美濃のマーヤンと駿府のフーさんの いけいけ珍道中
   やさしい たんぽぽおじさん! まーやん殿

酒・・・・ビールの喉ごしの美味しさが判って30年,酒を呑むと言えば 春夏秋冬 ビール党のおいらです。 勿論、日本酒もワインもウィスキーも焼酎も何でも合わすけど・・酒には辛い思い出があって 一生、呑まないぞ・・と思ってた。 というのはね おいらが 物心がついた頃に・・・・
   
おとうちゃんは仕事を終えて、晩酌を2合 やることを楽しみにしている。 普段は おとなしくて、物知りおじさんでいいんだけど・・・・だけど ? 何か面白くない事があるとお酒を呑んで荒れる!暴れる! お膳をひっくり返し 茶碗を土間に叩きつけ、大きな声で怒る!そりゃあもう、恐かったさ。 そして母に向かっていう 『お前が悪い! 鰹の皮付きの刺身を・・

焼豚を・・買って来い!』と・・60年位前の昔のコトとはいえ 午後8時頃にやってる店はない それでも母はおいらの手をひいて何軒もの心当たり魚屋さん、肉屋さんんの戸を叩いて探しまわった。

何とか見つけて家に帰ると2部屋しかない うちのひと間でおとうちゃんは がぁーごー 高イビキ・・・居間は メッチャクチャに食べ物が散乱! もう足の踏み場もない位になっちゃっているのだ! こういう事は 何度もあり、 母と一緒に夜遅く 母方の親戚に泊めてもらいに行った事もあったのだ。

おとうちゃんは 酒を呑むと人が変わる ・・というのではない いつもは いいお酒なのだ!
不愉快な事があって酒を呑むと そうやって母にあたり、モノにあたってストレスを発散するののだ だから決して母やおいらに手を上げるということはなかった。

貧しかった生活だったけどさして不満はなかった。 だけど おいらは おとうちゃんがお酒を呑んでたまに暴れるのを見て 母が可哀想で お酒は 悪いモノだ! 絶対に 呑まない!  そう決めたんだ。

おいらが小学校を卒業する頃には荒れる事もなくなった? 高血圧が原因で 入退院を繰り返すように なったから・・・といっても 20才になったら ビールを呑むようになった。 

まぁ 仕方ないよね 気持がよくなるし、食べるモノがより美味しくなるんだもんね!

ただし、お酒は楽しく飲もう をいつも心掛けてるワケで・・・・

  幼い コロコロ話  フーたろ   
  幼い コロコロ話  フーたろ呑

フーさんの昔話は 暗く 辛い闇の中のトンネルの中にいるような子供時代だったんだね。 俺んちの親父も 酒が好きで 何処に行っても コップ酒を飲んでいた。 連れて行ってくれたのは 大概はメシ屋とか大衆食堂で けっしてすし屋とかレストランは入らない 気が小さくて 世話好きで 釣りには連れて行ってくれたし 茸なんかも沢山採ってきたんだよ。 麻雀 囲碁もよくやったし 親父と言うより友達感覚で過ごしていたんだ 親父は俺んちを頼りにしていて 俺んちには怒ることはなかったんだよね。

親父の人生が狂ってしまったのは ちょうど今の俺んちの歳になったときに 料理旅館を買い そこに理容店 喫茶店 雀荘などを作ってからなんだ・・・あの頃は親父の仕事が お客から嫌われるようになって 俺んちが引退を宣告してから 自棄酒の連続で精神的におかしくなってしまい 暴れる 散財 妄想にとりつかれ 挙句は精神病棟に無理やり隔離したことがある。 83歳まで生きたんだけど 20年は寂しい人生だったと思うね。 

結核病棟にも2回入院したり・・・

親父の死に際は 俺んちが隔離病棟に入っていて 見ることも 葬儀にも出ることができなかったんだよね。 親父が亡くなるまでは実家で働いていたんだけど 入院しているときに 実家から独立すると 宣言をして 親父が死んでから 4ケ月後にはテナントを借りて 独立していたんだけど 今から思うと よくやったと思っています。   

63歳にもなるのに 自分で店を出して15年しか経っていない 15年という歳月は 自分で言うのもなんだが 凄いと思っています。

                    美濃の たんぽぽおじさん  まーやん 
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