#101 軋む心


「良いこと、これは決して崩れることのないジェリコの壁!」
 はあ?、と言う顔をしているサードチルドレンの前で、アスカは自分の部屋の扉を乱暴に閉ざした。
「この壁をちょっとでも超えたなら、殺すわよ!」
 アスカはドスを効かせて告げたつもりだが、それがサードチルドレンにどれだけ通用したか。
 おそらく、全く通用していないだろう。
 兎に角、アスカは施錠すると、部屋を横切ってベッドに向かう。
 部屋の中は、未だ整理整頓が行き届かない、引っ越し直後のモノ。何処彼処に、段ボール箱が積み重ねられている。
 しかし、一人用としては大きすぎるキングサイズのベッドの上は、段ボール箱の浸食はない。一つだけ上に乗っかっていた、帽子の入った箱をどけると、アスカはベッドの上に倒れこむようにして俯せに寝ころぶ。
 日本の家屋は、ウサギ小屋に例えられるように手狭なモノだと聞いていた。しかし、アスカに与えられた部屋は、充分以上な広さを持っていた。おまけに、出入り口が、木や紙で出来たセキュリティーに不安を抱いてしまうような代物ではなく、鍵の付いたちゃんとしたドアがだったのはありがたかった。そうでなければ、貞操の危機で、ろくすっぽ休めなかったに違いない。
 問題点は、ただ一つ。そして、一番重要なモノ。
 この部屋が、あのサードチルドレンの家の中の一室だと言うこと。
 全ての長所は、これで帳消し。収支はマイナス。最悪だ。
 何故、自分がサードチルドレンの家に住まなくてはならないのか。
 廊下の気配を探ると、足音がして、サードチルドレンが部屋の前から離れていくのが解った。
 充分以上離れた。
 そう感じるまで待ってから、アスカはベッドに顔を押しつけるようにして、小さく呟いた。
「……悔しい。あんな奴に負けたなんて。あんな奴に、助けられたなんて」
 布団を握りしめる指先に、力がこもる。アスカの内心の悔しさを現すように。
「嫌い、嫌い。みんな嫌い。大っ嫌い!」
 小さく、アスカは嗚咽を漏らした。


 第6使徒戦は、惣流アスカ・ラングレーにとって、非常に不本意な結果で終わった。
 第6使徒は、セカンドチルドレン、EVAのエースパイロットであるアスカと、本物のエヴァンゲリオンである、EVA弐号機の素晴らしい活躍によって殲滅されるはずであった。それが、正しい世の中の流れと言うべきモノであるはずだった。
 しかし、現実には……
 アスカは早々にリタイア。
 その後、あの思い出すことすら忌々しい変態ど助平のサードチルドレンが操縦する初号機によって殲滅されている。
 屈辱だ。
 高々、シンクロ率が自分の4分の一程度しかない、使えないはずのチルドレンに、使徒が倒された。しかも、自分は無様にやられてしまったというのに。
 勿論、やられたのは、自分がサードチルドレンに劣っているからではない。
 何しろ、あたしは天才少女、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーなのだ。
 サードチルドレンなどと言う、ポッと出の凡才などとは、比べモノにならないほど、優秀なのだから。
 今回の件は、たまたま、巡り合わせが悪かっただけ。自分の運が悪かっただけなのだ。
 いや、本当ならば、あの後、素晴らしい逆転劇で、自分こそが使徒を退治していたはずなのだ。
 それを、サードチルドレンが横からしゃしゃり出てきて、本来は自分のモノとなるべき手柄を横取りしていったのだ。
 サードチルドレン、碇シンジ。あの、OTRでの「事件」を考えれば、ただでさえ忌々しいと言うのに、この使徒戦を経て、ますます忌々しい存在になった。
 凡才は凡才らしく、大人しく、天才である自分をフォローしていればいいのだ。そして、フォロー以上の事をすべきではないのだ。使徒退治は、天才に任せ、凡才は、裏方の仕事をしてればいいのだ。
 なのに──
 自分を差し置いて、使徒を退治してしまう等、許されることではないのだ。
 しかも、形としては、サードチルドレンが自分を助けたと言うことになっている。
 自分が。
 あの、サードチルドレンに助けられる。
 そんな無様なこと、記録上のことだけとは言え、許されることではない。


