない。踏み込んで、投げるか殴るか極めるかすればいい。その辺りは臨機応変で良いだろう。
一歩踏み込み、私は足を止めてしまった。
坂道の下の方より、闇を切り裂いて車の明かりが迫ってきた。別に私を狙って突き進んできたわけではないが、なんとなく間合を外された感である。
その隙に、男の呪縛が解けたらしい。
私どころか仲間も捨て置き、素早く背を向けると倒れていない自動二輪に飛び乗り、あっという間に退場する。こうした連中にも、それなりの仲間意識は存在すると思っていたのだが、どうやら間違いであったらしい。とは言え、それはこういった連中に対する私の評価を下方修正するほどのことではない。何しろ、既に最低にあるのだから。
その間に、車はすぐそこまでやってきて停車した。道を塞ぐように二台の自動二輪と、その下敷きになった男、更には3人が思い思いの場所に転がっているのだから、通り抜ける事は不可能である。
私は反射的に顔の前に掌を翳していたが、他意はない。ただ単に、正面から当てられた光が眩しかっただけである。
車は、そうしたことに疎い私にもそうと知れる、高級車である。黒塗りで、正面の出っ張り部分の上に、天使を模った飾りが見える。窓は黒塗りで、中の様子を覗うことが出来ないようにされている。
運転席の扉が開き、矢鱈と体格の良い男が現れた。黒いスーツ姿であり、白い手袋をしていた。空は闇に包まれていると言うのに、サングラスなどをしている。これでは、幾ら灯りを点しても意味が無いのではないだろうかと、人事ながら心配になってしまう。
「――おやおやお嬢さん」
言葉を発したのはこの男ではなく、後部の扉から姿を現した老紳士だった。和服に身を包み、一本のステッキを突いたその姿には見覚えがある。
「こんな場所、こんな状況で再会するとは、いささかおかしな縁がある様子ですな」
老紳士の名前は、菅原氏と言う。
「質の良くない輩に絡まれまして、少々乱暴な手法で持って切り抜けたところです」
「成る程、見かけに拠らずにお強いらしい」
菅原氏は感心したように頷いて見せた。
「しかし、これでは通行の邪魔ですな」
「お待ちいただければ、すぐに片付けます」
「いえいえ、か弱い婦女子に力仕事をさせるのは心苦しい。――岩田」
岩田と言うのはこの体格の良い黒尽くめの男の名前らしい。どうやら運転手らしいが、護衛も兼ねているのだろう。ただの運転手にしておくには、勿体無いような体格である。
岩田氏は、その見かけに似合った力の持ち主のようで、気絶している男たちを軽々と担ぎ上げ、無造作に路肩に放り捨てる。更に自動二輪まで持ち上げると、同じようにする。
どうやら、見かけから判断を誤ったらしい。見掛けに似合った力、どころか、それ以上の怪力だ。殆ど、人間離れしている。
それを無言で眺め、一段落がついた事を確認した菅原氏が口を開く。
「全く、こうした輩にも困ったものだ。社会に何ら貢献しておらぬ上、することなすこと品がない。どうせ何の役にも立たないのだから、いっその事、まとめて処分できたらどれほど世の中が平和になることか」
政治家が、そのようなことを口にして、果たして良いのだろうか。私には判別がつかない。少なくとも、私も同様に考えているのだから、菅原氏を非難する資格は無いであろう。
「夜も深けて来ておる事だし、こ奴等の仲間が意趣返しに戻ってこないとも限らぬ。わしの家も、この上にある。ついでで、手間がかかるわけではないから、良ければ、わしの車で家まで送るが」
「いえ――」
「遠慮は必要ないぞ。どうやら、目的地はこの上で同じだろう。たいした手間ではない」
「いえ、結構でございます」
私は丁重に辞退した。
「そうか、それでは仕方が無いの」
菅原氏は、肩を竦めて見せた。
「――岩田」
不意に、岩田氏が私のほうに歩みより、腕を伸ばしてきた。
