7,織田 香の羨望


 長崎城の奥の間。
 外界から遠く隔てられたはずのこの部屋にも、戦の気配は忍び寄っている。雄叫びや唱名の声が唸りのように響きながら聞こえてくる。空気には焦げ臭い臭いと共に、血の臭気すら感じられるように思う。
 その部屋で、織田 香は友人である五十六の子供、二十一をあやしながら時を過ごしている。
 二十一は、リーザス軍の最重要人物である。リア王妃は身罷り、ランス王不在の今、リーザスを統べるに足る者は誰か。それが、この戦の原因である。むろん、子供に過ぎない二十一が直接統治をすることが出来るはずもない。しかし、民、そして官をまとめるための、求心力の中心としての象徴。そうした部分で、二十一に意味がある。希代の英雄ランス王の実子。遂にリア王妃がランス王の子を産むことはなく、また、同時にリーザス王家の血を引く人間が皆無──厳密には血を引いている人間は皆無ではないが、問題にならないほどに薄い──であるため、二十一が跡を継ぐことが自然の流れであると、リーザス軍の人間は考えている。
 むろん、正当リーザスの側の考えは異なる。正当リーザスの方では、リーザスの名門出であるラファリア・ムスカの懐妊したランス王の子供にこそ、その権利はあるはずだと主張している。家系を辿ってみれば、ラファリアはその、問題にならないほどに薄いとは言え、リーザス王家の血を引いている人間なのだ。
 こちら、リーザス軍の側は、それを否定する。今現在にこそ、求心力の中心となる者が必要だという意見が主体を占め、同時に、ラファリアの人間性への不安、中には、本当にそれがランス王の子供なのかという意見まである。
 正当リーザス側は、二十一はJAPANの統治者となることをランス王自らが決定し、リーザスの後継となることは無いと明言した点を主についてくる。
 どちらも自らの主張を譲らず、結果、リーザスは二つに割れて、凄惨な戦いを繰り広げている。
 そして、その戦いも終わりが見えてきていた。
 こちら側──香のいるリーザス軍の敗北という形で。


 長崎城は、堅城である。
 しかし、周囲を敵兵に埋め尽くされ、苛烈な攻撃にさらされ続けて、いつまでも保つモノでもない。彼我の戦力差を考えれば、良く保っているとすら言えるだろう。
 将兵が優秀であることもあるが、それ以上に、こちら側の一人たりとも生かして帰さないという敵側の態度が、場内にこもる兵士達を死兵とし、頑強な抵抗を続行させている。
 明らかに愚策。
 投降しても死あるのみ。そうなれば、戦うしかない。
 味方の被害を避けるためにも、敵兵に逃げ道を用意しておくことが戦の常道だが、此度の戦はいろいろな意味で常道には当てはまらない。
 いくら戦争──殺し合いとは言え、好んで死にたがる者はいないだろう。だが、この戦争は、その死にたがりで溢れんばかりだ。
 AL教団信徒兵。
 邪教徒を倒した者、邪教徒と戦って倒れた者には、死後の栄光と幸福が約束される。
 宗教指導者にそのように先導された正当リーザスの兵士達は、自らの死を度外視──あるいは望みながら、無謀な突撃を繰り返してくる。
 味方が死兵ならば、敵も死兵。血なまぐさい戦場が、さらに血の臭気を増す。凄惨な戦場が、さらに凄惨さを増す。
 その凄惨さに耐えきれず、精神を病んでしまった兵士も出ている。この世の地獄とも言えるような血の饗宴が、長崎城周りで行われている。


 この奥の間こそ、香と二十一、そして選ばれたごく僅かな身の回りの世話をする人間しかいない。
 しかし、長崎城のほとんどの部屋には、負傷者が溢れている。満足な治療もしてもらえず、痛みにうめき、嘆き──そうした声は、この部屋にも届いてくる。
 そして、さらに外へ視線を向ければ、敵兵と殺し合いをしている兵士達。
 そんな中で、この部屋は──この部屋だけは、非道く穏やかな時間が流れている。
 怒号や唱名が聞こえる。負傷兵のうめき声が聞こえる。煙や、血の臭気は感じられる。
 しかし、この部屋は、まるで別世界のように平和だ。
