#104 狙われた少女
テレビ画面では、アナウンサーが緊迫した表情、口調で記事を読み上げている。
報道特別番組。HAL23便墜落の真相。
そんなテロップが、画面下に出ている。
その画面の正面、ゆったりとしたソファーに腰を下ろした少女は、肩を小刻みに震わせていた。
527人乗りのジャンボジェットが墜落。そして、その全員が絶望的。
痛ましい事件。
少女は、泣いている?
違った。
少女は、笑っていた。
おかしくて堪らないという風に、笑いを零している。
軽やかで上品な笑い声が、少女の唇から零れている。
──が、少女の目は、目だけは全く笑っていなかった。
「やってくれますわね、碇シンジ」
笑いを収め、歌うように、呟くように口にした少女の名前は、天野ミナカ。天野連合会長を務める少女である。
ミナカは、この墜落が、碇シンジの手によって起こされたモノであることを、一片の疑いもなく、確信していた。
「そこまで、やりますか?」
少々、恐れをまじえた声で尋ねたのは、中年の男。がっしりとした体つきに、怖い顔。いくらでも見かけるデフォルトの黒服──に比べれば、かなり迫力があった。
「確かに、劉一族の派遣部隊は全滅しましたが、同時に、無関係な人間も──」
「マツバラ」
ミナカは、短く名前を呼び、口を封じさせる。
男の名前は、美保野マツバラ。かつては、天野連合の双璧の一。もう一人の双璧と呼ばれた富岳ヒャッケイ亡き今は、並ぶ者のいない最高の実戦部隊隊長の座に付いた男である。
ミナカは、背後に控えているマツバラの方に向き直り、表情だけは笑顔、しかし目は全く笑わずに、告げた。
「碇シンジは、それくらいは平気でやりますわよ。ヒャッケイのことを忘れましたか?」
言われて、マツバラは表情を改める。信じがたいと言う顔から、納得の顔に。
彼の同僚であり、同時にライバルであった富岳ヒャッケイはどのようにして倒れたか?
どのようにして、碇シンジに倒されたか?
それを、思い出したのだ。
「──敵対する者達を一カ所に集め、あるいは集まった場所を狙い、その場所ごと、問答無用で破壊する」
それが、碇シンジのやり方だった。
かつて、富岳ヒャッケイ率いる天野連合精鋭2000人を全滅させたときは、彼らがシェルターに避難したところを、エヴァンゲリオンを使ってシェルターごと破壊した。
今回は、劉一族の兵隊達が乗る飛行機を、飛行機ごと落として全滅させた。
非道く、効率的。
そう納得する一方で、納得できない思いも大きい。
確かに、効率的だ。しかし、無関係な者を平気で巻き込むやり方は、許容し難かった。どこか、壊れているのではないか。そう思わせる。
戦いに於いて、怯えたことなど無いマツバラだったが、背筋に冷たいモノを感じていた。
今現在、マツバラは全滅した精鋭2000に代わる、新たな中核部隊を育てるための教育を行っている。それが終われば、マツバラはそのまま彼らを率い、戦うことになるのだ。
碇シンジと。
マツバラは暴力の世界で生きてきた男である。それ以外の生き方もできないと思っている。殺し合いは、一度や二度ではない。だが、どこかこの敵は勝手が違うような気がする。不必要に人を殺しすぎるのではないか?
「それに、今回はわざわざ犯人役まで準備して。全く、油断も隙もありませんわね」
マツバラの内心を知らずにか、楽しそうにミナカは告げる。
奇跡的に速やかに回収されたボイスレコーダーには、犯人と思われる男と乗客の会話が残されていた。
それによって、幾つかの事柄が判明している。
飛行機を爆破したのは、灰と呼ばれる男であること。男の所属するのは、ゼーレと呼ばれる組織であること。そして、その組織はサードインパクトを発生させようとしていること。
報道される内容を見ると、その後半部は、何処まで本当のことであるか、識者は疑問に感じている様子だ。
サードインパクトを発生させる。それは、自殺と同意だろう。真っ当な人間であれば、そんなことを考えるはずがない。──しかも、そんな都合のいい隕石が、何処にあるというか?
