#110 運命の出会い
第一中学校に転校してきたアスカは、洞木ヒカリとの間に、友情を築いていた。
元々は、委員長委員長した性格のヒカリが、何かと世話を焼いたためである。何しろ、アスカは海外からの転入。日本の事情には疎く、困ることも多いだろう。自然にそう考えたヒカリは、様々にアスカの手助けをしたのだ。
当初、アスカは日本の中学校を馬鹿にしていた。
元々、自身が望んでした転校ではない。その逆だ。自分は、こんな所で遊んでいる暇など無いというのに、忌々しいあのシンジの命令によって、学校に通うことになってしまった。何故、既に大学を卒業している自分が、ジュニアハイに通わなくてはならないのか。
苛立ち。
当初は猫を二重三重に被り、にこやかな表面を取り繕っていたとは言え、内心は煮えくり返っている。
だから自然、他の者とは距離を置いた。
表向きはにこやかに。しかし、絶対に自分の内面に触れさせない。そうでなくとも、自分はエリート。エヴァンゲリオンパイロット、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーなのだ。そこいらのパンピーの中学生とは、その価値が違うのだ。仲良く、馴れ合う必要などはない。かたくなに、他者を排除していた。
そこへ、ヒカリが近づいてきた。
当初は、他の者と纏めて、距離を置いていたアスカである。
しかし、ヒカリは善意の人で、同時に、ちょっとしたことではめげなかった。
委員長の義務。それもあるが、基本的に世話焼きである。かつて、綾波レイの無関心な態度にもめげず、一人だけ、声をかけ続けてきたように。
その、ヒカリの善意が伝わったのか、アスカのかたくなな態度も、少しずつ融かされていった。
そして、一度かたくなな態度を失えば、学校は、アスカの興味を惹きつける場所となった。
これまで、生活の全てをEVAに捧げてきたアスカである。大学を出たと言っても、それは通信教育である。また、周囲にいたのは大人ばかり、同年代の友人といえるような存在はいなかった。同じ年頃の人間と一緒になって学ぶ、そんな機会は無かった。
切欠を掴むと、アスカとヒカリは急速に仲良くなった。
アスカにとって、ヒカリは争う必要のない人間である、と言うことも良かったかも知れない。最初は只の一般人と馬鹿にしていた。しかし、友達づきあいをするには、その方が良かった。EVAパイロットとしてのナンバーワンを狙う──ナンバーワンであると自分では思っている──アスカである。これでヒカリがチルドレンであれば、素直につきあうことは出来なかっただろう。自分に取り入ろうとしている? 自分を追い落とそうとしている? そうした疑心暗鬼に囚われ、他愛のない会話を交わしていても、その言葉の裏を探らずにはいられなかっただろうから。
もっとも、ヒカリはチルドレン候補の一人であるが、アスカは知らないし、ヒカリ当人も勿論知らないから、問題なかった。
更に、アスカにとって素晴らしいことに、ここの所、シンジ、ユウキは学校を休んでいた。
何かと、二人は忙しいらしい。
これに関してアスカは、シンジばかりがEVAパイロットとして優遇されている、等とマイナスの感情も抱いたが、それでも顔を会わせずに済むと言うことは、何事にも代え難い幸運だった。
「ヒカリ! 一緒にお昼を食べるわよ!」
と言うわけで、アスカは機嫌良く、そして高飛車に、ヒカリに声をかける。元々、猫を被っていたのだ。気を付けていないと、地が出る。最早、アスカが大人しくて素直な少女である、等と思っている人間は、少なくともこのクラスにはいないだろう。
当初は猫を被ったアスカと、高飛車なアスカのギャップに戸惑ったヒカリである。しかし、それにも慣れた。
「良いけど……何処で食べるの?」
「屋上に行きましょう!」
主導権を握るのは、アスカである。また、そうでなくては、我慢が出来ない性格だ。
ヒカリは、やんちゃな子供を見るような優しい目で、アスカに対応する。幸い、妹がいて、こう言うことには慣れていた。勿論、それを口には出さない。出せば、アスカが不機嫌になることは、目に見えている。子供扱いをされて、素直に笑っていられるような性格ではないことを、ヒカリは既に見抜いていた。
二人は連れだって、屋上に上る。
最近は、常に二人だ。前は、他の女子生徒とも一緒に食事をとっていたヒカリである。しかし、何故か女子生徒の数が減ってきている昨今、他に誘うべき人間もいない。
今日は、いい天気だった。屋上でお弁当を広げ、仲良く談笑しながら、食事をする。
「アスカのお弁当は、いつも美味しそうね」
ヒカリが口にしたのは、素直な感想だった。そして、嘘でもない。アスカは毎日お弁当を持ってきて、それはいつも、美味しそうに見えた。
しかし、その言葉を聞いたアスカの表情が目に見えて不機嫌になって、ヒカリは戸惑う。
何か、拙いことを言っただろうか?
