#108 静粛に! 天才ただ今訓練中


 まばゆい光の束が、EVA弐号機を際どく掠めて通り過ぎる。
 殆ど地面に伏せるほど身を低くした弐号機は膝に力を込め、飛び上がるようにして立ち上がると、即座に大地を蹴って、正面、今し方加粒子砲を放った青く巨大なクリスタルの化け物──第5使徒めがけて駆け出していく。
 第5使徒は、即座にスリットに光を走らせる。粒子の加速。その速度は、先の攻撃よりも速くなっている。
 そして、再びの発砲。
 弐号機は、真正面から撃ち出されたそれを、素早く方向転換、右に飛んでかわす。
 使徒は、弐号機を追い掛けるようにして回転、加粒子の光が凪払うようにして弐号機に迫る。
 弐号機は、慌てず騒がず、飛んだ方向へ、そのまま速度を上げて走る。
 追随する加粒子の光。こちらの方が早い。
 後少しで追いつき、弐号機の背中を灼く。
 その寸前、背中に目があるかのようにぎりぎりまで待って、弐号機はその場で大きくジャンプ。足の下に加粒子をやり過ごす。
 横から上への動きに、使徒は反応できなかった。虚しく加粒子は虚空を突き抜け、すぐに照射時間の限界を迎えたのか、まばゆいばかりだった光は先細りして、消える。
 上手く膝を使って衝撃を逃し、綺麗に着地した弐号機は、再び第5使徒へと迫る。短距離走のスプリンターにも似た、素早いダッシュ。第5使徒に更なる加粒子の充填時間を与えなかった。
 手にした、ソニックグレイブを構える弐号機。
 対して、第5使徒は攻撃を捨て、自分の体を回転させ始めた。何らかの斥力場が、第5使徒の周囲に展開されていく。
 弐号機は、真っ直ぐに近づく。
 まともにぶつかれば、その斥力場に弐号機は虚しく弾かれてしまうだろう。
 勿論、弐号機はまともにぶつかるような真似をしなかった。
 第5使徒の直前で、これまでの疾走の勢いを利用し、大きく宙に舞った。
 軽々と、まるで背中に翼が生えているかのように、宙に跳ぶ弐号機。
 体の下に、第5使徒を飛び越すようにしたその瞬間、弐号機は手にしたソニックグレイブを投げ下ろしていた。
 ソニックグレイブは真っ直ぐに跳び、第5使徒の体──その回転の軸となっている中心線を直上から貫いていた。すざましい回転をする外周部は兎も角、回転の中心軸には、あの不思議な斥力場は存在していなかった。
 使徒共通の急所、コアはその中心線にあった。
 それを貫かれた第5使徒は未だ回転を続けていたが、鮮やかな色合いだったクリスタルのような表皮が目に見えて色あせ始めた。見る間に、くすんだような色合いに変わった第5使徒は、虚しい回転を続けつつ、ゆったりと大地に崩れ、動かなくなった。


「ふう」
 詰めていた息を、惣流アスカ・ラングレーは小さく吐き出す。エントリープラグの中、空気はなく、代わりにLCLが吐き出される。
 確かに第5使徒は油断のならない敵だった。一撃必殺の加粒子砲、アレを喰らえば、EVAだってただでは済まない。だが、最早アスカの、アスカの弐号機の敵ではなくなっていた。
「マヤ、次よ!」
 威勢良く、コントロールルームに詰めている伊吹マヤに命じる。
 現在、アスカはシミュレーションを使っての訓練中である。世界最強を自負するスーパーコンピューターMAGIの能力を惜しげもなく使った、そこいらの軍用のモノなど相手にもならない、高性能な代物。最初、シンジに糞ゲー呼ばわりされたために改良を施されたモノだ。EVAの挙動は、シンクロ率その他からの計算を元に実物さながら、敵の能力も観測データに基づいて実物同様。ただ唯一の実戦との違いは、EVA損傷の痛みなどのフィードバックが、弱めの電流による軽い刺激に置き換えられているだけ。まさしく、実戦と変わらない程の、シミュレーョン。
 アスカは、ここ半日ばかり、この訓練を続けていた。
 第6使徒戦では、思わぬ不覚をとった。
 思わぬ不覚だ。自分の実力は、あんなモノではないのだから。
 次の戦いでは、自分の優れた実力を見せつけてやらねばならない。
 二度と不覚をとらない、自分を戒めるためにも、訓練は欠かせない。
 同時に、この本物さながらのシミュレーターである。本物さながら! ここで見せた実力こそが、アスカの本当の実力である。それを、いささかアスカの能力を疑問視する連中に見せつけるという効果もある。
『アスカ……そろそろ』
 あがって。 
「まだよ。次はもう少し難易度を上げて頂戴」
 そう続けようとしたマヤの声にかぶせるようにして、アスカは告げる。
 冗談じゃない。まだまだ、全然足りない。
『無茶をしても、仕方がないわよ。それに──』
