#02 誤算


 国連軍将校が、ネルフの発令所より退場する。
 これで、発令所に残されたのは、ネルフに所属する人員ばかりとなる。
 それを見計らい、ネルフ副司令、冬月コウゾウは碇ゲンドウに近付き、尋ねた。
「国連軍に大見得を切ったは良いが、どうするつもりだ?、碇」
 冬月コウゾウは、セカンドインパクト以前には、京都の大学で助教授をしていた。碇ゲンドウとは、その時に知り合っている。知り合った当時、碇ゲンドウは、何の権力も持たないただのちんぴらに過ぎなかった。それ以来の長いつきあいの為、現在こそ上司と部下、司令と副司令という関係ながら、口の効き方に気安いところがあり、ゲンドウもそれを許容していた。
 冬月の質問、「どうするつもりだ」には勿論事情がある。
 使徒に対抗するために組織されたネルフである。当然、その為の手段、秘密兵器が存在する。人造人間エヴァンゲリオンである。
 しかし、だ。
 その秘密兵器、エヴァンゲリオンは、現在稼働状態にない。どころか、この先起動するのか、それすら疑問視されている状況である。おまけに、現在ネルフ本部が有する、唯一のパイロットは起動実験の失敗により、重傷となっている。とても、戦闘行為に耐える状態ではない。楽観論をはける状況ではないのだ。冬月の心配も、道理である。
 だが、ゲンドウは顔色一つ変えない。
「問題ありませんよ。冬月先生」
 前述の関係から、ゲンドウも冬月のことを先生と呼ぶことがある。
「間もなく、予備が届きます」
「予備かね?」
 冬月の声に、嫌悪が混じった。
 ゲンドウの言う予備、それは、実子である碇シンジのことである。自分の子供を予備呼ばわりするゲンドウに、冬月は顔を顰める。
 これは、人として当然のことかも知れない。しかし、ゲンドウにすれば、冬月には覚悟が足りない、甘いという評価に繋がる。もしくは、自覚がないと言うべきか。所詮、冬月もゲンドウと同じ穴の狢である。体裁だけ取り繕ったとしても、根本で、両者とも人の道を踏み外している。対外的には、冬月の常識的とでも言える反応を見せることは必要だろう。しかし、ゲンドウに対してのそれは、まるで意味がない。今さら、お互いの間で人の道を云々する。それは只の偽善、無駄な行為にしか過ぎないのだ。
「葛城一尉はどうなっている?」
 ゲンドウは、冬月から興味を失い、オペレーターに尋ねた。
 その予備、碇シンジの迎えには、作戦部長である葛城ミサト一尉が出向いている。
 これは、葛城一尉の意向による。
 作戦部長であるミサトの下に、エヴァンゲリオンのパイロットは配属されることとなる。パイロットと友好的な信頼関係を築くため、そうしたミサトの言い分を、ゲンドウは是とした形になっている。現実、ミサトの言葉に嘘はない。ただし、その思いの全てを表したわけではない。そのあたりをゲンドウは理解している。その上で、いかに重要人物──エヴァンゲリオンパイロットとはいえ、他に仕事があるはずの作戦部長を迎えに行かせる事を、ゲンドウは認めた。
 ゲンドウにとって、ミサトの行動は、非常に都合が良かった。綿密に計算された、タイムスケジュール。選択肢を奪い、パイロットとなることをシンジに承諾させる。そのシナリオの進行過程において、ミサトの立場は重要である。──本人に自覚がないとは言え。そして、以後のことを考えれば、ミサトとパイロットの立場が近くなることは好ましい。そうした、計算もある。
 しかし、ゲンドウは、葛城ミサトという女を、完全に理解していたわけではなかった。それを、思い知らされることとなった。
「葛城一尉、現在、所在地不明です」
「何?」
 作戦部付き、即ちミサトの直属のオペレーター、日向マコトの言葉に、ゲンドウは思わず耳を疑った。
 タイムスケジュール通りであれば、既にミサトは碇シンジを伴って、ネルフ本部に帰還しているはずである。そうでなければ、いけない。
「どう言うことだ?」
 替わって尋ねたのは、冬月である。
 重要な地位にあるネルフ職員には、支給された携帯電話の携帯義務がある。その携帯には、所在地を知らせるマーカーが付いている。であるから、義務通りに行動しているのであれば、余程の遠隔地、もしくは僻地にいるのでもない限り、所在地不明、等という事態は起こらないはずである。
「はい。──履歴を調べますと、葛城一尉は……葛城一尉の携帯の反応は、N2地雷の爆心付近で消失しています」
 少々顔色を青ざめさせて、日向が答える。
「馬鹿な、どう言うことだ?」
 認めがたい、冬月が慌てて詰問調で問う。
