第1章「王の帰還」



1,メナド・シセイの悲鳴

 握りしめた剣は、血と脂に汚れ、最早当初の切れ味を望むことは出来ない。
 それでも、メナド・シセイは、剣を振るう。
 生き延びるために。
 負けないために。
「はっ!」
 気合いの声と共に振り下ろした剣は、眼前に迫った敵を倒す。
 一撃で、戦闘不能に陥る敵。
 だが、メナドに気を抜く暇はない。
 すぐに、次の敵が迫ってくる。
(きりがない)
 メナドは、心の中で悲鳴を上げる。
 敵の数は、自軍を圧倒的に上回る。自軍を、倍するどころではない。果たして彼我の戦力差が、どれだけあるのか。考えてみる気にすらなれない。
 それほどの、敵が押し寄せてくる。
 味方は、充分以上に不利な状況だ。
 戦は、所詮は数の論理である。敵よりも、多くの兵士を揃えて運用した方が勝つ。そう言うモノだ。
 一対一で戦うよりも、二人で一人を相手にする方が、有利になる。3人がかりならば、更に勝利は容易になるだろう。戦争と言っても、所詮はこれの規模が大きくなっただけのこと。至って、シンプルな理由。子供にだって解る理屈だ。
 だからこそ、少ない兵で多くの敵をうち破ることが出来れば、それは大勝利として、指揮官はもてはやされる。
 そして、その辺りを凡将は勘違いして、少数で敵に当たることを誉れとする。
「戦いは、数ではない」
 こんな台詞をはける人間は、戦いの本質を理解していない。
「根性があれば、多少の兵力差など、問題ではない」
 精神論も馬鹿らしい。たいていの場合、敵味方問わず、負けたくないと考えているモノだ。誰だって、死にたくない。だから、必死で戦う。無論、策略によってやる気を――志気を削ぐという方法もあるだろう。
 だが、基本は、敵より多くの兵士を揃えること。
 これに尽きる。
 メナドは、凡将ではないつもりだ。大リーザスの誇る、攻勢部隊「赤の軍」副将。この地位は、伊達や酔狂ではない。
 だが、メナドの若さ。そして、女性であること。
 髪を短くして、活発な印象があるとは言え、充分以上に整った顔立ち。更に、ランス王の寵愛を受けていたという事情もある。
 そうした部分を見て、侮る者は多い。
「戦場ではなく、ランス王の寝室で手柄を立てて出世した」
 こういう、陰口が存在する。
 大リーザス、ランス王の配下には、多くの若く美しい女将が存在し、その殆どが寵を受けている。
 逆に、男の方は、ないがしろにされている向きもある。
 自分よりも、若い女性の配下となること。これに対しての、不満は多い。その不満が、悪意となってメナドに向けられることもある。
「実力もないくせに――」
 と。
 しかし、これは、公平な評価ではない。
 何しろ、メナドはランス王の即位以前から、「赤の軍」副将の地位にあったのだから。
 現在の彼女の地位は、ランス王の寵愛云々とは、まるで関係がないのだ。
 剣の実力は、リーザス最強とされる「赤の軍」将軍、リック・アディスンなどには比べモノにならないとは言え、そこらの男などは問題にならないレベルに達している。レイラ・アディスン(旧姓、グレクニー)引退後には、その地位――親衛隊の隊長を継ぐのは、メナドと目されている。それだけの、実力を持っているのだ。
 その上、年に似合わぬ、豊富な戦争経験を持ち主でもある。
 既に、伝説とまで言われている、ランス王の大陸統一戦争。「奇跡の2年間」と言われる、電撃的な一連の征服戦争において、メナドは初期から完遂に至るまで、最前線で戦い続けてきた。戦い抜いたのだ。
 無能であるはずがない。
 そして、今回、この戦闘――味方の総指揮を執っているのは、エクス・バンケット。「大陸最高の知将」の二つ名で呼ばれるほどの男である。
 一度は、ランス王に反旗を翻した、エクスである。
 しかし、結局は敗北。捕らえられ、リーザスより追放されるが、後に帰参。帰参後は、多くの戦功を立てたエクス将軍の能力も、疑う部分はない。
 天才、と言うことでは、ランス王直属部隊として組織された「緑の軍」副将、アールコート・マリウスに一歩譲るかも知れない。しかし、大局的な視野、人格まで含めた安定感では、アールコートを凌ぐ。
 そのエクス将軍が指揮である。当然、敵と戦うに際して、多くの兵士を揃えることを第一の基本とする。知将であるだけに、無意味な戦場の精神論とは無縁であり、冷徹な視点で、戦を眺める。少数を持って、敵を討つことが素晴らしいなどと言う、無意味な戦場のロマンチシズムに囚われる悪癖はないのだから。
 しかし、そのエクス将軍を総大将として、この不利な状況での戦闘。
 つまりは、味方がそれだけ追いつめられているという、証明でもある。
(本当に、きりがない)
 メナドは、叫びだしたい心を抑えて、剣を振るう。
 そしてこの敵。
 この敵は、決して強くはない。個々の能力差を考えれば、自軍が圧倒している。同数で戦えば、こちらの敵ではない。少々の兵力差であれば、簡単にひっくり返すことが可能。過信ではなく、それは現実だ。
 何しろ、敵の指揮系統は、お世辞にも整っているとは言い難い。更に、兵士の練度は低く、武装も貧弱である。
 敵軍が自軍に劣る部分は、いくらでも思い浮かべることが出来る。唯一、自軍に勝っているのは、数だけだ。
 しかし、数云々を考慮の外においても、敵は強い。個々の戦闘能力で劣っているとは言え、強かった。
(こう言うのも、強いというのかな?)
