リポート07 頭文字G!


 峠道をすばらしい速度で車が下っていく。傍目で見ていると、なぜ、あの速度でカーブをクリアできるのか?、そんな疑問を抱く程のすばらしい速度。しかし、ドライバーにはまだまだ余裕があった。いや、ありまくりだった。
 彼にとってはまだまだ余裕を残した巡航速度で流しながら、ドライバーの男はバックミラーにちらりと視線を送った。そして、失望の表情を浮かべる。もはや、彼の背後を追いかける何者も見えない。未だ、序盤。それなのに、すでに圧倒的な差をつけてしまったらしい。
「ちっ」
 内心を示すように、小さく舌打ち。
 すでに予想されていたことだが、今回の遠征では何の収穫もなかった。完全な無駄足。
 いや、この勝利で、彼ら走り屋グループ、「ナイトライダー」の連勝はさらに一つ星を加えた。そう言った辺りでは、意味があるのだろう。
 だが、ドライバーの男にとっては、全く意味がなかった。
 自分の腕前に自信のある者は、容易な勝利よりも、ぎりぎりでの戦い、そしてその上での勝利に高い価値を感じるモノだ。この男も、その談に倣った。速い男と戦いたい。それこそが、彼の欲求。無論、自分の敗北などは考えたこともない自信家だったが。
 その彼にとって、今回の戦いには、まるで意味を見いだせない。はっきり言ってしまえば、ここの峠をホームグラウンドにする男達は、きっぱりと雑魚。それも雑魚中の雑魚。雑魚の実例として辞書に載せてもかまわないだろう。──と、男はそこまで考えていた。
 実際、スタートダッシュで引き離し、カーブを一つ二つ回ったところですでに勝負は付いていた。もう少し、せめてもう少し、根性を見せて欲しかった。まるで弱いモノいじめをしたような後味の悪さが残ってしまった。
「くそったれ」
 罵声をこぼし、それでも男は車を走らせる。それは、ほとんど惰性で流しているようなモノ。それでも、背後に迫る相手の姿はない。
 せめて時間を敵として、と考えないでも無かったが、止めておくことにする。この心理状態では、間違いなくタイムは出ないだろう。仕切直し、テンションをどうにか高めてからの方が良い。
 ──元々、ここへの遠征自体、勝負以前にけちが付いていたのだ。
 男は上がらないテンションに苛立ちながら、考える。
 彼ら走り屋チーム、「ナイトライダー」が、地区最速を名乗り、様々な場所へ、峠へと遠征を初めるようになってから、すでにかなりの時間がたっている。
 数々の名勝負──そして、全てに勝利してきた。もはや、彼らの名乗る「最速」に、異議申し立てをする者も少なくなってきた。挑戦する立場から、挑戦される立場になってきていた。
 しかし。
 しかし、今回の遠征は、彼らが求めて行ったモノだった。
 本来、この峠は、彼らにとって何の興味も持てない場所だった。
 ここをホームグラウンドとしている者達は、彼らにとって話にもならない低レベル。素通りしても一向にかまわない場所。そのはずだった。
 そこに彗星のように現れた走り屋がいた。
 ハチロクを駆り、ダウンヒルのスペシャリストとして瞬く間に名を広めた走り屋。
 戦闘力の劣る旧式の車で、数々の強豪を下し続けた男は、彼ら、「ナイトライダー」が戦うにふさわしいレベルと思えた。
 早速、彼らはそのハチロク乗りを敵として、この峠に遠征をすることにした。
 日時を申し合わせて、本日、そのハチロク乗りと戦う予定となっていた。
 が。
 彗星のように現れたハチロク乗りは、先日、事故を起こして彗星のように他界してしまった。
 残されたのは、実力的に話にならない十把一絡げの走り屋のみ。
 はっきり言って、この時点で遠征を中止にしたいところだ。だが、申し込んだのはこちら。「もうあんたらは敵じゃないから止めた」とも言いづらい。そうでなくとも下手に中止にした場合、最悪、彼らが「逃げた」と言い立てられるという危険もある。何しろ、低レベルな連中である。それくらいはしかねない。
 結局、乗り気でないままにこの峠に乗り込み、勝負ともならない勝負をする羽目になってしまった。
 実際、勝負にもならなかった。
「くそ」
 何度目かの舌打ち。
 全く持って、時間の無駄だ。いらだちを押さえきれずに、ハンドルを操作する。自分でも、運転が荒れていることを自覚する。しかし、どうにも押さえきれない。
 と。
 不意に、そう、全く不意に、背後にヘッドライトの輝きが現れた。
「何?」
 追いついてきたのか?
 愕然とする。
 乗り気でない、きっぱり手を抜いていた。だとしても、あの低レベルな敵が追いつけるような速さではないはずだった。
 どころか、背後に現れたヘッドライトは距離を詰め、あっさりと彼をパスしていった。
「なっ」
 抜かれたことに対する驚き。
 そして、もう一つの驚き。
 その車は、ハチロクだった。
「ば、馬鹿な、死んだんじゃないのか?」
 パスする瞬間、そのハチロクのドアには、「──豆腐店」という文字が見えた。彗星のように現れたというハチロク乗りの、情報通りに。
 目をこするようにして見直す。
 そして、確信する。こいつは、そのハチロクだと。
 ただし──ただし、こいつはまっとうな存在ではない。件のハチロク乗りは、確かに死んだのだと確信する。
 なぜならば、そのハチロクの周囲に、ふわふわと踊る人魂のようなモノが見えた。また、ハチロク自体も、どこか存在感が薄く感じる。その車体を貫いて、こちらのヘッドライトが先を照らす様が見えるのだ。
 だが。
 ぺろりと、舌で唇をなめると、男は好戦的な微笑を浮かべた。
 だが──面白い。
 幽霊だろうが何だろうが、少なくとも自分の後ろ──それもかなり後ろをトロトロと走っているであろう本来の勝負の相手よりも、こちらの方が敵としては面白い。
 それに元々、自分はこいつを相手にするために、ここへ乗り込んできたのだ。
 であれば、躊躇う理由はなかった。
「行くぜ!」
 男は楽しげに叫び、心をコンバットモードに移行させた。