「この程度、全然無茶じゃないわよ。あたしは惣流アスカ・ラングレーよ。他の、ぬるい本部のチルドレンと一緒にするんじゃないわよ!」
『シンジ君がぬるいかどうかは兎も角……、どっちにしても、もう予定していた時間が過ぎているわ。MAGIがここに能力を割いていると、他部署の仕事が……』
「そんなの後にしなさいよ。私が使徒戦で負けたら、その他の部署も纏めて終わるのよ。何を優先すべきか、考えてみるまでもないでしょ?」
『そう言うわけにも……』
「そう言うわけにも行くのよ。さあ、マヤ、早く!」
 ハリー、ハリー、ハリーと急かすアスカに、マヤが根負け、ごね得でアスカの意見が押し通ってしまいそうになった寸前、マヤとは違う冷静な声が割り込んできた。
『アスカ、我が儘は止めて頂戴』
『先輩』
 語尾にハートマークが付きそうなマヤの声を聞くまでもなく、それは赤木リツコの声だった。
『あなたがここでMAGIを優先的に使っていると、他部署に影響が出るのよ』
 MAGIはスーパーコンピューターである。その能力は、けた外れに高い。とは言え、万能でもない。実戦さながら、空気の流れまで再現しているのではないかという、シミュレーターの高精度な仮想空間を構築する事は、流石のMAGIにしても、かなりの負担になる。
 MAGIはネルフの中枢と言ってもいい。MAGIと無関係に独立した部署はほとんどないから、MAGIの処理が遅くなれば、その影響がネルフ全体に出る。
「なによ。EVAこそが、ネルフ最大の存在意義でしょ? だったら、そのパイロットの私の──」
『だから、優先的にMAGIを割り振って、訓練の為の仮想空間を作り上げたんでしょ?』
 リツコの声は、小憎らしいほどに落ち着いている。すぐに狼狽え、押し切られそうになったマヤとは大違い。虚しく壁と力比べをしているような気分になる。
「まだ、足りないのよ!」
 それでも、アスカは吼えるように口にしていた。
『落ち着きなさい、アスカ』
 応じる声は、矢張り冷静。腹が立つほどに。
『どう見ても、オーバーワークよ。あなたの訓練スケジュールは、専門家が苦心して作り上げたモノよ。素人が勝手にそれを崩しても、良い事なんて無いわよ。体をいじめるだけで強くなれるんだったら……苦労しないわ』
 リーダー、微妙な間は、無茶を通して強くなったどこかの誰かが頭に浮かんだせいだが、アスカにはそれは解らない。
「でもっ!」
『議論している時間も勿体ないわ。これは、決定よ。マヤ、シミュレーションの終了を』
『はい、先輩』
 元々マヤはそれを望んでいたし、何よりも先輩の言葉、否はない。
『アスカはあがって、デブリーフィングを』
 厳しく、反論は認めないとリツコが告げる。それから、口調と矛先を変えた。
『マヤ、あなたはもっと、毅然とした態度をとりなさい。我が儘にずるずると……だいたい、あなたは──』
『……はい、先輩』
 漏れ聞こえてくる会話を殆ど聞き流しながら、アスカはエントリープラグの中、顔を伏せた。
「……こんちくしょう」
 呟きは小さく、マイクも拾うことなく、エントリープラグの中で虚しく消えた。


「アスカちゃんて、意外に努力家ですか?」
 マヤが、シミュレーションの終了手順を踏みながら、リツコに尋ねた。
 その横で、シミュレーションの結果に視線を落としていたリツコは、そのままの姿勢。しかし、マヤは気にせず、続けた。聖徳太子ほどではないが、リツコだって幾つかの事を並行して続けられるだけの能力を持っていることを、承知しているから。
「なんだか、ドイツ支部からのデータでは、華やかな天才少女の印象があったんですけど、実物を見てみると、天才と言うよりも、努力家の秀才のような気がするんですよね」
「努力できる、っていうのも、才能の一つよ。ほら、電気椅子のセールスマンが言ったでしょ。『天才は1パーセントの霊感と、99パーセントの努力』だって。いくら才能があっても、努力無しには成り立たないのよ」
 リツコにとって、身近な天才は、矢張り母親の赤木ナオコだろう。アレの場合、日々読みあさった論文、繰り返した実験等が、努力に当たるのだろうか。何にせよ、何もせずに天才と呼ばれるようになったわけではない。本人は努力を努力と感じているふうでもなく、嬉々として繰り返していたが。好きこそモノの上手なれ。まさしく、そんな感じだったとは言え。
「……ただ、アスカの努力は悲壮な感じがするのよね。私には、これしかないんだ、っていう感じの、逃げ場のない──しなくてはならない努力」
 その様に、ドイツ支部でコントロールされてきた。