 いや、実際、強いのだ。
 メナドは、頭を降って敵を侮る思いを閉め出す。
 現実に、自軍は押されている。そう。それが、現実。メナドの感想など、問題ではない。その現実が、敵の強さを明確に証明している。目をそらしても、どうしようもないのだ。敵の実力の過小評価で、状況が改善される事はない。どころか、敵を見誤ることは、敗北を引き寄せる大きな要因となりかねない。
(そう、強いんだ)
 そう思いつつ、メナドは認めることが出来ない自分がいることも、理解していた。
 認めることが出来ない。――否、認めたくないのだ。
「む〜……らら……る〜……」
(いい加減にしてよ! この声!)
 内心で、悲鳴を上げる。
 敵は、恍惚とした表情を浮かべ、際限のない突撃を繰り返している。芸のない、ただの突撃。突破力はさほどでもなく、設置された簡略な防御陣地によって、あっさりと止められる。突撃と言うよりも、ただの前進。時も、場所も選ばない、至って単純な前進。
 練度の高いメナド配下の兵士達に、あっさりと討ち取られていく。
 虚しく、敵兵の屍が量産される。だが、集団自殺を目的としているかのように――レミングのスタンピードのように――敵は前進を止めない。
 その敵の武装は、貧弱を通り越して、粗末と言っても良いだろう。
 軍団毎に色分けされたメナド達の鎧に対して、敵の方は、何処からか掻き集めてきました、と言うばかりに見事な雑多。前時代――最早アンティークに分類されるであろう、大昔の古い、古すぎる鎧を身に纏っている者がいる。傷つき、塗装が剥がれた、年代物の鎧に身を包む者がいる。腹に竹筒を巻いただけの者、さらには、普段着の者までいる。
 武器の方も、まともな物を持っている者は、ごく少数。竹槍どころか、鍬や鋤を構えている者もいる始末だ。
 味方同士の連携などは、欠片も存在しない。味方同士で押し合い、へし合い。渋滞して混乱する。あちらが突撃をすれば、こちらも突撃。もしくは、休憩。何処彼処で過密状態になり、身動きがとれなくなった者も少なくない。押し合いへし合いを繰り返した挙げ句、味方に踏みつぶされてこの世から退場する者も出ているに違い無い。
 どう贔屓目に見ても、まともな軍隊とは言えない。ただの集団。てんでバラバラな、人の集まりに過ぎない。極言してしまえば、烏合の衆である。
(だから、押されつつ、ぼくたちも何とか持ちこたえることが出来ている)
 敵の練度が低いのは、幸いである。もし、敵が自軍と同程度の練度であった場合。
(考えるまでもないね。一撃で、ぼくたちは粉砕されている)
 それほどの、兵力差がある。
 刻一刻、こちらが圧されていることは、間違いない。――が、それでも、まだ持ちこたえられている。これは、数少ない、幸運と言っても良いだろうか?