「──で結局は敗北、この有様って訳ね」
 美神令子は、病院のベッドの上でうつろな表情をしている男を眺め、言った。
 元々整っていたであろう顔は、見事にゲシュタルト崩壊を起こし、見る影もない。時折、「カエルはいい。カエルは……」などとぶつぶつつぶやいて、完全に頭が壊れているように見えた。
「外傷は無し。なのに何をしても反応が無いんですよ」
 頬を流れる汗をぬぐいながら、深刻な表情で医者が告げる。
「ま、そりゃそうでしょ」
 令子は軽く応じて、視線を移した。
「魂が半分、抜け落ちちゃってますね」
 と、その男を観察していたおキヌが診断する。元々、長いこと幽霊をやっていた上に、その技──ネクロマンシーのおかげで、そうした診断は令子よりも手慣れている。
「素人が幽霊にちょっかいを出すから、こんな事になるのよ」
 冷たく、令子は言い放つ。
「本人がどう考えていようとも、幽霊との勝負は、己の霊的な部分を賭けての勝負になる。負ければこうなるのも当たり前の話ね。現代医学では、対処の使用もないわ」
「そ、そんな」
 医者が、恐れおののく。
「現代医学は……現代医学は……」
「それでは、弟はずっとこのままなのですか?」
 うつろな表情でぶつぶつと呟き始めた医者に代わり、口を開いたのは知的な風貌の男。患者はどちらかと言えば野性的な風貌をしているためにさほど似ていないが、この患者の実の兄である。
「その例の車と勝負して勝てば、元に戻るはずだけど」
 過去の類例から、そう推測される、と令子が告げる。
「でも、素人が手を出すのはやめておいた方が無難ね。勝負は、レースの形を借りていても、ただレースじゃない。霊的な部分が多く関わってくる勝負だから」
 その道のプロに任せるべきだ。
 そう言った令子の視線を受けて、兄は頷いた。
「それでは、あなたに依頼したいのですが、よろしいでしょうか?」
「美神さん、私からもお願いします。現代医学は、現代医学は決して敗北しない──してはならないのです」
 すでに、令子に依頼する時点で敗北しているような気もするが、医者の中ではそうではないらしい。
 必死の形相で詰め寄ってくる医者を横にずらし、令子は兄を見て告げた。
「私は、高いわよ?」


 そして、勝負の日がやってきた。
 件の峠には、噂を聞きつけたらしいギャラリーが大勢現れていた。
 噂──その噂は、すでに広く知れ渡っていた。令子の警告を知る術もない走り屋が、これまでに何人か挑戦しており、その全てが敗北したともなれば、注目度も上がる。まだ勝負が始まる前だというのに、彼らはテンションをあげて、今か今かと待ちかまえている。
「──全く、世の中暇人が多いわね」
 と、令子はギャラリーを一言で切り捨てる。金にもならないのに物好きな──声は、そんな調子を交えていた。
「で、今回の勝負は、コブラを使うんすか?」
 訪ねたのは横島である。今回は特に道具を持ち込んでいないため、珍しく身軽な格好である。
「いいえ。もうすぐ、来るわ」
 令子は首を振る。
 その様を見て、また金に物を言わせて、とんでもない車を用意したのか、と言う表情になった横島。
 しかし、令子は首を振った。
「そんなつまらない真似をするわけがないでしょう。良いこと? 相手を只倒すだけじゃなくて、納得させなくちゃならないのよ。同じフィールドで戦う。そして、勝利する。そうでなければ、奴らは成仏しないわ」
「そうなんすか?」
「そうなのよ。──ああ、ちょうど来たわね」
 告げる令子の言葉通り、車が数台、連なって峠の頂上、ドライブインの駐車場に入ってくるところだった。
 先頭に立つのは──
「ミサワのレベッカ。あれっすか?」
 なるほど、良いチョイスかも知れない、と横島が頷く。
 ミサワ自動車は、どちらかと言えば軽トラックなどのメーカーと見られがちだが、その技術力は高い。その証明が、今目の前にあるレベッカである。何しろ、市販車ほとんどそのままで(安全規定に沿うような改造は施した)ワールドラリーチャンピオンシップに挑戦し、初挑戦でクラス別優勝をしてしまった車なのだ。正直、登りではパワー不足を感じるだろうが、下りであれば、その車体の軽さ、そしてパワーは、件のハチロクに劣らないだろう。信頼性については、ほとんどオーバークオリティ。メーカー泣かせとまで言われている。
「そうよ」
 令子は頷いた。
「一般に売られている車だから、文句はないでしょう?」
 確かに、こうした峠を走らせるのに大人げないと感じるようなモンスターマシンではない。
 だが、横島は素直に頷いたりはしなかった。
「……美神さん」
「何?」
「あの、M●GENってツナギを着た人たちはいったい?」
 レベッカの背後について上ってきた数台のワゴンから、わらわらと結構な人数が現れ、レベッカのフロントを開いてエンジンルームを覗いている。その男達の背には「MU●EN」の文字。いや、さらにほかのワゴンからも、人が出てくる。ウオーマーに包まれたタイヤを運ぶ男のツナギには、「良い年」の文字が見えた。ほかにも……
 結局、金に物を言わせているじゃないですか。そんな視線を向けてくる横島に、令子は全く悪びれなかった。
「何言っているのよ。普通の走り屋だって、ごく当たり前に改造を加えているモノでしょ? ──だったら、全然問題ないじゃない」
「……まあ、良いですけどね」
 言っても無駄だと、あきらめ気味の横島。
「とにかく、がんばってください」
「何、人ごとのように言っているのよ」
 人ごとのように告げる横島に、令子は咎める視線を向けた。
「もしかして、また俺が乗るんすか?」
 また、と言うのは、以前、F1ドライバーの同様の事件の際に、暑いからと押しつけられた過去があるからだ。あのとき、横島はかろうじて勝利したモノの、全身骨折で入院している。おまけに、勝利の後に得られるはずだった報酬──美神のキスも結局踏み倒されているから、面白くもない表情になるのも仕方がない。
「いいえ、レベッカには私が乗るわ」
「には?」
「ええ、保険の意味も兼ねて、あなたの車も用意したわ」
 2台体勢で、勝利をより確実にしようと言うことらしい。用心深いのは、責めるべき資質ではない。逆に肯定すべきだ。幽霊は、結構度し難いモノであるから。
 だが。
「俺、免許持ってないんですけど」
「今更それを言う?」
 令子があきれる。
 確かに横島は免許を持っていない。何しろ、取得するだけの金銭的な余裕はないし、令子が出してくれるはずもない。──が、横島は織り姫事件の時などに、コブラを平気で乗り回している。確かに今更だ。
「まあ、人工幽霊が助けてくれれば、問題ないんすけどね」
 乗り回す程度ならば問題ないとは言え、高速のバトルとなれば、いささか不安がある。
 そう告げた横島に、令子は冷たく言った。
「人工幽霊には、私のフォローをしてもらうわ」
「──って事は、俺は実力で勝負するんすか?」
「馬鹿ね。それじゃあ、問題外になっちゃうでしょ。大丈夫よ。ちゃんと、その辺りも考えているから」
 言って、令子はちょうど聞こえてきたエンジン音に耳を向けた。
「あなたの車、ようやく着たようね」
「え?」
 と視線を向けると、駐車場に、一台の見慣れぬ車が入ってくるところだった。
「はっはっは、待たせたな、美神令子」
 高笑いをしつつ告げる老人。
 横島はそれを見て、心底嫌そうな表情をした。
「もしかして、俺の乗るのって……」
「はっはっは、小僧、大船に乗ったつもりで運転するが良い。このワシの最高傑作、カオス・モーターカー1号をな!」
 高らかに告げたのは、ドクターカオスだった。