 むろん、薄皮一枚向こうに死の気配が満ちあふれ、その死の気配は次の瞬間にも現実の死となってこの部屋へなだれ込んでくるかも知れない。
 それは承知だ。
 しかし、この部屋では、現実に殺し合いを見ることはない。苦痛に呻くけが人を見ることはない。
 そのことに、香は非道くいたたまれない感情を抱いていた。
 二十一の世話。それが、重要なことであることはわかる。
 何より、二十一は最重要人物である。そして、一人では何も出来ないがんぜない子供。世話をする人間が必要であることもわかる。
 香が五十六の名指しでその役をすることになったのは、二人の関係から言ってもおかしな話ではない。何より、リア王妃暗殺は、誰もが忘れがたい記憶だ。隣の人間が、次の瞬間に暗殺者と化す。それは、深甚な恐怖をもたらす。五十六が、二十一の世話を率先して行い、お付きの者を厳選したのはある意味当然のことである。そして、自分が不在の時の世話役の筆頭に香を名指ししたのは、信用されているという証明だ。それは、喜ぶべき事であろう。
 だが、それでも香の気持ちは優れない。
 これでは、かつてと変わらないのではないか?
 香は、自らの無力に歯がみする。
 かつて──このJAPANを、香姫の父である織田信長が統治していた頃と。


 香の父、織田信長は残忍な人物として知られる。(魔人云々は一般に走られていない)
 己の楽しみの為にやっているのではないかと疑問に思われるほど、安易に、無益に人を殺してきた。人が嘆く様を喜び、足掻く姿をあざ笑った。
 香は、その父を止めることは出来なかった。
 今と同じように、城の奥深くで、何も出来ないままに過ごす。何不自由なく過ごす。
 残忍に殺された人のために嘆いた。悲しみに涙を流した。
 ──だが、そんなことは現実殺された人間に、何ら意味のない行為だった。
 香が泣こうが嘆こうが、死人は生き返らない。父、信長が止まることはない。
 自分は、無力である。そのことに罪の意識を感じていた。
 翻り、今の状況はどうか。
 やはり、自分は無力で無為な人間だった。
 すぐそばで、命がけで戦っている者がいる。
 なのに自分は、城の奥深くで守られて、無為に過ごしている。
 自分はなんら、成長していない。何も、変わっていない。
 香は、自らの戦う力がないことを、悲しく思った。自らの無力を、憎みさえしていた。


 奥の間の襖が開いた。
 香は、沈思していた顔をそちらに向ける。
 奥の間の入り口には、りりしく武装した山本五十六が立っていた。
「……五十六?」
 思わず、問いかける口調になったのは、ここのところ、五十六は自ら戦場に立つことなく、二十一の世話に力を注いできていたからだ。繰り返すが、リア王妃暗殺は、多くの者の心に巨大な不安を植え付けた。実子である二十一が最大級の暗殺対象であることを考えれば、五十六の態度は不思議ではなかったし、諸将もそれを許した。もし万が一、二十一が暗殺されるようなことになれば、リーザス軍は旗印を失い、戦わずして敗北することになるのだから。
 その五十六が、愛用の弓──疾風丸を手に、完全武装の出で立ちとなっている。その姿は、香がずいぶん久しぶりに見るモノだった。
 どうやら、小用かと思っていたが、その格好に着替えるために退席していたようだ。
 ぼんやりと納得しているうちに、五十六は大股で香の方に歩み寄ると、そばにしゃがみ込む。いや、香ではなく、二十一のそばに。
 香姫が腕に抱えていた二十一の顔を、母の顔で優しく見つめることしばし。
「香様」
 五十六が、静かに手を伸ばして二十一の頬をなでながら、香に声を掛けてくる。
 なでられた二十一は、きゃっきゃと無邪気に喜んでいる。やはり、母親はわかるものらしい。香にもなついているが、やはり母親は別格のようだ。
「香様、私は、これより出陣します」
「五十六?」
「今まで、わがままを言って二十一のそばに付かせて置いて頂きましたが、いつまでも好意に甘えているわけには行きません。元々、この戦いは私の戦いでもあったのですから」
 危険ではないのですか?
