#05 少年の事情


 ユウキが、長い、ゆったりとしたスカートをまくり上げる。
 露わになる生足。
 黒服達の視線は、そこに集中した。男の、悲しい性とでも言うべきか。
 そこに、油断があったことは否定できない。
 先刻、10人の黒服達がのされている。その報告は、ケイジに来た黒服達にも知らされている。しかし、それは何かの不幸な出来事が介在したためであろうという楽観があった。何しろ、目の前の少年少女は、さほど強そうには見えない。少なくとも、普段から鍛えている自分たちに抗す術はない。そのあたりの思考の流れは、先刻のされた黒服と、全く同じであった。
 今回は更に人数が多いと言うことも、黒服達の油断に繋がっていた。
 また、ユウキは充分以上に美少女である。それも、生足などを晒して歩くタイプではない。おっとりとした清楚な雰囲気がある。そのお嬢様とも思えるような美少女が、いきなりスカートをまくり上げる。ギャップが、黒服達の興味を高めていた。
 細くて白い長い足、太股までが黒服達の視線に晒される。
 ごくりと、唾を飲み込んだ者もいた。いい大人が、馬鹿らしい限りではあるが。
 後少しで、太股どころか、その付け根を包む、小さな布きれまで見える。その寸前──
 黒服達は、奇妙な物を見つけていた。
 ユウキの白い足、その太股の付け根付近に、何か黒いモノがひっついていた。
 一瞬の思考停止。
 それを視覚に捉えても、黒服達は即座にその正体を認識できなかった。
 あって良いはずのない物、それは──
「よいしょ、っと」
 気の抜けるようなユウキのかけ声。しかし、その動作は素早かった。
 スカートが落ちる。
 再び隠される、ユウキの両足。
 僅かな落胆。そして、黒服達が我に返ったとき、自分に向けられた物に気が付き、顔色を変える。
 ユウキは、両手に拳銃を握り、黒服達に向けていた。
 拳銃。何故、この少女が持っているのか。
 黒服達はようやく理解する。少女の太股にくっついていた黒いモノは、この拳銃と、それを納めるホルスターだったのだと。
 しかし、疑問は残る。未だ、日本は個人の銃携帯が許されているわけではない。なのに、この暴力とは無縁と見える少女が、何故、銃を手にしているのか? 黒服達は思考停止に陥りかける。
「動かないで下さい」
 少女が警告する。
 その声に、反射的に懐に手を突っ込んだ者がいた。
 銃声。
 その男は、左脇に装着したホルスターに手を伸ばしかけた格好で固まる。
 かたん、と音を立てて、その男の足下に、ホルスターに納められたままの拳銃が落ちた。体に止めていたベルトの部分を打ち抜かれたと気が付くより早く、黒服達は、動きを止めた。
 ユウキの構えているのは、玩具や冗談ではなく、本物の銃である。そして、その腕前が、侮れるような物ではないと理解する。
 ユウキが背中を向けている側の黒服達も、動くことが出来なかった。
 こちらは、シンジが視線だけで牽制していた。
 シンジの右腕は、リツコの首筋、頸動脈の上にドスを添えている。それだけだった。しかし、シンジの発散する雰囲気に、男達は呑まれていた。
 先刻までは感じなかった、背筋がちりちりするような居心地の悪さを、黒服達は味わっていた。
「全員、頭の上で手を組んで、後ろを向いて膝をついて下さい」
 シンジが、黒服達に次の行動を示す。
 しかし、チャレンジャーがいた。
 銃声。
 懐から銃を抜こうとした男の一人が、悲鳴を上げる。
「ええと、私は、暴力は好きではありません。ありませんが、必要とあれば、容赦はしませんよ」
 その黒服は、崩れるように膝をつく。
 ユウキの射撃は、正確過ぎるほど、正確だった。蹲った黒服の親指は、付け根から吹き飛ばされている。