 いまだ、アスカに施されたマインドコントロールへの対処、デプログラミングは、殆ど手つかずの状態だ。様々な情報に触れあわせることにより、アスカが世界の全てだと思っていることが、ほんの小さな範囲の事柄に過ぎないことを知らしめる。狭い価値観では、偏った考え方をすることになる。それを知らせねばならない。──のだが、アスカはまさしくEVAにのめり込み、よそに目を向ける余裕が無いようだ。また、使徒のことを考えれば、他のことばかりに目を向けさせるわけには行かない。どちらを向いても問題がある。二律背反的な状態、中庸を選ばざるえないため、なかなか先に進まない。
「荒療治──は、成功すればいいけど、失敗したときに困るし」
 本来ならば、荒療治で充分だった。成功すれば良し、失敗して本当にアスカが壊れた場合は、他のチルドレンを選出するだけの話であったから。
 だが、シンジの突然のプロポーズによって、予定が見事に崩れてしまっている。また、影響はそれだけではない様な気もする。表向き変わらないが、ユウキに関しても、注意をしておく必要があるような気がしてならないリツコである。
 全くこれは──
「恨むわよ、シンジ君」
 思わず、ぼやいてしまう。
 ただでさえ過剰勤務。これ以上、心配の種は増やして欲しくない。
「しかし、アスカのこの成績──」
「凄いですよね。ほぼ、100パーセント勝利。最後の頃なんて、危なげなんて全くなくて、見ていて安心できましたよ」
 マヤが無邪気に喜ぶが、逆にリツコは眉を寄せた。
 確かに、データを見れば、マヤの言っていることは解る。リツコは、数字の羅列から、その状況をほぼ正確に想像できていた。リツコでなくとも、損耗率や被弾率などは、目に見えて改善されていることが解る。成績は、右肩上がりだ。
 だが、使徒戦において重要なのは初戦なのだ。同じ敵と二度三度と戦うようなことは、まず無い。訓練と違い、敗北すればそれで終わり、再戦の機会が与えられない可能性もある。最初の一戦が、最後の決戦と考えて、ほぼ間違いない。
 そうした視点で見ると、アスカの成績は、安堵できるようなモノではない。
「……どうも、予想外の事態に弱いわね」
 リツコは、小さく呟く。
 思えば、第6使徒戦の時も思わぬ牽制に虚を衝かれ、あっさりと敗北している。
 シミュレーションの結果を見ても、繰り返し戦闘して敵の能力が判明した以後はべらぼうに強いが、それ以前の成績はぱっとしない。
 ある意味、当たり前のことだが、それでも、不安視してしまう。
 なにしろ、使徒との戦闘は何も解らない状態でのぶっつけ本番というのが、殆どだ。これまでの使徒と同じ能力を持った使徒が次も現れると言う可能性は低いから、突然の状態にも即座に反応できる能力が要求されると言うのに、その辺りが不安である。
「……まあ、シンジ君がいるから、大丈夫だとは思うんだけど」
 結局の所、ネルフの人間の思いはこれに尽きる。シンジがいれば、何とかしてくれるだろうと、無条件に信頼──あるいは依存してしまっている。
 そして、それがアスカには面白くないのだろう。ドイツ支部では、支部唯一のチルドレンとして周囲の期待を集めてきた。しかし、本部ではそうした視線はシンジに向かい、アスカにはさほどではない。極言してしまえば、いなくても構わないようにすら思われている。それは、アスカには許容できかねることだろう。
「あの、先輩、終わりました」
 考え込んだリツコに、マヤが報告してくる。
 視線を向けると、既にシミュレーターは終了している。この後のデブリーフィング用のデータの取りまとめも終わっているようだ。
「そう、じゃあ、私たちも移動するわよ。──アスカが焦れないうちにね」
 既にアスカはそれ用の部屋に移動しているはずである。
「……既に遅いような気もしますけど」 
 マヤの声を無視して、リツコは部屋を移動した。


 デブリーフィングはおおむね問題なく終了した。
 アスカが終始不機嫌だったのは、予想通りの事であるから、問題には当たらない。
 問題は、その後だった。
「あ、アスカ、明日から学校に通って貰うから」
 さらりと告げたリツコに、アスカは目に見えて顔を顰めた。こいつ、何を言っているんだ。そんな視線だ。
「何の話よ」
「だから、明日から学校に通って貰うっていう話」
「何の冗談?」
 アスカは微妙に言い直し、リツコを睨み付ける。
「私は、もう大学も出ているから──」
「郷に入りては郷に従え。──この国では、海外の学歴は殆ど無視されて、年齢がモノを言うのよ。アスカは、義務教育が必要とされる年齢だから」
「なによ、それは!」