 と、問いかけて、香はその質問のばからしさに気が付いて口を閉ざす。
 危険で当たり前だ。事は戦争。殺し合いなのだから。安全な殺し合いなど、何処を探しても存在しないだろう。少なくとも香自身は、寡聞にして知らない。
 香は、最後にとびきりの笑顔を二十一に向けて立ち上がった五十六を見上げる。
 その姿に、状況の悪さをこれまで以上に知る。
 今の五十六の態度は、我が子に別れを告げているように見えたから。
「五十六……」
 何かを言わなくては。
 そんな義務感に背中を押され、香は口を開き、続ける言葉が見つからずにむなしく黙り込んでしまう。
 何を言えばいいと言うのか?
 この、無力な自分が。
「香様、心配は要りませんよ。無茶はしません。私には二十一がいますからね」
 五十六は、静かに笑って告げる。
 気負いもなく。却ってすがすがしいまでの笑顔で。
 その言葉が嘘だと言うことは、考えるまでもなくわかる。
 無茶をしないで済むような状況ではないのだ。
 これから、五十六は死地に赴く。
 なのに。
 どうして。
 そんな風に笑っていられるのだろうか?
「五十六……」
 香は、再び口を開いた。
 今度は、すんなりと続きが出てきた。
「あなたは、変わりましたね」
 香がわざわざ指摘するまでもなく、確かに五十六は変わった。
 母親になったから?、いや、その以前から。
 かつての五十六は、見るたびに痛々しさを感じさせた。
 元々、男社会のJAPANの中でもとびきりの男社会である戦いの中で生きてきた五十六。
 お家再興の願いを秘め、仇である香の父、信長に従って従軍を続けていた。屈従の日々。
 その戦いの中で、女であることを侮られまいとして無理をして、無茶をして、自らを厳しく律していた。半ば、女を捨てるようにして男言葉を使い、男のように振る舞っていた五十六。そこには間違いなく、無理があった。
 五十六がどのように振る舞おうとも、厳然として、五十六は女でしかなかった。それなのに、自らから女を遠ざけようとする様は、見ていて痛々しく感じた。五十六は顔立ちが整っていたため、そのことも他の男武将のからかいの種ともなり、整っている顔──本来、喜ぶべき事柄までコンプレックスの種となり。いくつものコンプレックスがさらなるコンプレックスを呼び、と、悪循環を繰り返し、ますます五十六を頑なにさせていた。
 結果、女性の持つ長所すらスポイルしてしまい、非道くぎすぎすし、棘ばかりが目立つようになってしまっていた。その棘が、周りの者を傷つけ遠ざけ、結局は翻って自分を突き刺し傷つけた。
 その五十六が、今は見違えるようだ。
 そのことが、こんな状況だが、香には我が事のように喜ばしかった。
「……ランス王のおかげです」
 唐突な香の言葉だったが、五十六に正確に伝わったようだ。
 僅かに照れたように、はにかむような笑みを浮かべて、五十六が答える。
 その様は何処までも自然体で、それだけに美しかった。
「ランス王は、私を山本家の跡取りとか武将とか、そう言ったことの一切合切を抜きにして、ただ山本五十六、私自身として見てくれましたから」
 五十六自身が口にしたように、たぶん、そう言うことなのだろう。
 五十六だけではなく、香自身もランスに救われている。
 瞳を、自らの左腕に落とす。
 香の左腕は、肩近くまで長手袋に覆われている。その下にあるのは、黒く変色した獣の腕。
 香の最大のコンプレックスの源。
