#04 交渉、あるいは脅迫
「……そうか」
赤木リツコから、綾波レイによる初号機起動に失敗したとの報告を受けた冬月は、暗い声で応じた。
「仕方がない。パーソナルパターンを再びサードに変更して、待機していてくれたまえ」
受話機を下ろし、ゲンドウに向き直る。
「レイは、失敗したそうだ」
「……」
ゲンドウは、無言で応じた。僅かに歪められた口元が、その内心を示していた。
「これで、何としても、サードを確保しなければならなくなったな」
「……シンジめ」
噛み締めた、歯の間から無理矢理押し出すかのような声。
「文句があるのはわかる。しかし、サードには、ある程度の譲歩をする必要があるぞ」
「……問題ない」
ゲンドウは組んだ両手で隠した口元を歪め、吐き捨てるように呟く。
「わかっているのか、本当に」
冬月はもう一言付け加え、オペレーターの方を見る。
「サードチルドレンの捜索は、どうなっている?」
「近隣のシェルターにはいないようです」
即座に、オペレーター日向が答える。
「街をうろついているのか? この状況で?」
使徒は、既に第三新東京市に入ろうとしている。
国連軍による攻撃は、既に停止されている。攻撃されて反撃する。使徒の行動パターンは、これまでの所、こういう形になっている。攻撃されていない使徒は、わざわざ、破壊工作をしていない。
とは言え、異形で、巨大な生物がうろついている。
その足下を出歩ける神経の持ち主は、そうそう存在するとは思えない。
「いえ、第三新東京市の動体センサー、今のところ、何も捉えていません」
「それでは、どこにいるというのだ?」
冬月が、疑問を口にする。
ちょうど、その瞬間に、ゲンドウの脇の電話が鳴った。最重要の連絡をする際に用いられる電話である。通常であれば、何時までも反撃をしないネルフに業を煮やし、国連軍が苦言を呈してきた。そう考えるところである。
しかし、ゲンドウはある種の予感を感じつつ、その電話を取った。
「……私だ」
「やあ、父さん」
ゲンドウの予感は、的中した。
電話の相手は、シンジだった。どのようにして、この回線を使用しているのか、その疑問はひとまず棚上げして、ゲンドウは尋ねた。
「シンジ、貴様、どこにいる」
冬月の苦言をあっさり忘れ、その声は高圧的だった。
「あれ? まだ、余裕があるの? 僕を使わないで済む方法、結局、駄目だったんでしょ?」
「──! 貴様、何を知っている」
ゲンドウは、怒鳴りつけるように尋ねた。
「さあね」
しかし、そのゲンドウの態度を馬鹿にするような、軽い声でシンジが応じる。
「そのあたり、宿題にしようか?」
「巫山戯るな!」
今度は、まさしく怒鳴りつけていた。
「待て、碇!」
ゲンドウの調子に、慌てて冬月が口を挟み、宥め始める。
「俺が言ったことを、理解していないのか? ここは、冷静に交渉をする場面だ」
「……」
ゲンドウは、睨み付けるような視線で冬月を見る。
他の者ならば、慌てて自説を引っ込めかねないような物騒な視線。しかし、つきあいが長いだけあって、冬月はその視線を真っ向から受け止めた。
先に視線を逸らしたのは、ゲンドウだった。
ゆっくりと、静かに呼吸を整える。それから、口を開いた。
「シンジ」
「何、父さん?」
「お前の要求通り、同行者にもネルフ本部に立ち入ることが可能なパスを発行しよう」
「ようやく、物わかりが良くなってきたみたいだね」
受話機の向こうで、微かに笑う気配。
ゲンドウは、こめかみに血管を浮かばせる。笑うのはいい。ゲンドウは、周囲の者を無能としてあざ笑ってきた。しかし、自分が嗤われるのは、我慢が出来ない。
「碇!」
その変化を敏感に気付いた冬月が警告する。
「でもね、父さん」
