#104 報復するは、我にあり


 大陸某所。
 男が、泣いていた。この世の終わりという風情で、周りを憚ることなく、泣いていた。
 異様な風体の男だった。腕と、耳たぶの長さが、常人離れして長い。
 その男が、大声を上げ、顔を涙や鼻水と言った液体でびしょぬれにして、泣いていた。
 男の名前は、劉ゲントクという。
 中国の裏社会に君臨する、劉一族。そのトップである。
「関さん! エキトク……」
 嗚咽の切れ間に義兄弟の名前を口にしながら、泣き叫ぶ。
 彼と、彼の配下であった関ウンチョウ、張エキトクは、義兄弟の杯をかわしていた。
 そして、幾つかの誓いも、同時にかわしていた。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために。ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」
 泣き虫先生率いるラクビー部みたいな奴が一つ。
 そしてもう一つは、
「生まれたときは違っても、死ぬときは一緒」
 こういう誓いだ。
 その誓いは破られた。
 関ウンチョウ、張エキトクの二人は、その誓いを破り、彼、劉ゲントク一人を残し、先に死んでしまったのだ。
 しかし、悪いのはその二人ではない。
 二人は、理不尽にも殺されたのだ。
 彼ら二人と同行していた、劉一族の日本制覇のための尖兵と、そして、全く無関係な一般人を巻き添えにして。
 二人を派遣したとき、劉は、全く不安を感じていなかった。 
 何しろ、関、張の二人は、劉一族の中でも最強と言って良い男達なのだ。即ち、それは世界最強。何しろ、自分たちには4000年の歴史がある。他の強者達が自慢しているような強さは、3000年も前に彼らが通り過ぎた場所だから、負けるわけがないのだ。
 ──だが。
 だが、卑怯にも敵は、彼らを、彼らの乗る飛行機ごと爆破するという方法で、攻撃してきた。
 さしもの、劉一族最強を誇る人間と言えども、飛行機の爆発に巻き込まれ、雲の上からばらまかれては、生存することは不可能だった。
 劉は、中枢といえる劉一族最強の男達である5虎将と、500人近い兵隊を失った。
 しかし、それ以上に、義兄弟の杯をかわした二人を失ったことが、劉には堪えた。
 だから、彼は矢も盾もなく泣き叫んでいた。


 劉は、その後も、ずいぶん長いこと、泣き叫んでいた。
 しかし、激情は去る。
 哀しみが消え失せたわけではない。
 だが、僅かばかりの冷静さが、彼に戻ってきた。
 劉は考える。
 自分が、何をすべきか。
 何を、したいのかを。
 無論、したいのは報復である。
 理不尽にも、義兄弟を殺した奴に、報復をする。
 それ以外は考えられなかった。
 敵が誰であるか、解っていた。
 彼らを受け入れるふりをして騙し、日本へ兵隊を送る決断をさせた、碇ゲンドウ。
 そして、ボイスレコーダーの回収によって明らかになった実行犯──欧州ゼーレ組の「灰」。
 即ち、敵は欧州ゼーレ組である。
「……コウメイ」
 劉は配下の名を呼んだ。
 無言で控えていたその配下の名前は、諸葛コウメイと言う。何故か対外的には、戦闘にその能力を発揮する優れた軍師と言うことになっているが、実質は経営や人事と言った分野に才能を有す、後方要員である。鬼畜王ランスに例えれば、アールコートと誤解されているが、実質はマリス。そんな人物である。
「我が主よ、何でしょうか?」
 尋ねる諸葛に、劉は告げた。
「欧州ゼーレ組を攻める」
 その言葉を諸葛は予想していた。しかし、予想して尚、驚きを隠せなかった。
「お待ち下さい。それは──」
 劉一族は大きい。しかし、それよりも更に大きいのが、欧州ゼーレ組である。正面からぶつかれば、劉一族に分はない。
「もう決めたことだ。関さんとエキトクの敵を討つ!」
 諸葛は翻意を求めたが、しかし、所詮は戦いに疎い経済ヤクザであると軽く見られ、劉一族は欧州ゼーレ組との対決を決意した。


