#111 同情するなら金をくれ
安アパートの一室。部屋の片隅、膝を抱えるようにして、男は沈黙していた。心臓の鼓動すら五月蠅い。少しでも、音を立てないようにしようと試みている。
だが、世界は騒々しかった。
「おら〜。おるのはわかっとるんやど! とっとと出てこい!」
「出てこんと殺すぞ!」
似非臭い関西弁の、非常に物騒な声が、扉の向こうから聞こえてくる。
同時に、乱暴に扉を叩く音。安アパート全体が揺れそうな乱暴さだ。
全く、騒々しい。近所迷惑は間違いない。
また、近所迷惑と言えば騒音だけではなく、この男の部屋の扉には、「金返せ!」、「くたばれ!」等と書かれており、非常に美観を損なっている。──もっとも、所詮は前世紀から建っているような安アパート、元々綺麗なモノではないが。
男の名前は、金賀ナイゾウという。
普通に生まれ、普通に成長し、普通に就職した。取り立てて醜悪でもなく、美形でもない。ごく、平々凡々とした男だった。
しかし、気まぐれを起こして一度のつもりでやってみたギャンブル、それが金賀の人生を変えた。
一万円が、僅か数時間で、その10倍以上に。大勝ちである。
これは、間違いなくビギナーズラックであったが、金賀はそう考えなかった。自分は、ギャンブルに才能があると信じてしまったのだ。
これまで、平々凡々と、良くいえば平穏、悪く言えば退屈な人生を送ってきた。途中あった大災害、セカンドインパクト。金賀にとっては、それすら大した事ではなかった。多少苦労したが、多少以上のモノではなかった。確かに、非常に運が良かったのかも知れない。
だが、その運は既に使い果たしてしまっていたらしい。あるいは、ギャンブルは金賀の考えている以上に、シビアなモノであったか。その両者か? どちらにせよ、ギャンブルは基本的に胴元が勝つように──胴元が儲けるように出来ているのだ。金賀が最終的に通うようになったのは、アンダーグラウンドのカジノ。尚更である。
当然のように金賀は負け続き。有り金はすっかりはたいてしまい、残ったのは借金だけ。ありがちな展開である。
金賀は当初、気楽に考えていた。
今は負け越している。しかし、自分にはギャンブルの才能があるのだから、すぐに取り返すことが可能だ、と。
非常に、甘々な考えである。
また、遂に生活が立ち行かなくなって借金を申し込んだ町金が、吃驚するくらいあっさりと金を貸してくれたことも、金賀に深刻さを与えなかった。
しかし、である。
ギャンブルも厳しいモノだが、町金もやっぱり厳しいモノなのだ。そして、それを知った頃には、既に手遅れである。
気が付けば、利息は雪だるま式に膨れ上がり、真面目に働いても、とても返せないような金額に育っていた。
必死の残業、そして、その後、深夜遅くまでのアルバイト。
一所懸命で稼ぎ、返済に充てようと思ったのは最初の内だけ。平々凡々と育ってきただけに、金賀は易きに流された。
結局、一攫千金を狙ってカジノへ。そして、また借金を膨れ上がらせる。悪循環である。
そして、返済が滞り始めると、町金も、当初のにこやかな開け放しの笑顔を消し、厳しい取り立てを始めた。
ありがちであるが、町金はヤクザと裏で繋がっていたらしい。いや、あるいはヤクザこそが本業か。
連日、勤め先に押し寄せる悪相の借金取り。そんな状況では、首になるのも当たり前。両親の残した遺産も取り上げられ、金賀は一人、部屋に籠もっていないふりをするしか手はなくなってしまった。
もう、どこか遠くへ逃げるしかないかも知れない。
だが、その為には金が要る。無一文で逃げ出しても、暮らしていくことは出来ない。
思考し、そちらに集中することによって、喧しい外界の音を閉め出そうと試みる。
それが功を奏したというわけではないが、表が若干、静かになったようだ。乱暴に扉を叩く音が止み、同時に、騒がしい罵声も消えた。
代わりに、鯱張った借金取り達の声が聞こえてきた。
「こ、これは、ご苦労様です」
「いえいえ、そちらこそ、ご苦労様です」
場違いな、柔らかい少女の声。
金賀は、首を傾げた。
厳つい悪相の借金取りに、にこやかに話しかける少女の声。違和感ありまくりだ。
「そ、それで、今日は一体どうしてこちらに?」
その上、借金取りたちの声の方に、緊張がある。普通は、逆ではないだろうか。
