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思い出ボロボロ フーたろ呑
俺んちの人生ドラマで欠かせないのが、寅さんである。 理容学校 それも三河の宝飯郡にある田舎の職業訓練所の理容科なんだ・・・
愛知の生徒がほとんどの中 岐阜の俺んちと 長野の寅さんとの出会いがあった、 俺んちは寅さんより一つ年上で 前の年にも訓練所を受験している。
当時は合格率5倍という難関だったけど・・・受験に行ったら 試験の願書が届いてないという 不合格・・・屈辱 翌年再度受験 そして理容科の組長を務めるんだから皮肉 この1年の出来事がなければ 寅さんとの出会いはなかったのです。
それから45年の付き合いだけど その当時の生徒のなかで お付き合いがあるのは たった一人なんだから 縁とは不思議なものですね。 クジライに誘ったのも 俺んちだけど 一緒に過ごしたのは3ケ月 俺んちの事情で残った 寅さんが14年程クジライで店長をやったのも 皮肉なんだけど クジライとの関係修復も 寅さんのお陰 カツラを学んだのも寅さんがいたからなんだよね。 クジライという 業界のブランドが感性、そして考え方を大きく変えたのも または僅かであったがOBとしていられたからなんだと思うよ。
日本整髪科学研究会という組織を社長が作り、俺んちは愛知県本部の総務部長として 講習会を開いていたんだ・・・当時会員は150人ぐらいいたんだけど、総会の会場の設定、案内状は当時ガリ版で書いていたから、時代も変わったもんだよ。
芸子まで設定 その中にお気に入りの子がいて 執行部の者だけでよく飲んだよね。 会長よりも会を取りしきっていたと思うよ。 カツラの全国大会では特別賞を頂いたし、当時30歳前だったけど、料亭で芸者を横にして飲んでいたから、自分ながら感心するよ。 キャバレー クラブなんかもよく行っていたし、 いい思い出なんだよね。
寅さんは寅さんで独立してからは 羽振りがよく 錦 女子大小路などで飲みまくっていたんだ・・・これもお互いに賢妻が耐えてくれたお陰なんじゃないかな?
走馬灯の如く まさみ |
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思い出ボロボロ フーたろ呑
クジライの社長は業界では スケールが違っていたんだけど、残念なのは 事業欲に取り付かれていたんだと思う。 功績は大きいが 結末は惨めになってしまったんだ・・・カツラを理容業界に取り入れたのは凄いことだと思っているんだが、カツラの製品の開発に力を入れていなかったのは残念だったよ。
組織も広げるだけではなく 会員を少数で 会員のメリットを考えるとよかったと思う。 講習会を利益優先で会員を増やしていたけど、今、何人がカツラに取り組んでいるのかは定かでない。 俺んちは クジライを批判する立場にはなかったけど、従業員を駒ぐらいにしか考えていなかったんじゃない。
俺んちが こんなことを書くと 寅さんからみればよく言うよって感じだけど、マスター 小野寺さんなんか気の毒 この上もない 他の犠牲になった人にも なにを思い、何を考えて、何処に住んでいるでしょうか。
事業欲っていうのは怖いと思うよ。 瑞浪にサムソンデリラ店が今月オープンするけど その男は 俺んちと同年で 一緒に組合活動をしてきたんだが、 3年前に組合を脱退 恵那市に7千万円かけて 美容室をオープン 今度は瑞浪なんだけど 俺んちは凄いとは思わないね。 年齢を考えたら チョットと考えちゃうよ。
俺んちなんて もう老後の生活設計で 仕事を止めてもいいような考えなんだ・・・結局 何をしたんだではなく 最後に何が残ったかだと思う。 家族、健康、ゆとり、チョットゆとりの生活できる資金があれば十分なんだ・・・成功者とは最後が大事だと思う。
こうして文章を書く、ホームページを作る。 道の駅、温泉、そして旅行ができれば幸せですよ。
寅さんとOB会がなければ、フーさんとの出会いがなかったと思うと、縁というものはありがたいものです。 今池の夜の出来事もなかったんだよね。
スワンちゃんっていったかな・・・まさにクジライの いいとこ取りで チョット気が引ける。
走馬灯の如く まさみ
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