#103 果てしなく青い、この空の上で


 蒼穹を切り裂いて、ジャンボジェットが飛ぶ。
 垂直に立った尾翼には誇らしげに描かれた、太陽を示す真っ赤な円と、白抜きで「HAL」の文字。日本の二大航空会社の一つ、ヒノマルエアライン。
 大陸と日本を繋ぐ、空の便である。大陸の空港を出たそれは、一路、日本の松本国際空港(首都移転と共に、国際化)を目指して飛んでいる。
 その機内には、重苦しいまでの緊張が溢れていた。
 何しろ、乗客の大半が、一目でその筋の人間だと知れるモノばかりなのだ。
 僅かな一般客は自分の運の悪さを呪いつつ、肩肘表情を強ばらせて、気配を消そうと試みている。下手な真似をして、因縁を付けられたら困る。何しろ、飛行機の中、逃げ場はない。だから、なるべく目立たないよう、目立たないようにと、気を使いまくっていた。
 いや、一般客だけでない。接客業務のプロフェッショナル、スッチー達も、顔が強ばり気味である。いや、最近ではスッチーではなく、フライトアテンダントか。男女差別云々五月蠅い世の中にあわせて呼び名を代えたかも知れないが、現実、航空会社は綺麗所を選択して雇っている現状は変わりないように見えるから、意味があるとも思えないが。──兎に角、スッチー達も緊張気味に、男達の接待をする。アルコールを欲しがる客のために通路を、慌て、しかしそれを伺わせないように気を使いながら行き交いし、指先の震えを抑えて客に手渡す。指先の震えを抑える! 簡単に言うが、これが難しい。しかし、下手な事をして──例えば、客に間違えてアルコールをぶっかけてしまったりしたら最後──姉ちゃん、綺麗にして貰おうか、等と、トイレに連れ込まれたりしてしまうかも知れない。非常に危険だ。そして、それを考えるとますます緊張してしまい、指先の震えが抑え難くなる。全く、見事な悪循環だ。──これなら、スッチーを軟派するためにやってくる、どこぞのダム禁止でクリスタルな首長を相手にする方がよっぽどましだろう。
 兎に角、彼ら彼女らは、自らの不幸を痛感していた。
 世の中、これほどの不幸はないのではないか。
 そうとまで考えていた。
 しかし。
 彼ら彼女らの本当の不幸はこれからだった。


 男達は、中国系の裏組織、劉一族に連なる者達である。行き先は、第3新東京市。そして、目指すは日本の裏社会の従属化。そこに、碇ゲンドウの助っ人に出かける、等という思いは欠片もない。確かに、彼らは碇シンジを抑えるつもりだった。だが、それはあくまで自分たちのためである。橋頭堡を築くまでのしばらくは、碇ゲンドウと足並みを揃えよう。しかし、その後は──。
「兄者、酒のおかわりをしても良いかのう?」
 と、ヤバげな男達の中でも一際目立つ、大きな男が、隣に座る男に尋ねた。
 男はぎょろ目に、濃い顎髭。迫力のありまくる顔立ちだった。
「止めておけ。エキトクは酒癖が悪いからな」
 応えたのは、胸の辺りまで髭を伸ばした赤ら顔の男。この男も大きい。
「しかし、兄者、一杯だけ……」
「駄目だ」
 にべもなく、赤ら顔の男は、告げる。
 その横では、真っ白な髭、頭髪の老人が、スッチーを掴まえている。
「スッチーさんや? 飯はまだかのう?」
「あ、あの、機内食は先刻食べたばかりですが?」
「ああ、成る程、すまんかったのう。──ところで、スッチーさんや? 食事はまだかのう?」
「ああ、あの……」
 泣きそうになるスッチー。
 そこへ、助け船を出した男は、整った顔立ち、しかし精悍な顔立ちをしていた。
「黄大人、あまりスッチーさんを困らせては……」
「何という非道いことを。趙どのはこの老人を飢え死にさせるつもりか?」
「ですから、食事はしたばかりですよ」
「成る程、そうじゃったのか。 それはすまんかった。──所で、食事はまだかのお?」
「……ですから、食事は」
 と、間抜けな会話を交わしている横で、もう一人の男が、無言で目を閉じている。こちらも、整った顔立ちをしている。
 彼ら五人が、劉一族の差し向けた実戦部隊の隊長である。