しかし、受話機の向こうのシンジは、ゲンドウの機嫌などには、一片の考慮も払っていないらしい。軽い調子のまま、続ける。
「待たされた分の償いを、して貰いたいなあ」
「……なんだ?」
今度は、受話機を力一杯握りしめるだけで、耐える。繰り返された冬月の警告は、無駄ではなかった。
「まあ、細かい交渉は、顔をあわせてからにしよう。そっちも、僕にして貰いたいことがあるんでしょ? そのあたりの事も交えつつ、ね」
「……よかろう」
発見さえすれば、後は保安部に無理矢理拘束させればいい。今回は、先刻よりも大人数を動員する。そうすれば、シンジにいかに腕に覚えがあろうとも、対抗できないはずだ。
「発見さえすれば、保安部を使って無理矢理言うことを聞かせることが出来る、なんて、考えてない?」
そのゲンドウの思いを、シンジは正確に読んでいたようだ。笑うような声で口にする。
「……」
「沈黙は、肯定、かな? まあ、良いけど。悪巧みは、父さんの十八番みたいだしね」
「何でもいい。早く、場所を知らせろ。迎えをやる」
「必要ないよ。EVA初号機、ケイジ。そこで待ち合わせをしよう」
「何だと?」
シンジのさらりと口にした場所、ゲンドウは驚愕する。
「時間がないんでしょ? さあ、父さんも急いで移動してよ。待っているからね」
ぶつん、と会話をうち切られ、受話機が沈黙する。
ゲンドウは、握りしめた受話機を、妻の仇みたいにして睨み付ける。
「どう言うことだ? サードは、もうネルフ内に入っているのか? いったい、どうやって?」
会話を漏れ聞いていた冬月が、信じられないと声を出す。シンジは、パスを持っている。だから、ネルフ内には入れるだろう。しかし、案内もされずに初号機ケイジにたどり着く、と言うことが不審である。
「わからん。ケイジの赤木博士につなげ」
ゲンドウの命令よりも早く、日向が報告をしてきた。
「赤木博士からです。サードチルドレン、他一名を、ケイジにて発見したそうです」
日向も、信じられない、と言う顔、声をしている。
しかし、同時に納得もしていた。ネルフ内は、ある意味、サードチルドレン捜索の盲点であった。保安部員を初めとして、皆、ネルフの外を探していたのだから、内部に向けられている目は少ない。
もっとも、ネルフ施設内には様々な監視の目があり、それをどうやって欺いたのかという疑問も残る。
同時に、サード他一名、つまり、IDカードを持つシンジ以外にもう一人、部外者が入ってきている。そんなことができるのであれば、わざわざ同行者のIDを求める意味が失われる。
「……」
ゲンドウ、冬月は無言で顔を見合わせた。
「碇、お前の息子は、いったい何者だ?」
冬月が、疑問を口にする。
勿論、冬月は、シンジが、どのような環境で、どのように育ってきたかの詳しい調査報告を手にしている。しかし、そう尋ねずにはいられなかった。
そして、ゲンドウも、冬月の問いに対する答えを持ち合わせてはいなかった。
レイによる初号機起動失敗を発令所に報告した赤木リツコは、脇から聞こえてきた声に首を傾げた。
「これが、エヴァンゲリオン初号機ですか? 何というか、非常に悪人顔ですねえ」
のんびりとした少女の声。今まで、ネルフ施設内では聞いたことのない声である。
無論、いかにリツコとて、ネルフ職員の声を全て把握しているわけではない。しかし、この声はどこか場違いにのどかで、おまけに若すぎた。
「母さんも、正直、趣味は良く無いなあ。──まあ、男の趣味から、そのあたりは簡単に想像が付くけど
ね」
更に、聞き覚えのない少年の声が、少女の言葉に応じている。
「でも、シンちゃんは、あのお父さんの血を引いているんですよねえ」
「……」
「あれ? 黙っちゃって、どうかしましたか?」
「……ユウキ、結構、意地が悪いね」