 織田信長は、中途半端ながら、魔人だった。その血を引く香に現れたのが、異形の左腕。父の残忍な振る舞いと共に、その左腕は香を、自分が中途半端で、人ならざる存在であると責め立てた。
 ランス王のJAPAN占領で、父を討たれ、自らも大阪城の落城と共に炎の中に消えようとしたとき、香が感じていたのは恐怖ではなく、安堵であった。
 世界は、香にとって辛すぎるモノだった。
 香は、今のAL教団信徒兵を笑えない。あのときの香は、死に救いを求めた。死が、解放のように思われた。
 しかし、死は直前まで来て香から遠ざかった。
 ランス手ずから、香を──香のお着きの常葉を救い出したのだ。
 そのまま、当然の流れとして香はランスのハーレムに入る。
 敗者の娘がどうなるか。それを、香は信長の行為を通してよく知っていた。
 本来、恐怖を抱くべくそれを、香は従容として受け入れることにした。それが、これまで無力で無為だった自分に出来る、最大限の償いのような気がしていたから。
 逆に、香が恐怖を感じていたのは、陵辱を受けることではなく、自らの異形の左腕。
 化け物と罵られるだろうか?
 化け物と恐れられるだろうか?
 その恐怖。
 しかし、ランスは香のコンプレックスを軽く笑い飛ばした。
 例え左腕がどうであろうとも、香は香であると、肯定してくれたのだ。
 それが、スケベ心──可愛ければ何でも良い──から来たのであろう事は、ランスの態度を見ていれば簡単にわかる。わかるが、それで香が救われたことは確かだった。
 そしてもう一つ。これもまた、異形の血を引く故か、毎夜香を苦しめた悪夢──創造神ルドラサウム。そちらもまた、ランスによって鎮められ、深い眠りについた。これによって、香は心の安息を得た。
 返す返すも、ランスは香の恩人だった。
 様々なモノに囚われていた自分を解き放ってくれたランス。
 五十六や香だけではなく、他にもランスによって救われた人間──可愛い子限定のようだが──は数多いと聞く。
 香の知る限りでも、アールコート・マリウス、エレナ・フラワー、シャリエラ・アリウス等々。
 だが──
 今、ランスはいない。
 そのことが。
 たったそれだけのことが、世界に、様々な悲しみを与えた。
 アールコートを筆頭に、悲しみの中に沈み込んだ娘達。
 混乱と戦乱の中に陥った世界。
 たった一人の不在。
 確かに、ランスは巨大な存在だった。
 だが、いなくなって初めてわかる。
 皆が思っている以上に、ランスは巨大な存在だったのだ。
「では、香様」
 五十六が、未練を振り切るように二十一から手を離して立ち上がる。迷いのない、まっすぐに先を見据えた瞳。
 ランス不在の悲しみの中、早々と立ち直り、他の娘達を支えようとしたのは五十六だった。
 それは、五十六自身が悲しくないと言うわけではない。しかし、すべき事、しなくてはならないことを目を背けることなく見つめ、先に進もうとした。
「ランス王は、私が泣くのを嫌がりましたから」
 だから、笑うようにするんだ。
 なぜ、五十六はそのように強いのか?、との香の質問に、五十六はそのように答えた。
 香は、自らの不明、馬鹿な質問を恥じた。
 当たり前に、五十六だって悲しいのだ。しかし、悲しみに沈み込むことをランスが嫌がるから、五十六はまっすぐに立つのだ。
「五十六、あなたは本当に変わりましたね」
 香は、立ち去ろうとする五十六の背中に向けて、そっと呟く。
「……私も、あなたのように変われるでしょうか?」
 と。

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