 一方、暗闇の中では、欧州ゼーレ組のトップ達も、会談を開いていた。
「これは、拙いよ。拙すぎる」
 鷲鼻の男が、甲高い声で叫ぶ。
「これでは、劉一族との敵対は避けられなくなる」
 自分たち、欧州ゼーレ組が敗北する。そんな可能性は、欠片も考えていない。
 何しろ、欧州ゼーレ組は大きい。他に並ぶ者もいないほどに、大きい。劉一族がいくら4000年の歴史とか言おうとも、ゼーレ組とて、古代ローマ帝国時代から欧州の暗部に潜み、表の歴史を操ってきた秘密組織だという自負がある。負けるはずがないのだ。
 しかし、鷲鼻の男の言うように、対決は拙かった。
 今、ゼーレ組の力は、補完計画遂行のために傾けられている。劉一族との対決なれば、そうも言っておれず、大多数をその戦闘に投入しなければならなくなる。
 即ち、それは、補完計画の遅れを招く。最悪、先送りになりかねない危険がある。
 そうでなくとも、ネルフ本部には、碇シンジという忌々しいファクターが存在しているのだ。
 力をつぎ込むならば、そちらにこそ。
 それが、彼らの思いである。
「……しかし、灰は何故、このような馬鹿なことをしたのだ?」
 一人が、信じがたいと言わんばかりに、首を振る。
 この時期に、劉一族と事を構えるのは、非常に拙い。それくらいは、灰としても理解しているはずだった。
 なのに──
「そうだ。灰は何と言っているのかね? これは、如何に切り札の一枚とて、処刑されても仕方がないほどの失態だよ」
 鷲鼻が、机を叩いて立ち上がり、甲高く叫ぶ。
 そちらに、一番の上座に座る男、議長、キール・ローレンツが奇妙なバイザー越しの視線を向ける。
「灰とは、連絡が取れない」
 重々しく告げたキールの声に、会議に沈黙が落ちる。
「それは、どう言うことですか? 議長!」
 最初に叫んだのは、矢張り鷲鼻である。
「まさか、逃亡したのですか?」
「わからん」
 キールは、あっさりと言った。
 鷲鼻が再び叫びだそうとするより早く、キールは続ける。
「だが、連絡が取れなくなったのは、昨日今日のことではない。──太平洋艦隊を使徒が襲ったという報告をよこした直後から、行方が解らなくなっている」
「……どう言うことですか?」
 用心深く、落ち着いた声が尋ねてくる。
 そちらに視線を向けて、キールは首を振る。
「わからん。──灰の独断専行は今に始まったことではないが、それでも最低限、碇ゲンドウに「アダム」を渡した後、報告するように厳命して置いた。しかし、その報告は未だに届いていない」
「……まさか、碇シンジに始末されたという可能性は?」
 この問いにも、キールは首を振ってわからんと繰り返した。
「ばかげている!」
 また、甲高い声が上がる。鷲鼻である。
「あの男が如何にこちらの都合を考えない、信用できない騒がし屋だとしても、多寡が子供にしてやられるはずが──」
「あるいは、碇ムテキが出て来たかもしれん」
「……」
 会議の場に、沈黙が満ちる。
 碇ムテキが相手となれば、灰が倒されることは充分にあり得る。
 そう言う沈黙だ。
「……しかし、今回の飛行機爆破に灰が関わっていないと仮定すると、真犯人は?」
 灰の安否について、この場でこれ以上話し合っても、結論は出ないだろう。そう見たのか、一人が問う。
「我々と劉一族が戦うことで、利益を受ける者達だろう」
 キールは、言って、沈黙した。
 それぞれが、それぞれなりに、その犯人を推測する。
 ゼーレ組は大きい。それだけに、敵対する者も多い。ただ大きい、一番と言うだけで気に入らないからゼーレに敵対する者だっている位なのだ。思いつく犯人は、非道く膨大な数になる。
 しかし、その中でも、一番に彼らの脳裏に浮かんだ者は──
「碇シンジ」
 静かに告げたキールの言葉に、列席者達は頷く。
 欧州ゼーレ組は、日本に向けて、まずは灰を送り込んだ。その後、続いて黒や兵隊も送り込む予定だった。その目的は、碇シンジの排除である。
 対して、劉一族。こちらも、碇ゲンドウとの密約により、碇シンジを排除する目的で日本へ兵隊を送り込もうとしていた。
 その両者がぶつかれば、碇シンジ退治へ割く兵力は減少するだろう。いや、劉一族の方は二正面作戦を採る余裕など無くなるだろうから、実質、そちらの脅威はなくなっている。
「犯人は碇シンジだと劉一族に教えてやれば──」
 これで全て解決する。そんな喜びの表情で、鷲鼻が叫ぶ。
 しかし、他の列席者達は首を振った。
「……証拠がない」
 一人が、ぼそりと呟く。
 それが、問題だった。
 証拠がないのに、アレは碇シンジの仕業だと叫んだ所で、信じて貰えるとは到底思えない。
 対して、ゼーレ組、灰の反抗だと考える理由の方は、大きなモノがある。
 「奇跡的に素早く」回収されたボイスレコーダーである。
 ボイスレコーダーには、灰と、劉一族5虎将とのやりとりが録音されていた。拙いことに、その会話の中では、欧州ゼーレ組のことや、サードインパクトの事に付いてまで。
 キールを初めとするゼーレ組幹部達は、慌て、その情報を抑えようとした。しかし、その甲斐はなかった。
 何のかんのと言っても、ゼーレ組に連なる人間達の中で、情報操作の分野で最高の実力を持っているのは、碇ゲンドウだった。しかし、そのゲンドウも、手足となる部下を奪われた現状では、ろくに動くこともできない。その状態にゼーレ組幹部達がまごついている内に、全ては報道されてしまった。
 逆に、ゼーレ組の必死の隠蔽工作に逆らうように、報道された程である。
 そこに、碇シンジの影があるようにも感じる。考えてみれば、碇ゲンドウが情報操作をするために育て上げたスタッフは、皆、碇シンジの手のモノになっているのだ。それくらいは、やってもおかしくない。
 どころか、「奇跡的に素早く」回収されたボイスレコーダーという部分で、碇シンジの工作を考えてしまう。
 だが──
 当事者の一人、灰を擁する欧州ゼーレ組が何を言ったとしても、劉一族に信じて貰えるとも思えない。
 欧州ゼーレ組側が大きな譲歩を見せれば、その限りではないが、そんなことは出来るわけがない。
 偉大で優秀な白人である人分達が、劣等な黄色人種達に譲歩する?
 そんなことが、出来るわけがないのだ。
「しかし、正面戦争は拙い」
 具体的な対策のないままに、議題は堂々巡りをする。
 ──が、そこへ変化が現れた。
 列席者の一人が連絡を受けた、その直後に。
 劉一族は、ゼーレ組のように考え込んだりはしなかったようだ。
 彼らは、即座に報復の部隊を差し向けたのだ。
 具体的には、欧州ゼーレ組の末端組織の一つが襲撃を受けたのだ。
「猿どもが!」
 一人が叫び、机を乱暴に叩きつける。
 頭で疑いを感じたとしても、殴られれば考えるより先に手が出る。
 それが、裏社会の人間達に共通する性質であり、ゼーレ組の人間達も、その例に倣った。
 欧州ゼーレ組と劉一族は、泥沼の戦争が始まる……