「いやじゃ〜! おうち帰る〜!」
 横島は盛大に涙と鼻水を垂れ流しながら、近くにあった街頭にしがみついた。
「何わがまま言っているのよ」
「わがままも言いたくなりますよ! だって、カオスのおっさんの作った車ですよ! オチは読めるじゃないですか!」
 命がピンチです。
 必死で叫ぶ横島。
「なんじゃ、失礼なガキじゃな」
 自覚がないらしいカオスが、憤慨したようにつぶやく。
「ワシがフレームから計算して作った、この世に一台しかないオリジナルカー。しかも、マリアの演算能力を生かして、おまえの運転を補正する機能まで付いておる。小僧、貴様のようなど素人でも、勝利は確実じゃ。なあ、マリア」
「イエス、ドクター・カオス」
 当たり前にカオスに付き添っているマリアが、頷く。
 マリアは、見た目人に見えても、実はドクター・カオスの作り上げた自動人形である。かつての、絶頂期のカオスが作り上げただけあって、その機能は高く、ア●モはもちろん、先●者だって相手にならない高機能である。そのマリアが、人工幽霊一号に代わり、運転の補正をするらしい。
 しかし。
「いやじゃ〜!」
 横島は、絶叫した。
 かつて、ヨーロッパの魔王と言われたドクター・カオスも、現在では半ばぼけ老人。かつてのモノであればともかく、現在のその作品を信頼することなど、不可能である。
「横島君、あんまりわがままを言っていると、怒るわよ?」
 令子が怖い顔で告げる。
 しかし、横島は首を振った。怒られても、そして、その結果半殺しにされても、死ぬよりはましだ。そうした、必死の形相。
 令子はそれを見て、ため息をこぼした。
「残念ね。がんばってくれたら、その報酬にキスでもしてあげようかしら、なんて思っていたんだけど……」
「キスっすか? それならば是非に前払いで! さあ、さあ!」
 むにゅ〜と、たこ唇になって吸い付こうと飛びかかる横島。
 その行動をすでに読んでいた動きで、令子が叩き伏せる。
 例によって例のごとく、真っ赤な水たまりに沈む横島。
「さあ、速いところ始めるわよ!」
 令子はその襟首を捕まえて、引きずりながら宣言した。