一方で、事情通を名乗る識者は、セカンドインパクトが隕石によるものではないと言う未確認の情報を披露して、更に、カルト集団において、集団自殺は決して珍しいことではないとの意見を披露している。
両者の意見は噛み合わず、画面の中では、罵りあい寸前だった。
ミナカは、小馬鹿にしたように鼻で笑う。何も知らない哀れな者達。操作された情報に踊らされている愚か者。そうした、態度。そして、そんな態度をとっても、ミナカは華やかで魅力的だった。
「劉一族とゼーレ組は、碇シンジの思惑通り、戦闘状態に入りました。──これで、両者共に碇シンジに割く兵の余裕は無くなったでしょう」
比較すれば、ゼーレ組の方が劉一族よりも大きい。だが、それでも劉一族を一撃で殲滅できると言うわけではない。特に、弔い合戦だと燃えている劉一族である。下手に手を抜けば、手ひどい痛手を受けかねないから、ゼーレ組も余裕を見せるわけには行かない。全組織を上げての戦闘態勢のようだ。長く凄惨な戦いとなるだろう。そしてどちらが勝利したとしても、、全くのノーダメージで、とはならないだろう。
その辺りまで含めて、
「全く、碇シンジも良くやってくれますわ」
と言うミナカの言葉である。
「その件ですが……」
マリが、その容姿に似合った静かな口調で告げる。知的な美女。その容姿に併せるように、マリは滅多なことでは声を荒げない。今回も、完璧にコントロールされた、静かな声だった。
「どうやら、指示を出しているのは、碇シンジではない様子です」
「?」
僅かに首を傾げ、ミナカが先を促す。
頷き、マリは続けた。
「碇組のトップが碇シンジであり、彼の判断の元に動いていることは、間違いありません。しかし、実質、組の運営──経営から戦闘まで、実務面を取り仕切っているのは、この少女の方のようです」
マリは、小脇に抱えていた書類の束を、ミナカの方に差し出す。
ミナカは受け取り、一枚目に添付されている写真を見て、顔を顰めた。
写真には、華やかさには欠けるものの、充分以上に整った顔立ちの少女が写っていた。表情は、柔らかくにこやかに微笑んでいる。
その顔に、ミナカは勿論覚えがあった。
JA完成披露パーティで、下らないブラフを仕掛けてきた少女。
ミナカはそのブラフを、10中8,9までブラフであると見抜きながら、マリの懇願もあって、見逃している。
その結果、JAはEVAに大敗した。無論、JA敗北には、他にもいろいろな敗北の要素はあったのだが、全ては、あそこで碇シンジを倒せなかったからこその結果だ。
負けることが好きな人間は珍しい。勿論、ミナカは好きではないし、自分には勝利こそが相応しいと当たり前に考えている。
だから当然、この少女には良い印象を抱いていない。
「加賀ユウキ、と言うのね?」
「こんな少女が、碇組を? それに──」
戸惑いの声を出したのは、マツバラである。マツバラには、見た目、虫も殺せないような少女に見えた。
そちらを、咎めるようにマリが見つめ、忠告した。
「見かけで判断すると、痛い目を見ることになりますよ」
「……申し訳ありません」
マツバラは、素直に謝罪する。
碇組の実務面を取り仕切っているのがこの少女だというのならば、こちら、天野連合の実務面を取り仕切っているのは、この、彼岸花マリである。マリの立場は、ミナカ付きの侍女でしかないが、実質は天野連合のナンバー2である。つまりは、マツバラよりも上位の人間になる。そう、ここにも、見かけで判断してはいけない人間の実例がいるのだ。更に言えば、見た目、可憐な美少女でしかないミナカも──
「成る程、セカンドインパクト孤児と言う訳ね」
書類にざっと目を通したミナカが、納得したように呟く。
「はい」
マリは、頷く。
JA完成披露パーティの対面の直後から、マリはユウキについて部下を使って調べさせていた。
それは、なかなか芳しい結果を出さなかったが、ようやくある程度の情報を手に入れることが出来た。
しかし、ある程度。
やたらと虫食い、空白の部分の多い情報である。
2000年 加賀ヒデキ、ユウコの第一子として誕生。ユウキと命名。
2003年 加賀ヒデキ死亡。
2006年 加賀ユウコ死亡。ユウキは孤児院に預けられる。
2008年 孤児院を仲間と連れだって脱走。
2011年 人身売買組織で売り出されたところを、碇ムテキが購入、シンジに与えられる。
2012年 津山組に拉致されるも、碇シンジによって助け出される。
2014年 碇シンジと共に、第3新東京市へ。
ざっと見れば、この程度の履歴しかない。