 時は僅かに遡る。
 とある欧州ゼーレ組の事務所では、一人の男が這い蹲っていた。
「きさま、俺達欧州ゼーレ組に手を出して、ただで済むと思っているのか? 貴様は勿論、家族を──親類縁者全てを限りなく残酷に殺して──」
 敗北──怪我をして満足に体を動かせない状態であるというのに、瞳に怯えを微塵も現さず脅し文句を口にする黒服の男に、言われた方は何の感慨も抱いていない顔で、無造作に青竜刀を振り下ろした。
 それで、この事務所は静かになった。
 ここにいた全員、生命活動を停止させていた。
「……ひいふう」
 人民服を着た田茂地は青竜刀を放り出すとハンカチで流れた汗を拭い、ポケットから小さなモノを取り出した。
 小さなモノ、それは、「劉」と浮き彫りにされた代紋。
 動かなくなった男の一人にそれを握らせると、田茂地は首を回してこりをほぐす。
「このくらいで、後は勝手にやってくれますかね?、……ひいふう」
 実は先刻、先に劉一族の組の一つに、無造作に銃弾を撃ち込んできたところだ。無論、現場には「ゼーレ」と浮き彫りにされた代紋を残してきていた。
「しかし、ユウキ様は本当に人使いが荒い……ひいふう」
 田茂地は僅かにぼやき、口の中に好物のブルーベリー味のガムを放り込んだ。

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