用心はしていたつもりだったが、それでも少しばかり反応が遅かった。どれくらい遅かったのかと言えば、先刻は若旦那さんから預かった荷物を落とすことなく対応できたのだが、今回はそうは行かなかった。岩田氏の動きが、先刻の破落戸とは段違いだったという事情もある。足元で、金属質の音がするのを聞きながら、私は伸びてきた岩田氏の肘の関節を極めていた。極めたら、折るのは一連の流れである。
しかし、折れなかった。鉄骨に関節技をかけているような徒労感を感じた。これは、異常なことだ。
岩田氏と、私の間には、筋力の差がある。とはいえ、人間の体が力を発揮するには、正しい方向と言う物が必要である。体勢が充分でなければ、どんなに力持ちでも、その実力を発揮することは不可能である。また、関節技の大半は、梃子の原理を利用して、小さな力で効果を得られるようになっているものなのだ。
なのに、岩田氏の腕は、びくりともしない。
無造作に、私の身体ごと持ち上げ、振り下ろす。
地面に叩きつけられるのは遠慮したいので、私は仕方なく、岩田氏の関節から手を離し、そのまま下がって充分な距離をとる。
「壊してしまっては元も子もないだろうが。もう少し、丁寧に扱えないのか?」
菅原氏が、岩田氏を罵る。しかし、岩田氏の表情はまるで変わらない。初手から表情が無いような顔で、私のほうに襲い掛かってきた。
関節技が駄目ならば、他の手法をとれば良い。
私は襲い掛かってくる岩田氏の勢いをそのまま利用して、投げ飛ばした。軽量級と、無差別級程度の体重差があるが、技術さえあれば、後は間と瞬発力で何とかものである。特に、岩田氏は重量感に満ち溢れ、力には満ち溢れているだろうが、基本的に動きは単純で、何らかの武道を習得しているようには見えない。また、怪力は兎も角、接地面積や体重自体は、見た目通りであるから、投げ飛ばすのには問題が無い。
我が事ながら、見事と言ってよい手並みで、岩田氏の巨体を宙に舞わせ、勢い良く背中から路面――アスファルトに叩きつけた。
素早く離れ、菅原氏のほうを覗うと、その表情には間違いなく驚愕が浮かんでいる。
「これは――これは全く。――全く、人は見かけに拠らぬとはこの事だな。岩田をまるで赤子のように問題としないとは――」
そこで、菅原氏の表情が一変した。
「しかし、その程度で岩田がどうにかなるなどとは思わぬが良いぞ」
背後から伸びてきた腕を潜り抜け、流石に私は驚愕していた。
あれだけの勢いで叩きつけられたと言うのに、岩田氏はあっさりと立ち上がり、こちらに攻撃をかけてきたのだ。動きも、最初と何ら変化がない。まるで痛痒を感じていないことが見て取れた。これは、タフなどと言う一言で片付けられるような頑丈さではない。
仕方がない。
私は、腰を僅かに落とし、本気で構えを取った。
頑丈なのは良く解かったが、その移動速度や反応速度は、充分に対処できる程度の代物である。とは言え、どうやら無尽蔵な体力を有している様子であるから、私自身が消耗しないうちに、決着をつける必要があるだろう。手加減は、無用どころか有害である。
「おっと、岩田を壊されるのは困るのでな」
菅原氏がそう呟き、手にしたスッテキの先を私に向けた。充分以上な距離を離れているし、菅原氏が私を圧倒する体術を身に付けているようには見えなかったが、ステッキの握りの部分を掴む手の形から、危険を悟る。
何かの突起を押す仕草。
同時に先端部から、空気が漏れる音が聞こえた。
私は身体に向かって飛来する物を捕まえる。
人差し指と薬指で掴み止めた物は、一本の針だった。車のライトの光に照らされて、輝くそれは、何らかの薬品が塗られている様子だ。菅原氏の言動から考えるに、無用な怪我を負わせずに抵抗力を奪う薬品。筋弛緩剤か、もしくは睡眠剤の類であろう。
「ほっ。まさか、これまで止めるとは、尋常ならざる強者じゃな」
菅原氏の声には、いまだ余裕があった。口元を和服の袖で覆い、楽しそうに笑い声を上げている。
「しかし、わしのように用心深い者が、最終的な勝利者になるのだよ」
――口元を覆い?
