#01 伝説の始まり
非常事態宣言が出され、人気のない町並み。
住民は、全てシェルターに避難し、無人となっているはずの駅舎の前に、三人の男女が立っていた。
一人は、中学生くらいの少年。黒目、黒髪、中性的な容貌の持ち主。取り立てて美形でもなく、逆に、醜悪でもない。平凡な顔立ち。例えば、学校の教室にいれば、大多数に埋もれて目立たない。その程度の容姿である。
一人は、同じく中学生くらいの少女。栗色の髪の毛をアップにして、後頭部で纏めている。おっとり、人の良さそうな顔立ち、いわゆる、癒し系とでも言うべきか。こちらは、少年と違い、平均以上の整った顔立ちをしている。しかし、派手な顔立ちというわけでは無いため、少年同様に、さほど人目を引くという感じでもない。よく見ると、美人。そんな感じである。
最後の一人は、中年の男。太った体、丸い顔、そして、線のように細い瞳は笑いの形、赤ん坊のようにピンク色の頬。太った体に、年中夏となった日本の気候は厳しいのか、常にハンカチで顔を拭っている。そのハンカチを握る手も、指が丸々と太い上に血色が良く、赤ん坊のそれのように見える。
その三人は、呑気な顔をして、戦闘を見つめていた。
戦闘。
そう、三人の視線の先では、戦争が繰り広げられていた。
人間同士の戦争ではない。片一方は人間だが、相手は人外のモノだった。国連軍と、異形の怪物の戦争。
国連軍、VTOL戦闘機がミサイルを発射し、それは真っ直ぐに飛んで怪物に命中する。怪物は、なされるまま、攻撃を受けている。否、興味が無いというのが本当か。実際、被害を欠片も受けていない様子で、国連軍の攻撃を正面から受けつつも、どこか悠然と歩を進めている。
「何というか、冗談みたいだね」
少年が、どことなく呆れたような口調で、怪物を見て感想を述べる。
確かに、こんな怪物が登場する。そんなことは、夢物語にしか思えない。映画やアニメじみた、巨大生物の襲来。こんな事を予想している人間がいたとしたら、普通、誇大妄想狂として一括処理され、精神科の病院に収容される。それが、常識というモノだろう。
しかし、現実には、得体の知れない怪物が確かに存在し、街の中を進んでいる。
「そうですねえ」
見かけ通り、おっとりした口調で、少女が頷く。どんな危機的状況でも、おっとりと乗り越えていきそうな雰囲気がある。
「……それよりも、これから、どうしましょうか?」
少女は、左の内腕の時計を見て、少年に尋ねた。
「約束の時間から、早30分以上……。この女、何考えているのかな?」
呆れた、呆れきった口調で少年は呟き、服の胸ポケットから取り出した一葉の写真を見る。その顔は、きっぱりと頭痛を堪えていた。
写真には、一人の女性が写っている。公平に見て、美女である。長い艶やかな黒髪、日本人離れしたメリハリのある体型。頭痛のネタは、容姿ではない。その格好である。豊満な胸を強調するかのような服装──これは、ぎりぎり許可しよう。しかし、問題は、その胸の谷間を強調するかのような格好、更に、矢印、「ここに注目」。とどめとばかりに、キスマークまで付いている。面識のない相手に送るには、いささか、否、かなり問題がある写真である。気さく、と言う範囲を突き抜けている。
「何も、考えていないんじゃないですか?」
「その可能性があるから、余計に頭が痛いよ」
少年は、深く重いため息を付いた。
「田茂地、この女も、父さんの愛人ってわけじゃないんだよね」
「はい、私の調べた限りでは、男女の関係ではないものと思われます。ひいふう」
中年男、田茂地が応える。口を開くだけで息切れするのか、語尾にかかったのは呼吸音である。
「ほんと、何を考えているのやら。親しい友人に冗談交じりで送るって言うのならば、まだ、わかるけど……この女が、本当に作戦部長な訳?」
「はい、特務機関ネルフ、作戦部部長、葛城ミサト一尉。年齢は29才。独身。現在の所、特定のつきあいのある男はいない様子です。ひいふう。──ちなみに、作戦部長としての能力は……」
「元々、求められているものが違う、と言うことかな」
「そう言うことでございます。ひいふう」
少年の言葉に、田茂地も頷く。
「これは、僕を狙っていると見てもいいのかな? この女の事情からするに、手駒が欲しいわけだし」
「据え膳喰わねば、男の恥ですか?」
少年の呟きに、少女が応じる。
「どちらにしろ、シンちゃんに問題なければ、相手をしてあげれば良いんじゃないですか?」
何でもないことのように、少女は平然と告げる。
「まあ、必要とあれば、こますけど」
少年──シンちゃん、碇シンジも平然と応じる。それから、首を僅かに傾げる。
「でもねえ、きっぱり使えなさそうだし」
少女、田茂地が揃って頷いた。
「シンちゃんを迎えに来るのって、凄く重要なことのはずなんですよねえ。──それに遅刻してくる。緊張感皆無ですか? 何というか、能力以前に、人間として駄目駄目って感じですねえ」
