#112 ビートエンジェル


 ここの所、シンジ、ユウキの二人は学校を休んでいた。
 それには事情がある。
 事情が無くとも、学校くらいは平気で休みそうな二人ではあるが、今回は、きちんとした事情があった。
 それは、帆村マサカネに対する教育のためである。
 帆村マサカネを初めとする、旧ネルフ保安部の人員達。正確には、書類上、変わらずネルフ保安部員であるし、給料もその名目でネルフから出ている。しかし、実質はシンジの──碇組の兵隊達。当初は、その経験不足から、お話にもならない低レベルだった彼らである。しかし、ユウキの教育、そして、幾度かの実戦経験を経て、充分に使えるレベルにまでなっている。元々、その種の訓練を受けてきた人材達であるから、経験不足さえ解消できれば、重要な戦力になるだろうと予想されていた。そして、その予想は間違っておらず、現実、碇組の中枢部隊といえるまでに成長している。戦闘能力に限れば、天野連合の精鋭二千には劣るであろうが、その他の部隊に比すれば、充分以上の有力な存在となった。
 しかし。
 しかしである。
 戦闘能力という点では、ほぼ不満のないレベルにあるが、経営という部分で見れば、こちらはまるきりの素人だった。
 戦争は、消費だけを生み出す。人材、物資諸々を、ただただ消費する。それが、戦争である。
 逆に言えば、戦力を維持するためには、それ相応の財力が必要となる。
 財力をえるための経営。その部分で、旧ネルフ保安部組は、全くのド素人で、欠片も役に立たない。
 その種の経験が全くの無いのだから、ある意味当たり前だが、何時までもそれでは困るのである。
 今現在を見れば、碇組と天野連合は、散発的な抗争を繰り返している。碇組は、勢力が小さいため、天野連合との正面衝突は先送りにしようとしている。天野連合は、EVAの存在がある故に、手出しを控え気味にしている。とは言え、両者の関係は平和的と言い難く、第3新東京市以外の場所では、組事務所にトラックが突っ込んだだの、サウナで休んでいた系列組織の組長が撃たれただのと言った事件は日常茶飯事である。いや、第3新東京市ないでも、少人数の人間による撃ち合いなどは、珍しくもない。
 その状況下では、まずは経営よりも、戦闘──使える兵隊の方が先に必要である。いくら金を稼いだとしても、敵の暴力に抗する術がなければ、美味しい部分を奪われてしまう。まずは、自分達を護り、敵を倒すだけの力を。
 それ故に、旧ネルフ保安部員達は優先的に戦闘訓練を施され、現在でも連日訓練を繰り返している。ひとまずは、それで充分なのだ。
 兵隊はそれで充分。
 しかし、頭は何時までもそれだけではいけない。
 碇組傘下の組織、毒薔薇組を設立、そして、その組長に内定しているのが帆村である。本人は、変わらず、「どうしてこんな事になってしまったのだろう?」と、首を傾げ気味であるが、既に、それは決まっていること。間もなく、本当に毒薔薇組、帆村組長が誕生するのだ。
 組織の長、ともなれば、何時までも猪武者では困る。ただ、敵を見つけて攻撃して──と、やっていられても困る。組織を維持、その為には、経営についても学習する必要がある。最低限、配下を喰わせていけるようになって貰わねばならないのだ。
 無論、即座に経済的に独り立ちして貰う必要はない。今はまだ、天野連合との抗争真っ最中である。帆村には、実戦部隊の部隊長の役もやって貰わねばならず、そちらの方がより重要だ。しばらくは、毒薔薇組の経営に、本家から援助を出すことは決定している。しかし、最終的には経済的に独り立ちをし、上納して貰うようになりたい。
 その為、シンジ、ユウキの二人は学校を休み、帆村に教育を施していた。本格的なシノギを考えるのはまだ先のこととは言え、そのさわりくらいは、今の内から経験させておきたいのだ。
 碇組の最重要の稼ぎである、男性向けの各種娯楽設備は、本家直属とする。だから、それ以外のシノギの方法を、帆村に教えなければならない。
 ノミ屋、地上げ屋、闇金融、その他諸々。
 時間もないことだし即席で、シンジ、ユウキは帆村に駆け足で教え込んでいく。一通り経験させ、自分のやりたいこと、向いているであろう事を取りあえず見つけて貰えばいい、そんな感じだ。
 そして、最後に、借金の取り立てについて、矢張り多少手抜き気味で教え込む。
 本来ならば、あんまり乱暴なのは駄目なのだが、その当たりは警察副署長の鴉葉に話を通し、途中経過をすっ飛ばし、あっという間に結論──臓器をうっぱらって、しかる後に自殺をして貰い生命保険も頂く──を出し、さあ、そこいらの闇医者に連行しよう、と言う場面で、声がかけられた。


「待ちなさい!」


 それは、若い女性の声だった。
 凛と澄んだ、力のこもった声。
 丁度、安アパートから出てきた所のシンジは、僅かに眉をひそめるようにしながら、その声の方を見た。