そう考えるが、何が拙かったのか、全く解らない。
「ア、アスカが作ってきているのよね?」
おそるおそる、尋ねる、それから一気に褒め上げる。アスカは、常に他者からの賞賛を待ち望んでいる。深く考えたわけではなく、ヒカリは自然にそれを見抜いていた。
「凄いわね。私も毎日自分でお弁当を作ってきているんだけど、アスカのには敵わないわ。今度、私に料理を教えて欲しいくらい──」
「ふんっ!」
アスカは、ヒカリの言葉を遮るように、不機嫌に鼻を鳴らした。
「私が作っているんじゃないわよ!」
「え?」
戸惑い、それでも、ヒカリは尋ねていた。尋ねてしまった。
「それじゃあ、誰が?」
アスカの事情を詳しく知っているわけではない。しかし、ドイツからたった一人で、この日本に来たと聞いていた。
それは兎に角、この話題は拙いらしい。そう考えたヒカリが話を逸らそうとするよりも早く、アスカが答えていた。
「あの、いつも笑っている娘よ!」
「え?」
これで解れという方が無茶である。また、答えてくれるとも思わなかったので、ヒカリは戸惑ったような声を出した。
「ユウキよ。あの、陰険な微笑み女よ」
「ユウキ──って、ユウキさん?」
何でまた、ユウキさんが? それに、陰険って?
と、首を傾げるヒカリ。
それから、思いついて手を叩く。
「ああ、ユウキさん、シンジ君と仲がいいから、エヴァンゲリオンパイロットの繋がりなのね?」
アスカがEVAのパイロットであることは、ヒカリだけではなく、学校中の人間が知っているだろう。何しろ、アスカが自己申告してくれたのだから。ただのパイロットではなく、自分こそがエースパイロットだと。
これは当たりだ。何故、ユウキさんが陰険なのか、訳解らないけど。
そう考え、自分の推理力におおむね満足したヒカリ。
しかし、アスカの反応は、輪をかけて不機嫌だった。
「あんなケダモノ男と一緒にしないで! あんな奴が同じチルドレンだなんて、何かの間違いよ!」
「ケダモノ男?」
ヒカリは、ますます戸惑ってしまった。
正直、ヒカリはシンジのことを、人畜無害な人間だと思っていた。相田ケンスケと仲が良いのは少々問題だが、ケンスケとは違い、更衣室を覗いたとか、プールの金網に貼り付いていたとか、テニスコートを眺めていたとかいう話は聞かない。ケンスケの友人と言うだけで、ケダモノ呼ばわりは公平ではないだろう。公平だとすると、鈴原トウジもケダモノになってしまうから、それは困る。
後半、鈴原トウジの部分は兎も角、ヒカリの考えが、おおかたの人間のシンジ評だろう。
男子生徒に言わせると、加賀ユウキとつきあっている(推定)と言うだけで、充分にケダモノである、となるが、これはひがみに過ぎない。最初こそ、ヒカリも男子生徒同様「不潔よ〜!」等と叫んだモノだが、落ち着いてから見れば、シンジ、ユウキはつきあっている(推定)とは言え、人目もはばからずにいちゃついているというわけではない。まるで長年連れ添った夫婦が共にいる、と言った具合に、それが自然に見えるのだ。いろいろと男女つきあいに関して厳しい目で見ることの多いヒカリであるが、普通に、二人のことを温かい目で見守るようになっていた。いつか、自分も鈴原と──なんて事を考えながら。
それだけに、シンジとケダモノ、と言う評価が結びつかず、ヒカリは戸惑いの表情になる。
これをユウキが知ったら、「知らないと言うのは幸せですねえ、と言うか、騙されてケダモノシンちゃんの餌食になる資格充分ですよ」等と言ったに違いない。
それは兎も角。
アスカは、ヒカリの戸惑いの表情を見て、説明が足りないと気が付いたらしい。同時に、このように周囲の目を誤魔化しているシンジの狡猾さに、ますます怒りを覚える。
「ヒカリは騙されているのよ。あいつは、地上最悪のケダモノなのよ」
「アスカの勘違いじゃないの? 碇君、良く気が付いて優しいし」
「それが、騙されているって言うのよ!」
「そうなの?」
「そうよ、あいつが何をしたか、ヒカリに教えて上げるわ!」
「アスカ、碇君に何かされたの?」
「ちっ、違うわよ。私は何もされていないわよ!」
アスカは、少し慌てたように、叫んだ。
「私じゃなくて──知り合い……そう、私の知り合いの話よ」
「知り合い?」
