#118 先手必勝


 日本に限らず、旧海岸線の殆どは大きく浸食されている。南極で発生したセカンドインパクト、氷が溶けた事による海面上昇の為である。
 海の中、そして海岸には、うち捨てられ、半ば崩れかけたビルが墓標のように立っている。
 そのビルの脇に、エヴァンゲリオン初号機と弐号機が並んで、待機していた。
 弐号機のエントリープラグの中、アスカは海面を見つめていた。その瞳の奥には、暗い光が踊る。
 今回の使徒戦における、アスカの役割はATフィールドの中和。
 使徒殲滅よりも、情報収集と足止めを最優先とする。
 ユウキの言いたいことは、アスカは当然理解している。それだけの聡明さは持ち合わせているのだ。
 やはり、決戦の場として適しているのは、第3新東京市なのだ。各種の兵装ビルとの連携が取れ、なにより、足場が良い。ここ、海岸線では、どうしてもEVAの自重により、足がめり込んでしまい、行動力が奪われる。足下にATフィールドをカンジキ状に展開する事により、それは免れることが可能だが、その分だけ、攻撃、防御に回すATフィールドの強度が劣ることになる。その点、初手からEVAのような巨体、巨大重量の巨人が活動することを念頭に置いて作られた第3新東京市の大地は強化されており、全力を攻防に振り分けることが出来る。
 解っているのだ。
 情報収集と、足止め。足止めには、おそらくN2地雷を使うことになるだろう。そして稼いだ時間を使い、第3新東京市の復旧を進める。更には、零号機の換装も終わらせる。その後に、EVA3機がかりで、使徒を殲滅する。この場では、可能ならば殲滅するが、そうでなければ、無理をしてまで殲滅する必要はないのだ。
 そう、解っている。
 しかし、理性は納得しようとも、感情が逆らう。
 敵に背中を向ける。
 それも作戦行動の内に含まれ、敗北ではないと承知していても、それでも尚、納得しがたい。使徒との対決は、最初の一戦が最終決戦だと教えられてきた。どんなことをしても、使徒を倒す。そうしなければ、人類は滅亡すると教えられてきた。
 現実、今回に限れば、ユウキの作戦通りに一旦は退いても、初戦で倒されない限りは人類滅亡前にもう一戦可能であろう。
 教科書の内容を、現実より優先するのはばかげている。現実はケースバイケース、教科書を原則以上に重用するのは間違っている。教科書を現実に合わせる事が正しく、現実を教科書内容に合わせるのは間違いだ。
 それでも、アスカは心理的に、撤退を認め難く思っていた。この自分、エヴァンゲリオン弐号機パイロット、チルドレンのエースが、敵に背を向ける。戦う前から、そんなことを考えるのは、悪しき敗北主義ではないかとの思いを、どうしても消すことが出来ない。
 更に、今回の自分の役目も納得しがたい。
 ATフィールドの中和。
 これは、確かに自分でしかできない事だ。初号機、シンジのコンビのシンクロ率はアスカに比べて格段に低く、これは、EVAの反応だけではなく、ATフィールドの強度に影響していた。格闘戦、超接近戦の間合いでなければ、初号機は敵のATフィールドを中和できない。これは、元々格闘戦主体で戦うシンジには、これまで問題のない事柄だった。しかし、一対一の戦いではなく、その他──戦自などの戦力と共同作戦を考えた場合、どうにもやり辛い。格闘戦を繰り広げるような兵器は、EVAの他には、先日廃棄処分になったJAくらいしか存在しないのだ。