自分の迂闊さに気がついたときには、既に遅い。身体から力が抜けていくのを自覚する。
ステッキに仕込まれていたのは、針を撃ちだす隠し銃と言うわけではなかったのだ。針はおまけのようなもので、実際は、ガスを放出する仕掛けが本領であったらしい。風の向きも、私のほうに吹いてきている。全く油断して居た。岩田氏の肉体的な頑健さにばかり気を取られ、他のことを失念して居た。これは――痛恨だ。
私の意識は抵抗らしい抵抗も出来ないまま、闇に飲まれた。
目覚めは――快適とは言いがたかった。
頭の芯に鈍い痛みが残る。痛みは睡眠剤の名残であろう。即効性に優れた薬剤だったが、こうした事後の体調不良にまでは気を使った製品では無いらしい。ご主人様の調剤したものならば、このような余計な弊害は無いのに、と無い物ねだりをしてしまう。
場所は、当然の如く移動していた。
白っぽい広い部屋で、どこか、病院の手術室を思わせる場所だった。部屋の中央部には素っ気無い寝台。無影灯がその上には存在し、寝台の脇には手術刀を初めとする様々な手術道具の並べられた車輪つきの棚があった。ただ、その手術道具の中には、一般の医者の使わないであろう、大工道具としか見えない鋸や、鉈の類なども一緒くたにして並べられている。何より、寝台には手枷足枷が付いており、それも革のベルトではなく、鎖つきの手錠の類であるところなど、いかにもな胡散臭さである。
部屋の片隅には、なにやら白い布のかけられたなにやら良く解からない物もあり、その他、医術とは全く関係のない代物も無造作に置かれている。床や壁には、おそらく血の跡であろう汚れがあちこちに見え、この部屋で行われた忌まわしき所業を教えてくれている様子である。中でもそれらの跡が生々しいのは当然と言うべきか、寝台の周囲で、一面赤黒く汚れている。
はてさて、私自身の状況はといえば、5体は無事に付いている。いる場所は部屋の片隅、姿勢は椅子に腰を下ろした格好である。着衣には乱れは無く、流石にそうした如何わしい振る舞いをされたとなれば自分自身で気が付かぬとも思えないので、おそらくは無事なのであろう。ただ、頭の芯に残る鈍い痛みと、後ろ手に手錠で戒められているせいで、肩口のあたりに奇妙な凝りを感じている。
手錠は、私程度の小娘の力で引きちぎることは不可能な強度を持っている様子だ。一度、試みて、手首に傷が入ってしまったので千切るのは諦める。
「全く、先刻の体術と良い、今の落ち着きぶりといい、可愛らしい見掛けに似合わぬ波乱に満ちた人生を送ってきたようだな」
あえて無視を決め込んでいたのだが、部屋には2人ほど人間がいて、その内の片方、菅原氏が私に声をかけてきた。
私が嘆き、悲しみ、恐怖しないことがお気に召さない様子で、不機嫌な表情をしている。おそらく、期待通りの反応を見せていたら、今度は失望して不機嫌になるのであろう。どちらにしろ、満足させる反応は出来そうにない。また、満足させる必要も存在し無い。
もう1人の人間は岩田氏。相変わらず無言で、そこに居るのではなく、ただある、と言った風情で佇んでいる。
「戒めを解いて、開放してはいただけませんか? それが双方のためになると思いますが」
無駄とは思いつつ、一応は口にして見る。
「やれやれ、本当にたいした神経だ」
お手上げ、と言う格好をする菅原氏。
「この状況で、動揺の欠片も見せないのか?」
「見せても、状況が改善されるとも思えません。――それとも、上手く動揺して見せたら、開放していただけるのですか?」
「いいや」
菅原氏は首を振った。
「お嬢ちゃんには、わしの作品の重要な材料となって貰う」
作品。何れ、碌なものではあるまい。
「ところで、何処でわしのことを不審に感じたのかな? お嬢ちゃんの前では怪しい素振りを見せたわけではなかったはずだが?」
どうやら、私が菅原氏の誘いに乗らなかったことを不思議に思っているらしい。普通は、殆ど面識の無い人物の誘いに、そう簡単に乗るものでは無いと思う。しかし、菅原氏は自分が断られたと言うことが信じられないと言う表情を、真面目に浮かべている。
「別にたいしたことではありません」
素っ気なく応じ、それから、僅かならず時間を稼ぐ必要を感じていたので、思い直して素直に答えることにする。
「たいしたことではありませんし、決定的な不信感を抱いた理由と言うわけでもありません。あなたは私と同じ住宅地に住居を構えていると仰いましたが、少なくとも、あの住宅地に菅原と言う表札を構える家は存在しておりません」
