#06 要求
その時、ネルフ、初号機ケイジを支配していたのは、シンジだった。
シンジは、ゆっくりと視線をケイジ内にいる人間の顔を舐めるように流した後、初号機の顔の向こう、ブリフノーボックスのゲンドウに固定する。
「さて、父さん」
ゆっくりと、聞き間違えのな様なはっきりとした口調で、シンジは告げた。
「僕は、暴力じゃなくて、話し合いで事態の解決を図りたいと考えているけど、父さんの考えはどうかな?」
この言葉に、顔を顰めた者も多い。
無法を、暴力を持ってこの場を支配しているのは、シンジの方である。
もっとも、ゲンドウの側も、暴力に訴えてシンジを拘束、自分の意に従わせようと試みていたのだから、五十歩百歩ではあるが。
しかし、実際に怪我人を出したのは、ゲンドウ、ネルフ側。シンジ、ユウキの方は、五体満足でぴんぴんしている。ネルフ側が被害者意識を感じたのも、ある意味仕方がないかも知れない。
「どうなさいますか? 碇司令官殿。……ひいふう」
緊張感のない口調で、ゲンドウの背後の田茂地が尋ねる。
田茂地は、武器となるようなモノは何も持っていない。しかし、ゲンドウは動けなかった。
ゲンドウは、下っ端使い捨ての保安部員とは違い、シンジについての情報を当然持っていた。しかし、所詮は子供と切り捨て、侮る気分があった。自分の息子であるという点も、ゲンドウに油断を与えていた。しかし、ここに至り、それでは済まないことをようやく実感していた。
そして、この田茂地についての情報も持ち合わせている。
何も知らずに街で出会えば、くたびれた太った中年男としか見えない田茂地。しかし、中身がそれで済まないことを知っている。それだけに、動けない。
「……」
沈黙するゲンドウ。
そこへ、スピーカーが使徒の状況を知らせてくる。
「目標、第三新東京市に侵入しました」
同時に、腹に響く震動が、ケイジを揺らす。
「どうやら、こちらに気が付いたみたいだね」
シンジの声は、のんびりとしていた。
時間的な余裕は少ない。それを承知の上での芝居なのか、本心からそうなのか、傍から伺うことはできない。これが、韜晦であるとしたら、冬月に匹敵する老獪さかも知れない。
更に、震動。
これまで、攻撃に対して反撃をするだけだった使徒が、積極的な攻撃を始めていた。
その攻撃は、ジオフロントの天井都市を固定するシステムのいくつかを損傷させた。支えを失い、ジオフロント地上に向けて、ビルが落下する。落下加速度をプラスしたビルが、ピラミッド型のネルフ本部棟の近くに落ちる。
これまでとは比べモノにならない震動が、ネルフを襲う。
揺れるケイジ。
幾人かは、震動に足をすくわれて床に転がる。
ゲンドウも転びかけ、目の前の硝子に手をつき、何とか体を支える。
映画などの活劇アクションであれば、この震動は、一発逆転のチャンスとなる場面である。しかし、そうはなり得ない。その震動の中で、シンジ、ユウキ、田茂地の三人は、何でもないことのように立っていた。三人が、三人とも、優れた運動神経その他の持ち主であることの証明をしていた。
だが、運動神経では、どうにもならないこともある。
震動は、ケイジの天井のライトを剥落させていた。
「ひっ」
悲鳴を上げたのは、リツコだった。
まるで、計ったようにそのライトは、シンジの上に落ちようとしていた。シンジの上、イコール、リツコの上でもある。ただでさえ、重量物。それが、落下加速度を加えている。当たれば、ただでは済まない。怪我で済めば恩の字だろう。
「シンちゃん、危ない!」
いつも呑気なしゃべり方をしているユウキの、切羽詰まった叫び。
しかし、シンジは動かない。平然とした顔で、自分の上に落ちるライトを見つめている。
体が竦んだ?
