#08 初陣
初号機は、兵装ビルの陰に隠れ、背中を壁に預けるようにしている。
その格好のまま、シンジは慌ただしく発令所と会話を交わす。本来、発進以前にするべき確認である。
「武器は、何かありますか?」
「両肩のウェポンラックに、プログナイフがあるわ」
「ウェポンラック、ええと、これか。……ナイフより、ドスの方が好みなんですけど」
「……考えておくわ」
答えているのは、リツコである。
ミサトは、床に轟沈したままである。戦闘開始。慌ただしさの支配する発令所。そちらを省みる者もなく、うち捨てられている。
「飛び道具は? チャカとか無いんですか?」
「まだ、開発途中よ。実用化に成功したモノはないの。もう少しすれば、パレットガンがロールアウトするんだけど」
「……使えない」
小さなぼやき。
シンジは、想像以上に状況が悪いことを理解していた。同時に、自分の甘さも知らされていた。
何となる。そう考えていた。このぎりぎりの時期まで、ゲンドウが自分を呼ばなかったのは、それでも勝算があると判断していたからだと思っていた。しかし、それも怪しく感じる。
ろくな武器がない。それは、取りあえず仕方がないと思う事にする。元々、自分は飛び武器を使うのは得意ではないから。しかし、この反応の鈍さはいただけない。行動に移そうと考えるたびに、一拍以上のタイムラグ。その上、その動きも思った以上に鈍重である。思い通りに動いてくれるのならばともかく、この状態でのナイフを使った格闘戦。どうにも、勝算が立たない。
「援護は?」
こうなれば、援護射撃に紛れ、隙をついて接近するしかない。しかし、それも否定される。
「兵装ビルは、まだ稼働状態にないの」
「救いがたいほど無能。──国連からせびったあれだけの金額、全部父さんのポケットにでも消えたって言うの?」
シンジの呟きは、通信機を通して、発令所にしっかりと聞こえていた。
ゲンドウが、こめかみにぴくりと血管を浮かばせる。
しかし、それ以上に怖い表情をしたのはリツコだった。
リツコにしてみれば、これまでの過剰勤務の続いた毎日、遊んでいた、と責められねばならないような状況ではなかった。また、セカンドインパクトから時が経ち、周囲の使徒への危機感が薄れるにつれ、予算は絞られてきた。その限られた予算の中からやりくりし、何とか、ここまで持ってきた。使徒襲来に、最低限度のモノは間に合わせた。その課程は、自分でも涙ぐましいモノだと思う。それに文句を言われれば、流石にかちんとくる。
しかし、爆発したりはしない。
同時に、シンジの事情を考慮すれば、その言い分ももっともなのだ。この状況、使えないと称されても仕方がない。そう省みるだけの理性も持っている。
「さて、どうするか……」
小さく、シンジは呟く。
周囲を、油断無く見回す。そして、EVAの背中に生えているしっぽを見つけた。
「なんですか、これ?」
「アンビリカルケーブルよ。EVAに電力を──」
「ああ、電源コンセントですね」
あっさりと、簡単な語句に直されてしまう。
「──全く、制約の多い、使えない兵器ですね。EVAは」
「……」
リツコは、無言。マヤの椅子、背もたれに乗せていた掌に、必要以上の力が込められただけで済ませる。
後ろからのプレッシャーに晒されたマヤが消耗していくが、リツコは気付かない。
そんな中、シンジは初号機にアンビリカルケーブルを引っぱり出させたり、両手でひっぱたりしていた。