 また、腹が立つのがネルフ本部の態度だ。
 最初は、高く評価した。
 自分を熱烈歓迎したのだから。
 自分の迎えに、わざわざ赤絨毯を敷き、その両側にはびしりと並んだ黒服の男達。
 ちょっと引いてしまいそうな大歓迎だったが、アスカは許すことにした。
 何しろ、本部には勿体ない程の、天才にして美少女のEVAパイロットである自分の迎えなのだ。超の付くVIP、それが自分なのだから。
 極東の猿どもにしてみれば、自分は天上の女神に等しいだろう。自分が思わず引いてしまうほどの熱烈歓迎になったところで、それは仕方がないと、広い心で許してやるべきだから。
 しかし、それも全て、アスカの勘違いだった。
 やつらの熱烈歓迎の理由は、アスカが偉大なる天才美少女パイロットだから、ではなかった。あのぼんくらサードチルドレンの嫁だと考えていたからだ。
「姐さん、ご苦労様でした」
 ロンゲにギターの男が、代表して挨拶し、他の連中がそれに倣って頭を下げたとき、しばし、アスカは戸惑った。
 母国語ではない日本語。その意味を考えるのに若干の時間を必要とし──理解すると、怒りを感じた。
 こいつらは、アスカがセカンドチルドレンだから歓迎したのではなく、サードチルドレンの嫁だと思ったから、歓迎したのだ。
 その事に、気が付いてしまったから。
 全く、人を馬鹿にしている。
 まるで、自分がセカンドチルドレンであると言うことなど、どうでもいいという態度ではないか。
 自分の才能の証明でもあるセカンドチルドレンであると言うこと、それに、全く価値を感じていないようなその態度。許せるはずがない。
 また、サードチルドレンの嫁であるという事に付随する歓迎。
 これも、許容できない。
 自分は、決して、絶対に、確実に、完璧に、サードチルドレンの嫁なんてモノではない。
 アレは、きっぱりとレイプだ。そして、勝手に自分の指に他爆装置等という物騒な代物付きの指輪をはめ、脅迫しているのだ。それ以外の何者でも無いのだ。
 アスカは勿論、その事を声高に訴えた。
 技術部主任の赤木リツコは、どうやら役には立たない。しかし、他にも人はいる。誰でもいい、この巫山戯た指輪を外し、自分を自由にするように、要求した。
 そして、自分に不埒な真似をした犯罪者、碇シンジを拘束しろと訴えた。そして、自分が如何にとんでもないことをしたか。神罰の雷を落とされても仕方の無いような事をしたと、体に思い知らせてやれ。社会的に抹殺してやれ。
 そう、訴えた。
 しかし──
 しかし、信じられないことに、ネルフ本部の人間は、誰も取り合わなかった。
 呆れたことに、ネルフ本部では、サードの犯罪行為を咎めるつもりなど無いらしい。
 誰も、自分を助けようと言うつもりなど無いようだ。
 巫山戯ている。全く、巫山戯ている。


 しかも、更に面白くないことがあった。
 繰り返すが、自分は、偉大なるEVA弐号機パイロット、セカンドチルドレンである。
 ある意味、司令以上の重要人物だ。
 何しろ、今の司令がいなくなっても、どこかの誰かがその場所を埋める事が可能。無論、その人物が今の司令以上の能力を持つか否か、その辺りは不明だが、それでも、誰かが司令の座に着く。確実に。──極論してしまえば、司令など、何処の誰でもなることが出来るのだ。
 しかし、チルドレンは違う。
 チルドレンは、現在までにたったの三人しか発見されていない。
 一人は、あの忌々しいサードチルドレン。チルドレンに選ばれたのが不思議なくらいの、ただの変態助平野郎だ。
 そして、一人は、ドイツ支部に居た頃の話では、使えないと聞かされていたファーストチルドレン。それには、自分も同意する。何しろ、起動実験でEVAを暴走させてしまうような無様を晒したのだ。使えないこと甚だしい。
 そして、最後の一人にして、一番重要である、セカンドチルドレンの自分である。
 自分を含めたこの三人は──自分と他の二人を一緒にするのは非常に面白くないが──代わりの効かない存在だ。司令のように、その席が空いたから代わりの人物を、等と、簡単には済まないのだ。世界中で、唯一、この三人だけが、EVAとシンクロすることが出来る。途轍もなく希少で、重要な存在。
 そして、その三人の中でも、飛び抜けて優秀で、最高のチルドレンが、この自分、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーなのだ。他のチルドレンは、自分の引き立て役。日本の料理、刺身で言うならば、自分が主役の刺身。そして、他の二人は大根のツマや、緑のギザギザみたいなモノだ。
 重要度で言えば、司令を凌ぐチルドレン。
 そして、そのチルドレンの中のチルドレンである、自分。
 つまり、ネルフは自分を中心に回らなければならない。
 全ての者が、自分に注目しなければならない。
 実際、ドイツ支部ではそうだった。
 全てが、自分を中心に回ってきた。
 自分だけが、人類存続のための希望。偉大なる救世主。
 無論、自分は子供ではない。子供ではないから、わがままを言うつもりはない。
 周りの者の予定に合わせ、自分の予定を変えることはあった。それでも、自分が中心にいたことは間違いなかった。
 なのに。
 なのに、本部では、誰も自分を見ようとはしない。
 皆の視線は、あの変態助平サードチルドレンの方を向いている。
 サードチルドレンを中心に、ネルフ本部は動いている。
 この偉大なるセカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーが、取るに足らない人間のように扱われている。
 いや、正確には、取るに足らない、と言うのは言いすぎだろう。皆、自分に気を使ってくれている。
 だが、それはセカンドチルドレンとしての自分ではない。
 サードチルドレンの嫁としての自分だ。
 許し難い。
 全くもって、許し難い。
 だが、ここで腐ったりはしない。
 自分は誰だ?
 自分は、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーなのだ。
 自分を侮った者達に、自分の重要さを、才能を見せつけてやる。
 自分こそが、最高のチルドレンであることを。
 自分こそが。
 自分こそが──