「成る程」
菅原氏が頷く。
「お嬢ちゃんの記憶力はたいしたものらしいな」
なにが幸いするか解からないため、なるべく見たものは覚えるようにしている。ご主人様に効果的な記憶術を教えられているため、これはたいした手間でも無い。
「それに――」
「それに?」
少しばかり言いよどんだ私を、菅原氏が促す。
これは、果たして論理的といえる理由だろうか。いや、そうではない。だが、それだけに重要な理由としてあげても良いだろう。
「あなたの目です」
「目? だと?」
「そうです。理由は自分でも不分明ですが、そのような視線を向けられたことが、過去にあるような気がしました。何故だか解かりませんが、近づき難い物を感じましたので」
「成る程な」
明確とはいいがたい理由であったが、菅原氏は素直に納得した様子である。なにやら、思い至ることでもあるのか、それとも他の理由であろうか。
「さて、話は戻るが、わしの作品を、お嬢ちゃんには是非とも見てもらいたいな」
別に心惹かれる申し出でも無いのだが、断ったところで断念してもらえるとも思えない。――なので私は、肯定も否定もせず、ただ沈黙することにした。
菅原氏は勿体つけるようにゆっくりと部屋を横切り、例の白い布のかけられた物体に近付いた。最早、正体は知れたような気がして興醒めする私には気が付かず、片手を白布にかけ、一気に剥ぎ取った。
そこにあったのは、まさしく想像したとおりの代物だった。
「どうだい、お嬢ちゃん。これがわしの自慢の作品だ」
全身を継ぎ接ぎされた全裸の女性の死体。縫い合わされた場所を見るまでも無く、この所、近辺を騒がせていた連続バラバラ殺人鬼と菅原氏が同一人物であることが知れる。
「フランケンシュタイン博士のモンスターですか? 独創性がありませんね」
論評した私に、菅原氏は目を剥いた。
「馬鹿者。わしの作品を、あんな怪物と一緒にするでない。この娘は、黄金率に従った完璧な肢体と、美しい顔を持つ、世界最高の美女だ」
今までのもの静かな雰囲気は何処へやら。額に蛇のような血管を浮かび上がらせ、唾を飛ばしながら菅原氏が叫ぶ。血管に障害を持っていたら、そのままお迎えがやってきそうな興奮振りである。そのほうが平和かもしれないと思ったのだが、残念なことに菅原氏は、再び落ち着いた雰囲気を取り戻してしまった。
「そう、世界最高の美女と思っておった。――お嬢ちゃんに出会うまではな。残念なことに、この娘の顔では、世界最高を名乗るにはおこがましい。そう、悟ってしまったのだよ」
悟らなければ良かったのに。
「その、歳に似合わぬ落ち着き、凛とした美貌。お嬢ちゃんの顔と比べれば、この娘の顔も霞んでしまう。――だが、幸いなことに、起動のための術法はまだかけていなかったので、顔を付け替えるくらいはたいした手間ではない」
「成る程」
私は頷いた。先刻の論評の、何処が気に入らなかったのか理解したのだ。
「フランケンシュタイン博士のモンスターではなく、マイ・フェア・レディ、と言うことでしたか」
美しいが何も知らない田舎娘に最高の教育、礼儀作法、化粧の仕方、ファッションについてなどを教え込み、自分好みのレディに育て上げると言うお話。似た様なものでは、源氏物語の紫の上か? いやいや、こちらは元々自分好みの娘に手を出す話であったか。どちらにせよ、男のエゴに満ちた、嫌な物語であることには違いない。ありのままで愛することは出来ないのであろうか。
兎に角、この菅原氏が目指したものは、このお話と相い通じる部分が多い。ただ、こちらは肉体から、自分好みの女性を作り上げるつもりの様子であるが。
「しかし、死体愛好とは感心できる趣味ではありませんね。マネキンで満足すれば良かったのではないですか?」
白雪姫の王子様ではあるまいに、死体に向かって愛を語らうのは、好ましい嗜好であるとは思えない。できれば、私から遠く離れた場所で勝手にやって欲しい種類の趣味である。
「死体? 死体ではないさ」
可笑しそうに菅原氏が相好を崩す。
「岩田、上着を脱いで、このお嬢さんに見せてやるが良い」