少女が、のんびり、おっとりとした口調、しかし、辛辣な事を言う。
「本当に、自分が重要人物なのか、疑問に思えてきたよ。──いや、田茂地が調べてくれたことを疑う訳じゃないけど」
「お心遣い、感謝いたします。──しかし、私の方でも、どこかに間違いがあったのではないかという、不安を覚えております……ひいふう」
「今さら、それは困るよ。──おっと、使徒が反撃を始めたみたいだね」
碇シンジが、怪物──使徒という──に視線を向ける。
言葉通り、今まで国連軍の攻撃を無視して進んでいた使徒が、反撃を始めていた。掌から光り輝く槍を突きだし、VTOL戦闘機を叩き落とす。
「そろそろ、ここも危ないね。N2地雷で焼き払われるのもご免だし」
「それでは、移動を開始しますか? ……ひいふう」
「そうだね。仕方ないから、自力でネルフに行こう。──なんだか、自分を安売りしに行くみたいで、本当はいやなんだけど……死んだら、元も子もないし」
「これ以上待っても、無駄みたいですしねえ」
少女も、シンジの言葉を肯定する。
「わかりました。それでは、私は移動手段を確保して参ります。シンジ様とユウキ様は、ここでお待ち下さい。……ひいふう」
言って、田茂地が素早く離れていく。まるまるとした体型、短い手足。しかし、その移動速度は、驚くほどに速い。あっという間に、二人の視界から消え失せる。
そして、殆ど時間の経たない内に、一機の国連軍のVTOL戦闘機を確保して戻ってくる。どうやって確保したのか。疑問に感じて当たり前のことだが、シンジと、少女──加賀ユウキはそれを疑問とも思わず、当然という顔で、開かれた扉からVTOL戦闘機に乗り込む。
「N2地雷使用まで、時間があまりありません。少々飛ばします。ご注意下さい」
田茂地の言葉が終わると同時に、その操縦でVTOL戦闘機は一直線にその場から離れていった。
そのVTOL戦闘機の下を、青色のルノーが駅舎に向かって走り抜けていく。しかし、シンジ、ユウキ、田茂地、三人とも、気にもしなかった。
特務機関ネルフ。
国連所属の非公開組織である。
襲来の予想されていた怪物──使徒に備えるために極秘裏に組織されている。
そして、15年ぶりの使徒の襲来。設立目的から考えるに、本来、ネルフの晴れ舞台となるはずである。
しかし、今現在、ネルフの第一発令所において、大きな態度でふんぞり返っているのは、ネルフ関係者ではなく、国連軍の将校である。
得体の知れない怪物。そして、同様に得体の知れない組織、ネルフ。使徒は、サードインパクトの原因になると言う。人類滅亡の危険をはらむ事柄全てを、得体の知れないままで終わらせるわけには行かない。何よりも、セカンドインパクト以後の混乱を治め、混迷の中にあった世界の平和を維持してきたのは自分たちである。そうした自負が、国連軍にはある。学者上がりの連中に、自分たちを含む人類の未来をゆだねる事など、出来ようはずがない。その思いが、本来は使徒襲来と同時に行われるはずの、ネルフへの指揮権委譲を躊躇わせていた。
また、いかに正体不明の怪物とはいえ、相手は生き物である。ネルフに頼らなくとも、国連軍保有の戦力で殲滅可能。そうした判断もある。
その結果、国連軍は単独で、使徒に当たることとなった。
勝利は、容易。そのはずだった。
しかし──
「馬鹿な、直撃のはずだ!」
戦闘が開始されると、発令所は国連軍将校の悲鳴に似た叫びが飛び交う場所となった。
国連軍の過剰とも思える攻撃を、使徒は完璧に無視して見せた。
ミサイルが直撃する。機銃がなぎ払う。戦車砲がうなりをあげて命中する。いかに使徒が巨体とはいえ、その破壊力は、充分にそれを屠るだけの力があるはずだった。しかし、使徒はまるで痛痒を感じず、悠然と、国連軍を無視して見せた。
そして、それも束の間。使徒は、反撃を開始する。
それも、脅威を排除すると言うよりも、鬱陶しいものを破壊する。自らの周囲を五月蠅く飛び回る蠅を潰す。そうした態度。しかし、反撃が開始された途端、国連軍のVTOL戦闘機は易々と叩き落とされる始末。
ますます、国連軍将校の声は甲高くなる。
その様子を、ネルフ総司令、碇ゲンドウは、くらい笑みを浮かべて見つめていた。
馬鹿な奴らめ。
それが、ゲンドウの国連軍将校に対する感想である。
本来、使徒襲来に併せてネルフに委譲されることになっている指揮権が、未だ国連軍に保持されていることは問題ではなかった。いずれ、委譲せざる得なくなる。それまでに、国連軍が醜態を晒せば晒すほど、ゲンドウには都合がいい。国連軍の評価が下がれば下がるほど、使徒の力が強調されればされるほど、ネルフには都合がいい。ネルフの立場の強化、そうなれば、この先、いろいろとやりやすくなる。
ついに、国連軍将校は切り札の使用を決意した。
