#07 道化師
操縦席──エントリープラグがエヴァンゲリオン初号機に挿入される。
そして、起動が始められる。
「彼、落ち着いていますね」
メインオペレーターの紅一点、伊吹マヤが感心したように呟く。
これから、得体の知れない怪物と戦わなければならない。しかも、始めて乗った物で。どう考えても、落ち着いていられる状況ではない。
なのに、EVAのエントリープラグにしつらえられた各種観測機器──テレメトリは、パイロットが脈拍、呼吸などが、過剰な緊張感は皆無、平常値よりも幾分高めと思える数値ながらも、問題のないレベルに収まっていることを知らせてくる。
「……そうね」
言葉を向けられたリツコは、言葉短く答える。シンジの神経の太さは、既に充分以上に、身に沁みて知らされている。何を今さら、そんな思いが、素っ気ない言葉になる。
初号機の起動、パイロットとのシンクロ準備は、順調に進められていく。今まで、実際に行われたことは、綾波レイによる起動実験一回限り。しかし、それも失敗に終わっている。だが、シミュレーションは数限りなく繰り返されてきた。その為、多少の突っかかりこそあるものの、問題なく進んでいく。
そして、実際のシンクロ。
「シンクロ率、15,36パーセント。EVA初号機、起動しました」
ほおっ、と言う、安堵の雰囲気が発令所に広がっていく。
まだ立ち上げただけ、ずいぶん気が早い話だが、これまで、まともに起動したことは皆無である。さらにオーナインシステムなどと言われ、起動しない方が当たり前と思われていた初号機が起動したのだ。それも、無理はないことかも知れない。
しかし──
「低いな」
一段高い司令席、その脇に立つ冬月が、小さな声で呟く。
シンクロ率、それは、どの程度EVAを自在に動かせるかの指標。100パーセントが理想値で、ほぼ、自分の体と同様に、タイムラグなしに動かせる。その数値が、15パーセント強。明らかに、行動が一拍以上遅れることになるだろう。格闘戦メインのEVAで、これはかなりの──致命的なまでのハンデとなるだろう。
初起動である。起動したことを良しとすべきで、それ以上は過剰な期待となるかも知れない。しかし、シンジと初号機の関係を考えれば、40パーセント前後の数字を叩き出す。そう、冬月は予想していた。
「……問題ない」
しかし、ゲンドウは軽く受け流す。
最悪、起動すればどうにかなる。少なくとも、ゲンドウのシナリオではそうだった。
「何というか、男の子って、いつまで経ってもマザコンなんですねえ」
発令所の隅っこ、席を与えられたユウキの感想である。呆れた、そんな口調。
両親を切り捨てている。そう見えるシンジである。だからこそ、冬月の予想よりも、大きく低い数値だったのだ。しかし、それでも起動水準に達する。そうでなければ困る。しかし、ユウキはそんな感想を抱いてしまう。
そちらを、リツコは鋭い視線で睨み付ける。
EVAパイロット、チルドレンの選出基準は、極秘とされている。幸い、ユウキの感想は他の者には聞こえなかったようであるが、気楽に口にされて良いことではない。
「……」
ユウキはリツコの視線に気が付き、明後日の方に視線を逸らして、惚ける。
「……」
リツコは、それ以上の追求は控える。下手をすると、藪をつついて蛇を出すことになる。何しろ、シンジもそうだが、ユウキも、ネルフの、否、ゲンドウ、リツコらの都合など、歯牙にもかけない。隠している方が悪いという態度。事情が公表されてしまった場合、当然ながら、傷を負うのはこちら側、リツコを含むゲンドウ達の方である。人類滅亡回避、そうした美辞麗句のオブラートに包んでも、人道を踏み外していることには違いないのだ。
しかし、ユウキを追求する云々は、次の瞬間には、関係なくなってしまった。
「助けて、ママ〜!」
大声が、スピーカーから響き渡る。
シンジである。
まるで、ほうれん草でパワーアップする水夫のアニメに登場するヒロインの叫びのように、シンジが叫んだのだ。多少、照れがあるのか、あまりにもわざとらしい叫びだった。