「まあ、このまま隠れていても仕方がないな」
シンジは、そう呟くと、ナイフを装備させた初号機を立ち上がらせ、用心深い足取りで、隠れていたビルの影から出る。
使徒は、初号機の方を見ていた。第三新東京市に入って以来、それまでの専守防衛から、積極的攻勢に出た使徒である。しかし、突如現れた自分と同サイズの巨人──初号機を、首があれば、傾げそうな表情で眺めている。虚ろな穴に見える目が、ぱちぱちと瞬いている。様子見、そんな感じである。
シンジは、表情を真剣なモノにして、小さく息を吐く。それから、ゆっくりと、こちらも様子を見るように初号機を、使徒の周りを回らせる。
第三新東京市は、迎撃都市である。元々、EVAが活動することを見越して建設されている。その為、歩くたびに足のめり込むようなことがないように、地盤はただのアスファルトやコンクリのままではなく、強化されている。同時に、巨体がスムーズに行動できるように、道幅も広く取られている。更に、収納可能なビルもあり、使徒の立っている場所は、ちょうど、大きく開けた場所となっていた。
その開けた場所の外周を、使徒から距離を取ったまま、初号機はゆっくりと回る。油断のない、足取り。反応の鈍い状態で、どの程度動けるかは不明であるが、何かあれば、即座に避けようと言う、緊張感に満ちあふれている。
ゆっくりと、使徒の周りを回る初号機。
勿論、そんなことで、使徒は倒れたりはしない。逆に、このまま速度を上げていけば、初号機が紫色のチーズになってしまうかも知れないが。
使徒とは、真正直に正面から戦う必要など無い。それこそ、月のない晩に背後から、でも構わない。どんな卑怯なだまし討ちをしようが、勝てばいいと言う戦いである。否、勝たねばならない戦いである。それなのに、敵の真正面に発進させられたときは、我が目を疑ったシンジである。迎撃都市、等と冠し、兵装ビルなどと言う、正気を疑う代物まで用意されている街。勿論、EVAの射出口も、一つではないだろう。それが、よりにもよって、真正面。何も考えていないのではないか、そう疑われても、仕方のないことだ。
シンジの動きは、使徒の背後を取ろうとしてのモノか?
しかし、それは、上手くいかなかった。
流石に、得体の知れない巨人の登場に戸惑ったかに見える使徒。しかし、流石に、のんびりと背中を向けたりするほど、呑気ではなかった。途中までは、奇妙なくらいに体をねじ曲げ、背中側にさしかかろうとする初号機を見ていた使徒であるが、現在では、体ごと初号機に向き直っている。
その、対峙を見守る発令所の者達に、言葉はなかった。
あれこれ、指示を出す?
この接近した状況で、何を言えば良いというのか。一歩踏み込めば、既に格闘戦の間合いとなる。そこで踏み込んで、パンチ。次は、キックを。そんな指示を出すほど、馬鹿らしいことはない。いわば、ボクサーのセコンドと一緒か。猛りすぎていれば、落ち着けと言えるだろう。怯えていれば、しっかりしろと言える。作戦行動から外れていれば、その修正をするように指示を出せる。しかし、シンジの状況は、そのどれでもない。猛っているわけでもない。怯えているわけでもない。作戦なんて、何もないのだから。シンジは、落ち着き、用心深く、流石に、緊張はあるモノの過剰ではなく、油断無く使徒を睨み付けながら、機をうかがっている。ここは、静かにシンジに任せるしかない。
しかし、使徒の周りを回っているだけでは、どうにもならない。
果たして、機は来るのか?
