5,ウェンディ・クルミラーの欲求不満
彼女の希望と、現実の間には大きなギャップが存在していた。
故に、その内心をため息と共に吐き出す。
(あ〜あ、こっちに来たのは失敗だったかしら)
ここのところ、最大の後悔の種はそれである。
彼女の名前は、ウェンディ・クルミラー。
かつては、リーザス城でランス王付きのメイドをしていた。現在は、ここ、長崎城で、矢張りメイドをしている。
ラファリア・AL教団のリーザス城占拠。その混乱のどさくさに城を逃れ、そのまま4軍にくっついて移動する形で長崎城にやってくると、そのまま職を得て現在に至る。
ウェンディの、長崎城における評価は高い。何でもできる有能なメイド。それが、現在のウェンディを周囲の見る目である。
しかし、ウェンディ自身には、喜びはない。
ウェンディにとって、メイドとは「失敗をして、主人に折檻される者」と定義されている。少々、と言うか、かなり歪んだ考え方である。しかし、ウェンディにとって、主人に折檻を受ける、それは、至福の時。そして、それが正しいメイドの姿である。
しかし、長崎城にいる人たちは世間一般の評価で言うと、いい人達ばかり。例え、ウェンディが少々ミスをしたとしても、咎められることはあれども、折檻まではしてくれない。
これでは、メイドをやっている意味がない。
だが、他に能があるわけでもなく、食べていくためには我慢もしなければならない。物足りない思いを味わいつつ、ウェンディはメイドを続ける。最近では、失敗しても折檻して貰えないため、仕事は完璧にこなしている。失敗して折檻を受けるならばともかく、ただ、片づけをする手間が増えるだけ。それでは意味がないから。その結果、優れたメイド、と言う評価が付いたわけだが……ウェンディ自身には、その誉め言葉は価値がない。
優れたメイドとは、失敗をして折檻をされる者だから。
(あ〜あ、これじゃあ、あのまま向こうに残った方がよかったわ。すずめちゃんが羨ましい)
かつて、同じ主に仕えた同僚を思い出す。
加藤すずめのほうは、父親、加藤疾風が正統リーザス軍の将軍と言うこともあり、リーザス城に残っている。こちらも、矢張りメイドを続けているようだ。
そして、何よりも重要なことに、神聖リーザスの国母──現時点の暫定支配者であるラファリア・ムスカは、メイドが失敗をしようモノならば、厳しく折檻をするらしい。どころか、不機嫌なときには、いわれのない折檻まで。まさしく、ウェンディ好みの主。否、これこそが正しいメイドの主の姿だ。──すずめの意見は異なるが。
本当ならば、このままとって返してリーザス城へ。そうしたいところであるが、今となってはそれは不可能である。
JAPANと大陸を繋ぐ天神橋は封鎖され、どころか長崎城は十重二十重に神聖リーザス軍兵に包囲されている。現在でも、城門、城壁を巡って、激しい戦いが繰り広げられている。そんな殺伐とした場所にのこのこ出ていったらば最後、どんな目にあうことになるか。
非道い目にあうことは、ウェンディの好むところではない。メイドとして、主人に折檻を受けるのは、ウェンディの好みに合致する。しかし、主人でもない者にいわれのない暴力を受けることは、好みではない。あくまで、折檻されるメイド、そのシチュエーションが、ウェンディは好きなのだ。このあたりは、彼女のこだわりである。──歪んでいるが。
おまけに、命の危険すらある。何しろ、相手は宗教にたっぷり頭まではまりこんだ既知外連中である。そこに対話は存在しない。彼らにとって、長崎城の関係者は、皆、異教徒。悪魔の使い。神に逆らい、神の従僕である自分たちを迫害する悪人ども。速やかに、地獄に叩き落とすべき存在である。未だ年若いウェンディ。死ぬのは、更に好みではない。
城の中にいれば安全か、と言うと、かなり危ういらしい。しかし、ウェンディは精神的に追いつめられたりしていない。駄目そうかな、その程度にしか思っていない。自身の未来について心配しているかと問われれば、それも怪しい。基本的に、楽天的な人間である上、軍事のことなどは、ウェンディにとっては専門外。良く分かっていないと言う事情もあったが、今現在、何よりも重要なのは、折檻してくれる主人の不在だ。
(あ〜あ、王様がいた頃はよかったなあ)
