美濃のマーヤンと駿府のフーさんの いけいけ珍道中
 うんちくの まさ 様

 まぁやんの苦心の修正により、おいら夫婦は少しはましなお顔に変わり終生? 感謝を致します。

クジライ青春譜     〜 フーさんのポケット 〜  其の 9

鯨井社長のカット 初めて社長のカットを見てその素晴らしさに 感嘆! 大きい眼をさらに眼を大きく見開いて腰をしっかりと落とし、 カニさんの様に肘をはって 基本通りの櫛数で刈っていく姿は迫力満点! 短時間で綺麗に仕上げていく。技術の総本山〜斉藤会で何本かの指に  数えられた 実力者の 技 は本当に見事なものでした。  

当時、クジライは理容の近代化プランが軌道にのりだした処で 社長は諸用で忙しく、矢場町と駅前店を行ったり来たりしていたので なかなかカットを見る機会には恵まれなかった。

鋏で叩かれる  マスターも社長に次ぐ程の仕事ぶりで カッコウよく決めていく 大橋さんも彼なりの個性を出して颯爽とカットする  寅さんとおいらは その後のシャンプーとシェービングをする為に 控えているんだけど其の時に、二人とも 前で手を組む癖があるのだ。 これはいけないと注意をされてるんだけど つい、手を組んでしまう  これに当人達より先に?気がついた、大橋さんがカットを止めて 振り返り、鋏でおいら達の手を叩ながら 睨む!・・後ろに眼がついてるみたいに、まぁ、よく気が着くモンだね?  あれ、手を叩くの早いねぇ・・と(癖が治らないのを棚に上げて)寅さんとおいらは二人で笑ったもんだった

寅さんとビールとソーセージ・・ 1 ・・
寅さんとは最初から気が合って何かにつけ よく、面倒をみてもらった。 夜、仕事から帰って桜山のビルの屋上にある貯水槽の上に登って 2人で缶ビールをひと缶ずつに魚肉ソーセージを食べ乍ら 将来の夢を含めていろいろと語り明かしたものだった。 その殆どは寅さんのおごりだったと思う。

当時のおいらの給料は1万円でその内の6000円は将来、 静岡でお店を出す為の頭金を貯めるために親に送っていたので 4000円で寮生活をやっていかなければならなかったので・・・大変だった。 精神的な面でも物理的な面でも寅さんには 本当にお世話になったわけで 心から感謝をしています。 ビルの周囲を見回しても今から40年も前の事、広々としていて 近くに高いビルはなくて気持が良くて 気に入っていた。

                  ありがたき想い出 ・・ フーたろ

ありがたき想い出 ・・ フーたろ呑

拳大の脳を開けてみたら、 思い出がぼろx2出てきたんだね。 脳が硬化しだすと 昔の思い出が蘇ってくるんだよね。 40年も昔のことが出てくるx2  走馬灯の如し・・・花に彼女の名前を付けて 想いに浸ったり・・・

コンピュータの容量を はるかに超える容量を 人間は持っているんだ 脳にインプットされた 自分の足跡は 死を迎える瞬間に 一瞬に蘇ってくる・・・そんな体験をしたことがあるけど 今も生きているから 本当のことは定かでありません。

フーさんの思い出を読んでいると、 みんなの仕事が蘇ってくるんだよ。 俺んちが辞めて フーさんが入店をしてからの旅行の写真を見ていたら、 ほとんど知っているものばかり 懐かしく思ちゃうね。 洞君 宮本君なんか 思い出すと懐かしいよ。

写真に写っている人が みんな出てきたら懐かしいよね。
 それぞれが個性があって それぞれが人生を演出をして 演技をしてきたんだから 40年で大きく変わっていると思うよ。

 

                           思い出を語る 聞き役の まーやん

 

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