岩田氏は菅原氏の指示に従い、無言のまま、上衣を脱いだ。鍛えられた筋骨。恵まれた雄偉な体格が露になる。ただ、異様なことと言えば、その胸の中央部に縦に一筋、醜い縫合の跡が残っていると言うことである。それも、子供が戯れに縫い合わせたような乱雑な手法でもってそうしたとしか見えないような、拙い技術によるものである。傷口自身も、到底塞がっているとは思えず、まだ生々しい色合いの肉を覗かせている個所もある。しかし、血は流れず、岩田氏の動きには痛みを感じているような素振りも無い。
「こやつは少しばかり調子に乗りおってな。わしの秘書兼ボディガードを勤めておりながら、裏では中央の幹事長と通じておった。そればかりか、わしの後添えにも手を出しておったわ。――本来ならば二つに重ねて、真っ二つ、計4つに分けてやるところだが、優しいわしは、こうして至高の実験の練習台として使用してやった。中身を抜いて入れ替えてやっただけの簡単な手術だが、これこの様に、わしに忠実で、頑健な肉体を持つ人を超えた存在になったわ」
「成る程」
私は別段感銘を受けたわけではなかったので、口調に変化はない。我ながら、素っ気無いと言う表現しか出来ない淡々とした口調で、それでも頷いて見せる。
「――!」
それは、またしての菅原氏の期待する反応ではなかったらしい。難儀なことである。
「ここまでしても、まだ平然としておるか?」
「技術を称えて欲しいのでしたら、他の者をお呼びになったほうが宜しいかと思います。どうやら私は、感情が他者より薄いようですし、恐れて怯えるような可愛げも無い様子です」
菅原氏の望む反応は出来そうにない。そう思ったので次善の策を示したつもりだったのだが、益々お気に召さなかったらしい。
足音高く菅原氏は私に近付き、ステッキを振り上げた。
どうやら私を打ち据えるつもりらしい。
流石に痛いことは嫌いなので、そろそろ行動に移ることにする。最早、時間を稼ぐ必要を感じないし、只でさえ予定したよりも時間は経っている。ご主人様は、放っておけば自ら進んで食事の準備をするような人間ではない。それどころか、私が促さなければ一食や二食は平気で省略するようなところがあり、それは健康上良くないことである。既に時間的にはいつもの夕食の時間を回ってしまっているので、早いところ帰宅して、素早く用意をしなければならない。
菅原氏がステッキを振り下ろすよりも早く、私は椅子から立ち上がると右手を振るった。
菅原氏の反応は、その年齢を考えれば、迅速と言って差し支えのないものだったであろう。私の右手はとっさに身を引いた菅原氏の顔を捕らえることは出来ず、空を切って通り過ぎていた。
「何故――」
「動ける」とでも続けたかったのであろうが、その言葉は途中で断ち切られる。
私の右手首には、いまだ手錠が嵌められており、それが一拍遅れて菅原氏の横顔に命中した。狙ったわけではないが、丁度左眼の部分を痛打し、菅原氏は獣じみた悲鳴と共に、自分の反面を押さえて仰け反る。
私はそれを悠長に見学していたわけではない。素早く菅原氏の身体に取り付き、自分の支配下におくつもりであったが、今度は私自身に誤算があった。
薬物の影響、更には長い間椅子に座らされていたせいか、膝に力が上手く入らなかった。踏み出そうとした足から力が抜けてしまい、蹈鞴を踏む。無様に転ぶと言う事態は避けることが出来たが、菅原氏に余計な時間を与えてしまった。
菅原氏は半ば床を転がるようにしながら私から離れ、岩田氏の背後に回りこもうとしている。
それを避けるために捕まえようとしたのだが、目論見は完全に外れてしまったようだ。
仕方が無いので、私はその場で屈伸をして、力の入らない足を出来うる限り改善するように努力する。
「この、小娘が!」
菅原氏は憎悪に溢れた表情で私を睨みつける。左目は押さえた掌に隠されているため、残った右目にその全てを込めて、私を射抜かんと言う風情である。迫力は、あると思う。あるのかもしれないが、私には当人が望むほどの効果を期待してはいけない。自分で言うのもなんだが、私は可愛げの無い性格をしているらしいのだから。
ところで、どうでも良いことだが、私の呼称が「お嬢さん」から「小娘」になったのは、これは格下げと言うことなのであろうか。いや、本当にどうでもいいことである。
「どうやって戒めを抜け出したかは知らぬが、余計なことをしたな。もはや紳士的な態度を期待せぬことだな。――岩田。顔さえ無事であれば、他はどうなっても構わぬ。手足の全てを砕いて、身動きが取れぬようにしろ」