 名前は、関ウンチョウ、張エキトク、趙シリュウ、黄カンショウ、馬モウキ。彼ら五人を纏めて、5虎将と言う。実戦部隊の中でも中枢中の中枢。他組織との抗争の際には率先して戦う対外実戦部隊の隊長達──即ち、劉一族、最強の男達である。──が、現実は、趙シリュウは親衛隊長の様なモノで、対外実戦部隊の司令官である他の4人とは微妙に職種が異なる。しかし、何故か一つに纏められて、そう言うことになっている。
 そして、その5人の中の主席は、関ウンチョウと言うことになる。何しろ、彼は劉一族のトップ、劉ゲントクと、杯をかわした義兄弟の間柄なのだ。ついでに、張エキトクの方も同様に杯をかわしているが、こちらはその三兄弟の中でも末弟と言うことになり、兄の関に主席の座を譲っている。
「……まあ、兎も角」
 こほんと咳払いを一つして無意味な会話に終止符を打ち、趙シリュウが4人に向けて告げた。
「楽しみですな。──あの、伝説とまで言われる碇ムテキの選んだ後継者と、矛を交えることが出来るとは」
 心底楽しみのようで、顔を輝かせている。職種が他の4人と微妙に異なるとは言え、自分の強さに自信があることには違いないのだ。
 しかし、関ウンチョウは小馬鹿にしたように表情を歪めた。
「ふん、碇ムテキがどうしたというのだ? 偉そうなことを言ったとて、所詮は極東の島国のガキ大将に過ぎない。我々の敵ではない」
「兄者の言うとおりだ。真の強者は、我々だ。奴は、我々のおらぬ所で、最強を誇ったにすぎん!」
 張エキトクが、関ウンチョウの発言を支持する。
「いや、しかしですな」
 趙シリュウは、反論した。彼自身、碇ムテキをそう考えている部分はある。しかし、この二人はあまりにも甘く考えすぎているのではないだろうか?
「彼の伝説を聞くに、話半分だとしても、油断の出来ない──」
「所詮は、噂にすぎん」
 関ウンチョウは、簡単に切り捨てた。
「趙殿は、噂に怯えているようだな」
「その油断が禁物だというのですよ」
「あの馬鹿馬鹿しい噂を話半分で見ろと? 竹槍で爆撃機を落とした、これくらいならばまだ良い。しかし、太陽系13番目の惑星に石を投げつけて砕いてカイパーベルトを作った、木星の大斑は彼が飛び込んだ時に出来た跡だ、等という、馬鹿らしい──馬鹿らしすぎる武勇伝の数々。半分にしたところで、馬鹿らしいことには違いない」
「ですが、舐めてかかるのは」
「心配いらん」
 関ウンチョウは、断固としていった。
「所詮、やつらの到達した場所など、我らが100年も前に通り過ぎた場所だ」
「兄者の言うとおりだ」
 と、張エキトクが頷く。
 その会話を、目を閉じたまま、馬モウキは聞き流している。
 黄カンショウは、再びスッチーを掴まえて、食事を要求している。
 趙シリュウは、僅かに顔を顰めた。
 確かに、自分を含め、この5人は強い。大抵の敵など、敵ではないだろう。
 しかし、碇ムテキを大抵の敵には含めることが出来ないと考えている。
 趙シリュウにしたところで、あの馬鹿馬鹿しいまでのうわさ話の数々を、頭から信じているわけではない。しかし、その中には比較的信じやすいレベルの噂もあり、それだけでも、碇ムテキは途轍もない強敵に思えた。
 だが、これ以上言っても仕方が無いという思いもあった。
 他の4人と、趙シリュウの役割は、微妙に異なる。同じ5虎将と数えられていても、趙シリュウは基本的に外征の指揮官ではない。親衛隊の隊長──即ち、劉一族のトップを守るのが仕事だった。だから、対外戦闘部隊の4人には、彼の意見はなかなか受け容れられない。
 いや、そうでなくとも、尊大な関ウンチョウは、他者の意見など、なかなか受け入れないだろうが。
 関ウンチョウは義理の人、等と言われているが、趙シリュウには、だたの偏屈で狭量な人間にしか思えない。──一応、自分よりも上位の人間なので、その感想を漏らすことは無いが。
「兎に角、碇ムテキなど、我らの敵ではない。いわんや、その下の碇シンジなどは、鎧袖一触、簡単に叩きつぶすことが出来るわ!」
 関ウンチョウは、はっはっはっは、と、大笑する。