 声の主、それは、シンジらよりもいくらか年上と見える、一人の少女だった。表情を引き締め気味にしているとは言え、本質は優しい、あるいは、どこかのんびりとした性格なのだろう。その性格の柔らかさが、顔立ちの何処彼処に伺える、なかなか整った顔立ちの少女だ。
 シンジはその少女を確認し、きっぱりと眉をひそめた。
 声の主は、道を挟んだ向かいの塀の上に立っていた。
 塀の上に。
 一歩譲り、それは許容しよう。
 しかし、その恰好がいただけなかった。
 ピンクを基調とした、体にぴったりとフィットした、まるでレオタードのような恰好。それに、襟やスカートが付いていて、全体としてのイメージは、どことなくセーラー服に似ているが、似て非なるモノ。胸元は大きく開いており、そのサイズを強調するかのように乳房の上半分は丸見え。おそらくは寄せて上げる効果もあるのだろう。胸の谷間が見える。どころか、少し動けば、その先端部分がはみ出してしまいそうなほどに際どい。スカートの方はセーラー服などと共通するプリーツスカート。ただし、丈が非常に短く、肉付きの良い太股がばっちり見えている上に、妙に軽そうな生地で、ちょっと動けば簡単にめくれあがり、その下が丸見えとなる様な恰好だ。真っ当なセーラー服ではあり得ない。セーラー服を着た美少女戦士、その18禁バージョン。そんな感じだ。東京の某所で夏冬に行われた某イベントでならば兎も角、町中を歩くには少々──いや、きっぱりと異様な恰好だった。
「ええと」
 戸惑うシンジに対し、その少女はきっぱりと言った。
「青い地球を護るため、この世の悪を倒すため、ビートエンジェル──」
「ええと、うちの出張サービスに、ああいうのあったっけ?」
「さあ?」
 遅れて出て来たユウキが、私は知りませんよ、と言う顔で首を振る。
 その二人の様子には構わず、少女は大見得を切ったまま、言った。
「──悪の現場にただ今参上!」
 そして、ポーズを付ける。まるで、正義の味方のように。
 いや、多分、正義の味方なんだろうなあ、とシンジは思い直し、そっとため息を零した。
「どうして、この街って、変な人が多いのかな?」
「まあ、かつてはゲヒルンの街だったわけですし、ある意味、仕方がないかも知れませんねえ」
 シンジ、ユウキは顔を見合わせ、揃ってため息を零す。
「……ゲヒルン誇る三人の女科学者、は良いですけど、なんだか、非道く迷惑な人たちだったみたいですねえ」
 その関係に違いないと確信した口調で、ユウキが呟く。
「……そうだね」
 シンジもそれに否定的な意見は持てず、僅かにユウキから視線を逸らし、応じる。
 その三人の女科学者の内の一人が、実母である碇ユイである。心理的に親を切り捨てている様に見えるシンジでも、その現実を覆すことが出来るわけではない。更に、何の彼の言ってもEVAとシンクロできているように、父親と違い、母親の方には多少、思うところもないではない。直接顔を会わせていないだけに、ゲンドウのように、ただ、利用すべき人間、とまでは思うことは出来ない。少々、複雑な感情が残っている。更に更に言うならば、いつぞやユウキが言ったように、「男の子はいつまで経ってもマザコン」であるのかも知れない。完全に切り捨てることは出来ないでいるようだ。
 となれば、親の恥を目の前に見せつけられたように感じで、子としては少々恥ずかしくもなる。
「……それはそれとして」
 ユウキは、シンジの表情をちらと見つめ、おそらくはその内心を正確に理解したようだが突っ込みはせず、僅かに首を傾げて、問うた。
「以前から疑問だったんですけど、「ゲヒルン誇る三人の女科学者」、と言いますけど、惣流さんのお母さんは、何をした人なんですか?」
 と、関係のないことを。
 問われたシンジは、首を傾げた。言われてみれば、と言う顔だ。
「そうだよねえ。母さんはEVA、赤木博士はMAGIっていう実績があるわけだけど……アスカのお母さんて、何をしたんだろう?」
「極点到達のアムンゼンとスコットとか、電話発明のベルとエジソンみたいな関係なんでしょうかねえ? あるいは、コロリョフとフォン・ブラウン」
 先んじた者と、遅れた者。コロリョフとフォン・ブラウンは、月到達ではなく、それ以前の関係。勿論、遅れた方が惣流博士である。
「……アスカに聞いてみようか?」
「いえ」
 ユウキは慌て気味に首を振って遠慮した。シンジのことだから、そのままズバリと聞くに決まっている。そうなれば、またアスカの機嫌が悪くなりそうである。ただでさえ、難儀なのに、これ以上難儀になっても困る。元々、ふと思いついた疑問を深く考えずに口にしただけで、心底から知りたいと思っているわけではないのだ。
 また、アスカが知っているかどうかも疑問である。
 ユウキはそう考えた。
 これを、後で苦い思いで思い出すことになるのだが、それは兎も角。
「あの、それより、あちらの方は?」