成る程、菅原氏は、私に対して紳士的な態度で接していたらしい。少なくとも、当人はそのつもりであった様子である。世の中には様々な考え方をする人間がいるものである。これだから、世界は驚きに満ちて面白い、などと考えられる状況ではないが。
岩田氏は身を屈め、膝に力を込めると、私に飛び掛ってくる準備をした。先刻見た限りでは、岩田氏の肉体的な頑健さ、筋力は兎も角、その行動速度や体術の技術に関しては脅威ではない。しかし油断は禁物である。
自分を戒める私に向かって、岩田氏は跳躍した。
しかし、轟音と共に何かに弾かれ、床に叩きつけられる。
「正義の味方登場」
呑気な声は、私の良く知ったものだった。
「な、何?」
岩田氏が驚愕の表情で、この部屋の入り口を振り返る。
私もつられてそちらを向いた。
そこには、ご主人様が居た。扉の脇の壁に背中を凭れさせ、至って寛いだ様子で、驚愕の表情を浮かべる岩田氏に人の悪い笑顔を浮かべている。
そしてもう1人、予想外の人も居た。
上州屋の若旦那さんが、構えた拳銃を再び発射した。
こちらの余所見を隙と見たのか、先刻の岩田氏の命令に忠実に従って、再び私に向かってきていた岩田氏が、見えないハンマーに殴られたみたいにして後方にすっ飛ぶ。
「絵里君、無事ですか?」
上州屋の若旦那さんは、常のように和服姿である。しかし今回は何を思ったのか、和服の袷の隙間から覗く地肌の上に白いものが見えた。どうやら晒しを巻いているようだ。和服の着流し、更に草履履きと相まって、まるで一昔前の仁侠映画のような格好である。ただ、上州屋の若旦那さんは顔立ちがおっとりとしているので、そうした人にありがちな迫力はない。
「はい、無事です」
私は答え、それから首を傾げた。
「御二人とも、何故ここに?」
「酷いですね」
若旦那さんは、拳銃をもう一度発射して更に立ち上がろうとする岩田氏を三度転ばせ、開いているほうの左手で自分の頭を掻いた。
「絵里君を助けに来たんですよ」
「それは――お手数をおかけして申し訳ありません」
私は深々と頭を下げて御礼を言う。
それを見て、若旦那さんは微妙な表情をした。
「なんか、調子が狂いますね」
「貴様ら、何故ここに? どうして解かった?」
菅原氏が冷静さの欠片も無い表情口調で叫ぶ。
それに対して、ご主人様が懐から水晶の首飾りを取り出した。いや、正確には水晶の振り子である。つまるところ、それを使って、失せもの探し――ダウジングをしたと言うことであるらしい。
「バカな、何故だ」
私には理由が知れたのだが、菅原氏はそうではないらしい。説明をしようかと口を開きかけたのだが、考えてみればその義理は無いのである。私は沈黙を守ることにした。
ご主人様のほうもその気は無いようで、私のほうに近付いてくると、右手を取った。
「鍵穴が手首のほうに向いているね。こうした場合は鍵穴をいじれないように、肘のほうに向けたほうが良い。次からは注意したほうがいいね」
目線の高さまで持ち上げて、未だ私の手に嵌められたままの手錠を眺めながら呟くように言った。それからゆっくりと手錠に手をかけ、あっさりと外してくれた。私のように鍵開けの技術を使う必要はご主人様にはない。何しろ、手錠は嵌ったまま、抵抗無く私の手から引き抜かれていたのだから。
「正直、あなたがフランケンシュタインの怪物の研究をすることに文句はない」
「あの、ご主人様。当人はマイ・フェア・レディのつもりの様子ですが」
「――成る程」
私が訂正を入れると、ご主人様はどこか納得、感心したように頷いた。
「確かに、どちらもコンピューターゲームになれば、育成シミュレーションと言うジャンルで括られるんだよな」
「映画でも、二つは一緒の話であると言う台詞が出てきたこともありますね」
私も頷いて見せる。
「まあ、どちらにせよ、他所でやる分には良かったが、うちの絵里君に手を出したのは失敗だったね。特に、絵里君に怪我をさせたのがいただけない。その報いは受けてもらうよ」
私の腕に残った手錠の跡。最初、少しばかり乱暴に、外せないものかと試みたせいで、皮膚が擦れ、僅かに傷を作ってしまった。それを優しくご主人様が擦ってくれる。元々、痛みなどは無かったのだが、暖かい何かが、その場所から全身に広がっていくのを感じ、ご主人様が手を離した後には、傷一つ無い腕が残った。
なんとなく、ご主人様のほうに身を傾けてしまう。ご主人様は、優しく私の肩を抱いてくれた。
ううむ。これは、なかなか良い雰囲気ではないか?