気楽なウェンディは、他の者とは違った思いでもって、逐電してしまった世界王、ランス事を考える。
ウェンディにとって、ランスとは、まさしく理想的な主人だった。
そう、折檻してくれる主人だ。
最初、大魔王の壺を割ったことこそ、純粋たる失敗だった。しかし、その一度で正確にウェンディの嗜好を見抜いたランス王は、それ以降、わざわざ折檻のネタを用意して、ウェンディを待ちかまえてくれた。自身でベッドに花瓶の水をぶちまけて、ウェンディのせいにしてくれたのだ。そして、めくるめく至福の時──折檻。
ああ、なんて素晴らしい時だったのだろう。
まさしく、あの頃はウェンディの人生の黄金時代だった。
全く、ランス王はウェンディの理想的な主人だ。あれほどの主人に巡り会うことは、二度と無いのではないか。そんなふうにまで、考えてしまう。
他の人間とは、少々趣が違うモノの、ウェンディもまた、ランス王不在に心を痛めていた。
何時までも嘆いていても仕方がない。
嘆いていれられるわけでもない。
メイドであるウェンディには、仕事もある。
最近のウェンディの仕事は、マリス・アマリリスやアールコート・マリウスと言った、長崎城に滞在している要人の身の回りの世話である。
ちなみに、山本二十一の世話は、母親である山本五十六が自ら行っている。
AL教団信徒の──証拠はないが──リア王妃暗殺は、記憶に新しいところである。その為、母親である五十六は、少々過敏に感じている様子だ。何しろ、二十一と言えば、こちら側、リーザス国にとっての最重要の人物である。暗殺の標的にされる可能性は、非常に高い。そして、リア王妃は、お着きの者の手によって殺害されている。その為、二十一の世話は、五十六を中心に、香姫らが行い、ウェンディらメイドの出番はない。
身も蓋もないことを言ってしまえば、信用されていないと言うこと。しかし、ウェンディは、それに気分を害したりしない。
二十一と言えば、まだ乳幼児。とてもではないが、折檻を期待できない。だから、どうでもいい存在なのだ。
しかし、今の仕事に満足しているかと問われれば、それも否である。望みの折檻をしてくれる者がいないという状況は、かなり物足りなさを感じざる得ない。
これから向かう先、アールコート・マリウスについては、まるで楽しみも存在しないと来ている。気が滅入る。
元々、気弱で折檻など、初手から期待できない人材が、アールコートという少女である。それだけでも、ウェンディには価値がない。かつては、勝利の女神などともてはやされるほどの活躍を戦場で見せた才能の持ち主。でも、折檻してくれないのであれば、主人としては失格である。
なのに、今は更に──
「失礼します」
こちらに来てから仕込まれた、JAPANの作法、三つ指つきながらアールコートの部屋に入室する。
部屋の中は、薄暗い。
障子は全て閉ざされ、灯りはともされていない。
その部屋の真ん中に敷かれた布団、その中央が盛り上がっている。
ウェンディの口から、小さくため息が零れる。
今日もだ。
「……くすん、王様」
小さな、嗚咽が布団の中から零れてくる。
これが、今のアールコート・マリウスの姿だった。
ランス王に期待され、その期待に応えようと、健気に頑張ってきた気弱な少女、アールコート。そう、ランス王のために、アールコートは頑張ってきた。愛され、愛し。ランス王の勝利、その為だけに、頑張ってきた。
そして、ランス不在。
アールコートにとって、それは世界の喪失にも等しかった。
元々、戦闘向きの性格をしているわけではない。震える体、怯える心を何とか宥め、戦いに参加してきた。それもこれも、ランス王のため。そう考えれば、勇気もわいた。恐怖に悲鳴を上げそうになるのを堪え、部隊を指揮し、戦った。
しかし、ランス王不在では、戦場の恐怖に耐えることは不可能。どころか、世界全てが色あせ、アールコートにとって、よそよそしいモノとなった。
対人恐怖症の気もあるアールコートである。
エクスを始め、リーザスの人間は皆、アールコートを支えようとしてくれた。しかし、彼らにはただ一つだけ、そして大きな問題がある。
それは、ランス王ではないと言うこと。
今のアールコートは、一言で言ってしまえば、何の役にも立たない無駄飯喰らいである。