 アスカは布団に顔を押しつけたまま、暗い呟きを漏らし続けた。


「……拙い傾向ね」
 うんざりした表情、口調で、赤木リツコは呟いた。
 ここは、ネルフ本部内のリツコの部屋である。
 リツコの前には、ユウキが座り、リツコの入れたコーヒーの湯気に、顎をくすぐらせている。
「思った以上に、壊れるのが早そうね。とてもではないけど、これから先の使徒戦を、最後まで無事で切り抜けることは難しい。いえ、難しいと言うよりは、不可能ね」
 簡単に行った、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーのプロファクティング結果のレポートをめくりながら、リツコはうんざりと告げた。
 因みに、プロファクティングとは、心身負荷強度分析法から導き出される行動心理予測手段の一つである。学術的には兎も角、プロファイリングと一緒だと考えておおむね間違いないだろう。少なくとも、専門家以外には、それで充分である。
「対策は?」
 ユウキは両手で包み込むようにカップを持ったまま、尋ねた。
「使徒戦で大活躍をする。ネルフの皆が、アスカを褒め称える。──こんな所かしら?」
「……難しいですねえ」
 ユウキは、小さくため息を零した。
「そうね」
 リツコも、あっさりと同意する。
「どうしたって、ネルフのエースはシンジ君。これは、客観的な数字にも表れているわ。アスカとシンジ君では、その能力に差がある。ありすぎる」
 シンクロ率でアスカはシンジを圧倒している。それでもシンジの方が強い。おまけに実績でも、シンジはアスカを凌いでいる。自然、ネルフの人間は、シンジにこそ頼ることになるだろう。アスカがやられても誰も慌てないが、シンジが倒されたら、ネルフの皆は大慌てするだろう。それが現実。現状ではどうしたって、アスカが望むように、ネルフの人間はアスカに頼ることはないだろう。
「シンちゃんにお願いして、アスカさんが活躍するように誘導して貰ったら?」
「それで満足するようだったら、楽なんだけど」
 リツコは自分のためのコーヒーを一口飲むと、ため息と共に零した。
「そこまでの、馬鹿ではない、ですか?」
「ええ」
 リツコは頷く。与えられた勝利など、アスカは喜ばないだろう。そして、与えられれば、それに気が付く聡明さは持っているのだ。となれば、その手は逆に有害だ。却って馬鹿にされたと感じるだろうから。
「馬鹿だったら、楽だったんだけど」
「難儀なことですねえ」
「難儀な事よ」
 リツコは、うんざりした顔で応じた。
「シンジ君も、厄介な問題を作ってくれるわ」
 極論してしまえば、リツコにとって、アスカがどうなろうとも構うことではない。
 何しろ、代わりはいる。
 難儀な人間を、難儀なままに使い続けるよりは、能力的に劣っても使いやすい人間を使った方が、どれだけ楽なことか。弐号機が、最強である必要はないのだ。大人しく指示に従い、初号機のフォローをして貰えば、現状では充分なのだから。自分が自分がと、突出するような人間は逆に使いづらい。しかも、それを見捨てることが可能であれば、使徒の戦力評価のための必要な犠牲と割り切ることも可能だが、そうはならない。リツコは見捨てることが出来るが、シンジは出来ないだろう。結果、最大戦力を危険に晒す事になりかねない。一人、セカンドチルドレンだけの問題ではおさまらないのだ。
 全く、厄介だ。
 最初は、アスカが使えるならば良し、使えなければ切り捨てるという方向で考えていた。見栄えは良いのだから、パイロットとして使えなくとも、その他の使い道はいくらでもある。とうのたったミサトより、余程稼いでくれただろう。
 と考え、シンジらの思考に汚染されている自分に気が付き、リツコは顔を顰める。いつの間にか、慣れて平然としている自分が恐ろしい。
 慌て、思考を逸らすように、リツコは口を開く。
「と、兎に角、早い内に何らかの手を打たないと、本当に壊れるわね」
「早い内にですか?」
「ええ。ゆっくりデプログラミングを施している余裕はないわ。使徒は、待ってくれないしね」
「難儀ですねえ。本当に、難儀ですよ」
 ユウキは繰り返し、両手で持ったコーヒーカップで表情を隠した。

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