「これは、最後の警告です。次は、額の真ん中を狙います」
「あ、あなた達は、自分が何をしているか、わかっているの?」
 リツコが、震えながらも、何とか声を出す。既に理解していた。人質にされた自分。黒服達が、本格的にシンジをどうこうしようとすれば、真っ先に自分の首筋に添えられたドスが動くだろうと。ドスの輝きが、視界に映る。恐ろしい。しかし、リツコの感じている恐ろしさは、ドスの物ではなく、そのドスを握った少年の恐ろしさだと。
「赤木博士こそ、いつまで、呑気なことを言っているんですか? あなたくらいの立場になれば、使い捨ての黒服さん達と違って、僕がどういう環境で育ったか、どんな経歴を持っているか、当然承知しているでしょう?」
 リツコは、カクカクとぎこちない動きで首を動かして、頷いた。全身を、冷たい汗が濡らしている。
「わかっているみたいですね。そう、僕たちは、必要とあれば、躊躇いません」
「私は、平和主義者ですから、躊躇いますけど」
 ユウキが、自分はシンジと違うと主張するが、誰も頷かなかった。その言葉を納得できなかった。
 特に、指を吹っ飛ばされた者は、納得できるわけがない。周りの者は牽制されて動けないため、ただ一人、痛みと、指を失ったショックに耐えながら、傷口を押さえて蹲っている。
「さて、父さん」
 シンジは、完全に威圧されている黒服達から、視線をゲンドウに移した。
「……な、何だ」
 ゲンドウは、僅かにどもり、しかし、精一杯に胸を反らして応じる。
 ゲンドウは、EVAの一撃にすら耐える、分厚い強化ガラスの向こうにいる。しかし、冷たい汗をかくことを耐えられなかった。
 昔は、自分も荒事に関わっていた。しかし、それは所詮子供の喧嘩に過ぎなかった。それを、理解する。そして、最近では、そうした世界から離れて久しい。デスクワーク、相談、要請、会議という名の恫喝と脅迫。しかし、直接的な暴力に晒される事は、ずいぶん久しぶりな事だった。ゲンドウにとって、人が死ぬ、傷つくというのは、大したことではなかった。ゲンドウの命令で、この世から退場させられた人間は、かなりの数に上る。今さら、人の死など、あわてふためく必要など無いこと、そのはずだった。しかし、それは書類の上、報告の上だけのモノであったことを理解した。だからこそ、無関心、無感動でいられたのだと。
 目の前の二人、シンジとユウキは、現実に、そうした暴力の世界に身を置いている。それを、激しく理解させられていた。
「取りあえず、この黒服さん達を引っ込めてくれる? 僕らがするのは、交渉のはずだよ。銃を突きつけたままの恫喝がお気に召す、と父さんが言うならば、その限りではないけど」
「ふん、貴様は、たった2人でネルフを押さえることが出来ると思うのか?」
 ゲンドウは、あえて高圧的な態度をとった。
 本質は臆病者であるゲンドウにとって、相手に弱みを見せることは許容できることではない。幸い、自分は安全地帯にいる。そう、少なくとも、自分の身は安全だった。ならば、暴力に暴力を持って報いる。その課程で、何人倒れようが、それが自分以外であれば、一向に構わない。また、シンジの行動の幾分かは、ブラフであると判断していた。リツコを殺されるようなことになれば、ゲンドウの計画は灰燼に化す。それは、シンジの指摘通りである。技術部主任の地位は、技術部ナンバー2、伊吹マヤでは、とてもつとまらない。ゲンドウの計画を遂行するには、更に言わずもがな。しかし、シンジが口で何を言おうとも、リツコを殺すことはない。そう判断していた。
 シンジは、かなりのことを知っている。ゲンドウは、確信している。それ故に、リツコを殺すことは出来ないだろう。
 どこまで知っているのか?
