美濃のマーヤンと駿府のフーさんの いけいけ珍道中
     株山登り、アンヨ痛くも 登り正 殿

春の訪れを告げに、ふきのとう があっちこっちに顔を出して 早く、てんぷらに揚げて食べておくれと言ってるヨー? おいら 大好きだからさ カロリーの事は忘れて食べるでよー 

清し心
夜のウォーキングの途中で日赤病院の前を通る時においらは 必ず、7階の明かりの点いてる窓を見ちゃいます。

そこは且つて亡き母がくも膜下出血で手術した後に入った部屋で おいら そこに泊まり込み、昼は家に仕事をしに帰るという 毎日の始まり・・・この個室で2週間、 大部屋へ移ってからは おいらが週に5日・弟が2日と ローテを組んで泊まり・・4月から3月まで 11ケ月 ・・過ごしたんです。

 子供も中3と中1でかみさんはそっちの面倒をみてるので 泊りは当然、おいらの役目になるワケで・・・・そのかなり、大変で疲れてる中で 人の色々な生きざまを見て 何かを感じるモノがありました。 

ベッドが壁際にあったので 壁新聞をおいらのセンスで張り出したら 人気が出て それを見て看護婦さん達が集まり、きゃぁ!きやぁ! 次は何時? 何を書くの?とか・・おいら、好評は嬉しかったけど 内心は 婦長からクレームがつくかなと思ってた・・・だが、 無罪放免! 緊張続きの仕事の中に面白くて ユーモアのある空間作ってくれて、いい息抜きになるわ と歓迎されんです。 退院する迄に 32作 もしも・・シリーズ は終りました。 

濁りし心
そんな事を思い出しながら歓楽街の交差点で止まってたら〜おっパブ!絶好調 24のやわらかい・・が 貴方を包みます 〜 この看板に見とれて勝手にナニ?を想像しちゃって 信号を忘れてしまい 通りすがりの若い娘にジロリと見られ、慌ててしまった情けねぇ おいら     
  
             清濁の煩悩に 惑う フーたろ  
清濁の煩悩に 惑う フーたろ呑
  
しみじみとした文章 思い出話・・・センチメンタルな フーさんの真髄が出ていますよ。 俺んちは父の亡くなる瞬間は 隔離病棟の檻の中 暗く たった一人で 隔離病棟という ほとんどの人は体験できない空間の中に 22日入っていました。

たしか平成3年6月4日だったと思う。 たった一人の病棟に 朝の5時頃 けたたましく 電話がなっている。 何事だろうと 駆けつけると、 父が亡くなったという報せ・・・結局 父の葬儀には出ることはできませんでした。

母は なんの訪れもなく、前の日に バナナを1本持って 2階の自分の部屋に上がり休む、 翌朝2階から降りてこないから 母を姉嫁が見に行くと、倒れているではありませんか。 

救急車で病院に行くも くも膜下出血で帰らぬ人となりました。

人間の生と死の分かれ道の言葉 俺んちは両親ともに聞くことができませんでした。 父が亡くなり、隔離病棟を出た俺んちは 今まで親の元で働いていたけれど 気持ちが 吹っ切れて 退院をして3ケ月後に 瑞浪にて独立開店する。

おん歳48歳 遅き独立だったけれど、 多分他の同業者よりも 多くの経験 努力 培ってきた年月が 実りとして出ていると 自負しております。

忘れてならないのは、半世紀をともに過ごしてきた芳子の存在・・・苦労の連続で ガンセンターに3ケ月入院をしていたことも 二人の人生のドラマ中で 大きな1ページでありました。 兄は亡くなり 弟は堕ちはて 運命の分かれ道 明日はわが身と思う 今日この頃です。

                
美濃の語りべ  正人          


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