「そう、私の知り合いは、あいつに会った途端、いきなりキスされたのよ! どころか、その先まで、無理矢理に」
「……嘘?」
あの人畜無害に見える碇シンジが、そんな真似をするとは信じられない、と、ヒカリが戸惑う。
「嘘じゃないわよ! 人のことを無理矢理に……くっ!」
悔しそうに、アスカが顔を顰める。
「人の事って、アスカ、……まさかそれってアスカの……?」
「え?、違うわよ……だから、知り合いの話よ。私の仲の良かった知り合いを、あいつは無理矢理に。しかも、その後も言うことを聞かせるために、脅迫までして。あいつは、とんでもない人でなしのケダモノなのよ!」
ヒカリはアスカの勢いに気圧されたように、口を閉ざした。
その後の授業も終わり、信じられない思いを抱いたまま、ヒカリは家に向かっていた。
かわらず、ヒカリにはシンジは人畜無害な人間に見える。嫌らしい目で女子を眺めるケンスケと違い、シンジにはそうした事をしないような印象を受けてきていた。そして、それは変わらない。中性的で、そうした不潔さとは無縁。そう見えた。だいたい、シンジにはユウキがいて、二人は非道くお似合いに見えた。他の人間に手を出す必要など、何処を見ても無いように思えた。
しかし同時に、アスカの方も、嘘を言っているというふうではなかった。本当に知り合いの話なのか、それとも、アスカ本人の話なのかは兎も角、少なくとも、アスカは本気で言っていた。嘘や冗談であるとは、とても思えないアスカの雰囲気だった。
どちらを信じるべきなのか?
判断の付かないまま、しかし、それだけにこだわっている訳にもいかない。
ヒカリには、ヒカリの生活もある。おまけに、ヒカリは洞木家の台所を預かっている身の上だ。家に帰れば、すぐに夕食の準備もしなければならない。いや、その前に買い物もしなければならない。
一時、考えることを棚上げし、ヒカリはスーパーで買い物をし──それでも、頭の隅に疑惑は引っかかったまま、そのせいか、時間を間違えてバスを一本、逃してしまった。
「……参ったわ」
少しすれば、次のバスは来る。しかし、その少しを、どうやって潰すか。
ヒカリは、周囲に視線を送った。近くの喫茶店にはいる、と言う選択肢はない。生徒だけで喫茶店に入るのは、校則違反だ。そうでなくとも、中途半端な時間。
ヒカリは、バス停の椅子に居心地が悪そうに、小さくなって座る。
最近、第3新東京市はヒカリには居づらい町になっている様な気がする。何とも、柄が悪くなってきているのだ。駅の裏には、いかがわしい店が並び、町には、妙に釣り合いのとれない年齢のカップルが溢れている。恋愛は自由、とは言え、親子ほどに年の離れたカップル達。素直に親子だと思うには、いかにも馴れ馴れしすぎ、べたべたしすぎた人たちが多い。しなだれかかる少女、脂ぎった助平な笑みを浮かべた中年男のカップル。親子の表情でもない。思い浮かぶ言葉は、援助交際。不潔よ〜、と叫びだしたい所であり、実際、何度かは叫んだが、今では止めている。止めなければ数歩歩く毎に叫ばねばならず、身が持たないのだ。
「……」
ヒカリは、無言で目を伏せた。
目の前を、まさしくその様なカップルが歩いていく。しかも、巫山戯たことに、女の方は第一中学校の制服を着ていて、愕然とする。確かに、そうしたことをしている人間がいるとの噂を聞いたことがあるが、実際に見る羽目になると……
直後、ヒカリは顔を上げて、カップルの女の子の方を見た。
薄く化粧をして、どこか大人びたようにも見える。それでも、やっぱり中学生で。しかし、胸の大きさは中学生離れしている。その胸を中年の腕に押しつけるようにしてしがみついた少女は──どこかで見た顔。
同じ制服なのだから、第一中学校の生徒。見たことがあってもおかしくない。それでも、気になった。
知らない顔。いや、知っている顔。
だけど、なかなか思い出せなくて──
「ねえ、おじさま、私、バッグが欲しいな」
「おいおい、またか?」
「お願い、今日はサービスするから」
むにゅっと、更に胸を押しつける。
「ううむ」
やに下がった中年男と、媚びる少女。
見苦しい、とヒカリは思う。「不潔よ〜!」と言う叫びが、喉まで上ってきている。
しかし、どこか少女に見覚えがある。
何処でだったか?