 横島はカオス・モーターカー1号の運転席に放り込まれ、拘束具じみたシートベルトに戒められた。それでもあきらめられないらしく、必死でもがき、悲鳴を上げていた。
 しかし、令子は冷たく無視をして、美神探偵事務所のメンバーを前に、言った。
「さて、あとは、人をどう振り分けるかが問題ね」
「私たちも乗るんですか?」
 驚いたように言ったのは、おキヌ。すっかり、自分は見物するだけだと思っていたようだ。
「そうよ」
 令子はうなずき、続ける。
「前にも言ったけど、これはレースに見えて、実は霊力での戦いに大きく比重が傾いているのよ。なら、一人より二人分の霊力の方が大きくて、有利でしょ?」
「……そうなんですか?」
 それでも不安そうな顔をするおキヌ。
 代わって、元気に挙手した者もいる。
「はいはい! 拙者は、先生と一緒に乗るでござるよ!」
 シロである。横島と違って、こちらはカオスの車というあたりに、全く不安を覚えていないらしい。──もっとも、高速道路でトラックが横転しても、平気で逃げ出せるような能力(件の織り姫事件)を持っているのだから、少々の危険は危険でないのだろう。すでに乗り気で、おしりのしっぽをぱたぱたと勢いよく振っている。
 令子は、メンバーの顔を見回して僅かに考え込んだ。
 正直、この中で一番当てになりそうなのはシロだろう。おキヌは正直、速度に対しての耐性に不安がある。その点、シロであれば大丈夫だろう。霊力に関しても、問題ない。
 しかし──
 しかし、一緒に乗るとなると、非常にやかましそうだ。
「うん、そうね」
 令子は頷く。
「おキヌちゃん、私と一緒に乗ってちょうだい。シロは横島君と」
「はい、わかりました」
 若干不安げに、しかし頷くおキヌ。
「はいはい、わかったでござるよ!」
 うれしそうに頷くシロ。
 それから、令子はもう一人の事務所のメンバーである、タマモに視線を向けた。
 霊力勝負。であるから、二人より三人の方が、その総量が大きくなるのは当たり前の話だ。タマモは、シロのようにうるさくしそうにないから、自分の方に乗せても問題ないだろう。
 だが。
 令子はタマモを見た。
 タマモは、興味がないという顔で、そっぽを向いている。
 このやる気のなさが問題だった。乗せても、何もしそうにない。これでは、霊力の総量はあがりそうにない。
「タマモも、横島君の方に」
 だったら、少しでも重量軽減を求めるべきだろう。
 令子はそう結論して告げた。
「……わかったわ」
 変わらず、やる気のなさそうなタマモの声に、判断はこれで間違いないだろうと確信する。
「それじゃあ、みんな乗り込んで。すぐに始めるわよ」
「わかりました」
「了解でござるよ!」
「……わかった」
 三者三様に応じるのを見送りかけ、令子は一つ、言い忘れたことを思い出して、シロを止めた。
「シロ、あんたはこれから、『シッシッシッシッ』って笑う以外の発言は禁止ね」
「拙者は、犬でないござるよ!」
 シロが叫ぶが、令子はもう、取り合わなかった。


 常がそうであるらしく、ギャラリーの一人がスタート役を買って出てくれた。
 令子と横島の対決に意味はない。相手は幽霊ハチロクなのだから。
 だが一台で漫然と走るよりは、勝負をしていた方がテンションがあがりやすく、常に従えばコースの途中で現れるらしい幽霊ハチロクとの勝負にもスムーズに移行できるだろう。そうした判断から、この形となった。
「スタート!」
 叫びを受けて、令子はレベッカをスタートさせる。
 ロケットのように飛び出していくレベッカ。元々のスペックが高い上に、金に物を言わせて一流どころのスタッフを用意し、これでもかとばかりにいじらせてある。──その辺りの許容量も、レベッカは名車だった。
 すばらしい速度で、最初のコーナーに飛び込んでいくレベッカ。
 良い車だ。人工幽霊の補正もあって、この車に不安はない。
 が。
「あの馬鹿」
 令子は表情を曇らせた。
 背後、スタート場所には、エンストでも起こしたのか、動きもしないカオス・モーターカー1号の姿が見えた。


「予想とは違ったけど、ある意味予想通りな」
 何かを諦観したように、運転席の横島がつぶやいた。
 スタートしようとした瞬間、エンジンの火が落ちた。以降、いくらセルをひねっても、唸りもしない。
 幾分、横島には安堵も見えた。
 これでは、令子のキスはあきらめざるを得ないだろう。それは、惜しい。
 しかし、死ぬよりはましだ。
 少なくとも、高速走行中にどうにかなってしまう可能性も高かっただけに、それに比べれば、この方が良い。少なくとも、怪我一つ無く終えることが出来たのだから、上出来だ。
「さあ、もうあきらめて、美神さんの応援をしよう」
 晴れやかに笑って告げる横島。
 しかし、だめ出しがかかった。
「だめじゃ。そんなことでは、美神令子に金がもらえんではないか」
 すっかり見物人に混じっていたカオスが顔色を変えて運転席の窓ガラスに張り付いていた。どうやら、報酬は例によって後払いらしい。
「すぐに動くようにする。マリア、おまえは走行プログラムの見直しをしろ」
「イエス・ドクター・カオス」
 マリアが素直に頷く。
 カオスは、大あわてでフロントを開き、エンジンルームを調べている。
「ええと、ここは基本に戻って──マリア? 1足す1は3でよかったか?」
「……2です。ドクター・カオス」
 マリアの答えに、どこか呆れたような響きがあった。


 すばらしい速さで、レベッカはいくつものコーナーをクリアしていく。
 令子は、すでに腹をくくっていた。
 元々、あちらは保険だ。主力は、自分なのだ。
「カオスへの報酬は無し!」
 それを考えれば、経費の節減が出来た。手元に残る金額が増える。それはすばらしいことだ。
 とにかく、令子は前向きに考える。ここで後ろ向きなことを考えて、テンションを下げるのはよろしくない。霊力は、精神的なモノに影響されやすいのだ。
 そして──
 令子の駆るレベッカの後ろに、光が現れた。
「美神さん!」
 おキヌの警告を聞くまでもなくそれに気が付いた令子は、表を引き締める。
 ここからが、本番だ。


「なあ、おっさん、もうあきらめようぜ?」
 すっかり堕落しきった声、そして表情で、横島が告げた。
「今更動くようになったって、追いつくのは無理だって」
「黙れ、小僧」
 しかし、執念深く、カオスはエンジンルームに顔を突っ込んでなにやら弄くっている。
 やれやれ、と肩をすくめてみせる横島。
 そこで。
「よし、ここじゃ!」
 カオスの、何かを確信した声。
 同時に、カオス・モーターカー1号(以下KM1号)のエンジンが息を吹き返した。
「のわっ!」
 横島が驚きの声を上げる。
 とたん、ケツを突き飛ばされるような勢いで、KM1号が発進する。
「どわ〜〜〜!!」
 エンジンルームに顔を突っ込んでいたカオスを引っかけたままで。