 その上限はわからない。しかし、使徒、そしてEVAのことは認識しているはずだ。そうなれば、リツコを殺すことが、結局は自らの破滅に繋がることも理解しているはずだ。少なくとも、シンジは自殺志願者ではない。そう、判断する。
 いくらかは、楽観、そして、ゲンドウの願望混じりではある。しかし、ゲンドウはそのつもりで行動することにした。
「父さん」
 しかし、シンジの次の一言で、ゲンドウの考えの一番重要な部分が、突き崩される。
「自分が安全地帯にいると思ったら、大きな間違いだよ。たった2人じゃない。3人だよ。──後ろを見てみなよ」
「──!」
 ゲンドウは、弾かれたように背後を振り返る。
「ご理解いただけましたか? ……ひいふう」
 そして、かけられた声に凍り付いたように動きを止める。
 ブリフノーボックスには、自分しかいないはずだった。しかし、現実には、ゲンドウの後ろに、丸々と太った中年男が立っていた。
 中年男は、にこやかに笑ったような顔をしている。細い目は、笑いのカーブを描いている。しかし──
「神戸山王会、田茂地──」
 その男の名前を、ゲンドウは呆然と呟いた。
 調べさせた、シンジの経歴。そこに、幾たびか現れた男の名前。
「私のことをご存じのようですね。……ひいふう」
 田茂地は、頬を流れる汗をハンカチで拭いている。その態度は、どこかくたびれているようで、とても、脅威とは思えない。ゲンドウの方が体格が良く、とっくみあいになれば、負けはないように見える。だが──
「山王のゴミ処理係……」
「これは、懐かしい呼び名ですな。現在の私は、シンジおぼっちゃま付きの執事でございますよ。……ひいふう」
 田茂地が、にこやかなままの表情で否定する。
 しかし、だからといって、田茂地の恐ろしさが減じたわけではない。
 ゴミ処理係。それは、修学旅行などのゴミ係ではない。山王会に敵対する者──ゴミを、処理する。そうした事を繰り返してきた田茂地に与えられたあだ名。慈悲なく、躊躇無く、敵を抹殺してきた男の異名。
 今回の暴力沙汰は、書類の上だけのことではない。自分の身にも関わってくる。おそらく、それも真っ先に。
 理解すると同時に、恐怖を感じた。普段は書類の上、想像力さえ欠如させれば、それはただの事務仕事に過ぎない。だからこそ、どんなに冷酷な命令も下せる。生殺与奪を弄べる。しかし、自分の身が直接、危機に晒されるとなれば?
 ゲンドウは、恐怖と共に、苦悩も感じた。理不尽さも感じた。
 何故、こんな事になったのか。
 こう考える、ゲンドウこそ理不尽だった。元はと言えば、原因はゲンドウにこそ、求められる。ゲンドウが、シンジを捨てるように「先生」に預けたことが、今に至るきっかけを作っていたのだから。


 碇ユイのエヴァンゲリオン起動実験失敗、そして、その死亡から僅かに三週間。
 碇シンジの環境は激変した。
 父親、ゲンドウから捨てられるように、遠縁の親戚、ゲンドウの言うところの「先生」に預けられることになったのだ。
 これは、ゲンドウの計画の流れの中にある出来事。子が、親を求める。その思いこそ、ゲンドウの計画には重要なことだった。その為に、数ある預け親候補の中から、最低とも思える人選をした。下手に、その預け親に懐かれてしまったら、計画は破綻するのだから。
 「先生」に関して、ゲンドウの見る目は間違っていなかった。シンジを預かる目的は、あくまでゲンドウから送られてくる月々の養育費であり、それ以上ではなかった。シンジは、ただの金の成る木、金の卵を産むガチョウでしかなかった。大事な、大事な存在。しかし、決して、家族ではなかった。必要なモノは買い与える。しかし、子供にとって重要なモノ、「愛情」だけは一つも与えなかった。
 これだけでも、充分だった。しかし、ゲンドウはもう一押しを考えた。
 それは、碇ユイの死亡した実験内容を意図的に改変して、報道関係にリークすることだった。
 これは、諸刃の剣だった。自分の評判も、致命的なまでに悪くなるだろう。しかし、ゲンドウはもはや、人とのつきあいを諦めていた。元々、人付き合いの苦手な男である。その男が、唯一の理解者とも思える伴侶を得、そして、失った。既に、友情、信頼などは必要としていなかった。ゲンドウは、そんなあやふやなモノではなく、恐怖を持って、周囲を従える。友人、理解者などは必要ない。ただ、計画遂行のための駒のみが必要であり、それで充分だった。