「おいおい」
ご主人様に、若旦那さんが焦れたような声をかけてくる。
「大変盛り上がっているところを悪いのですが、こいつを何とかしてもらえませんか?」
喋りながらも若旦那さんは拳銃を発射して、果たして何度目になるのか岩田氏を転ばせる。しかし、岩田氏は何の痛痒も感じておらず、ゆっくりとした動作ながら、確実に身を起こしていく。
「こいつは豆鉄砲ではないはずなのですが、全く通用していない様子です。一体どう言う仕組みになっているのしょうかね?」
岩田氏の顔に再び拳銃の弾が炸裂する。岩田氏の頭が弾かれたように後方にずれ、すぐにもとの位置に戻る。命中したのは右の頬だったらしい。そこに小さな赤い穴が開いているのが見えたが、出血はない。その代償のように、傷口から拳銃の弾が押し出されて、床に落ち、音を立てた。その時には、頬の穴は塞がれてしまっている。
「それでしたら、私が――」
ご主人様から離れ、私は若旦那さんと岩田氏の間に入り込む。最も、岩田氏の狙いは相変わらず私のようで、若旦那さんを一顧だにしていないのだから、その必要は無かったかもしれない。
「これを使うと良い」
ご主人様が懐から一本の日本刀を取り出して、私のほうに放る。
四尺を超える長大な一本で、確か銘は「斬月」――
「有難うございます」
お礼を言う私に、岩田氏が飛び掛ってきた。今度は若旦那さんの攻撃はない。
私は膝を落とし、一息に「斬月」を抜き放つ。そのまま逆袈裟に斬り上げ、岩田氏の右の脇腹から左の肩口にかけてを斬り裂いた。岩田氏は私を飛び越えて着地、その上半身が斜めにずれ始める。
しかし、素早く自分自身でずれた上半身を押さえて元の位置に戻すと、傷口はあっさりと消え失せ、何の問題も無いみたいに再び襲い掛かってくる。
「絵里君、その縫い目にあわせて斬ってごらん」
ご主人様の忠告を受け、私はその言葉どおりにするべく、「斬月」を大上段に構えると、素早く斬り下げた。
狙いは違わず、岩田氏の胸元から腹部にかけての縫合の痕に沿って、「斬月」は存分に斬り裂いた。
岩田氏は相変わらず痛みを感じていないのっぺりとした表情でこちらを振り向き――内圧に耐えかねたかのように開いた胸から腹部にかけての傷口からなにやら正体不明の重そうな液体を床にぶちまけた。妙に平たくなった上半身が崩れ、それに引きずられて下半身も床に倒れ――そして起き上がることは無かった。
「バカな。岩田が――」
「驚くほどたいしたことではないだろう。これほどはっきりと縫合の跡が見えているのだから、問題にもならない。一流の者ならば、縫い目がわからないようにすることも出来ると言うから、あなたは三流以下ですね」
ご主人様が淡々と告げる。
誇りを傷つけられたのか、菅原氏の表情に憤怒が浮かぶ。しかし、それは直ぐに不安の色に塗りつぶされる。
孤立無援になった自分の状況に気がついたのであろう。もう一体、菅原氏の言によると、黄金率に従った完璧な美女の縫合死体があるわけであるが、こちらは未だ起動準備が済んでいない。私の首と付け替えてから、それをするつもりであったと言う話だから。
「どうする? こちらなら、私の銃でも充分に始末が出来そうだが?」
若旦那さんの提案に、ご主人様は首を振った。
「こちらは僕が始末をつけますよ」
「おぬしら、油断のしすぎだ!」
不意に菅原氏は叫び、スッテキを構え、よりにもよってご主人様に向けた。
私は素早く移動して、ご主人様とそのステッキが結ぶ射線を塞ぐ位置に身体を割り込ませる。
菅原氏の指がスッテキの握りの部分に仕掛けられた突起を押し――軽い爆発音と共にステッキの先端から花束が現れた。
良く、手品などで見かける現象だった。こうした小道具は、確か一般にも売られているのではなかったろうか。
「ば、バカな? 一体なにが起きたと言うのだ?」
狼狽る菅原氏であるが、私のほうは事情が知れた。
ご主人様が、人の悪い表情を浮かべながら、私の肩を掴んで横に移動させる。
この表情を見れば、ご主人様が何かしたことは明白である。ただ、私にも、ご主人様が何をしたのかは理解することは出来ないのであるが。
「さて、懺悔の時間が必要かな? それとも、命乞いの時間?」
ご主人様は私に背中を見せて、菅原氏に告げた。
「10数える間に済ませろよ。1、10、はい、終わり」
「何ですか。それは――」
若旦那さんが呆れたように呟くのが聞こえてきた。
「待て、待ってくれ!」
叫ぶ菅原氏であるが、ご主人様に待つ気は無いようだ。
ご主人様の足元に蟠っていた影が、光源の位置に逆らうように伸びて、広がっていく。それは菅原氏の足元まで達して、それが起こった。