 それにあわせて、部下達の中にも笑いが上がる。彼らの会話などろくすっぽ聞こえていないだろうから、きっぱり追従の笑いだった。
 厳しい戦いになりそうだ。
 趙シリュウは、考える。
 しかし、敵は、彼の想像以上に厳しかった。
 あるいは、悪辣だった。


 ぴんぽんぱんぽんと、まるで学校の放送を告げるチャイムのような音が聞こえてきた。
 機内放送だ。
「……ひいふう。本日は、HAL23便、中国発、松本国際空港行きをご利用下さって、まことにありがとうございます……ひいふう。ここで、機長に代わりまして、わたくし、「灰」より、非常に残念なお知らせがございますです、はい。……ひいふう」
 男の声が、スピーカーから零れだし、直後、機内をざわめきが満たす。
 非常に残念なお知らせ。
 どうにも、不吉な響きの言葉である。
「……ひいふう、当機は、誠に勝手ながら、行き先を変更することになりました……ひいふう。新しい行き先は……あの世、でございます……ひいふう。それでは、みなさん、短い旅をお楽しみ下さい……ひいふう。それでは、ここで失礼します……ひいふう。機長代理の、「灰」、でございました……ひいふう」
 妙に、「灰」の部分を強調している様に聞こえた。
 そうでなくとも、この機の乗客の大半には、「灰」の名前は聞き覚えがあった。
 ゼーレのトップエージェントの一人。「灰」、あるいは、「灰のカジエル」。様々な破壊工作を繰り返してきた、最悪のエージェント。
 椅子を蹴立てるようにして、関ウンチョウは立ち上がっていた。
 関ウンチョウだけではない。張エキトクも、趙シリュウも、黄カンショウも──そして、目を閉じ、半ば眠っているように見えた馬モウキも。
「灰だと? あの、灰か?」
 関ウンチョウは、叫び、大股で通路を前に進む。目指すは、操縦席だ。
 その後に、他の4人も続く。
「何故、灰が出てくる?」
「ネルフは、ゼーレ組の下部組織でもある。あるいは、そのせいでは?」
 趙シリュウがその疑問に応える。
 ネルフは現在、碇組の支配下にある。とは言え、司令のゲンドウは、ゼーレに組する者だ。つまり、ネルフは奇妙なねじれ状態にある。
 ゼーレが、これ以上ややこしくなることを嫌い、劉一族の介入を阻止しようとしたのか?
 その為の、灰の派遣か?
 どちらにせよ、これは非常に拙い状況だと言うことは確かだ。
 何しろ、相手は灰。
 考え得る状況の中で、もっとも最悪の敵だ。
 強い弱いで言えば、関ウンチョウは気にしない。自分より強い者など、何処にも存在しないと信じているから。何しろ、自分たちには4000年の歴史がある。その他の連中の強さなど、自分たちが100年以上前に通り過ぎた場所だから。正面決戦であれば、望むところ。一対一の戦いであれば望むところ。敵が誰であろうとも、一撃して始末することが出来ると信じている。
 だが、灰は拙い。
 灰のやり方は、単純な正面決戦ではない。
 搦め手から、あるいは、後ろから。自分の体を使って、敵と戦うことはない。敵との正面決戦など、絶対にしない。非常に、卑怯な相手なのだ。
 また、騒ぎを大きくすることを好むのが、灰だ。小火に油をかけて大火事にする。火のないところにも、火を付ける。ほんの小競り合いが、灰が介入したおかげで、大戦争になった例は山ほど存在する。基本的に、騒がし屋なのだ。灰というエージェントは。
 この場合──
 灰ならば、飛行機ごと、自分たちを始末するくらいのことはする。余裕で、笑いながらする。
 巻き込まれる他の人間のことなど、気にもしないだろう。
 逆に、喜ぶかも知れない。
 騒ぎが好きなのだ。
 もし飛行機ごと彼らを始末すれば、灰好みの大騒ぎになるだろう。
「お客様、困ります」
 混乱しながらも、スッチーが操縦席の扉の前に立ちふさがる。
「どけ」
 あっさりと、関ウンチョウはその抵抗を退ける。こんな所で、スッチーに関わっている余裕はないのだ。
 しかし、扉に手をかけて、眉をひそめる。開かない。鍵がかかっているのか?