 おずおずと口を挟んできたのは、帆村である。
 あちら、と言って指を差したのは、塀の上で決めポーズを解いた正義の味方少女である。
 完全に無視された恰好の正義の味方少女は、何処か苛立ったように、二人の方を見つめていた。
「ああ」
 ぽんと、二人は揃って手を打つ。すっかり忘れていました。そんな顔である。
「ええと」
 それから、シンジが代表して、口を開いた。
「悪の退治は、僕らが自分でやりますから、わざわざ正義の味方さんに出張って貰う必要はないですよ」
 にこにこと、心から口にする。
「え?」
 と、正義の味方どころか、帆村まで首を傾げた。
「そう言うわけで、こいつは早いところ、連れていって」
 話は済んだとばかりに、シンジは借金まみれの男、金賀ナイゾウを戒めている男達に示す。
 そこへ、再び帆村はおずおずと声をかける。
「あの、多分、彼女は我々を悪人だと言っているんだと思いますが……」
「え?」
 シンジ、ユウキが驚いたように声をあげた。
「え? って、本気で言っているんですか?」
 驚き、尋ね返す帆村だが、答えを聞く必要はないように感じていた。
 シンジ、ユウキの二人は、間違いなく、演技でもなく、心から驚いているように見えたから。
「法外な金利で金を貸し付け、それを返せないとなると無理矢理暴力でもって返済を迫り、挙げ句には臓器を取り出して密売、更には自殺させて生命保険を受け取ろうなどとは、決して許せることではありません! 地球侵略を狙うダイラストの手先、ヤクザフラスト、覚悟しなさい!」
 わざわざ、正義の味方少女は、シンジの罪状をペラペラペラ〜っと述べてくれた。
「ヤクザフラスト?」
「ダイラストって、何ですか? 我々は、碇組ですけど?」
 シンジ、ユウキが訳解らないと首を傾げる。なんだか、首を傾げてばかりである。
「確かに、世界征服は狙っているけど……」
「おまけに女の敵ですけどね」
「……」
「ケダモノですからねえ」
 無言になったシンジに、ユウキが突っ込みを入れる。
 シンジはこほんとわざとらしい咳払いをして、正義の味方少女に向き直った。
「今の言い分で確認できたけど、僕たち、何も悪いことをしていないんじゃないかなあ?」
 本気ですか?
 とシンジを見たのは、正義の味方少女だけではなく、帆村もそうだった。
「だって、金利は元々、貸付をするときに確認して貰ったはずだし、借りたモノを返さない方が悪いわけでしょ?」
「だ、だからって、臓器を摘出して密売しようとか、自殺をして貰って生命保険で払って貰おうというのは……」
 と、口を挟んだのは正義の味方少女ではなく、帆村である。
「え?」
 っとシンジは、首を傾げて帆村を見た。気付けば、ユウキも帆村の方を、まるで外国語を聞いたような表情で見ている。
「だって、そうでもしないと、返して貰えそうに無いじゃない。この人が、まともに働いて借金を返してくれると思う?」
「そ、それは……」
 帆村は、言葉に詰まる。何しろ、この金賀ナイゾウという男は、次の重賞を当てて借金を返すと宣言したような男である。纏まった金があれば、即座にギャンブルにつぎ込んでしまうだろう。ギャンブルで借金を作ったというのに、反省の色は皆無に見えた。
「この場合、正しいのは、きちんと契約に則って借金を返すことだと思うけど。僕は、自分が正義だなんて言うほど厚顔無恥じゃないけど、悪いことをしているわけでもないと思うよ。ただ、商取引をしているだけだと思うけど」
 思うけど、とは口にしたが、シンジはきっぱり、確信している口調だった。
「そうですよねえ。最初、その条件で納得して金を借りておいて、返せないとなると法外だとか、こんなに自分が待ってくれと頼んでいるのに、非道だ、とか言うのは、それこそ、悪だと思いますけど。シンちゃんが口にしたように、この場合、正しいのはお金を返してくれることであって、それ以外は余計なことですよ」
 ユウキが、シンジを補足するように口にする。
 多分、この場に赤木リツコがいたら、「これだから一つ目国の住人は」とでも呟いただろう。
 帆村は、赤木リツコではない。だから、そうは呟かなかった。代わりに、「どうしてこんな事になってしまったんだろうか」と苦悩しただけだ。
 正義の味方少女は、帆村のように頭を抱えたりしなかった。代わりに、叫んでいた。
「自分が如何に悪逆な存在であるか自覚せず、詭弁を持ってこの場を乗り切ろうとは、許せません」
 言うが早いか、塀を蹴って宙に跳んでいた。
 その手が、腰の後ろに回されると、素早く何かを抜き取る。
 その何かから、光のリボンのようなモノが伸びる。淡い輝きを放ちながら、まるで新体操のリボンのようにくるくると宙を舞いながら、シンジめがけて襲いかかっていった。

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