否、違った。
ライトは、横合いから差し出された巨大な手によって弾かれていた。
ケイジに拘束されていたエヴァンゲリオン初号機が、右腕の固定を無理矢理外し、シンジを守るように、手を翳したのだ。
「そ、そんな。パイロットもインターフェイスもなしに動いた? あり得ないわ。エントリープラグも挿入していないのに」
リツコは救われたと安堵の息を零すより先に、疑問を口にする。興味を引かれる事象に注意が集中する。骨の髄まで、科学者かも知れない。
「ふ〜ん、田茂地の調べたとおりだね」
一方、シンジは当然とばかりに小声で呟いていた。
思わず、その顔を見つめるリツコ。
「いくら、確認のためとは言え、あんまり危ないことはしないで下さい。見ているこちらの心臓が止まりそうになりました」
憤慨した様子のユウキが、口を挟んでくる。
「ご免、ご免。……でも、この程度で、どうにかなるような、柔な鍛え方はしていないし」
鍛え方で、どうにかなるような状況ではなかった。リツコはそう思ったが、沈黙を守る。
ユウキの方は、納得したのか、していないのか、少しだけ責めるような視線でシンジを最後に一睨みして、口を閉ざす。
「さて──」
シンジは、再びゲンドウの方に視線を向けた。
「どうする? 父さん?」
「……わかった」
ようやく、ゲンドウが頷く。
それを見て、シンジがにっこりと笑う。
「それは、話し合いで事態の解決を図る、と言う意味だよね」
シンジは、ユウキに目配せをする。
ユウキが、銃を下ろす。
それを確認して、黒服達が全身を弛緩させる。銃を向けられる。かなり、ストレスをため込んでいたらしい。
「それじゃあ、父さん。まずは、ここに降りてきてくれる?」
シンジが、自分の立っている場所を示して、告げる。
「交渉事って言うのは、対等な立ち位置でするのが、正しいやり方だと思うからね。──何より、そうやって偉そうな態度で見下ろされているのは、むかつくし」
リツコには、どちらかと言えば、後者の理由の方が大きいように思えた。
「……」
ゲンドウが、沈黙する。
そのゲンドウに、にやりとした笑いを、シンジが向ける。
親子だ。
そう思ってしまう、リツコである。
「僕と、正面から向き合うのが怖いの? 逃げちゃ駄目だよ。父さん」
揶揄するようなシンジの言葉。更に告げる。
「……自分で、歩けないと言うならば、田茂地に連れてこさせるけど? 自分の足でやってくるのと、強制的に連れてこられるのと、どちらが好みかな。──父さんは、組織の長でしょ。あまり、みっともないところを見せない方がいいと思うけど」
「……わかった」
結局の所、シンジの言うとおりにするしかない。サングラス越しに、憎悪の視線を向けながら、ゲンドウは頷いていた。
シンジとゲンドウは、冷却水の上、EVAの顔の前に渡されたブリッジで向かい合って立つ。
リツコはようやく解放され、ゲンドウの後、半ばその背中に隠れるようにして立っている。黒服達は、纏めて退場させられている。
「さて──」
まず、口を開いたのはシンジだった。
「父さんは、僕に何をさせたいのかな?」
この問いかけに、リツコは顔を顰めた。
これまでのやりとりから、判断できる。シンジは、それを既に知っていることを。わざわざ、ぬけぬけと尋ねてくる。全く、顔に似合わずふてぶてしい。
ゲンドウも、不機嫌な表情になる。もっとも、いつも不機嫌そうに見えるゲンドウであるが。
「何が、目的だ」
そのような茶番劇につき合うつもりはない。ゲンドウは、いきなり結論を求めた。
「話が早くて助かるよ。流石、父さん。伊達に、組織のトップはやっていない、ってことかな?」
「くだらん話はいい」
「そう、それじゃあ、手短に」
ゲンドウの返答に気分を害したふうでもなく、シンジは気楽な調子のままで続ける。