そんな、疑惑が発令所の者の頭を掠めるよりも早く、機は来た。
否、シンジ自身が作り出した。
それに、気が付いていた者は、ユウキと、おそらくは田茂地の二人だけだっただろう。
ユウキは、掌を握りしめ、真剣な顔でモニターを見ていた。
その口から、小さく、
「もう少し、もう少しだけ……」
と祈るような言葉を漏らしていた。
使徒は、様子見に徹している。それは、幸いである。もし、攻撃に──それも、飛び道具を使われれば、シンジのたくらみは水泡に帰すから。あの鈍重な動き、とても、避けようがないだろうから。
ついに、ユウキの祈りは通じたのか、機は、来た。
初号機は、いきなり自らの背中に装着されている、アンビリカルケーブルを掴むと、思い切り引っ張った。
何を始めたのか。
一見無意味に見えた行動。しかし、その疑問はすぐに解けた。
使徒が、足下をすくわれて、バランスを崩して地面に転んだのだ。
使徒の周囲を回る。そうすることにより、アンビリカルケーブルを使徒の足下を囲むように配置させたのだ。意味もなく、アンビリカルケーブルを弄んだように見えたが、意味はきちんとあったのだ。
「うまい!」
発令所、誰の叫びだったのか。それは、多くの者の思いでもあっただろう。
動きが鈍い。だから、それでも対応できるように、使徒の状態を悪くしてやればいい。そう言うことだった。
シンジに、躊躇はない。
元々、自らの手で作り出した好機である。見逃すはずがない。また、見逃したら、後はない。
真っ当な正面決戦で分がないと見たからこその、行動だったのだから。
初号機は、プログレッシブナイフを腰だめに構え、体ごとぶつかるように、使徒に向かう。その格好は、やくざ者の神風アタック。使徒は、地上に倒れている。その為、最後はダイブするように、その体の上に倒れ込んでいく。
「行ける!」
使徒は、足をからめ取ったアンビリカルケーブルのせいで、立ち上がれないでいる。流石に、素早い動きは出来ない。
初号機の攻撃は、使徒に──
澄んだ、硬質な音。
硝子と、硝子を打ち合わせたような音。
同時に広がる、朱金の、八角形を同心円上に幾重にも重ね合わせたような模様を持つ壁。
初号機の体は、ナイフは、その壁に遮られた。
「ATフィールド!」
リツコが、叫ぶ。
これこそが、使徒が通常兵器を無効とする理由だった。
絶対領域と名付けられた、平たく言えば、バリアである。このATフィールドが、攻撃を使徒に届かせなかったのだ。大熱量で焼き払うN2地雷こそ、使徒の表層を灼くという戦果を示したが、逆に言えば、人類の持つ最強の爆弾ですら、その程度の痛痒しか感じない。それだけの、バリア。それ以外の攻撃は、全く無効、そう言うことだ。
「中和できていなかったの?」
シンジも、慌てたように叫ぶ。
初号機に、倒れた姿勢のまま、使徒が手を突き出す。
肘から後方に伸びた突起が、光り輝く。それは、光の槍を放つ前準備である。
シンジは、駅舎の前で、使徒の攻撃を見ている。だから、それを悟ると、必死の動きで初号機を後ろに下げる。
その顔、頬の部分を掠めるようにして、光の槍が伸びていく。
ぎりぎりでかわした。しかし、蹈鞴を踏んでしまう。
そこへ、使徒が逆襲に出た。
ATフィールドと共に、使徒の持つ能力。自己修復と、自己進化。──今回は、自己進化。使徒は、学習していた。自らの足をすくったアンビリカルケーブル、それを、今度は使徒が利用した。
よろけつつ、何とか距離を取ろうとする初号機。
それをさせまいと、今度は使徒がアンビリカルケーブルを引っ張ったのだ。
あっけなく、初号機はバランスを崩した。元々、拙い運動性。鈍い反応。シンジの反射神経は、それに対応すべく指示を出していた。しかし、その指示に答える側が、非常に鈍重であり、全ては手遅れとなった。
使徒の側に引かれて倒れる初号機。
「くそ!」
シンジの舌打ち。すぐさま、初号機を立ち上がらせようとする。
しかし、今度は使徒が先んじた。ふわりとした、重力を無視した動きで立ち上がり、そのまま宙を舞い、初号機の元へと移動する。