「シンちゃんほどじゃ、無いですけどね」
にひひと笑う。
やりこめられた少年の方は、小さくため息を零す。
「あ、あなた、サードチルドレン?」
リツコは、その少年を見て、叫ぶように口にした。
資料は見ている。添付された写真があったため、その容姿は覚えている。間違いようがない。
少年は、サードチルドレン、碇シンジだった。
「どうやって、ここまで入ってきたの?」
理解できないと言う、リツコの叫び。
それに対して少年は答えず、不機嫌な声、不機嫌な視線でリツコを見た。
「……何というか、非道く失礼だと思いますけど。初対面の人間に向かって、いきなり記号で呼ばわる。そうは思いませんか? 赤木博士」
「……ご、ごめんなさい。非道く、驚いたものだから」
リツコは、慌てて謝罪した。
シンジの機嫌を損ねるのは、この先、そのサードチルドレンを引き受けさせるる為に、非常によろしく無いという、理性的な判断。そして、こちらは感情的、感覚的な物だが、シンジの表情を見て、機嫌を損ねるのは危険である、と反射的に悟ったためだ。
「まあ、良いですけどね」
あっさりと、シンジが首を振って、仕方がない、と言う顔をする。
「ネルフが失礼な組織だと言うことは、父さんからの手紙で、重々承知していますから。トップの傾向は、部下に伝わる。そう言うもんですし」
「あの「来い、ゲンドウ」って手紙のことですか?」
「うん。10年放っておいた息子に宛てた手紙としては、最低最悪の部類にはいると思うよ」
「そうですねえ」
シンジと、ユウキが頷いている。
「まあ、色々言いたいこともありますが、それは後で。今は、先にすることもありますし、技術部主任の赤木博士とは、これから、いくらでも話す機会はありそうですしね」
シンジは、リツコにそう告げると、冷却水の中に肩まで浸かったEVA初号機の顔の向こうにある、ブリフノーボックスの方を見上げた。
「やあ、父さん、久しぶりだね」
シンジは、気楽な声で挨拶をした。
何時の間に登場したのか、ブリフノーボックスの分厚い強化ガラスの向こうに、ゲンドウが仁王立ちしていた。
それから、シンジは呆れたように、周囲を見回した。
「一寸、この歓迎は大袈裟に過ぎるような気がするけど」
時を同じくして、初号機ケイジは大勢の黒服がなだれ込んできていた。
EVAの顔の前に渡されたアンビリカルブリッジ、両側の入り口に、シンジの言葉通り、大袈裟とまで言える人数が並ぶ。
「……」
ゲンドウは、無言でシンジを見下ろしていた。
その視線には、久方ぶりの親子の対面、等という暖かみはない。赤の他人、それどころか、無価値な虫けらを見下ろすかのような、冷めた視線。実の親に、そのような視線を向けられれば、子供は心に傷を負いかねない。そう言う視線だった。
しかし、暖かみがないのは、シンジの方も同様だった。
「まあ、良いけどね」
のんびりと、シンジが呟く。
そして、その次の瞬間、シンジは激しく動いていた。
保安部員達が、虚をつかれた俊敏さ。
リツコも、当然虚をつかれ、反応できなかった。こちらは、元々技術職。体を使う保安部員達と比べ物にならないくらい、運動神経に難がある。
次の瞬間、リツコはアンビリカルブリッジと接吻していた。
俯せに倒れ、打ち付けた額。瞼の裏に星が舞う。
そのリツコの背中に何か──シンジの膝が乗せられる。
「動くな!」
鋭く、シンジが一喝する。
動き出そうとした黒服達は、その声と、シンジの右手に握られた物を見て、動きを止める。
「あなた──」
一言、文句を、と口と同時に目を開いたリツコは、顔の前に銀色に輝く物を発見して、顔を引きつらせる。
ぱくぱくと、声を失った唇が、むなしく動く。
リツコの鼻先には、ナイフ──否、ドスと呼ぶ方が正確だろう──が突きつけられていた。