 そして、リークはゲンドウの考えた通りの効果をもたらした。
 世の常として、犯罪者の家族もまた、犯罪者と同列に扱われる。この場合、シンジは事件に無関係である。どころか、母親を失い、被害者の立場であるはずだった。しかし、周りの者は、「妻殺しの男の子供」としてだけ、シンジを見た。
 セカンドインパクトを経た世界でも、いじめは当然存在する。自分とは違う者を排除する。弱者を虐げる。ストレス発散のための手法。その標的にシンジを選ぶのに、子供達には「正当な理由」が与えられたのだ。無論、正当であるはずがない。しかし、彼らの親は、ゲンドウを指して「犯罪者」と断定する。シンジは、その「犯罪者の子供」である。即ち、犯罪者と同列である。親の思いは、容易に子供に伝染する。あんな子と遊んではいけません。最初は、排斥。それが、いじめに発展するのは、自然な流れだった。親が言うのだから、間違いない。こいつは、悪人なのだ。稚拙な理論武装を済ませた子供達は、シンジをいじめることに躊躇いを感じなかった。
 子供時代の過酷な経験は、その人格形成に障害を与える場合が多い。このままシンジはゲンドウの狙い通り、計画に必要な資質、「欠けた自我」を持つように成長するはずだった。
 しかし、ある事件が起こり、事態はゲンドウの予想を超えて展開した。


 毎日、毎日繰り返されるいじめ。シンジは、過剰なストレスに晒されていた。
 少しずつ、シンジは追いつめられていった。
 そして、それが許容範囲を超えたとき、シンジは暴発した。
 切れたシンジは、クラスメート10数人をカッターナイフで切り裂き、病院送りにするという大事件を起こす。
 これにもっとも慌てたのは、「先生」の一家である。
 この場合、いじめていた者達は、被害者の立場を主張する。悪いのは誰か? 勿論、シンジだ。そして、更に皆は犠牲の羊を探す。ゲンドウの事件で、シンジをそうしたように。そして、今回は、シンジの育て親、保護者である「先生」の一家に責任を追及する。
 元々、金ずくでシンジを育てることを承諾した「先生」である。金は惜しい。しかし、周囲から向けられる視線。それに耐えきれなくなった。簡単に、シンジを放り出してこの件については終わりにしようとした。
 そして、シンジを誰が引き取るか、再び、その問題が持ち上がる。
 今回は、ゲンドウの流した「実験」に関する報道が問題となった。ゲンドウと親戚の間には、もはや修復不可能な亀裂が入っている。「妻殺しの男の子供」にプラスして、本人が傷害事件を起こしている。再び、同様の事件を起こすかも知れない。いくら、充分な金銭を貰えるとはいえ、新たな事件が起きた場合、自分たちの受ける被害も馬鹿にならない。メリットとデメリットの綱引き。脳内のそろばんの珠が弾かれ、結局、皆はデメリットが大きいと判断した。
 シンジの行く先は、どこにも存在しなくなった。どこかの施設の放り込む。そう判断が下されようとした。
 しかし、そこで一人の男が登場した。
 男の名前は碇ムテキ。シンジの母方、遠縁の親戚に当たる。
 こちらも、ゲンドウ同様に、親戚一同から敬遠されている人物だった。
 広域指定暴力団、神戸山王会、2代目。
 セカンドインパクト後の混乱期に大きく勢力を伸ばし、現在は東の天野に対して、西の山王と言われる、日本の裏社会の二大勢力、一方の雄、その会長であった。
 ムテキにしてみれば、シンジが切れて示した暴力性は、問題とならない。面白い素材かも知れない。そうした興味を、ムテキはシンジに抱いていた。
 そして、様々な折衝の末、臭いモノには蓋、暴力的な子供は、暴力の専門家の手に。そして、自分たちは無関係、忘れることにすると親戚一同の考えがまとまり、シンジは、ムテキの元に行くこととなる。
 そこで、シンジは英才教育を受けることとなる。そして意外に素養があったのか、頭角を現すのに、さほど、時間は必要ではなかった。


 そして、時は流れ──
 ゲンドウの計画、その最終局面が至る。
 シンジは、ゲンドウに招かれ、第三新東京市に至る。
 ゲンドウとは違う、彼自身の計画を、胸に秘めて。

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