特に、孤児院を脱走してから人身売買組織によって売り出されるまでの間は、何処で何をしていたのか、全く知られていない。
その他の部分でも、さして詳しい情報は手に入っていない。セカンドインパクト後の混乱期。殆ど記録が残っていない時代なのだ。また、両親共にどうでもいいような只の一般人であったため、特にだ。
それでも、ひとまずはこれで充分だと、マリは判断していた。
セカンドインパクト孤児とミナカが口にしたように、セカンドインパクトからその後の混乱期に親を失ったこと。
そして、孤児院を脱走後は、おそらくはストリートチルドレンとして、犯罪行為をしていたであろう事。
「人を殺すことに禁忌がないわけですわね」
あの、セカンドインパクトの後の混乱期、何の保護も受けていない子供が生きていくためには、犯罪行為に手を染めるしかない。いや、その状況は、多少の改善は見られるとは言え、現在でも変化はない。第3新東京市を初めとする極限られた場所に居住していれば忘れがちだが、復興は完全になったわけではないのだ。どころか、逆に、第3新東京市などが例外の範疇にはいるだろう。第3新東京市は、ネルフがあるため、優先的に復興のための金がつぎ込まれているのだ。
そして、その分、他の場所にはしわ寄せが行く恰好になる。世界の多くは未だ廃墟が広がり、他人を助ける余裕など無い場所なのだ。他人を殺してでも、奪わなければ、生きていけない世界なのだ。死は日常──そんな世界で過ごしてきた少女が、人殺しに対して禁忌が無くとも、おかしな事ではないだろう。ある意味、純血のヤクザものであるマツバラなどよりも、余程厄介な相手だ。
「更に、もう一つ──こちらは、未確認の情報ですが」
「なんなの?」
ミナカが言いにくそうなマリを促す。未確認、そんな情報を告げることに、マリには躊躇いがあるのだろう。
「かつて、碇組に存在した、謎のスナイパーの噂、覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、あの冗談みたいなスナイパーの話ね」
ミナカが、顔を顰める。
「狙撃を初めとする銃の扱い以上に、ポケットから対戦車ライフルを引っぱり出すとか、スカートからロケットランチャーを取り出すとか言われた、アレの事ね?」
「はい」
「アレは、只の噂では? 少なくとも、そんな真似を出来る人間が存在するとは、とても」
マツバラが口を挟む。
しかし、マリは首を振った。
「ミナカ様も覚えていらっしゃると思いますが、JA完成披露パーティの時、この加賀ユウキという少女は、スカートから大量の缶をとりだしました。どう考えても、外からそれと伺わせずに持ち運ぶには不可能な量の。──更に、それ以前にも、スカートから一抱えもあるバスケットを取り出したという、目撃情報もあります」
「まさか、そんな出鱈目なことが……」
マツバラが、呆れたように呟く。先刻咎められたばかりだが、それでも納得できないようだ。何かの見間違いではないか? だいたい、噂というモノは、尾鰭端鰭が付いて、真実からは遠くなっていくモノだ。噂のスナイパーとやらからして、疑わしい。そう言う口調だ。
「碇ムテキに連なる一族は、「まさか」を平然と行う、冗談のような一族よ」
だが、ミナカが顔を顰めてマツバラの楽観論を否定する。
ミナカの父、天野ハシダテもまた、「まさか」を平然と行う、冗談のような男だったのだが、取りあえずそれは棚に上げたらしい。
「あの碇ムテキが、わざわざあてがった娘です。──それくらいは」
「やりかねない、と言う事ね」
ミナカは、うんざりしたように頭を振りながら、マリの言葉に続けた。
「それで、わざわざ、この娘の事を報告したと言うことは、マリには何か考えがあるのでしょう?」
「はい」
姿勢を改め、マリは応えた。
「碇組を倒すのに、今まで、我々は碇シンジを狙ってきました。──その方法は、間違いではありませんし、これからも継続して行う価値はありますが、もう一人、この娘を狙うと言うオプションを提案します」
「……」
「碇シンジは、碇組の頂点に君臨します。碇シンジがいてこそ、碇組は纏まっています。──しかし、碇シンジは基本的に、君臨すれども統治せずの形で、実務面はこの娘に丸投げをしているという報告が入ってきています。ならば──」
「この娘がいなくなれば、碇組はまともに経営できるかどうかも不明、と言う事ね?」
「はい、やってみる価値はあるかと」
「良くってよ。マリの好きなようにしなさい」
「はい」
マリは、一礼して頷いた。
[BACK]
[INDEX]
[NEXT]