「は、はい。サードチルドレンとの待ち合わせ場所が、使徒進行線上にありました。おそらく、迎えに行って……N2地雷の爆発に巻き込まれたのではないかと」
 冬月の剣幕に恐れをなし、日向は僅かに引きがちに自身の推測を答える。
「待ち合わせの時間は、戦闘開始以前であったはずだ。どう言うことだ?」
 碇シンジ、サードチルドレンが失われては、全ての計画が水泡に帰す。サードチルドレンを追い込むためぎりぎりの、しかし、確かなゆとりを持って、タイムスケジュールは組まれていたはずである。
 冬月の再度の質問に対する答えを、日向は持ち合わせていない。ミサトがドイツ支部から本部へと赴任して、まだ僅かな時間しか経っていない。魅力的な容姿の持ち主であることは理解したが、それ以上のことは知らない。ミサトの人となり、行動について、語れるほどの材料はどこにもないのだ。
 替わって、口を開いたのは、金髪黒眉白衣の女性、ネルフ技術部主任、赤木リツコである。
「……あの馬鹿、遅刻したわね」
 口調には、苦々しいものが多分に含まれていた。
 赤木リツコは、大学時代のミサトの同級である。また、友人でもある。その人となりを、本部において、誰よりも理解している。それにしても、「信じられない」、口調にそうした響きが混じるのも当然だろう。
 人類の存亡をかけた戦い。その戦いの重要な人間の迎えを遅刻する。しかも、志願までしておいて。はっきり言って、まともではない。
「遅刻?」
 冬月の声にも、驚きが混じる。怒りを通り越して、呆れが多分に支配していた。元々、ミサトの作戦部長という地位は、能力に重きを置いた任命ではない。が、それ以前に、人間として信用ならざる者を用いてしまったかも知れない。
「……どうする? 碇」
 茫然自失の数瞬。それでも、その隙が惜しいとばかりに立ち直り、冬月はゲンドウに尋ねた。
「……レイを使う」
 流石のゲンドウも、幾ばくかの戸惑いの後に答えた。
 レイ。綾波レイ。ファーストチルドレン、即ち、最初に任命されたエヴァンゲリオンのパイロットである。現在は起動実験の失敗で重傷を負って、病院のベッドの上にいる、本部が現在、唯一所有するパイロット。
 彼女にも、碇シンジの「説得」に一役買って貰う予定だった。その為の準備はなされていた。しかし、あくまで、そこまで。説得のための出汁でしかないはずだった。それ以上──パイロットとして実戦投入する予定はなかった。それも当然、到底、戦闘行為に耐えるような状態ではないのだ。下手をすれば、戦闘に入る以前に、絶命しかねない。それだけの重傷なのだ。
 これで、人類の滅亡は確定したかも知れない。
 いくら、対抗可能な兵器があっても、動かせるパイロットがいなければ、それは無用の長物である。事実上、ネルフには使徒に対抗する手段がなくなったと言っても良い。
 ゲンドウは、絶望的な気分を味わっていた。
 事は、それだけでは収まらない。
 ゲンドウ、冬月は、使徒撃退の裏で、一つの計画を進めていた。その計画も、ここで頓挫する。その可能性が、非常に高まっている。
 勿論、その計画は、使徒によるサードインパクトが発生すれば、灰燼に帰す。しかし、それでも、ゲンドウには人類の滅亡以上に、その計画の頓挫こそ、恐怖と、巨大な喪失感を感じさせた。
 発令所を、重い沈黙が満たす。
 皆、ゲンドウの沈黙に理解した。
 様々な悪評のある男である。人間として、尊敬できる上司ではない。しかし、それでもゲンドウが、このネルフという組織を支えていた。傲岸不遜な自信。揺るぎない態度。それが、部下を安心させてきた。何とかなる。そうした、思考停止にも似た楽観論を、いままでは抱くことが出来た。
 しかし──
 確実に、人類の滅びが、至近に迫っていた。それを、今回のゲンドウの沈黙が、否応なく皆に知らせる。
 ぷるるるるるる。
 追いつめられた感情の暴発、皆の理性が消失し、組織が崩壊する寸前、司令席の電話が鳴った。
 雷に撃たれたように、皆が硬直する。
「……なんだ?」
 おそらく、国連軍からの、出撃をせっつく電話。事こうなれば、どうでもいい。そう考えつつ、ゲンドウは受話器を取る。普段よりも、更に不機嫌な声が零れる。
「やあ、父さん?」
 そこから零れ出た、気楽な声。
 ゲンドウは、数瞬、活動を停止する。
「あれ? もしも〜し。訊いてます? まあ、わからなくても当然だと思うけど、僕、シンジ。三歳の時に、父さんが捨てた、息子のシンジだよ。──って、アレ? もしも〜し?」
 何、この電話、父さんあてのホットラインじゃなかったの?