だが、皆はアールコートの才能を惜しんだ。
その為、エクスが手を回し、アールコートのリーザス城からの脱出を助けた。
アールコート自身は、どうでもいいと思っているようだが、周囲の者からすれば、とてもそうは思えなかったのだ。
特に、神聖リーザスの最大の権力者がラファリアという事が問題だ。ラファリアがアールコートに過剰なまでのライバル意識を持っていることは、誰の目にも知れたから。その思いは高まり、戦場で戦って勝つ事が最高であるのは間違いないが、そうでなくとも、例えば、戦場外で、月のない晩に後ろからでも、充分許容できる。そこまで来ている。目の上のたんこぶ。どんな手段を使っても、抹消したい存在。それが、ラファリアにとってのアールコートという少女なのだ。そして、ラファリアは権力を得た。そのままリーザスにアールコートが残っていれば、どうなったか。考えるまでもないだろう。
「アールコート様、食事の準備が出来ました」
(相変わらず、暗い娘。)
身も蓋もないウェンディの感想である。
前述のように、ウェンディにとって大事なのは、自分を折檻してくれるか否かであり、その才能は関係ないのだ。本当ならば、放っておきたいところであるが、これも仕事である。割り切って、話しかける。
「……くすん。要らない」
布団の中から、くぐもった声が聞こえてくる。
「食べないと、お体に毒です」
「いいの。……くすん。どうせ、私なんて、生きていても仕方がないから。くすん……王様」
すっかり、後ろ向きな思考にはまりこんでいるようだ。そのうち、生まれてきてすみませんなどと、言い出すかも知れない。
ウェンディは、ため息を零す。
難儀なことだ。
そう考えながら、伝家の宝刀を抜くことにする。
最初は戸惑い、対処に困ったモノだが、流石に最近では慣れた。
「そんなことをおっしゃると、王様が悲しまれます」
「……え? 王様?」
布団の中で、動いたことが解った。
「王様が、戻ってきたの?」
むくりと体を起こすアールコート。
不摂生な生活のおかげで、髪の毛には艶が無く、肌の状態も悪い。目も泣きはらしている。折角の美少女も台無しである。
「いえ、王様はまだ、戻ってこられてはおりません」
「……くすん」
また、泣かれては敵わない。ウェンディは、慌て、しかしそれを伺わせずに素早く告げた。
「しかし、アールコート様を見捨てて、このまま戻ってこられない、そんなことは絶対にないはずです」
「……本当?」
「ええ」
ウェンディはきっぱりと答えた。
本当はどうだか解らないが、ここは、そう答えるべき場面である。
(ああ、私は今、嘘をついています。悪いメイドです。誰か、折檻して下さい。)
そんなことを内心で考えながら、ウェンディは更に続ける。
「ですから、王様の戻られたときのために、お食事はきちんととられませんと」
「……でも、あんまり食欲が」
「そんなことをおっしゃって、良いのですか?」
「え?」
「今のアールコート様は、非道い顔をしていらっしゃいます。そんな風では、王様がお戻りになられたとき、どうなることか」
「え?」
アールコートは絶望的な表情になった。
ランス王に捨てられる。それは、世界の破滅に等しい。
「……どうすればいいの?」
助けを求めるように、アールコートはウェンディを見つめる。その瞳には、恐怖からか、涙が浮かんでいる。
「まずは、きちんと食事をとられること。あと、運動不足も禁物ですね」
ここぞとばかり、ウェンディは、アールコートにきちんとした生活を送るように告げる。
「──そうすれば、きっと王様も」
「……くすん。がんばる」
アールコートは、しっかりと頷いた。
ウェンディは、僅かにほっとする。
どれだけ保つか解らないが、これでしばらくは大丈夫だろう。
本当に、難儀なことである。
「それでは、食事はこちらにおいておきます。食欲が無くても、食べるようにして下さいね」
ウェンディはそう、言い捨てて、アールコートの部屋を辞した。
取りあえず、こちらは大丈夫。
しかし、まだ仕事は終わりでないのだ。
ウェンディは、そっとため息を零した。
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