 そう考えるメナドの視線の先で、敵軍が何度目――何十度目かの突撃を開始する。
 鍬や鋤――そう言った獲物を振り上げ、口々に熱狂的な声をあげつつ、こちらに迫ってくる。
 熱に犯されたような視線。
 その視線が、メナドに、背筋を氷で撫で上げられた様な錯覚を覚えさせる。耐えられず、身震いする。この感覚は、恐怖だ。
 更に、突撃を開始した集団に隣接していた者たちも、同様の突撃を開始する。
 戦場は、狭隘地である。
 いや、正確に言えば、狭隘地を選んだ。
 自軍を圧する大軍を相手に、広々とした場所を選んだのでは、即座に包囲、殲滅されてしまうだろう。その為の戦場設定。常道と言っても良いだろう。
 その狭隘地に、過剰とも言える人数が侵入すればどうなるか。
 渋滞が、発生する。
 元々、統一された軍団行動の出来ない集団である。思うように進めず、かといって、下がることもできない。多くの人間が、その渋滞の中で、押し潰されただろう。
 だが、敵は怯まない。
 狂ったような瞳を真っ直ぐにメナド達の方に向けて、味方を押し除け、押し潰しながら、前進を続ける。
 そこへ、メナド達の後方より、弓兵隊の一斉射撃が浴びせられる。
 放たれた矢は、千を越える鳥の羽ばたきに似た音と共に、敵兵に、突然の驟雨のように降り注ぐ。
 普段着の者がいるような、防御力の低い敵軍である。
 矢を受け、面白いくらいにばたばたと倒れていく。
(流石は、五十六さんの肝いりの弓兵隊)
 自身が必殺技を持つほどの、弓の手練れである、山本五十六。その直属の、弓兵隊。手ずから鍛え上げた部隊は、見事と言うしかない。
 効果的な場所、時を見誤らず、的確な攻撃を加えている。
 それも、指揮官五十六不在であるというのに。
 見事な部下の育成。メナドは、素直に感心する。
 自分の部下も、かなりの練度だと思う。多くは、一緒に統一戦争を戦い抜いてきた。気心も知れているし、その能力に疑問もない。
 だが、あれほどの見事な行動を、指揮官不在で行えるか、と問われれば、首を傾げざるを得ない。
(ぼくだって、今に――)
 決意。だが、今は、他にしなければならないことがある。それが出来なければ、先はない。
 弓兵隊の効果的な攻撃により、敵の足は止まっていた。
 だが、それも一瞬のことだろう。
 軍団行動と無縁の敵兵である。体勢を整える。そんなことは考えない。動ける者は、前進する。ただ、それだけ。味方を押しのけるようにして、すぐさま前進を再開するだろう。
 敵は、怯むことを知らない。横にいた仲間が倒れても、視線を向けることすらしない。自身が矢を受けていても、それが行動不能となるような怪我でもない限り、進撃を続けようとする。いや、行動不能の怪我を受けた者ですら、その場で、前進しようと藻掻いている。
 仲間が倒れたことにより、却って、渋滞が解消されて行動がしやすくなったとばかりに、敵は前進を再開していた。傷ついた仲間を助けようなどと言う動きは存在しない。地に倒れ、前進できなくなった味方を、容赦なく踏みつぶし、押し寄せてくる。
 恍惚とした表情。口々に上げる、祝詞の声。
「む〜ら……ら……る〜」
 狂ったように、ただただ、前進。
(いや。これは――本当に狂っているよ)
 槍を突き出し。剣を振り上げ。鍬や鋤を振り回し。
 ただただ、突き進む。
 その顔には、喜びの表情が張り付いている。
 そして、そのまま、死者の列に入る。
 それは、まるで悪夢が現実に形を取ったかのよう。際限のない、繰り返される悪夢。
(まるで、知能のない、死霊を相手にしているかのよう)
 いや、死霊よりも、こちらの方が、より禍々しい。
 死霊、と言うよりも、人外のモノとの戦闘の経験はある。
 統一戦争末期、魔人領に攻め込んだときに相手をしたのは、魔物の大軍。人とは、異質なモノたちとの戦闘。
 だが、彼らは、より異質だ。
 元々、同じ人間。
 それだけに、メナドの恐怖を煽る。
 彼らとて、平和に笑っていた時代もあるだろう。いや、今ですら、家族の前では、にこやかに笑うのかも知れない。喜びも、悲しみも、死霊のように皆無というわけではないだろう。だが、今は――
 そうなのだ。
 彼らも、自分と同じ。――だが、違う。
 だからこそ、より、おぞましい。
 恐怖をまるで抱かず、恍惚と、死に向かって突き進むだけの敵。殉教者の愉悦に顔をゆるませたその顔。全てを超越したかのような、虚ろな微笑。戦場の叫びを圧する、不気味な唱名。
 ひたひたと押し寄せる恐怖。
 それは、歴戦の勇者であるメナドの背筋をも、這い上がる。
 常の戦闘以上に、消耗していることを感じる。肉体的に。そして、より以上に精神的に。
(どうして、こんな事になっちゃったんだよ)
 メナドは、内心で呻いた。

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