美濃のマーヤンと駿府のフーさんの いけいけ珍道中

 


花言葉は、純潔、思慮深さ はにかみ、内気、である。、
ロケットマッサ 1号さん

わが店で咲く ホープさん を紹介いたしまする! 今、一番 輝いてるうす紅色の シックラメンの ゆうこ です。  おいらの心をさりげなく、ぼんやりと慰めてくれてる優しい こ です。 去年の11月の終り頃からうちに来て以来、ずっと恥ずかしそうにして おいらの仕事を黙ってながめてくれてます。

 かわいいです! 永く、咲いててくれるように毎日、心から愛の水をかけて端正してる 今年はマーサーに負けない あさがお を咲かせようとおもってます。 このところ、どうした風の吹き回しか?とらえもんメールが快調に 毎日 飛んできて 守山のエッセイスト はたまた、文学青年の 虎次郎として彼の人間性豊かな想いが送られてきています。 トラエモンの味は又、おいら達にナイ エエもんです。 怒れるトラエモン!は 迫力があってケッコウ吠えてナカナカです。 今は浪曲・落語・漫才等の話に花が咲いてる処です。
       
                          シクラメンに恋して フーたろ
シクラメンに恋して フーたろ呑
シクラメンほど可愛いものはない・・・恋する花がシクラメンなんてニクラシメンですね。 俺んち昨夜 初めて功名が辻を見ました。 山内一豊なる人物、千代という人物に関心が でてきたんです。 これから毎週見てみようかなとおもちゃいました。 相変わらずシクラメンのように
純潔、思慮深さ はにかみ、内気、である。、 純潔はどうか知らないが、純情は間違い無しです。 はにかみも内気も何処までが 何処からかは判断がつきませんが、 イメージとしては納得です。 はにかみは名古屋の御仁がぴったりだけど、純潔では絶対無いよね。  名古屋の御仁の 名前が寅次郎では いささかイメージに合わない イーグルのトラも なんか シックリこないんだよ。 タイガー錦では相撲取りになっちゃうし、 なにかないんだろうかね。 エッセイのとらさん・・・怒れる寅さんは俺んちのメールでは感じられません。
浪曲・落語・漫才等はlチョイト俺んち向きではないかも
             愛しき日々  マー風さん
内助の功で戦国大名になった山内一豊。さまざまなエピソードを持った人物として親しまれている。戦前の教科書には『馬ぞろへ』と題して、里から持参した金子十両を夫人の千代が鏡の底から取り出し、夫の安土馬揃えに名馬を購入し、これが主君信長の目にとまり出世の糸口をつかんだという物語が掲載されていた。千代夫人の美談は、湯浅常山が『常山紀談』に、新井白石は『藩翰譜』に、室鳩巣は『鳩巣小説』にと、いまだに語り伝えられている。

 しかし、一豊は黄金十枚で、果たして土佐藩を領し得たのだろうか。

 信長・秀吉・家康と三代仕えた一豊の才覚は、処世術のうまさであろう。主が変わる度に禄高が上がり、家康に加担してから土佐二十四万石を与えられた。ここでも千代夫人の内助の功が光っている。

それは、家康に反抗する石田三成一派の手紙を千代夫人が預かり、すぐ夫一豊へ連絡の書状を送り、家康に文面を差しだし難を逃れたという。

だからこそ、関ヶ原の合戦でさして武勲がないのに、一豊は禄高が四倍する一国一城の主になったわけである。

土佐藩主になってからの一豊は善政を行い、初代藩主の名を高めた。

土佐藩主歴代筆頭、山内一豊の墓は、高知市の筆山公園の一番上に建立されている。いわば、筆山が山内家の墓所と考えるべきだ。この考え方は、加賀の前田家と同一である。そしてまた、墓の向きは、王位貴族が使用する方法と方術書に記されている『北』向きである。前田家も山内家も代々藩主として続いてきた家系である。墓地の広さ・全山を使用する大きさ、これらも共通している。
戒名 大通院心峯宗傳 玉垣 -

美濃を制するものは天下を制す」難攻不落の城は天下への架け橋。

金華山山頂に最初に砦が築かれたのは建仁年間(1201〜1204年)、鎌倉幕府執事の二階堂行政によるといわれています。

その後、美濃の守護土岐氏の筆頭家臣斎藤氏が居城とするものの、下克上により斎藤道三の手に。1567年には道三の孫である龍興を倒した織田信長が岐阜城を手に入れ、この地方一帯を平定。名をそれまでの稲葉山城から岐阜城へ改名し、後に安土城が建設されるまでの10年ほどの間、天下統一の拠点となりました。

しかし1600年、関ヶ原の合戦の前哨戦で、信長の孫、秀信が西軍に味方したため東軍に攻め入られ落城。翌年岐阜城は廃城となり天守閣、櫓などは
加納城に移されました。
現在の城は昭和31年に鉄筋コンクリート造り、3層4階建てとして復興されました。平成9年には大改修を行い、岐阜市のシンボルとなっています。

3階までは史料展示室に、4階の楼上は展望台になっており、清流・長良川、遠く連なる伊吹の山並など壮大な自然が一望でき、夏の夜間営業では、オーロラに例えられる
パノラマ夜景も楽しめます。また、岐阜城のすぐ東にある「岐阜城資料館」は昔の武器庫、食料庫を復元したもので、岐阜城に関連する資料を多数展示しています。
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