「兄者、どいてくれい」
 張エキトクが声をかけてくる。
 関ウンチョウは、素直に場所を譲った。
「むうん!」
 張エキトクは、そのまま、扉に肩から体当たりをする。
 一撃で、重厚な扉が粉砕される。確かに、劉一族の誇る5虎将、伊達ではないのだ。
 扉が倒れ込むと、途端、風の流れを感じた。
 吸い出される?
 見れば、操縦席の窓硝子が割られている。外と中の気圧差により、中のモノが吸い出されようとしているのだ。
 客席で、悲鳴が上がる。小さなモノ、軽いモノが宙を飛び、幾つかが関ウンチョウの背中に当たった。
「……これは」
 しかし、それを気にする余裕もなく、呆然と、呟く。
 操縦席は、血の海だった。
 機長が、操縦士が、コンソールに突っ伏すようにして、事切れているようだ。
「……ひいふう。初めまして、でございますな、劉一族は、5虎将のみなさま……ひいふう。そして、さようならでございます……ひいふう」
 そして、一人の男が立っていた。
「貴様が、灰か?」
 尋ねつつ、関ウンチョウは確信していた。
 尻尾髪に無精ひげ。男の特徴は、関ウンチョウの知る灰のそれと一致していたから。多少、聞いていたよりも丸いような気もするが、気のせいだろう。
「そうでございます。……ひいふう」
 何しろ、相手が肯定したのだから、間違いない。
「あ、あなたは、無関係な乗客をも巻き込んで、平気なのですか?」
 趙シリュウが、信じられないと口を開く。
 このまま、この飛行機が落ちれば、趙シリュウの言ったように、無関係な乗客も巻き込まれる。確かに、大半は劉一族の関係者とは言え、そうでない者だって少なくはないと言うのに。
「どのみち、サードインパクトで人類纏めて皆殺しですから、問題ありませんね……ひいふう」
「馬鹿な。あなたは──欧州ゼーレ組は狂っている」
 呆然と、趙シリュウが呟く。
「これは、人類の進化のために必要なことなのですよ……ひいふう」
 灰は、全く悪びれずに応じる。
「ええい!」
 と、そこで、張エキトクが吼えた。
「難しいことは良い。お前は、俺の敵だ。ならば、倒す!」
 非常にシンプルで、それだけに分かり易い言葉だった。
 張エキトクが身構えるのにあわせて、他の4人も同様に身構える。呆然としていた趙シリュウもだ。何にせよ、こいつは倒さなければならない。
 しかし──
「ひいふう。私の噂を聞いておりませんか?、……ひいふう。決して、灰は直接的に戦ったりしないと……ひいふう」
「待て!」
 叫ぶが、灰は待たなかった。
 するりと割れた窓から外へ出ていくと、あっさりと体を宙に投げ出した。
「──!」
 吹き付ける暴風にも屈せず、関ウンチョウは顔を突き出し、外を確認する。
 自殺?
 いや違う。
 灰は、断じてそんなタマではない。
 そして、その通りだった。
 空に浮かぶ、小さなモノが見えた。
 それは凧。ご丁寧なことに、それを利用しているのが灰を示すように、墨痕鮮やかに、「灰」の文字が書かれている。
「おのれ、灰め──欧州ゼーレ組め!」
「それよりも早く、こちらを何とかしないと」
 趙シリュウの言葉が、恨み辛みに没入して、我を忘れていた関ウンチョウを現実に戻す。
 こちら──飛行機の状態。このまま墜落すれば、おそらく助からない。
 まずは、何よりもそれを避けねばならない。
「大丈夫なのか?」
「幸い、システムは破壊されていません。これならば──」
 言って、趙シリュウは、操縦席に座る死体をどかせようとした。そして──
 カチリという音が、死体の体の下から聞こえてきた。


「たまや〜、でございますな……ひいふう」
 青い空の上に咲いた、巨大な爆発の花を眺め、灰は呟いた。
 それから、自分の顎に手をかけると、顔をぺろりとめくり、引き剥がした。ついでに、尻尾髪のかつらも取る。
 すると、現れたのは、田茂地の顔だった。
「ミッションコンプリート、でございますな……ひいふう」
 田茂地は言って、口の中に大好物のブルーベリー味のガムを放り込んだ。
「しかし、ユウキ様も人使いが荒いでございますな……ひいふう」
 僅かにぼやくと、田茂地は次の任務のため、凧の進路を変えた。


 原因不明で墜落したかに見えたHAL23便であったが、「奇跡的に素早く」回収されたボイスレコーダーによって、俄然、世界は騒がしさを増す。
 特に、裏の世界が。

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