ゲンドウは椅子から僅かに腰を浮かし、冬月は細い目を見開く。リツコも、口を唖然と開けてしまう。
「……?」
事情を知らない人間は、疑問、と言う表情を浮かべる。こちらが、大多数である。
「ええと……シンクロ率、上がりました?」
シンジが、尋ねてくる。
「え? え?」
尋ねられたマヤは、戸惑いの表情。それから、慌てて数字を見直す。
「シンクロ率、15,36パーセント、変わりません」
「あれ?」
モニターの中のシンジは、首を傾げる。
「おかしいなあ。母さん、何やっているんだろう。息子のピンチなのに」
「あの、何なんですか、今のは?」
困ったように、マヤが誰にとはなく、尋ねる。
「ああ、それは……」
気楽に、シンジが答えようとする。
「極秘事項よ!」
慌てて、かぶせるようにリツコが叫ぶ。
そちらを、馬鹿にしたような視線で、シンジが眺める。
「極秘も何も、もう、意味無いですよ」
モニター越しに、シンジの顔をじろりとリツコが睨む。
「だって、ですねえ。シンちゃんがEVAパイロットになった時点で、大抵の人間は、事情を推測できると思いますよ」
シンジは面倒くさそうに口を閉ざしたが、代わってユウキが口を開いていた。
「黙りなさい!」
リツコが命令するが、歯牙にもかけない。
「初号機の起動実験で、取り込まれた碇ユイ博士。そして、その初号機のパイロットに選出された、碇ユイ博士の息子のシンちゃん。さらに、弐号機の起動実験で「おつむてんてん」になってしまった惣流博士。弐号機専属パイロットのその娘。──偶然で片づけてしまうのは、それこそ「おつむてんてん」な人だけだと思いますけど」
「そうだよねえ。更に、A10神経接続、なんてヒントまで。ユウキの言うとおり、僕を乗せた時点で、秘密は、秘密じゃなくなっていますよ」
シンジが、補足する。
A10神経──それは、恋人同士や、親子が、互いのことを想ったりする特別な感情に関わってくるとされる。先刻の、EVAの事故で失われた人間と、パイロットの関係、そして、この接続方法。ヒントは、山ほど存在する。その気になって調べ、この事実を知れば、チルドレン選出の基準について、ある程度の推測が出来るだろう。何も思いつかないとすれば、それこそ、人が良すぎる。いや、きっぱり無能だ。
ざわざわと、発令所にざわめきが起こる。
リツコは、顔を真っ赤にして、シンジを睨み付ける。
が、柳に風である。
発令所に、何とも言えない雰囲気が満ちあふれる。
上司を、ちらちらと伺うオペレーター達。これは、ユウキの言うような「おつむてんてん」の人ばかり、と言うわけではない。ネルフの秘密主義。彼らの殆どは、弐号機とそのパイロットの関係までは知らなかった。どころか、初号機の事故についても、初耳の者が多い。だから、何の疑問も抱いていなかった。しかし、上層部、リツコらの態度に、シンジの発言が、真実を、もしくはそれに近い部分を指していることを悟る。ネルフ構成員にとっても、得体の知れない兵器、EVA。その得体の知れ無さが、更に増したように感じられた。
針の筵。
発令所中の人間の視線に晒され、そんな気分で、リツコは立ちつくす。
しかし、その雰囲気を吹き飛ばす勢いで、一人の女性が発令所に飛び込んできた。
「ご免、遅れた!」
それは、誰からも忘れ去られていた作戦部長、葛城ミサトだった。
「日向くん、どうなっているの?」
慌ただしく、自分の直属の部下、メインオペレーターの一人、日向マコトに尋ねる。
「ミサト! あなた……」
リツコは、文句を口にしかけた。ただでさえ、ストレスの溜まる状況。言いたいことは山ほどある。元々は、ミサトがシンジの迎えを遅刻したことから始まっている。そのせいで、余計な手間がかかった。──これは、言いがかりが多く含まれている。ミサトが、全責任を負うわけではない。例えば、シンジの性格などについては、ミサトには全く責任がない。しかし、この場合、ミサトは格好の爪研ぎ柱だった。ストレス発散用のサンドバックだった。必要以上に、鋭い文句が口から零れだしかけて──しかし、尻切れトンボで止まる。
リツコは、ミサトの格好に絶句してしまう。