戦自の兵器は砲撃、爆撃、様々だが、全て遠距離攻撃に類するモノばかりなのだ。敵と味方がくんずほぐれつ、格闘している所へよそからの攻撃。それは、味方を撃つ危険をはらむ。更に言えば、通常兵器は元々、生き物を攻撃するようには出来ていないし、各種索敵装置を逃れることの出来る使徒である。目視による攻撃、まともに当てることだって難しい。ピンポイント攻撃など、夢のまた夢だ。援護するはずの攻撃の内の幾つかが敵ではなく、味方に流れる危険は高い。ATフィールドを普通に展開していれば、通常兵器をいくつ喰らっても問題ではない。だが、密接して互いのATフィールドを中和しあっている状態では、EVAは特殊装甲で覆われているとは言え、通常兵器も馬鹿には出来ない。
 その点、アスカと弐号機の展開するATフィールドは、初号機のそれよりも強度があり、その分、離れた場所からでも敵のATフィールドの中和が期待できる。敵のとの距離があれば、味方を撃つ危険も減るのは当たり前の話だ。
 自分にしかできない。
 これは本来、アスカのプライドをくすぐる事であるはずだった。
 天才少女、選ばれたチルドレン──アスカは、賞賛の言葉を当たり前のように受けて育ってきた。周囲の耳目は自分に集められる。その状況を望み、そして、望み通りに勝ち取ってきた。ドイツ支部では、全ての人間が、アスカの一挙手一挙動に視線を注いできた。
 注目されること。期待されること。
 主役であることが、アスカにとっては当たり前のことだった。
 なのに、日本に来て、その状況は一変してしまった。
 ネルフの人間が注目するのはアスカではなく、シンジだった。あるいは、ユウキか。
 主戦力は、シンジと初号機のコンビであり、アスカと弐号機は、おまけ程度でしかない。
 その状況は、許容し難かった。
 今、アスカは重要な役割を与えられている。それも、初号機とシンジには出来ない事を。そして、アスカにしかできないことを。
 しかし、心は躍らない。
 敵ATフィールドの中和。
 攻撃は、戦自の役目。
 これではアスカは主役ではない。これは、脇役の仕事だ。
 役割分担。お互いに助け合って、一つの目的のために進む。
 これが、正しいやり方であると、アスカの理性は告げている。
 一人では出来ないことも、助け合えば可能になる。そうやって、人類は進んできた。
 解っている。
 解っているのだが、感情が納得しなかった。
 アスカは、自分の手で使徒を倒したいのだ。自分の手で使徒を倒し、自分こそがエースであることを、内外に証明してやりたいのだ。
 今回のやり方では、使徒を倒すのは戦自の役目となる。いや、主目的は情報収集なのだから、確実にそうなるわけではない。戦自の戦力で使徒を殲滅できるはずがない、と、アスカは考えている。使徒を倒せるのは、エヴァンゲリオンだけのはずだ。しかし、万が一、殲滅が可能であったとき、自分はただの脇役になる。更に言えば、戦自でも使徒の殲滅がなるとなれば、EVAの価値も下がることになる。同時に、自分の価値も。既に、第5使徒は戦自の手によってとどめを刺されている。しかし、それは自分が不在であったために起きたことだ。自分がいれば、そんなことにはならなかったと、アスカは考えている。
 しかし、今回、この場には自分もいる。この場で、EVA以外の手による使徒殲滅が成されたとしたら?