影の中から青白い手が何本も伸びて、菅原氏の身体を拘束する。更に腕に続いて身体や顔が現れ出でる。どの顔も不健康にやせ細っており、目だけが危険な光を点している。
「待て、辞めろ」
菅原氏の叫びは、次の瞬間には悲鳴に変わった。
菅原氏の身体は、幾本もの手に引き倒され、その身体に群がるようにして、亡者達が迫る。
甲高い悲鳴。
皮を裂き、肉を破り、骨を噛み砕く音が聞こえてきて、宴が始まる。
菅原氏の悲鳴は、結構永いこと響いていたが、それもついには途絶え、宴も終わった。
「普通、生きながら亡者に貪り食わせますかね」
若旦那さんが口元を押さえ、どこか消耗した表情で呟くのが聞こえてきた。
「それくらいはしても良かろう」
ご主人様はなんでも無いことのように応じる。
何時の間にか、ご主人様の影は元のとおりになっている。素直に天井の光源に合わせて、足元に蟠っている。小さく、何かを擦り合わせるような音と、おくびの音が聞こえてきたような気がしたが、多分気のせいだろう。
「――ところで、これ、どうしますか?」
そう言ってご主人様に示したのは、部屋に残った女性の縫合死体である。
「お前の店で売るか?」
ご主人様が、若旦那さんを見て尋ねる。
「よして下さい。私は連続バラバラ殺人事件の容疑者として警察の厄介になるつもりはありませんよ。だいたい、あなたのほうがそうしたものは有効利用できるのではありませんか?」
若旦那さんはげんなりした表情で、ひらひらと手を振りながら、ご主人様に押し付けることにした様子である。
「正直、然程食指をそそられないな。出来が良いわけでも無いし、趣味でも無い。廃品利用をわざわざする価値も無い」
「解体して、原材料にしたらいかがですか?」
私の提案に、ご主人様は僅かに心を動かされた様子だったが、本当に僅かだけの事だった。首を振って否定する。
「既に肉は硬くなってしまっているし、何より内臓が欠片も残っていないのが使えない。何より、死体は新鮮でないと」
「そうですね」
私が頷くのを見て、ご主人様は満足した様子である。
「こいつは、まあ、このまま放っておいても良かろう。後で警察に通報の一つも呉れてやれば、そちらのほうで処分してくれるだろう」
ご主人様はそう言うと、踵を返した。その背中に若旦那さんと、私も続く。
しかし、このままでは、絶対にその犯人が捕まることはないと思うのだが……。まあ、どうでも良いことであるが。
「ところで、ご主人様――」
そう言えば、私は一つ重要なことを思い出した。
「どうしたの?」
「あの、申し訳ありません。その、上州屋さんで購入した本のことなのですが――」
「どうかしたの?」
「なくしてしまったようなのですが――」
「え?」
ご主人様は、振り向いて私のほうを見た。
菅原氏が何処にどうしたのかは知らないが、少なくとも、私の手元には例の本は存在し無い。
「失せもの探しをすればよかろう」
ご主人様は、若旦那さんの声に悲しそうに首を振った。
「僕だって万能と言うわけではないんだ。特に、あの手の本は厳重な封印がなされているから、ダウジングなんかを使っても無駄なんだ」
「あの、申し訳ありません。私のせいで」
私は他に仕様もなく、解決には何ら寄与しないことを承知で頭を下げた。
「あの、今すぐ、あの場所に戻って探して――」
「無いみたいだ」
ご主人様は虚空に像を浮かび上がらせて、残念そうに答えた。こちらからは、さかしまになったあの場所が見えた。脇に捨てられたはずの自動二輪や破落戸たちの姿も無いから、おそらくはその連中に持ち去られたらしい。
「すみません。どのような罰を下されても、恨みには思いません。それで、心をお静め下されば幸いです」
ご主人様は、私の頭に手を置いた。きつく目を閉じていた私に、ご主人様の声がかけられる。
「まあ、仕方がない。替わりに美味しい夕食を作ってくれれば、それで勘弁しよう」
ご主人様は、軽く私の頭を叩いた。ぽんぽんと言う擬音がぴったり来るような、優しい叩き方だった。
なんだか、その叩き方は、私の頬をだらしなく緩める効果があった。
――蛇足。
「ところで、その拳銃はどうしたのですか?」
私の質問に、若旦那さんは西部劇に登場するガンマンのように、指先でくるくると拳銃を回して見せた。器用ではあるが、格好がガンマンと言うよりは任侠なので、違和感がある。
「うちの商品の一つです」
「成る程」
私は素直に頷いた。
なんとも、手広い商売の展開をしている様子である。
第2話 終
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