 レベッカがすばらしい勢いで道を下っていく。
 それに、ほとんど間をおかず、ハチロクが追随する。
 僅かな直線でフル加速。そのまま、ほとんど速度を落とさずにコーナーに飛び込む。
 それは、現実離れした速度だった。
 人工幽霊一号が補正する事により、令子のドライビングテクニックは、そこいらのプロレーサーをしのぐモノとなる。さらに、霊力による補助。本来ならばグリップを失い、横向きにすっ飛んでもおかしくない速度でコーナーに飛び込んでも、霊力の助けを借りたタイヤは、その氏素性の確かさもあって、しっかりと車体を路面につなぎ止める。
 これ以上ないという速度で走るレベッカ。
 しかし、その背後にはぴったりとハチロクが続く。
 こちらも、超常の存在であることを、声高に主張していた。
「必殺技その一。見えないシフトチェンジ!」
 威勢良く叫び、令子はシフトレバーを操作する。
「溝落とし!」
 タイヤをわざと側溝に落として引っかけ、本来ならば曲がりきれない速度でコーナーをクリアする。
 しかし、それでもなお、ハチロクは追随してくる。
「……信じられない」
 令子は忌々しげに舌打ちする。
 これまでのバトルで、明らかになったことがある。
 レベッカ、ハチロク、両者の性能の差。
 パワーでは、どうやらレベッカが勝るらしい。確実に、直線ではレベッカの方が速い。
 だが、それでもハチロクは離されない。
 つまりは。
「コーナーでこっちが負けている?」
 屈辱に唇を噛みしめる。
 つまりは、技量で負けていると言うこと。向こうは本職(?)の走り屋で、こちらはそうではない。だから、ある意味、当たり前の話。
 それでも、悔しさを感じる。
「なによ。今日はいつもより遅く感じるわ! もしかしたら霊力供給が止まっているんじゃないの?」
 不満いっぱいに叫ぶ令子。少しずつ、冷静さを失っていた。致命的なことに、そのことについて、令子に自覚がなかった。
 そして、もう一つ、状況に大きな変化をもたらす要因が、令子達の背後に現れた。
 ずいぶん遠くに現れた二つの光点。それは、恐ろしいほどの速さで、競り合っているレベッカ、ハチロクへと接近してきていた。


 令子が一つ、見誤っていたことがある。
 やる気がない。
 タマモのことをそう断じた令子である。しかし、それは巨大な勘違いであった。
 私はガキじゃないんだから、こんなくだらないことではしゃいだりはしないのよ。そんな顔をしていたが、実は内心、どきどきわくわくしていたのである。
 確かに、くだらないこと。
 だけど。
「きゃー、きゃー! 人間って、ホントこういうくだらないことにかけては、サイコー!」
 タマモは、狭い車内の後部座席で両腕を振り上げて、黄色い悲鳴を上げている。絶叫マシンで叫びをあげる。そんな感じである。
「むむむ、拙者もタマモには負けないでござるよ!」
 タマモのテンションがあがっている分だけ、霊力の供給もあがっていた。それを見て、ライバル意識丸出しで、シロも唸り始める。
「ワシもこうなってしまった以上、協力してやろう」
 何とか、無事、エンジンルームから頭を引っこ抜いたカオスである。あるが、すでに車は、飛び降りるにはいささか危険な速度域に達してしまっていた。カオスは不死身の肉体を持っている。しかし、痛いモノは痛い。──というわけで、苦労して車内に入り込んできたカオスは、後部座席中央、シロとタマモに挟まれる格好で収まり、偉そうに宣言した。
「マリアも、がんばれよ」
「イエス・ドクター・カオス」
 マリアは頷き、どこから取り出したのか、レッキ帳を片手に、横島に指示を出していく。
「イージーレフト……ハードライト……ロングロングイージーライト」
「むぎぎぎ」
 横からの加重に歯を食いしばりながら横島が車を大まかに操作し、それをマリアが微妙に修正して、もっとも最適なモノへと変える。
 期せずして、KM1号に乗り込んだ面々は、最高のチームワークを発揮していた。それぞれの霊力は互いに増幅しあい、車体へと影響力を行使する。エンジンは想定以上のパワーを絞り出し、タイヤは限界を超えるグリップ力を発揮する。
 人馬一体、いや、人車一体となった、すばらしい追跡劇。
 そして──
「見えた!」
 横島が先を行く、赤いテールランプを捕らえて叫んだ。
 KM1号はまもなく、先行する2台に追いつこうとしていた。