 そのはずでございますが……ひいふう。
 そんな会話が、受話機越しに聞こえてきた。
「シンジか?」
 ようやく再起動に成功したゲンドウは、大声を出していた。
「うわっ」
 その声の大きさ、勢いに驚いたらしい。受話機の向こうで、耳を押さえているような気配が伝わる。
「もしもし! シンジ、シンジなのか?」
 やっぱり父親なのね、息子が心配なんだわ。
 ふ〜ん、あの極悪司令でも、息子は可愛いんだ。
 そんな、好意的な誤解を受けつつ、ゲンドウは受話機に呼ばわる。
「……父さん、耳が痛いよ。そんな大声を出して」
 不機嫌な声が、返事をする。
「そんなことはどうでもいい」
 それでも、声量を落とし、ゲンドウが尋ねる。
「それより、お前はいま、どこにいる」
「ネルフの入り口だけど」
「葛城一尉もいるのか?」
 ミサトの、作戦部長という立場を変えることは、事情があって出来ない。しかし、降格、減給ならば可能だろう。それを自ら通達してやらなければ気が済まない。そんな思いを裏に、尋ねる。
「ああ、その人、何考えているのさ。ちっとも迎えにこないから、自力で来たよ」
 シンジの答えに、ゲンドウの受話機を握りしめる手に力がこもる。事情など無視して、どこか非道いところに飛ばしてやりたい。ネルフ、沖の鳥島支部、等というモノがあれば、そこへ──そう考えたゲンドウだが、小さく息を吐いて、冷静さを取り戻す。携帯電話の事情から判断するに、ミサトはN2地雷によって、おそらくは焼き払われている。それに思い当たり、少しだけ溜飲を下げる。どうせならば、手ずから始末をしたい。しかし、ここは、手間が省けたと好意的に判断するべきだろう。後任の任命が面倒くさいが、それくらいは、許容すべきだ。
「──で、迎えを寄越してくれないかな? このままだと、中に入れないし」
「……? カードを送ってあるはずだ」
 国連所属の非公開組織、ネルフである。中は、機密の山、関係者以外の出入りは、非常に厳しく制限されている。
 しかし、そのあたりは当然見越し、シンジにはIDカードを送りつけてある。そのカードを使えば、ネルフ本部施設に入ることが可能となるはずだ。
「僕の分はね。──でも、同行者がいるんだ」
「部外者を、本部に入れるわけには行かない」
「あれ?」
 シンジが、戸惑うような声で応じてきた。
「父さん、意外に強気だね」
「子供の我が儘につき合っている暇はない」
 ゲンドウは、反射的に口走っていた。シンジの口調、ゲンドウを馬鹿にするような響きが感じられ、その事が、態度を硬化させた。馬鹿にするのは良い。しかし、馬鹿にされるのは、許容できない。
「その強気の理由を知りたいなあ」
「何度も言わせるな。子供の我が儘につき合っている暇はない」
「あ、そ」
 シンジは、あっさりとした口調で応じた。
 その言葉の響きに、ゲンドウは何かを感じていた。
 しかし、その何かを深く検証せず、反射的に応じていた。
「臆病者に用はない」
 先刻の茫然自失状態が、未だに尾を引いていたのかも知れない。シンジの、自分を侮るような態度も、腹に据えかねると言うこともあった。しかし、間違いなく、いつもより冷静さを欠いていたことは確かだった。同時に、用意していたシナリオが、ゲンドウの頭の中にはあった。その場合、説得役は他にいた。他の者、葛城ミサトが説得をする予定だった。ゲンドウは、言葉少なに威圧をするだけの役割のはずだった。しかし、ここに葛城ミサトはおらず、また、電話であり、ゲンドウ一人で行う必要があった。
 組織の長、ゲンドウである。対外的な交渉の場に立つ場合は多い。しかし、その場合は得意とする情報操作や事実のねつ造などにより、相手の選択肢を奪ってから、交渉の席に着くことにしていた。更に、後ろ盾となる巨大な組織、ゼーレの存在もあった。後は言葉少なに威圧する。元々、相手に頷く以外の選択肢は残されていない。威圧され、ゲンドウの思惑通りの答えを返すしかない。それが、いつものやり方だ。
 今回の、シンジの「説得」も同様だった。後ろ盾、ゼーレこそ使えない。しかし、選択肢を奪うというやり方は使うことが出来るはずだった。人類の危機、追いつめられた状況、そして、とどめの怪我をした綾波レイ。
 なす術無く、シンジはエヴァンゲリオンの乗ることを承諾する、そのはずだった。
 しかし、この場合は、そうは行かなかった。どう考えても、シンジの追いつめ方が足りない。残された選択肢は、一つではないのだ。
「あそ、じゃ」
 あっさりと、シンジは電話を切っていた。
 ツーツー音の聞こえてくる電話を、ゲンドウは呆然と見つめた。
 折角、手元にやってきた重要な──最重要な駒を、手放してしまった。初めてその事を理解、恐怖する。
「すぐに保安部のモノを出して、サードチルドレンの身柄を確保しろ!」
 その恐怖を押し隠すように、ゲンドウは命令していた。

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