美濃のマーヤンと駿府のフーさんの いけいけ珍道中

 

 修正も達人 マサ御大

 さすがに見事な修正ぶり、そんなコトも出来るんかいな? 昨日の夕方からまだ 雨が降り続いてますが いいお湿りというところです。
 クジライ 青春譜  〜 フーさんのポケット 〜 
            
序章   きっかけ          其の 1
 今から40年程前の 丁度今頃、初めて クジライの社長にお会いした。  『君の事情は松永さんから聞きました。

クジライ にいらっしゃい』 大きい眼をカッと見開いてにっこり笑い乍らしっかりと見つめられた時は 今迄に逢った事のない人のオーラとでもいうのかグァーンという迫力を感じた。

トコヤさんになる      其の 2 
 中学校を卒業してから直ぐに 近所でトコヤをやってる 叔父さんの店に 住み込みで弟子入りしてから7年、一応、一通りの仕事は覚えて約束の 年期奉公も終えたけれど まだ店を出してやってみようという 自信がないし 実家を店にして器具、備品を買い住まいも直さなきゃあならないんだけど  その資金のかけらもない状態だった。 

おいらの親父さんは 元はトコヤだったんだけど 店も持たないで出張理容をして 生活してきたんだけど おいらが中学に入る直前に軽い脳溢血で倒れて以来 入退院を繰り返していたので 母は昼は工場、夜は隣の飲み屋に働きに出なければならなかった。

そんなにして母はおいらを含めて3人の子供を生活保護を受け乍ら なんとか頑張ってやってきた時だったので食べていくのが精一杯だった・・・店をどうこうしたくとも お金が全くないのだ。 そこでおいら 後、3年位、世間の荒波に揉まれることと少しでも資金を 溜めようと思い 理容学校の時の先生だった松永先生(亘代さんのお兄さん)に 相談にのってもらい、それで、クジライに という話になった。

 嬉しい!出逢い! 亘代さんと・・ 其の 3
 初めて松永先生の お店に相談に伺った時に 亘代さんと出逢った! とてもそりゃぁ、とっても可愛らしくて・・ブルーの白衣がよく似合ってて・・・・

(当時は静岡では色のついた白衣はなかった)・上手く形容できない! にっこりと笑みを浮かべて 挨拶をしてくれた まさに翼を広げた エンジェル! その見とれる位に綺麗だった亘ちゃんは今でもおいらの心の純情スクリーン?に しっかりと焼き付いているのに・・・当時の話をするとね   亘ちゃん曰く ・・『全然、覚えてない?』 ・・なんて そりゃあねぇべ!  プン!プン! 以来の彼女のエピソードは1950年代の南アフリカの鉱山さ! 掘ればいくらでも話のダイヤモンド?が出てくるのさ それは 又、別の ハナシ                         
               
                    思い出ボロボロ フーたろ  
思い出ボロボロ フーたろ呑

フーさんの人生はよく頑張ってきたね。 苦労をしてきたんだね。 トンネルの中をさ迷っていたような 悲しい人生ドラマ・・・俺んちとはチョット違うんだよね。

雨が降っていると 感傷的なるんだよね。 思い出 フーさんと同じ年代が走馬灯のように蘇ってきました。 あれは昭和38年ごろの話 俺んちは家で 親父と兄と兄嫁の4人で 陶町で仕事をしておりました。

 向学心旺盛な俺んちは 齋藤会(日技会)に入会 名古屋まで毎月講習を受けに行っておりました。 雑誌は理容文化を参考書代わりに 読み漁り 特に鯨井えつ先生の ウエーブ設計学に魅せられ 本では駄目だと 鯨井の店に行く 通うこと1年半 消毒室に閉じこもり 中から仕事をじっと見て学んでいました。 

当時はマスター 高山さん 彩チャン 亘ちゃん 一恵さん 美保ちゃん 喜美ちゃん 考ちゃん などx2 男は啓ちゃん 箱さん ヨッちゃん 典ちゃん などx2 整然とした働きぶりを目にして これではいかんと思い 東京の師範講習に1ケ月行ってくる。 

帰ってきてから鯨井専研講座 1級を取得 その後社長から うちの店に来ないかと誘いがある・・・社長、奥さん、マスター、彩チャンの4人が我が家まで来て 親父に対して土下座して 政美君をうちの店に来てもらえないかと頼まれる。

 親父は反対だったけれど俺んちは行くと決心して、 3月に鯨井の店に行く あの頃は中央線に乗って名古屋まで行ったんだけど、汽車の中で居眠りをしていて 降りるときにカバンを持ったら やけに軽いんじゃない・・・その中身は長靴と弁当の空だけ・・・やられたと思ったね。


公安室に届けたら 間違って持っていった人から届けが出ていて・・・安堵  鯨井に着くと みんなの前でこれは鯨井の重役候補だからみたいな紹介をされ・・・恐縮
半年後に桶屋町の店長になる。

わずか3ケ後に親父から、突然帰れと命令 店を出してやるからと その時親父も調子が悪く 考えたすえに社長に話をする。 3月までの期限を申し出るも 社長は激怒してすぐ帰れと 1月9日に実家に帰る。

虚しかったよ。 寅さんを鯨井に誘ったのも、弟を鯨井に入れたのも俺んちなんだ 帰ると 俺んちの店の話が 突然料理旅館のあとを買うと親父が言うんだ・・・そこに理容、喫茶店、貸し席を作る。 自分の店のつもりで企画、運営をしてきたんだけど・・・独立は泡として消える。

しかし人間万事塞翁が馬というけれど 芳子とめぐり合う 鯨井とは寅さんのお陰で 日整会を通じてヨリを戻したんだ。 日整会では頑張ったけどね。 

鯨井の犠牲にもならなかった 一番遅い48歳の独立だったけれど 今がよければ良いと思っています。

                    走馬灯の如く    まさみ
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