「嘘」
 バックミラーに映り込んできた、もう一台のヘッドライトの輝きに、令子は信じられないと言葉をこぼした。
「横島君が追いついてきた?」
 ハチロクにコーナーワークで負けているのも屈辱だが、こちらもまた、屈辱だった。
 そうしている間に、とんでもない速度でKM1号は先行する2台に迫り、ついに追いついてしまった。
 レベッカ、ハチロク、KM1号と、3台がほとんど間をおかずに進んでいく。
「くっ」
 令子は、大きく舌打ちする。
 これまでで、はっきりしてしまった。はっきり自覚してしまった。
 この3台の中で一番遅いのは自分であることを。
 必死のブロックで抜かせまいとしているが、それも、どこまで保つか。
 長くは保たない。
 それが、令子の判断。
 遠からず、自分は抜かれる。
 ハチロクに、そして、KM1号にも。
 それでも、KM1号はハチロクよりも優速であることが一つの救い──
「な訳無いでしょ!」
 令子はぶち切れたように叫んだ。自分が負ける? そんな屈辱、許容できるわけがない。
「み、美神さん?」
 これまで、加重に、そして空恐ろしいばかりの速度に、只無言で耐えていたおキヌが、令子の尋常ではない叫びに驚き、声を上げる。
「この私が──美神令子が負ける? そんなこと、認められるはずがないでしょうが!」
 令子は叫び、手を伸ばしてダッシュボードを叩いた。
 そこにいくつかのボタンの付いたパネルが開く。
「な。何ですか、それ?」
「いざというときの備えよ」
 にやりと、悪人の笑みを浮かべて令子が答える。
 世の中、用心深い人間が生き残るようになっているのだ。常に注意を怠らず、いざというときのための備えを怠らない人間。
 そして、私美神令子はその種類の人間だ。
 令子は、口の端を持ち上げるような笑みを貼り付けたまま、パネルのボタンに視線を走らせる。
 いざというときの備え。
 車体が重くなることを覚悟の上で、令子はいくつかの武器を、レベッカに仕込んでいた。
 赤のホーミングミサイル。緑の直進するミサイル。この二つは前方攻撃用。そしてもう一つ。
 後方に迫る車をスピンさせるための武器。
 つい先だっては、バチカンのテンプルナイツに壊滅的な打撃を与えた必殺の──悪魔の武器。
 バナナの皮!
「ふふふふふ」
 令子は薄く笑いながら、指をボタンに伸ばす。
 自分の指先が、世界を支配しているような良い気分だった。実際、後方に続く2台の運命は、令子の指が支配しているのだ。
 が。
「美神さん、前!」
『マスター美神、霊力の供給が落ちています!』
 おキヌ、そして人工幽霊一号の警告。
「え?」
 呟き、令子は気が付く。
 ボタンに注意を向けたのはほんの一瞬。しかし、その一瞬が命取りだった。
 レベッカは、もはや霊力による補正も意味をなさない速度で、カーブに突っ込んでしまっていた。
「きゃあああああ!」
 おキヌの悲鳴。
 令子も、悲鳴がこみ上げてくるのを何とかこらえた。
 悲鳴を上げている暇があったら、生き延びるために出来ることをする。少しでも、生き延びる可能性をあげるために行動する。幸い、危機的状況、修羅場に令子は慣れていた。
 ブレーキを踏み込み、ハンドルを切る。全力でもって、霊力を振り絞る。
 タイヤがグリップの限界を超えて、滑り始める。
 スピン。
 酷く世界がゆっくりと進んでいるように見える。命の危機に際する脳の働き。ゾーン、あるいはフローと呼ばれる現象。色が消え、音が消える。
 ゆっくりと、それでも確実に迫るガードレール。どういう具合にぶつけるのが一番ダメージが少ないか。必死で頭を働かせ、様々な計算をするとは無しに計算していく。
 滑る、滑る、滑る──グリップ!
「今!」
 その瞬間に、ハンドルを切る。
 レベッカは令子の操作に応え、僅かにコントロールを取り戻す。
 しかし、それが精一杯だった。
 車体後部をガードレールにこすりつけるようにして、滑っていく。
 このまま停止させる。それがベスト。
 そう考える令子の視線が、それを捕らえた。
 たらこ唇で刈り上げの冴えない男が、呆然とした表情でこちらを見ている。
 よりにもよって、ガードレールのこちら側!
「死にたいの!」
 罵りながら、ハンドルを操作。
 ガードレールに押しつけられていたレベッカは、はじかれるように離れて道を横断していく。
 そこへ迫るハチロク。
 ぶつかる?
 目を閉じそうになる自分を叱咤して、ハチロクの挙動を観察する。最後の瞬間まで、目を閉じてなどやらない。令子の意地だった。
 ハチロクは、滑るような動きでレベッカをきわどくかわす。たった今、令子が避けようとした男のいる方へ。
 ぶつかる。
 男は未だ、呆然とした表情でこちらを見ている。
 その男にまっすぐにハチロクは向かい、男をはね飛ばした──と見えた瞬間、しかし、男をすり抜けていた。
 ハチロクには、実体がない。
 そのことを思い出す。
 しかし。
「ずるだ!」
 令子は憤慨して叫ぶ。
 が、いつまでもそちらに怒りを向けている余裕はなかった。
 ハチロクはパスしたが、今度はKM1号が迫ってきていたのだ。
 フロントガラス越しに、面白い表情をしている横島が、やけにはっきりと見えた。


 レベッカの突然のスピン。
 これには横島も、肝を冷やした。
 しかし、何とかダメージを抑えつつ停車しそうだと安堵した。ハチロク、KM1号共に、問題なくその横をパスしていく隙間もある。大丈夫だ。思った瞬間、再びレベッカはコントロールを失ったかのように、道の中央に飛び出してきた。
 道のほとんどを塞ぐようにして。
 それを、ハチロクは驚異的な動きでパスしていった。
 横島も、それに倣おうとして、凍り付いた。
 ハチロクがパスした。つまりは、そこに、KM1号もパスできるだけの隙間があると言うこと。
 そのはずだった。
 しかし、それは大きな勘違いだった。
 そこには、十分な隙間など無い。一人、呆然と立っている男。そいつが、本来あるはずの隙間を、半ば塞いでいるのだ。
「どひ〜〜!」
 横島は、芸もなく悲鳴を上げ、そしてその瞬間、進行方向にお尻を向けて横滑りしていくレベッカ、そのフロントガラス越しに、令子の顔を見つけていた。
 瞬間、頭が冷える。
「くけ〜〜〜〜!」
 絶体絶命の局面でたびたび発揮された横島の驚異的な瞬発力。
 それが、今もまた、発揮された。
 鋭く、限界を超えてハンドルを切る。
 目指すは路肩の縁石。
 乗り上げた右のタイヤが浮いた。
 必死のハンドル操作。
 横島の意図を理解したマリアの補正。
 完全に宙に浮かんだ右タイヤが、レベッカのフロントを上るように、斜めに横切るようにしてかすめ通り過ぎていく。左の2本のタイヤだけで接地し、僅かにふらつきながら、KM1号は走る。
 呆然としたままの男の頭のてっぺんを、きわどく車体がかすめて通り過ぎる。男は、そのままへたりと座り込んでしまったが、それはもはや横島の興味にはなかった。
「どわわわわわ〜〜!」
 危地を一つ脱した。
 しかし、次の危地が迫っていた。
 左のタイヤのみ、車体を傾けて走るKM1号はふらつき、横向きに倒れ込もうとしていたのだ。
「駄目です。コントロール不能。もう・補正も・間に合いません」
 マリアが、冷徹に告げる。
「ひ〜〜〜〜〜〜!」
 横島はせっぱ詰まった悲鳴を上げる。
「きゃ〜、きゃ〜!」
 タマモも悲鳴を上げる。上げ続けていた。どちらかというと、こちらは酷く楽しそうだった。
 そんな中で、車はさらに傾き、横向きに倒れ込んでいく。
 もはや、どうしようもない?
 否。
「まだでござるよ!」
 シロが声を上げ、狭い後部座席で器用に体を入れ替え、足を窓の方に向けた横向きになる。
 迫り来る路面。
 それを、冷静に見つめ。
 タイミングを見計らって、シロは叫んだ。
「カメ!」
 同時に、鋭く両足を突き出し、思い切り路面を蹴飛ばした。
 人狼族の優れた肉体能力。
 それが、遺憾なく発揮された。
 KM1号は、横向きに倒れてしまったと見えた瞬間、はじかれたように飛び上がり、見事に4本のタイヤで接地した。揺り返し、勢いが余って今度は左のタイヤが浮きかけるが、ぎりぎりで耐え、持ち直す。
「ヨコシマさん」
「くけ〜!」
 すかさずマリアの声が飛び、ヨコシマがハンドルを操作する。
 僅かにふらつきを見せたモノの、KM1号はコントロールを致命的に失うことなく復帰する。
「シロ、大丈夫か?」
 いくら何でも、これは無茶がすぎるだろう、と慌てて後部座席の方へ振り返る横島。
 それに対して、シロは目尻に涙を浮かべて応えた。
「さすがに、足がジーンでござるよ」
「とにかく、大丈夫なんだな?」
 その様に、深刻なダメージはないらしいと見て取って、横島が安堵の息を吐く。
「よし、追いかけるぞ!」
 威勢良く叫ぶ横島にシロが応じ、少し開いてしまった差を再び詰めるべく、KM1号は加速していく。
「ねえ、カメってどういう叫び?」
 タマモの首をかしげての疑問には、誰も答えなかった。