「私が決めた事じゃないんだから、文句を言われても困るわ。文句は、政治家に言って頂戴」
 さりげなく、責任転嫁をする。
「そんなモノは、ネルフの特務機関権限で──」
「悪いけど、こんな事で特務機関権限を使いたくないの」
 にべもなく、リツコは応じた。
 特務機関権限。使徒戦に限り、全ての権限が与えられる。本来、犯罪とされることでも、使徒戦に必要だと判断されれば、許容される。
 この段で行けば、EVAパイロットであるチルドレンを、修学させる義務(義務教育とは、保護者が、被保護者に教育を受けさせなければら無いという義務であって、被保護者が教育を受けねばならないと言う義務ではない。被保護者の場合は、教育を受ける権利となる)を特務機関権限でもって無しにすることもできるだろう。使徒戦のための訓練、と名目を付ければ、十分に可能だ。
 しかし、この特務機関権限、便利なだけに使い所の難しいモノであるはずだった。伝家の宝刀は、抜かないに越したことはないのだ。なのに、ネルフはこれまで、この伝家の宝刀を抜きまくってきた。我を通せば、通された方に悪感情が芽生えるのも当たり前の話。特務機関権限を使ったごり押しを繰り返した結果、ネルフと周囲の組織の間は隙だらけになってしまった。隙だらけというのも、慎ましい表現だ。きっぱり、ネルフは疎まれ、憎まれていた。
 その状況を改善したいと言っているのがシンジである。だから、特務機関権限の使用は、出来うる限り少なくするように、と言うのが現在のネルフ首脳部──ゲンドウらではなく、実質的な──の総意となっている。ごり押しよりも、対等な交渉によって──それが、最近のネルフの考え方である。だから、特務機関権限の使用は控えたいのだ。
 もっとも、この程度のことであれば、使用したとしても大勢に影響はないが──
「これは、シンジ君の要望でもあるの」
 言いたくはないが、言わないでばれたときのことを考えると、口にしないわけには行かない。
 聞けば不快だが、聞かないで後で知ったときの方が、もっと不快になるだろうから。それなら、まだましな方を選ぶべきである。最近のリツコは、素直にロジカルな思考が出来る。かつては、ゲンドウやレイが関わると、途端に感情が五月蠅かったモノだが。
 案の定、聞いたアスカの顔が歪む。
「最近シンジ君、学校生活が楽しい、って言ってましたよね。以前は、あんなに嫌がっていたのに」 
 マヤが、場を読まずに気楽に口にする。
 確かにシンジは、学校を嫌っていた。何しろ、以前はいじめられていたから、学校を好きになる道理もない。しかし、今のシンジをいじめるような勇気のある者もおらず、普通に楽しんでいる様子だ。いや、普通以上に。少なくとも、クラスメートの女の子を物色して泡の風呂に沈めるのは、普通とは言えない。
「なんで、アタシがあんな奴の言うとおりにっ!」
「アスカのためでもあるのよ」
 そこで、マヤが口を挟んできた。
 何か的外れなことを言いやしないかと心配するリツコの前で、矢張りマヤは的外れなことを口にした。
「ほら、この国って、海外の学歴ってあまり重視しないのよ。海外の有名大学を出ていても、あまり実績としてみてくれないの。オック●フォードとか、マサ●ューセッツとか、世界的に有名な学校を出ていても、この国の大学ほど、重要視して貰えないのよ。それに、やっぱり学閥ってモノがあって、日本の大学を出ていないと、就職した後もなかなか認めて貰えなかったりするの。だから、アスカもこの国で過ごす以上、この国の学校を出ておいた方が良いわ」
 確かに、マヤの言うようなことは現実に存在する。
 学閥、上層部がとある大学の卒業生で閉められていたら、彼らが出世させる人間に自身の出身大学の人間を選ぶと言うことは、人間の心情として、良くある事である。そして、改めようにも、上層部はそれによって利益を得てきた人間ばかりだから、なかなか改めない。キャリア組とかと一緒である。
 嘘ではないが、この場で言うことではないと内心頭を抱え、更に続けようとするマヤの口を封じる。
「悪いけど、これはネルフの決定でもあるの。チルドレンにも、戦闘時以外は、なるべく普通の生活をさせてあげようと言う、親心よ」
 リツコはこれが結論とばかりに告げた。自分でも口先ばかりだと思う。
 アスカの顔を見ると、やっぱり、口先ばっかりと思っているような表情をしていた。


 それは兎も角、結局の所アスカは押し切られ、第一中学校に転入することとなった。

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