酸欠金魚のようにむなしく口を開閉させた後、何とか言葉を絞り出す。
「どういうつもり?」
「僕は、話し合いをするつもりでここに来ました。しかし、あちらはそのつもりはなさそうですので、赤木博士には、僕とユウキの身の安全を保障するための人質になって貰います」
シンジは、けろりとした口調で告げた。現在の状況、自分のしていることに、欠片も疑問を感じていない、あっさりとした態度だった。
「そ、そんなことをして、ただで済むとでも、思っているの?」
「済みますよ」
シンジは、矢張りけろりと応じる。
「無理ね」
「可能ですよ」
リツコの反論も、気にしたふうでもない。
「赤木博士の重要さは、きちんと理解していますから。他の者では、まず代わりがつとまらない重要な場所に、赤木博士はいる。改めて、技術部ナンバー2の……ええと、伊吹マヤさんですか? 彼女をこまして利用しようにも、赤木博士との能力差は明らかです。とても、代わりはつとまらない。それ以外、父さんが利用できそうな人材は、見あたりませんからね。──さて。父さん、どうしますか?」
シンジのこの言葉は、周囲の者にも聞こえるように行われた。
憎々しげに、シンジを睨み付けるゲンドウ。
各国政府の高官ですら、その視線には怯むと言われるゲンドウの睨み。しかし、シンジはまるで気にしていなかった。
それは、ただの強がりや、ポーカーフェイスではない。まさしく、そよ風程度にも感じていない。それは、誰の目にも明白だった。
「と、言うわけで、まずは、黒服さん達は下がって下さい」
ユウキが、手を叩きながら言う。まるで、保母さんが園児達にお願いするような口調だった。迫力のないこと、甚だしい。
黒服達は、顔を見合わせる。
自分たちでは判断できかねる、とばかりに、ゲンドウを見上げる。
どうしようもないほどの経験不足。それが、ネルフの保安部員には存在していた。若い組織である。熟練の、といえるほどの人材が未だ、育っていないのだ。訓練はしている。設備、装備も充実している。しかし、実際の場に立つ数が致命的に足りない。しかし、彼らにはまだ、余裕があった。シンジの行動は、脅し、それ以上ではないと判断している。ただのポーズに過ぎない。実際には、人質をどうこうできるわけがないと、気楽に構えている。何よりも、彼らは、ゲート前でのされた黒服達と同様、シンジについて何も知らされていなかった。
その中でリツコだけが、身の危険を感じていた。
別段、殺気を感じたとかではない。リツコはシンジの経歴を知っている。それ故の判断だった。
シンジは、必要と感じれば、躊躇無く、行動するだろう。実のない脅しではあり得ない。
鼻先のドスの輝きが眩しい。
体が震え出すのを、我慢できない。
そして、それ以上の行動は、まるで出来そうになかった。
ゲンドウは、シンジを睨み付けていた。
この男も、まるで理解していなかった。シンジの経歴は、勿論知っている。しかし、所詮は子供、と侮っていたのだ。
「子供の我が儘につき合っている暇はない。拘束しろ」
命令は、下された。
「あらあら」
ユウキが、困ったように呟いた。
ゆっくりと、それでも慎重に包囲を縮める黒服達。
「やれやれ」
シンジが、呆れた顔をする。
「僕の経歴、当然調べているだろうに、全然理解していないの?」
「どうしましょうか?」
ユウキが、シンジに問う。
シンジは、小さく頷いて見せた。それだけで、意味は通じたようだ。
「ふう。本当は、荒事は、嫌いなんですけど」
ユウキが、ため息を零す。
「そうも、言ってられないでしょ」
「は〜い。わかりました」
ユウキは答え、スカートの裾をまくり上げた。
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