 勝負は終盤に入っていた。
 サイドバイサイド。
 ハチロクとKM1号は、ほとんどぶつかるようにして──しかし、決して接触することはなく──カーブにほとんど同時に突入し。
 追い上げるKM1号のフロントが、先行するハチロクのバックにぶつかりそうなほどに距離を詰め。
 両車とも、コーナーを精一杯に使って曲がっていく。ガードレールまでの距離は、数センチしかない場所を、恐ろしいほどの速度で通り抜けていく。
 ギャラリーは湧く。
 これほどの名勝負は、これまで、見たこともない。
 そして、これから先も見ることはないだろう。
 彼らは、それを確信していた。
 口々にあがる叫びは、もちろん。
「げえええ」
 である。
 そんなさなか、横島は異変を感じていた。


 右。
 マリアに告げられるよりも先に、横島には次のカーブがどちらであるかを直感的に知ることが出来る様になっていた。
 左。
 頭に浮かぶ通りに、次のカーブが現れる。
 これまで以上の、一拍以上の余裕を持って、横島はKM1号をコントロールする。
 右。
 確実に、前を走るハチロクに、接近している。追いつめているのがわかる。
 左。
 ハチロクの、テールランプが迫る。
 右。
 テールランプ。
 その赤色が、網膜に、鮮やかに、焼き付いて、いる。
 左。
 ふわふわ、と、沸き、立つ、ような、気分。
 なん、だか、良い、気分、で……
 右……
「ヨコシマさん!」
 突然、耳元であがった叫びに、良い気持ちは一瞬で消えた。
 目の前にはテールランプ。
「次は、レフト・です」
 叫びは、マリアだった。
「え?」
 テールランプは、右に曲がっていた。つられるように、KM1号も右に──
 次の瞬間、KM1号はガードレールの隙間から、空へと飛び出していた。