切り札、戦略兵器N2地雷。核兵器に替わるクリーンな爆弾。そのような謳い文句で登場した、新型の強力な爆弾、そのバリエーションの一つである。もっとも、クリーンな、と言ったところで、放射能をまき散らさないと言う一点を除けば、核兵器と大差ない。爆心は当然の事ながら非道いことになる。おまけに、巻き上げられた粉塵などの二次被害は、結局起こる。しかし、放射能をまき散らさないのだから、クリーンな兵器なのだ。──誰が何と言おうとも。
その決断を、ゲンドウは更に笑いを深めつつ、眺めている。
ここまで、ゲンドウの予想通りの展開である。自身のシナリオ通りの展開。そして、結末も同様であろうとの思いが、ますますゲンドウを機嫌良くさせる。
そして、N2地雷の爆発。
足下で発生した強力な爆発により、使徒の姿は光の中に飲まれた。
それを監視していた各種のシステムも、強力な電磁波がまき散らされたことにより、一時的に使用不可能となる。
「衝撃波、来ます」
オペレーターの警告に併せて、ネルフ本部が揺れる。使徒を監視していたモニターも、まき散らされた電磁波の影響で、砂嵐となっている。
かなりの距離が、爆心地からはある。それなのに、この揺れ。N2地雷のカタログスペックに嘘はない。
「見たかね? これが、我々のN2地雷の威力だよ」
「これで、君たちの新兵器の出番は、もう二度と無いというわけだ」
国連軍将校は、N2地雷の自慢、そしてゲンドウを揶揄する言葉を口にする。
ゲンドウは、笑いの衝動に耐えていた。
何も知らない、愚かなピエロ。
幸いなことに、ゲンドウは国連軍将校の前に位置し、正面モニターに顔を向けていたため、背中を見せている。もし、今のゲンドウの表情が国連軍将校に見えていたら、ネルフと国連軍の間に、深刻な不和が存在することになっただろう。──もっとも、ネルフ、国連軍の関係は、これ以前から壊滅的、ゲンドウの人間性に対する評価は、とっくの昔に地に落ちていたから、何の問題もなかったかも知れないが。
「電波障害のため、目標確認まで、いましばらくお待ち下さい」
オペレーターが注意を促す。目標殲滅が確認されるまで、気を抜くべきではない。
しかし、国連軍将校は、その注意を軽く受け流した。
「あの爆発だ。けりは付いている」
その言葉は、使徒に対する無知を証明していた。もっとも、これは国連軍将校の責任ではない。公平に見るまでもなく、使徒の情報を独占、一切を公開していないネルフこそが問題だろう。
そして、電波障害が収まり──国連軍将校は唖然とし、そして、悲鳴に近い声を上げることになる。
ゲンドウの、期待通りに。
使徒、健在。
N2地雷の破壊力で、廃墟、と言うよりは更地にされた街。そこに穿たれた巨大なクレーターの中央に、膝を抱えるように体を丸め、使徒は存在していた。全てを消し飛ばされてもおかしくない爆発に晒されたというのに、その被害は軽微だった。滑らかな、ゴムに似た質感を持った肌が、少々焼けこげ、いくらからささくれている。胸の中央部に存在する仮面のようにのっぺりとした顔は、ひび割れている。その程度だった。
その上、見る間にその損傷が回復していく。──どころか、新たな顔を作り出す。そんな、離れ業までやってのける。
そして、その新たな顔は、これまでになかった能力を持っていた。
虚ろな、暗い穴のように見える目が、輝く。
次の瞬間、使徒を監視していたVTOL戦闘機が撃墜される。
新たな攻撃の手段、正体不明ながら、何らかの遠距離攻撃を身につけたらしい。
「……碇君」
受話機を手に、何事か話していた国連軍将校が、苦り切った声を出す。先刻までの、勝ち誇った声とはまるで正反対である。
「──いまから、本作戦の指揮権は君たちに移った。──お手並みを、拝見させて貰おう」
屈辱に震えながら、国連軍将校は、一つ確認をする。
国連軍まで流れてきた、僅かな使徒の情報、それによれば、使徒はサードインパクト、即ち、人類滅亡の原因になるとされる。
「我々国連軍の所有兵器が、目標に対して無効であったことは、素直に認めよう」
国連軍は負けた。認めたくはないが、これは事実である。しかし、国連軍ですら勝てなかった敵に、ネルフは勝てるのか? もし、勝てなければ、人類の滅亡である。だから、確認した。藁にも縋る思いで。
「だが、碇君。 ……君なら勝てるのかね?」
「ご心配なく。その為の、ネルフです」
ゲンドウは、右手中指でサングラスの位置を直しつつ、答えた。その答えは、国連軍将校の期待したものだった。質問に対して、躊躇無く、間髪入れずの期待通りの答え。
しかし、彼らは元々地の底まで落ちていた碇ゲンドウの評価を、更に下方修正した。
その口元が笑いの形に歪み、為す術もなく退場するしかない、自分たちをあざ笑っていたから。
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