「正直、僕は父さんが何を望み、何をしようとしているのか? それに興味はないよ。僕は、僕の道を行く。そう言うことで」
「だから、何が目的だ?」
「父さんは、僕にEVAに乗って欲しい。僕は、それに代償を求める。──で、その代償についてだけどね」
シンジは、一旦話を切る。それから、再び口を開いた。
「僕は、ここ、第三新東京市に、僕の組を興すつもりでいる」
ゲンドウは、シンジの言葉を咀嚼するように、脳味噌の中で転がした。その意味が理解できると、大きく目を剥いた。
「く、組だと?」
尋ね返す言葉が、僅かにどもる。
「あれ? そのあたり、調べが付いていなかったの? 情報収集からねつ造にかけて、かなりの手腕の持ち主だって聞かされていたけど……買いかぶりすぎたかな?」
シンジは、首を傾げた。
「父さん、僕が神戸山王会で育てられたこと、ここまでは良いよね」
「……」
沈黙を持って、肯定とするゲンドウ。
「西の山王、東の天野。これが、大雑把なこの国の勢力図。そして、この第三新東京市は、関東天野連合の支配下にある。その系列組織、箱根・風間組のシマになっている。──で、僕の立場。僕は、ここ、第三新東京市に、山王会系の組を一つ、興さなくちゃならないんだ。……僕をかばってくれた、前会長のムテキおじさんが引退して、まあ、いろいろと軋轢があってね」
「……」
「兵隊も与えられず、敵対組織の縄張りで組を興せ。流石に、僕も困ってしまう、と言うわけ。──で、父さんに相談なんだけど、兵隊を何人か、貸してくれないかな。勿論、武器弾薬付きで」
それが、シンジの要求だった。
ゲンドウは、拍子抜けしていた。呆れた、と言ってもいい。
人類補完計画。
ゲンドウらの目的である。シンジは、かなり事情を知っている。だから、それに関連して、何らかの要求をされると考えていた。しかし、シンジの要求は、まるで関係のないことだった。取るに足らない、と言い変えてもいい。無論、国連所属の組織が、やくざもの同士の抗争に兵隊を貸す。こんな、馬鹿らしいことはない。しかし、その程度で済めば、安いモノでもある。
しかし、ゲンドウは即断を避ける。このあたりの用心深さ、もしくは臆病さがあった故に、ゲンドウは今まで生き延び、ここまでの地位に上り詰めたのだ。その性質を容易に変えることは出来ないし、変える必要も感じていない。
「そうしたら、僕はEVAに乗ってあげるよ。まあ、無責任なアルバイト、そんな立場でならね」
「アルバイト、だと?」
「そうだよ」
聞き返したゲンドウに、当たり前、と言う口調でシンジが答える。
「僕の本業は、知っての通りだから。EVAに乗るのは、取引の材料であって、主となるモノじゃない。僕は、僕の都合を優先する、そう言うこと。父さんは、父さんの仕事のために、僕を利用する。僕は、僕の仕事のために、父さんを──ネルフを利用する。見事なギブ・アンド・テイクの関係でしょ」
「使徒を倒さないと、人類滅亡の危機なのよ。それを、無責任なアルバイトですって?」
溜まらず、リツコが口を挟んだ。
しかし、シンジに冷めた目を向けられ、気圧されて口を閉ざす。
「それは、そっちの責任でしょ。ネルフは、人類滅亡回避、使徒退治のために、馬鹿みたいな金額を国連からせびっているんだから。はっきり言って、今の言葉は無責任を通り越して、犯罪的ですらあるよ」
「チルドレンは、三人しか見つかっていない。あなたに協力して貰うしかないのよ」
リツコの言葉に、更にシンジは冷めた視線を向ける。
「僕が、自分が選ばれた人間だ、なんて感動するとでも? 冗談は止めてよね。僕が気に入らなければ、そこいらから素質のありそうな親子を連れて来るだけの話でしょ。親の方をEVAに喰わせれば、あらあら不思議。4人目の誕生」