倒れたままの、初号機。
それを、見下ろす使徒。
絶望的な体勢だった。
使徒は、ゆっくりとした動きで、立ち上がろうとする初号機に手を伸ばす。
ゆっくりとした動き。しかし、それでも初号機の反応は、間に合わない。
突き出された使徒の腕を攻撃しようとした初号機の、ナイフを握る右手は、逆に使徒に捕まれてしまう。そのまま、強引に腕を引っ張り、初号機を立ち上がらせる使徒。
同時に、使徒のもう一方の腕が、初号機の顔を捕まえていた。
立ち上がった初号機は、シンジは大人しく、なされるままになるつもりはなかった。即座に、自由な左腕を振るって、使徒の戒めから逃れようとする。
しかし、それよりも使徒の行動の方が速い。つくづく、初号機の反応は、鈍重だった。
使徒は、無理矢理、初号機の右腕を引き延ばす。
がくんと、肩、肘の関節がぎりぎりまで引き延ばされる。
「くっ」
シンジの苦痛の呻き。
シンクロシステムの弊害。それは、パイロットに機体の損傷状況が、痛みとして伝わると言うこと。接近戦がメインのEVAに、このシステムは致命的といえるかも知れない。ただのロボットであれば、片手に問題が出たとしても、何とか戦闘続行できるだろう。しかし、シンクロシステムのEVAでは、それは不可能である。パイロットが保たないのだ。最悪、EVAの損傷のフィードバックにより、パイロットがショック死する危険すらある。
更にもう一度、腕が引き延ばされる。
右手に握られていたプログレッシブナイフが落ちる。高震動するナイフの刃は、地面を抉り込んで、柄の部分で止まった。
「この」
初号機が、自由な左腕を振るって、使徒の体を殴打する。
密着状態故か、今度はATフィールドの朱金の輝きは現れず、初号機の拳は、使徒に届いた。
しかし、体勢が悪かった。人造人間EVA──即ち、人に準じる。だから、力を込めやすい姿勢、そうでない姿勢がある。EVAの顔を掴んだ使徒の腕によって、半ばつり上げられたような状態。とても、まともに力を込められる姿勢ではない。
使徒は、まるで痛痒を感じず、しかし、逆劇に出た。
みしり。
軋む初号機の右腕、そして、次の瞬間には、あっさりと握り潰されていた。
「ぐぅぅぅぅ」
シンジが、悲鳴を堪える。自身の腕を握り潰された、それだけ苦痛が、シンジにも感じられた。
「パイロット、呼吸、心拍数上昇しています!」
テレメトリをマヤが悲鳴に近い声で読み上げる。
「シンちゃん!」
ユウキの叫びは、まんま悲鳴だった。
解放された初号機の腕が、だらりと垂れ下がる。一目でわかる。これで、右腕は使い物にならないと。
そして、使徒の攻撃は、それに止まらなかった。
初号機の顔を鷲掴みにした使徒の腕、その肘の突起が輝く。この密着状態から光の槍を放とうというのだ。
「シンジ君、避けて!」
リツコは、叫んでいた。
シンジには、思うところがいろいろと存在する。
首筋に添えられたナイフの恐怖。それは、忘れられない。かと言って、あっさりと見捨てられるわけではない。第一、シンジの敗北は、人類の滅亡に繋がる。人事では済まないのだから。
シンジの方でも、使徒の攻撃の前兆に気が付いていた。
しかし、思うように初号機が動いてくれないのは、変わらない。しかも、右腕に伝わってくる痛みが、集中を妨げる。
為す術もなく、使徒の掌、その中央部にある槍の射出口が輝くのを見つめる。
そして、衝撃。
「あああああああ!」
シンジの口から、今度は隠しようのない、苦痛の叫びが零れる。両手で左目を押さえ、苦痛に吼える。
使徒は、容赦しない。
もう一撃。
更に、もう一撃。
そのたび事に、シンジは耐えがたい痛みを味わった。
自分の目を貫き、脳を破壊しようとする。そう言う、攻撃の痛みを。
そして──
シンジは自分の中で、何かがちぎれる音を聞いたような気がした。
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