焦れるヒカリの頭に、天啓のように相田ケンスケの声が思い浮かぶ。
2年3組に、もの凄く胸のでかい女子がいる。
そんなようなことを、ケンスケがトウジに話していたことがあった。全く不潔で、ヒカリは顔を顰めたモノだ。しかし、一度そう言った会話を聞いたせいか、その女子について、名前も顔も覚えてしまった。
「出海さん!」
ヒカリは、大きな声で、少女の声を呼んでいた。
「え?」
と、中年男の片腕にぶら下がるみたいにしてしがみついていた少女が、ヒカリの方を見る。
間違いない。化粧をして、印象が大きく変わっているが、2年3組の出海チチコだ。
「あれ? 洞木さん?」
出海は、何でもないようにヒカリに尋ねた。
「何か用?」
「何か用、ってあなた、行方不明になったんじゃ?」
「行方不明? ああ、そうなっているんだ」
やっぱり、何でもないことのように、出海は言った。
「そうなっているんだって……」
戸惑うヒカリの声は、出海の連れの中年男の声でかき消された。
「行方不明って、何だよ?」
「おじさんは、気にしなくても良いわよ。気にせず、いつもみたいに気持ちいいこと、しよ? ね? 私、サービスするから」
「いや……、すまん、今日は……」
不穏当な言葉を聞き、急に不安を感じ始めたらしい中年男は、出海の腕を振り払うと、あっという間に逃げ出していく。
出海は、その背中に女の子が口にするのはかなり不穏当な罵声をぶつけた後、不機嫌な表情でヒカリに向き直った。
「ちょっと、私の仕事の邪魔をして、どういうつもりよ」
「し、仕事の邪魔って……」
ヒカリは戸惑い、それから、意を決するようにして、言った。
「出海さんこそ、どういうつもりよ。そんな、不潔な真似を……」
「お金が欲しいからに決まっているでしょ?」
馬鹿にしたように、ヒカリに答える。
ヒカリは、非道く戸惑った。ヒカリの知る出海チチコという少女は、非常に物静かで、真面目で、援助交際などと言う破廉恥な真似は勿論、こんな蓮っ葉な口の効き方もしなかったはずなのに。
「どうしちゃったのよ。お金が欲しいって、一体……」
「だって、たくさん稼ぐと、碇さんが誉めてくれるモノ」
「碇さん……って、碇シンジ君?」
吃驚したように、ヒカリが問う。
シンジはケダモノ。アスカの声が頭の中でリフレインされる。
「え? うん、シンジ君もそう。後、マーガレットさんも。たくさん稼ぐと、二人とも凄く誉めてくれるの。それだけじゃなくて……あの二人って、凄いの」
うっとりと、出海は告げてくる。
何が凄いのか、ヒカリは尋ねてみる気にもなれなかった。
「今度のご褒美は、二人一緒に相手して貰おうか、って思っているの。そしたら……」
ぞくぞくぞく、と、出海は体を震わせる。その瞳は霞がかったみたいにして、ぼんやりピンク色だ。それから、表情を変えて、ヒカリを睨み付ける。
「だから、人の事、邪魔しないでよ」
「邪魔って……」
「したじゃないの。折角の金蔓が、洞木さんのおかげで逃げちゃったじゃないの。あのおじさん、凄く金払いが良かったのに」
「でも、お金の為なんて、間違っている!」
「だから、お金は手段なの。あの二人に誉めて貰うことが大事なの。──だから、私は中年男に抱かれても平気。変態覗き魔に撮影されて、更には抱かれても、平気なの」
「そんなの、間違ってる」
「洞木さんも、シンジ君に一度相手にして貰ったら? そうしたら、私の言っていることが解るよ。──じゃ、話はここまで。今日中に、もう少し稼いでおきたいんだ」
言うが早いか、出海は丁度そこを通りかかった中年男に声をかけた。
「ねえ、おじさん、私を買わない? 私、碇組の仕込みだから、凄いよ?」
「碇組、本当か? いくらだ?」
中年男は戸惑いもせずに、即座に商談が始まる。第3新東京市のそっち方面の治安の乱れは、来るところまで来ているらしい。
すぐに商談はまとまり、出海は先刻と同じように、中年男の腕に胸を押しつけるようにしがみつき、離れていく。
声も出せずにそちらを見つめていたヒカリは我に返り、大きく息を吸い込んだ。
そして叫ぶ。
「不潔よ〜!」
その叫びに、もう一つの声が被さった。
「セクハラよ〜!」
「え?」
と戸惑い、ヒカリは、その声の方を見た。
そちらには、大きな女性。縦ロールの髪型に、ピンクハウス系のヒラヒラの恰好。ごつい体に顔、似合っているとはお世辞にも言えない恰好。
その女性は、同じく、戸惑ったような表情を浮かべ、こちらを──ヒカリの方を見ていた。
二人の目が合う。
そして、そこに、同じ魂の輝きを見つけた。
それは洞木ヒカリの人生を一変させる、運命の出会いであった!
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