「ええと、今日は、帆村さんの研修に来ました」
「研修?」
戸惑うような、借金取りの声。
「ええ。そろそろ、シノギのやり方も覚えて貰わないといけませんからね」
今度は、少年の声が答えた。こっちも、悪相の借金取りと会話をしているというのに、あくまでにこやか。緊張感は皆無である。
「──と言うわけで、今回は特別に手っ取り早くやります。ああ、鴉葉さんに話を通しておきましたから、大丈夫です」
言うが早いか、先刻まで、乱暴に扉を叩いていたのですら手ぬるいとばかりの轟音。
直後、扉が吹き飛んでいた。
「!」
金賀が声をあげずに済んだのは、吃驚しすぎてしまったから。何しろ、扉は部屋を横切って、壁にまで吹き飛んでいた。それも、金賀のすぐ近くの壁まで。呆然として見れば、半ばから折れ曲がり、足跡がくっきりと付いていた。
「……乱暴ですねえ」
呆れたような、少女の声。
金賀は、部屋の中に入り込んでくる少年少女を、吃驚した顔で見つめた。
「ああ、やっぱりいた」
にこにこと、少年が金賀を見て呟く。
「お、お前達──不法侵入だぞ!」
金賀は、泡を食って叫んだ。
借金取りと言えども、何をしても良いというわけではない。勝手に扉を壊して部屋に踏み込んでくる。確かに、金賀の言うとおり、不法侵入である。咎められるべきは、金賀ではなく、相手の方である。ならば、今の状況よりもこちらに有利になる。
素早く計算を済ませ、金賀は高飛車に言った。
「気にしないで下さい」
しかし、何でもないことのように、にこにこと、少女が応じる。
思わず絶句してしまった金賀から、背後に視線を送ると、少女は言った。
「帆村さん、そんなところでぼけていないで、中に入ってきて下さいよ」
「……は、はあ」
強面、しかし、「何でこんな事になってしまったんだろう」という感じの戸惑いの表情を浮かべた黒服の男が、部屋の中に入ってくる。少年少女は、気にもせずに靴のままで上がり込んできているが、こちらは少々考え込み、更に促されてようやく、靴を脱いであがってくる。
「ええと、本来は、こうやって乱暴な方法を採るのは御法度です。下手をすると捕まる上に、取りはぐれることもありますから。──ですが、今回は特別です」
少年が解説するように男に向けて告げ、その言葉で金賀は我に返る。
「お、お前達、不法侵入だぞ」
芸もなく、前と同じ言葉を繰り返す。
「それが?」
一向に、感銘は与えられなかった様子である。
「け、警察に──」
金賀は電話を取り上げる。
しかし、少年少女は慌てなかった。黒服の男が表情を変えて一歩前に出たが、二人が落ち着いているのを見て、そこで踏みとどまる。
金賀は、受話機を耳に当て、絶望的な気分になった。
ツー音は聞こえない。既に、電話料金滞納で、止められてしまっているのだ。
しかし、ここは演技のしどころと、もう一度、叫ぶ。
「ほ、本当に警察に通報するぞ!」
「どうぞ」
やっぱり、感銘を与えることは出来なかった。
「ほ、本当だぞ!」
「止められている電話で出来るんでしたら、どうぞ」
既にばれているらしい。金賀は、蒼白な顔で、受話機を取り落とした。
「通じたとしてもどのみち、警察の上層部とは、話が付いていますから。さて──」
こほんとわざとらしい咳払いを一つすると、少年が言った。
「金賀さん、あなたに貸したお金、既に返済期限を大きく過ぎています。一体、何時になったら返していただけるのでしょうか?」
ぴらり、と紙切れを、金賀に渡す。
金賀は、そこに書かれた金額を見て、目を剥いた。
「な、なんだ、この金額は! 俺が借りたのは、たったの100万のはずだ」
「こっちも商売でやっているんですから、利子が付くのは当たり前でしょう?」
「それにしても、あまりに法外じゃないか!」
「最初から、そう言う契約ですよ。返すときになって、法外だの言うのは、卑怯じゃないですか?」
「そ、それにしたって」
「だいたい、こんなに長期間滞納しなければ、それほど膨れ上がりはしなかったんだから、自業自得でしょう?」
「俺は、返そうとしたんだ!」
金賀は、我を忘れて吼えていた。
「なのに、邪魔をしたのはお前らだろう? 職場に押し掛けてきて、首になったのは、お前らのせいだろうが!」
結局はギャンブルで一攫千金を狙い、それを使って返そうと試みたことは都合良く忘却し、金賀は叫ぶ。