「──!」
「小僧、魅入られたな」
 カオスの声。
「まあ、怪談にありがちな展開じゃな。本当のことをいくつか教え、決定的な場面で裏切る。──多分、あやつが事故を起こしたのはここなのだろうよ。あそこだけガードレールが切れていたのは、つまりはそういうことじゃろう」
「冷静に言っている場合か──!」
 横島は、力一杯に叫んだ。
 KM1号は、すでに落下を始めている。下の方に道が見えたが、あそこまで落ちたら、普通は助からない。
「シロ?」
 頼るように名を呼ぶ横島。
 しかし。
「さすがの拙者にも無理でござるよ」
「カオスのおっさんは?」
「さて、マリア、わしらは脱出するかの?」
「イエス。ドクター・カオス」
「逃げる相談すんな!」
 横島は叫び、それから、もう一人の最後の一人に視線を向けた。
 最後の一人、タマモはと言えば。
「きゃー、きゃー!」
 この期に及んでも、まだまだ心底楽しそうに黄色い悲鳴をあげていた。
「……タマモ」
「きゃー、きゃー──って、わかったわよ。働けば良いんでしょ」
 ふと、まじめな表情になったタマモは、額に右手、のばした指を当てる。
「協力はしてあげるから、あとは自分で何とかしなさいよ」
 冷たく言った次の瞬間、横島の周囲、KM1号の車内に、半裸の女性があふれた。
「──!」
 令子がいる、おキヌがいる、冥子がいる、小竜姫がいる、アードがいる、ハーピーがいる。そのほか、見たこともない女性もいる。シロとタマモはいなかった。とにかく、下着もあらわに、何人もの女性がすし詰めで、車内に溢れていた。皆、どこかとろけた様な表情で。
 タマモの幻術。
「くぅ〜〜〜、俺って奴は、タマモの幻術だってわかっているのに〜〜〜!」
 悔しそうに、しかし、それ以上にうれしそうににやけた表情で横島が叫ぶ。
 その手の中に現れるのは文殊が二つ。
 浮かび上がる文字は──『奇』、『跡』。
 握りしめた文殊は輝きを増し、効果を発揮する。
 幸運パラメーターにでたらめなまでのプラス補正。
 KM1号は、崖の斜面から突き出すように生えた木の枝に突っ込み、落下速度を減速。その木をへし折り、再びの落下。しかし、測った様に、再び突き出した木に引っかかり、減速。さらにもう一回。それは、まるで『奇跡』のようで。
 さらに、奇跡の大盤振る舞い。
 十分に落下速度を落としたKM1号は、崖下の道に、きちんとタイヤから落っこちたのだ。
 サスペンションが完全に沈み込み、腹をこすって火花が飛び散る。横島とカオスは天井に頭をぶつけ、目の奥に火花を散らす。
 KM1号はふらつき蛇行し、しかし、きちんとコースに復帰していた。
 冗談のようなショートカット。
 見れば、KM1号の脇には、同じようにショートカットを果たしたハチロクの姿が。
 そして、コースの先にはゴールが見えた。
 あとは、一直線。
 単純に、どちらが速いか。
「行けえ!」
 アクセルを床まで踏み込む。
 乱暴な操作。しかし、マリアの手が介在して、それをもっとも適正な操作に補正する。
 カオス謹製の怪しげなエンジンが、力の限りに吠える。
 突き飛ばされたように加速するKM1号。
 同時に、ハチロクも加速していた。
 二台、並んで進んでいく。
 じりじりと、KM1号が前に出て。
 じりじりと、ハチロクが前に出て。
 簡単には決着の付かない、最後の直線勝負。
「ここまで来たら、負けるな! 負けたら許さないわよ!」
 横島の座席のヘッドレストにしがみつくみたいにして身を乗り出したタマモが、普段のクールな態度を放り出して叫ぶ。
「先生、行くでござるよ! アオオオン! アオオオン!」
 シロはいつものようにハイテンション。力の限りに叫ぶ。
「行け〜、坊主! 貴様が勝てば、ワシは美神令子に特別ボーナスを!」
 これで家賃が払えると、カオスも脳の血管も切れよと叫ぶ。
「皆さん・がんばってください」
 こうした時、メタソウルはあると言え、霊力と無関係でちょっぴり寂しい。そんな感情を僅かに抱いたような声で応援するマリア。
 横島も。
「くけ〜〜〜!」
 あまり格好の良いとは言えない声を上げて、霊力を振り絞る。
 そして、チェッカー。
 僅かに鼻の差で、先にゴールに飛び込んだのは──


 ハチロクが減速して、静かに止まる。
 その窓から、腕が突き出された。握り拳、親指だけ立てたそれを軽く振って。
 次の瞬間には、光がはじけるようにして、ハチロクの姿は消えていた。
「満足して、成仏したか……おまえ、すごく速かったぜ」
 横島はクールに呟き、それから、背後を振り返った。
「おい、カオスのおっさん。これ、ブレーキがすかすかで全然──」
 KM1号も、さすがにこれだけの酷使をすれば、何の問題も出ないとは行かなかったようだ。元々、氏素性が限りなく怪しいカオス謹製としては、良く保ったと褒めてやるほどのがんばりだろう。サスペンションがおかしい、エンジンも異音を発している。車体が、異常振動をする。本来、ハチロクよりも優速であったはずのKM1号がぎりぎりの勝負をすることになったのは、こうした問題に理由が求められた。
「──って、おい」
 横島は絶句する。
 いつの間にか、カオスの姿がない。
「小僧、もうこいつは駄目だ。先に脱出するぞ」
「ヨコシマさん。それでは・お先に」
 声につられて横を見れば、マリアに首根っこを捕まえられてつるされるような格好で、カオスが車の横を飛んでいた。
「横島、私も先にでるわ」
「先生も急ぐでござるよ」
 タマモ、シロが軽く告げて、二人とも身軽に車の外に飛び降りる。
 人外の二人には、この程度の速度は問題ではないらしい。
 横島は、スピードメーターを見た。
 とてもではないが、挽肉にならずに飛び降りられるようには思えない速度だった。
 正面に視線を戻せば、逃げまどう人の向こうに、コンクリの壁が見えた。
「普通の人間に、そんな真似が出来るか〜〜〜!」
 横島の絶叫。
 それに併せて、KM1号は短い生涯を終えた。


「いや〜、横島君ががんばったから、今回はきちんと約束通りにしてあげようと思ったんだけど」
 場所は病院である。依頼主からの報酬、さらには現代医学の勝利に喜びを隠せない医者にまで礼金をもらい、ほくほく顔の令子は言って、ベッドの上の物体に視線を向けた。
「これじゃあ、キスする場所がないわよね」
 いやあ、残念残念、と、ちっとも残念に思っていない口調で令子は言った。
「……やっぱり、こうなるんかい」
 ベッドの上の物体──マミー・シルアビル・7世の出来損ないみたいにして、包帯でぐるぐる巻き、さらには手足をギブスでがちがちに固められた横島が、憮然とした声でつぶやいた。
 めでたし、めでたし。


 頭文字D
 ハチロクの中古市場価格を格段に高めたと評判の漫画。
 最近読んでいないので、どんな展開になっているのか不明。
 ちなみに、最後に読んだのは、禿頭のランエボといろは坂で戦っていた辺りです。

 今回は完全一話完結の脱線話で、一切の伏線は無し。
 ところで、take4は車についての知識はほとんどありません。
 それで、こういう話を書く辺り、無謀です。
 いつかのアリオス、宇宙ロケット開発話もいい加減無謀だと思ったけど、こっちの方がもっと無謀でした。
 ぬるい目で見てください。

 なお、ミサワ自動車およびレベッカは、新谷かおる著『ガッデム』に登場した車です。
 どうせ、現実の車には疎いので、フィクションの中から登場させました。
 ラリーで速い車が峠でも速いのかどうか知りませんが、ランエボが速いので良いか、と。
 やっぱり、生ぬるい目で見てください。

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