 自分はただの脇役で終わる。
 偉大なるチルドレン、エヴァンゲリオンパイロットの自分──惣流アスカ・ラングレーが。
 許容できない。
 本来ならば、アスカはもう少し冷静に事態を、そして自分を見つめることが出来ただろう。しかし、先の第6使徒戦の敗北が、影響を与えていた。負けることの許されない戦い。それで、自分が敗北した。その事が、アスカを追いつめていた。元々、その様に教育されていたこともある。勝てないEVAは、意味がないのだ。同時に、自分、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーも存在する意味を失う、と。
 意味のない人間。誰からも見向き去れない無価値な人間。自分がそうなることを、アスカは絶対に許容できない。そうなることを考えるだけで、アスカは深甚な恐怖を抱いた。それだけは、絶対に避けねばならない。
 自分に意味があることを証明するためには、使徒と戦って勝つしかない。
 使徒に勝つ。
 視野狭窄を起こしていたアスカは、それを、極狭い範囲で考えていた。
 チームとして活動して勝利するのではなく、自分自身が、単独で勝利せねばならないと。
 アスカは、エントリープラグ内壁に映し出された周囲の光景に視線を送る。
 弐号機の横には、初号機。弐号機同様、倒れ欠けた廃ビルを援体にして、体を隠し、海面、使徒が現れるであろう方向を伺っている。手には、パレットライフル。
 更に後方。そこには、戦自の戦車群が、砲頭を海に向けて待機している。
 アスカは、ぺろりと舌で唇を嘗めた。
 ──やれる。
 この場で、自分を止められるモノは居ない。指揮所からの操作で、弐号機とアスカのシンクロをカットすることは可能だが、敵を目前にした状態でそれを行うとは考えがたい。行えば、弐号機を──アスカを失う可能性が高いのだ。いくら何でもやれるはずがない。そうでなくとも、弐号機とアスカのシンクロをカットした瞬間、現在考えられている作戦も意味を失ってしまう。弐号機の存在無くして、その作戦は実行不可能なのだから。ならば、シンクロカットはないと考えても良いだろう。
 その他、自分を止められるモノをあえて上げれば初号機だが、シンジは当然、アスカが指示に従うモノと考えているだろう。充分に、不意を付くことが出来る。使徒が現れた瞬間に飛び出せば、初号機を置き去りにして、接敵することが可能だ。
 弐号機は手にした長柄の刃を握りしめる。
 作戦に背く行動になる。
 しかし、構うことはない。
 アスカは全く迷うことなく、心を決めた。
 作戦に背いたとしても、使徒を倒せば充分にお釣りが来る。
 使徒に勝てば、全てが許される。
 そして同時に、自分を認めようとしない本部の連中に、本当の天才である自分の実力を見せつけてやれることが出来る。
「さあ、来なさい」
 通信機に拾われることがないように、小さく口の中だけで呟き、アスカは海面を睨み付けた。


 アスカの状態は、テレメトリで指揮所に送られている。
「若干、緊張気味ですね」
 日向が、その数値を眺めて、報告する。
 ユウキはそれを受け、日向の椅子の背もたれに手をかけ、モニターをのぞき込むように体を乗り出す。それから、慌て気味に体を退いた。
「日向さん、戦闘開始前です。もう少し緊張して下さい」
「え?」
 日向、慌てて表情を引き締めた。丁度頭の横に来たユウキの胸に視線を送り、鼻の下を伸ばしていたのだ。
「……マコト、お前、目覚めすぎだ」
「無様ね」
 青葉、リツコが呆れたように呟く。
「いや、だって……」
 あたふたと言い訳を始めようとする日向。
 ユウキはため息を零し、青葉の方に移動して、指示してモニターにアスカのテレメトリを表示させる。そして、眉をひそめる。アスカの心拍や呼吸数を示す数値が、妙に緊張しすぎであるように思える。
「青葉さん、惣流さんに通信を繋いで下さい」
 すぐに、ユウキは指示を出す。
「作戦行動に従うように、重ねて通達」
「え?」
 戸惑う青葉。
「単独でつっかかっていくと?」
「可能性はあります」
 ユウキは頷く。
「元々、私の指示に従うことを良しとはしないでしょう。同時に、チームプレイの重要度を理解していても、納得はしていないでしょうから」
「了解しました」
 青葉が納得して頷き、通信を繋ごうとする。
 しかし、それより一瞬早く、日向が告げていた。
「使徒、海面に出ました──弐号機、使徒に向かって走り出しています!」
「──っ!」
 ユウキは、舌打ちした。動き出されてしまっては、こちらからシンクロカットをするというわけにも行かない。それは、最悪、アスカを殺すことになってしまう。
「戦自に連絡、作戦は中止!」
「了解、戦自に連絡、作戦中止!」
「シンちゃんに繋いで下さい。惣流さんの援護を」
 慌ただしく、指揮所が動き出す。
 戦闘は、アスカの思惑通り、そして、ユウキら、その他の者達の予定とは違う形で始められた。

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