顔は煤け、髪の毛は乱れている。着ている服も、かぎ裂きをいくつも作り、何処彼処が焼けこげている。髪型がアフロになっていないのが、不思議に思えるような格好である。
「N2地雷って、なかなか効くわ」
ミサトは、簡単にその格好の説明をする。
勿論、まともに巻き込まれたわけではないだろう。それで生き残ったとあれば、使徒に匹敵する。葛城ミサトは、人間のはずであるから。
「葛城一尉」
そのミサトに、頭上から声がかけられる。
ゲンドウである。
「は、はい!」
その不機嫌さの溢れた声に、直立不動になるミサト。
「後で、処分を通達する。──今は、作戦指揮を執りたまえ」
「は、はい、申し訳ありませんでした!」
ミサトは答え、小声でリツコに尋ねる。
「やっぱ、首?」
「……そうならないと考える根拠は?」
リツコは、冷たく切り捨てた。
「くっ」
ミサトは歯がみする。
「兎に角、今は作戦指揮をしなさい。もしかしたら、そこに救いがあるかも知れないわ」
それでも、最悪の状態にまで突き落とすのは拙いと、リツコはフォローの言葉を口にする。一応ミサトは、作戦部長である。無事に戻ってきた以上、作戦指揮を執ることになる。また、何のかので、ミサトの首が繋がる可能性は大きいと見ている。ミサトの人間性や、作戦指揮の能力故ではない。それだったら、ミサトよりましな人間はいくらでもいる。ミサトに期待されているのは、そんなことではないのだ。
「そ、そうよね。──で、状況は?」
一応、気を取り直したのか、ミサトは日向に尋ねる。
「現在、初号機起動、発進準備整っています」
何処彼処が破れ、非常にきわどい格好のミサトにどぎまぎしながら、日向が答える。
ミサトは、僅かに首を傾げる。
「誰が乗っているの? レイは、動かせないんじゃなかったの?」
ミサトの認識は、このあたりで止まっている。つい先刻まで、ネルフの外をうろついていたのだから。
「サードチルドレン、碇シンジ君です」
「え?」
ぼけたように、ミサトは日向を見る。
「どう言うこと?」
自分が迎えに行き、N2地雷に巻き込まれ、結局見つけられなかった。その人間が、既にネルフにやってきており、EVAに乗っているという。事情がわからない、そんな顔で尋ねる。
「シンジ君は、自力でネルフまでたどり着いたわ」
リツコの言葉には刺がある。
しかし、ミサトには通じなかったようだ。
「自力で?──じゃあ、私は何のためにあそこを走り回っていたの? N2地雷に巻き込まれるわ、車はスクラップになるわ、とっておきの服は、こんなになるわ……」
「自業自得だと、思いますけど」
ユウキが口を挟む。遅刻をしてきた、そちらが悪い。そう言う口調であり、当然のことだろう。ここで、自分の被害にばかり思いが行く人間性を、疑うような口調である。下手をすれば、シンジ達はあそこで戦闘に巻き込まれて死亡する、そんな危険すらあったのだから。
ミサトは、虚をつかれたようにユウキを見る。
「あなた、誰?」
「初めまして。私は、加賀ユウキと言います」
内心、どう思っているかはともかく、自己紹介の必要を感じたらしいユウキは、ミサトに答える。
「何で、部外者が発令所にいるのよ!」
「ミサト!」
鋭く、リツコが名前を呼ぶ。
「あなたの知らない内に、色々あったのよ」
色々の部分は、リツコの苦い思いを抱かせる。その思いを押し隠し、固い声で告げる。
「あなたの仕事は何? 今は、作戦指揮に集中しなさい!」
「……そうね」
ミサトは、素直に頷いた。せっぱ詰まった状況である。そのあたりに、ようやく気持ちが行ったらしい。
「それで、使えるの?」
「起動はしたわ」
短く、リツコが答える。
「なら、行ける、ってことね」
シンプルに思考して、ミサトは応じる。科学的な所は、ミサトの守備範囲外である。あっさりと、頷く。
それから、ミサトはゲンドウを見上げた。
「EVA初号機、発進させます。よろしいですね」
サードチルドレン、碇シンジ。ネルフ司令、碇ゲンドウの息子である。この質問には、そうした配慮があった。
「かまわん。使徒を倒さねば、我々に未来はない」