「はい、ここで注目!」
と、そこで少女が指を一本立てて、やりとりを見守っていた黒服に振り返った。
「何故、我々が、首になることが予想できるのに、わざわざ職場に押し掛けたか?」
「はあ、何故でしょうか?」
律儀に、黒服が尋ねる。
「それは、我々は元々、マメに返して貰うことなど、初手から期待していないからです」
少女は、きっぱりと言った。
あまりにあまりな発言に、金賀は言葉を失う。黒服も同様だった。
「どのみち、大抵一回限りのつきあいですからねえ。次のつきあいがあるなら兎も角、そうでないのであれば、地道に返して貰うよりも、一遍でどかんと返して貰った方が良いんですよ」
「な、なんだよ、それは!」
ようやく言葉を取り戻した金賀が、吼える。
しかし、少女はやっぱり感銘を受けたりしなかった。
「──で、その一遍でどかんと返して貰う方法ですが──」
言って、少女は少年を促した。
少年は少女に向けて一つ頷き、あっさりとした口調で言った。
「内臓を売るついでに自殺をして保険金をくれるのと、通貨単位がペリカの国で死ぬまで働くのと、どちらがお好みですか?」
「な……」
金賀はまたもや言葉を失い、絶句する。
「これで、家族がいたら、家族にも、いろいろとして貰うところです。若い娘さんの場合は、とか。ケース・バイ・ケースで」
少女が、更に注釈を付ける。
「そ、そんな無法が、まかり通るのですか?」
尋ねたのは、金賀ではなく、黒服だった。「何でこんな事になってしまったんだ」、ある意味、金賀以上にそんな顔だ。
「今回は、通常よりも、少々乱暴ですね。途中経過をすっ飛ばしてますから。普通は、もう少し時間をかけて。──でも、結果は一緒ですよ」
にこにこと、少女が恐ろしいことを口にする。
「まあ、ギャンブルに填って借金作ったって言うのに、足を洗えなかった時点で、人生終わってますから。どう終わるかを私たちが手助けして上げているだけですから、罪の意識を抱く必要はないです。どうせ、終わるのは一緒なんですから」
間違いなく、少女は本気で言っていた。
ぱくぱくぱくと、酸欠の金魚のように、金賀は口を開閉させる。しかし、言葉は出てこない。
その金賀の様子を見て、少年が言った。
「答えがない場合は、こっちの都合で一番、内臓売って自殺に決定しますよ。どうしますか?」
それから、数字を数え始める。
金賀は、呆然と少年を見つめていた。
少年は、ゆっくりとマイペースで数字を数え、それが50に至ると、あっさりと言った。
「はい、時間切れ」
そして、扉の外で控えている、最初からいた借金取り二人に声をかける。
「いつものお医者さんに連れていって」
「ま、待ってください!」
本気だ。完璧に本気だ。
金賀はそれに気が付き、慌てて口を挟んだ。
「借金は、必ず返します。ですから、なにとぞ!」
「──と言われましてもねえ」
「そうだよねえ」
と、少年少女は、似たような表情、仕草で顔を見合わせた。
「僕らも、慈善事業をやっているわけじゃないから、当てもないのに、何時までも待ち続けられるモノでもないし」
「あ、当てならあります!」
金賀は、反射的に叫んでいた。
勿論、当てなどはない。
「へえ? 本当に?」
欠片も信じていない顔で、少年が聞いてくる。
「は、はい、勿論です」
金賀は、必死で頭を回転させた。
どうやって、金を稼ぐか。それも、大金を。
とてもじゃないが、真っ当な手段では稼げそうにない。
そこで、ひらめく。
「来週の日曜、日曜まで、待ってください」
「待つと、返して貰えるの?」
「は、はい」
金賀は自信たっぷりの口調を作って、言った。
「来週のG1レースには、絶対の自信があります!」
「連れていって」
答えは、冷め切った声だった。
ほら、ギャンブルに填って借金作って、挙げ句、それでも足を洗えない人間はもう終わっているでしょ?
そんなニュアンスが込められていた。
「何故だ〜!」
金賀は、必死で叫び声を上げようとするが、侵入してきた借金取り二人に封じられ、そのまま引きずられていく。
絶体絶命。
金賀運命、ここまでか。
そう思われた瞬間、声がかかった。
「待ちなさい!」
それは、凛とした、新たな少女の声だった。
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