「……」
その言葉に、ゲンドウ、リツコは口を閉ざす。
シンジは、EVAの操縦法──シンクロシステムの意味を知っている。それを、広言して見せたのだ。
「どころか、もう、一クラス分、パイロット候補を用意してあるんでしょ。──父さんのシナリオ──下らない茶番劇に、わざわざつき合ってあげるんだから、それくらいの報酬はあってもいいと思うけど」
「……よかろう」
しばしの沈黙の後、ゲンドウは頷いた。
ゲンドウの計画にとって、シンジは絶対に必要だった。重要な、キーパーソン。しかし、最後まで必要かと尋ねられれば、否である。あくまで、切欠、引き金を引く役目だけは、代わりがいない。──が、逆に言えば、それ以後は、代わりはいくらでもきく。それまで、辛抱して使えばいい。そして、それ以後は。
「契約、成立と考えても良いかな?」
シンジは、気楽な口調で答えた。
その様は、ゲンドウの内心を理解して無いように見える。しかし、素直にそう考えるのは、危険である。ゲンドウは、そう判断する。
「それじゃあ、先刻言った兵隊の話。……取りあえず、10人ほど……そうだ、僕らがゲート前でのした10人。彼らを、貰おうか。勿論、武器一式も付けて。サードチルドレン専属ガードとでも名目を付ければ、それくらいは十分可能だよね」
「……よかろう」
「後は、ユウキと──ああ、彼女、加賀ユウキ。──そのユウキと、田茂地の分のネルフ本部入場パスもくれるかな? 戦闘中は、指揮所──発令所だっけ?──に、いる権利も付けてね」
「それは、本当に必要なの?」
リツコが、疑問を口にする。シンジ、ユウキ、田茂地の三人は、パスを使用しないで、重要施設であるEVAのケイジまで来ている。どうすれば、それが可能だったのか、そのあたりの疑問を解決しておきたい。そう言う質問。
「毎回、勝手に来るんでは、手間がかかりすぎるんですよ」
「どういう手間? 出来れば、教えて欲しいわね」
「ネルフは、機械に頼り過ぎなんですよ。それを欺けば、簡単」
「マギをハッキングしたというの?」
ネルフのセキュリティーは、世界最高峰を自負するバイオコンピューター、マギによって管理されている。それを欺いた。信じられない。
特に、リツコにとっては、マギは母親の遺品であり、自分が完成させ、今まで育て上げてきている。容易に認められることではない。
「僕らが、ここにいるのがその証明。科学者なら、事実を事実と認めて下さい」
「そ、そんな」
それでも、リツコは認められない、とばかりに戦いた。
「さて──それでは、赤木博士。説明をお願いできますか?」
「……?」
「EVAの操縦ですよ」
「本当に必要なの?」
疑惑の視線を、シンジに向ける。説明など、必要ないのではないか。
「僕だって、全てを理解しているわけじゃないですからね」
シンジは、言って天井を見上げた。
揺れは、断続的に続いている。地上では、使徒が暴れ続けている。
「時間が押していること、理解しているんでしょ」
「わかったわ」
リツコが頷く。
「それじゃあ、ユウキと田茂地は、発令所の方へ」
「了解しました」
ユウキが、敬礼のまねごとをしてみせる。その格好は、まねごと以上の物ではなかった。
それから、うって代わってまじめな顔になり、付け足す。
「シンちゃん、気を付けてね」
「シンジおぼっちゃま、お気をつけて……ひいふう」
「大丈夫だよ」
ユウキ、田茂地に、シンジは気楽に笑って見せた。
「こんな初っぱなでつまずくような、間抜けな兵器じゃないんでしょ? このEVAは」
シンジは、ゲンドウに向けて、言い放った。
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