ゲンドウは、冷淡に応じた。
「EVA初号機、発進!」
ミサトが、威勢良く命令した。
リニアレールで地上へと向けて発進するEVA初号機。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
そこで、大きな悲鳴が上がる。ユウキである。
「ちょ、一寸待ってください! 発進中止!」
しばし、呆然。それから、慌て、発令所の隅っこから、日向の後ろへ、途中のミサトを突き飛ばす勢いで移動する。
「あんた、何、邪魔するのよ!」
突き飛ばされたミサトは、何とか踏みとどまって転ぶのを逃れ、それから、眉を吊り上げて叫ぶ。
「パイロットと何も打ち合わせをしないで、何を考えているんですか! すぐに止めて下さい!」
それ以上の剣幕で、ユウキが怒鳴り返す。
「駄目です! 止まりません!」
オペレーターの日向は、素直にユウキの指示に従おうとし、それが果たせないことを悟る。急加速されて地上に向かうEVA。いきなりの停止では、パイロットの身が持たない。充分な減速をしようとすれば、地上までに間に合わない。
「地上の何処に出るんですか?」
「……使徒の前方200メートル」
この答えに、ユウキは「正気か」と言う顔をする。それでも即座に頭を切り換える。
「シンちゃん、地上に出たら、すぐに逃げて下さい。手近な遮蔽物は──」
「左50メートルの兵装ビルが」
「聞こえた?」
慌ただしい会話。
それを、ぽかんと聞いていたミサトであるが、我に返ると、猛然とユウキにくってかかる。
「一寸、あんた部外者が何かってな指示を出しているのよ!」
使徒との対決。それは、ミサトにとって、待ちに待った瞬間である。周囲が、使徒の再来を疑問視する中で、自分だけは危機感を失わずにいた。努力もしてきた。その甲斐あっての、作戦部長への大抜擢である。──とミサトは思っている。
その、晴れ舞台を邪魔されることを、許容できるわけがない。
ミサトは、腕を伸ばしてユウキの肩を乱暴に捕まえると、強引に自分の方に向き直らせる。
背後では、リツコが顔を引きつらせている。ユウキという少女が、おっとりした見かけほど、優しい存在ではない。出会ってまだ僅かだが、それを知っている。知らされている。ユウキが、ミサトにどう対処するか。惨劇。そんなモノを予想しているのだろう。
「邪魔です」
冷めた口調、冷めた視線でユウキはミサトを見た。
その瞳の冷たさに、ミサトは背筋に氷を押しつけられたような気分になった。ここで、深く検証する時間を与えられれば、目の前の少女の危険性について、理解することが出来たかも知れない。
しかし──
「田茂地さん」
「わかりました」
ユウキの声に、ミサトの背後で誰かが答える。
「──!」
くるんと、ミサトの目が反転して、白目になる。そのまま、膝が折れて、発令所の床に倒れ込む。
ミサトの背後だった場所には、手刀を作った田茂地が立っていた。その手刀でミサトの首筋を一撃。沈黙させたらしい。
「EVA、地上に達します!」
日向が、ミサトには構わず報告する。
「……死なないでよ、シンちゃん」
ユウキは、胸の前で両手をあわせ、静かに呟いた。
「うわ!」
地上に出た、エヴァンゲリオン。
シンジの第一声である。
いきなり凄い勢いで打ち出され、地上に出れば眼前に敵──使徒の姿。慌てない方がおかしい。
即座にシンジは初号機を動かそうとして、つんのめりかける。
「初号機、リフトオフ」
それから、ようやくEVAの最終的な固定が外されて、自由になる。
今度は初号機がつんのめるようにして倒れかけ、蹈鞴を踏み、慌てたように横に飛び退く。殆ど転がるような動きで、知らされていた近くの遮蔽物、兵装ビルの影に逃れる。
その動きは、非常にのたのたしたものだった。運動神経に致命的な欠陥があるような、鈍重きわまりない動き。
「レスポンスが、想像以上に悪い!」
焦れたような、シンジの叫び。
動いた、等と感動の叫びをあげる余裕は、無かった。
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